Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

青柳いずみこ「翼のはえた指―評伝安川加壽子」

2020年01月04日 | 読書
 青柳いづみこの「翼のはえた指―評伝 安川加壽子―」を読んだ。活きのいい文体、自身ピアニストである著者のピアノ奏法への洞察、そして安川加壽子に師事した著者の師への想い出という、それら3要素が混然一体となった名著だ。本書は1999年に白水社から刊行され、同年第9回吉田秀和賞を受賞した。吉田秀和はそれ以来、著者の著作を欠かさず読んだといわれる。

 安川加壽子は1922年(大正11年)生まれ。生後1年あまりでパリの国際連盟日本事務局に勤務する父のもとへ渡った。加壽子は日本語よりもフランス語で育った。1934年にパリ音楽院ピアノ科に入学(当時12歳の加壽子はクラスで最年少だった)。1937年に1等賞(第3位指名)を得て卒業した。

 ヨーロッパ情勢は緊迫していた。1939年8月、独ソ不可侵条約の締結。同年9月、ドイツ軍がポーランド国境に侵攻。その直後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をして、第二次世界大戦が始まった。同月、加壽子は母とともに帰国。父も翌年7月に帰国した。

 だが、日本も大変な状況だった。少し遡るが、1931年9月、満州事変の勃発。翌年3月、満州国建国を宣言。1937年7月、日中戦争に突入。加壽子が帰国した翌年の1940年9月には日独伊三国同盟が成立。そして1941年12月、真珠湾攻撃。日本は太平洋戦争に突入した。

 加壽子が生きた時代はそんな時代だった。だが、加壽子は、戦時下ではあっても、「天才少女」ともてはやされた。フランス仕込みのピアノ奏法は、当時の日本のレベルを超えていた。1943年にSPレコードに録音したサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」は、同曲の世界初録音だった(オーケストラは尾高尚忠(尾高忠明の父)指揮の東京交響楽団(現在の東京フィル))。

 幸いなことに、その録音がCDに復刻されているので(ロームミュージックファンデーション「日本SP名盤復刻選集」第4巻に所収)、今でも聴くことができる。みずみずしい音色と清新な感性に驚かされる。今の耳で聴いても、少しも古びていない。音楽の形を崩さない加壽子の演奏が、新鮮な生命を保っている。

 戦後の加壽子は、著者が身近に接した加壽子だ。3人の子どもを育て、演奏活動を続け、東京藝大で後進を育成し、各種の役職にもついた。その一方で、批評家の酷評に悩んだり、持病のリウマチに苦しんだりした。著者は加壽子を理想化せず、その素顔を描く。本書を読了したとき、わたしは安川加壽子という稀有な人物を身近に感じた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ベートーヴェン生誕250年にむ... | トップ | 青柳いずみこ「グレン・グー... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書」カテゴリの最新記事