Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

関心領域

2024年06月22日 | 映画
 映画「関心領域」は5月下旬の公開後、約1か月たつ。関心のある人はあらかた観てしまったのかもしれない。わたしが行った日は雨の降る寒い日だったこともあり、観客は10人足らずだった。上映終了も間近いのか‥。ともかく間に合って良かった。

 いうまでもないが、本作品はアウシュヴィッツ強制収容所の所長だったルドルフ・ヘスとその家族を描く映画だ。ヘスの住居は強制収容所に隣接する。塀を隔てたむこうは強制収容所だ。ヘスとその家族はそんなきわどい住居で贅沢な暮らしをしている。ヘスはともかく、妻と子どもたちは強制収容所で何が行われているか、まるで知らない様子だ。関心領域の外なのだ。

 関心領域(The Zone of Interest)とは恐ろしい言葉だ。だれにでも関心領域がある。自分の生活を支える領域だ。恐ろしいのは、その外側に広大な無関心領域がひろがることだ。たとえばいま起きているガザの戦争やウクライナの戦争は、無関心領域にある。そんな大問題でなくても、もっと身近な、たとえば隣人の貧困の問題も、あるいは児童虐待の問題も、無関心領域にある。ルドルフ・ヘスとその家族を批判してはいられない。

 一方、大多数の人々には無関心領域にあっても、その問題に関心をもち、手を差し伸べようとする少数の人たちがいる。本作品で描かれる地元の少女はその典型だ。少女はアウシュヴィッツ強制収容所の近隣に住んでいる。夜になると自転車で、ユダヤ人たちが日中強制労働に駆り出される場所にそっとリンゴを置きに行く。ユダヤ人たちが見つけて食べることができるようにと。家族が少女の行動を支える。

 もうひとつの例は、ヘスの妻の母親だ。母親は遠路はるばる娘を訪ねてくる。娘のぜいたくな暮らしに驚く。娘は幸せだと思う。だが、だんだんと周囲の奇妙さに気付く。塀のむこうでは何が起きているのだろうか。ある夜、目が覚める。塀のむこうでは、煌々と明かりがつき、何かをやっている。母親は異常な状況を悟る。黙って家を立ち去る。翌朝、母親がいないので、家中大騒ぎになる。娘(ヘスの妻)は置手紙を見つける。無言で捨てて、今までの生活を続ける。

 だが、ヘスの家族の幸せな生活は、無意識のうちに蝕まれていく。いくつかのエピソードが重なり、ヘスも子どもたちも、精神的にすさんでいることが分かる。

 本作品は最後に、現代のアウシュヴィッツ博物館の光景になる。わたしたちはそこに今まで観てきたヘスとその家族の生活、そしてユダヤ人たちの悲惨な運命(絶え間ない音と煙突から流れる煙で暗示されている)の記憶を重ねる。
(2024.6.18.109シネマズ二子玉川)
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