Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2018年01月19日 | 音楽
 メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」がプログラムに組まれたので、注目していた大野和士/都響の定期。最初にピアノ独奏でトリスタン・ミュライユの小品「告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に」が演奏された。メシアンに師事したミュライユの、メシアンの逝去に当たって書いた追悼の曲。

 さすがにスペクトル楽派の雄のミュライユらしく、音の響きの美しい曲。高音のきらきら輝く音の連なりから、低音のじっくり引き伸ばされた音まで、透明な音の構造体に耳を澄ます曲。ピアノ独奏はヤン・ミヒールス。ブリュッセル王立音楽院教授。

 じつはわたしは、演奏会の冒頭にこの曲が置かれているので、演奏会全体がメシアンの追悼に捧げられているのかと思っていた。なので、オーケストラがステージに揃い、ピアニストがこの曲を弾き、拍手をせずに「トゥーランガリラ交響曲」が始まるという展開を予想していた。

 だが、普通にピアニストが出てきて拍手を受け、この曲を弾き、拍手に応えた後、ステージの袖に引っ込み、次にオーケストラとピアニスト、オンドマルトノ奏者(原田節)そして指揮者が出てきて拍手を受け、「トゥーランガリラ交響曲」が始まるという、ごく日常的な演奏会の風景だった。

 「トゥーランガリラ交響曲」は、すっきりした造形が特徴の演奏だった。かつて某日本人指揮者が都響で演奏したときの、頭に血が上ったような演奏とは対照的だった。対照的だったので、余計にそのときの演奏を思い出した。

 わたしは大野和士/都響がサントリー芸術財団のサマーフェスティヴァル2015で演奏したB.A.ツィンマーマンの「ある若き詩人のためのレクイエム」を思い浮かべた。あの超難曲と思われる曲を、驚くほどすっきりと演奏した。わたしがドイツでマティアス・ピンチャー指揮hr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)の演奏で聴いたときのカオスのような音響とは対極だった。

 そのときは、こんなにすっきりした演奏でよいのだろうかと、多少不安を覚えたが、今回の「トゥーランガリラ交響曲」を聴いて、あのときの方がアンサンブルの精度が高かったように思った。今回はもったりした感じがあった。なぜだろうと、その原因をいぶかった。

 もう一ついうと、この曲は“性愛”表現と切り離せない面があると思うが、今回の演奏ではそれをまったく感じなかった。そういう経験も珍しかった。
(2018.1.18.東京文化会館)

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