平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

人柱の救済~その1.弁財天と龍神伝説

2009-10-07 18:33:18 | Weblog
 今回のテーマは極めて難しいものなので、配布している二枚目の古代史CDに収録されている『整形魔女たちの午後』が予備知識として必要なります。僕は『能』の旅の僧のように、成仏できない亡霊の鎮魂を幾度としてきたからです。今回の旅も、実はこの基本線に乗っていたのですが、長くなるので二回に分けて掲載します。

 鶴と亀さんによる岸和田のダンジリの説明で、岸和田の木工職人は元々、天智天皇の大津京から落ち延びたと伺いました。この時はまだ、ただの郷土史でした。しかし、弟子が予定を変更した伊勢で、二見浦(二見ヶ浦)に行くことになりました。この時には既に、最後の目的地である蒲郡の竹島に僕は招き寄せられていたのです。

 竹島の弁財天は琵琶湖に浮かぶ竹生島から勧請(かんじょう)されたもので、ここで先の大津京との接点ができました。琵琶湖がキーワードだったのです。けれど驚くのはまだまだ早いのです。実は、竹生島の弁財天には伝説があり、それが二見浦とつながっていたのです。竹生島弁財天の縁起は『小夜比売草紙(さよひめぞうし) 』に書かれていますが、内容は以下のようなものです。

"小夜姫は奈良の松浦谷壺坂の、松浦長者の娘で、亡くなった父の十三回忌を弔らうお金が欲しいと春日明神に参拝し、大蛇への人身御供の身代わりを探している、里長権賀の大夫に巡り会って身を売り、奥州白河の安達の郡まで連れて行かれます。大蛇は、伊勢の二見ヶ浦の生まれで、橋の人柱になった怨みから龍女となってしまった少女で、小夜姫が法華経の経典で頭を撫でると少女の姿に戻り、感謝して、小夜姫を生国の猿沢の池まで送り、龍の宝珠をくれました。小夜姫はその宝珠で長者となり、不老不死となって、後々は志賀の竹生島弁才天として祀られたというお話です"→出典のサイトはこちら

 このようなお話ですが、竹生島弁財天には次のような逸話もあるようです。

"湖東線の仏生山付近は当初、両面切り通しで開通したが、その後なぜか上面に煉瓦を積んでわざわざ長さ31mのトンネルに変更された。

丘陵地帯の仏生山には、昔から海の神様である龍神が住んでいた。ちょうど仏生山トンネルの位置は、湖岸から西方に約五十キロ離れた湖中の竹生島にいる美しい弁財天のもとに、龍神が通っていく通路となっていた。たまたま明治二二年七月、鉄道がこの仏生山の中央を両面切り取りによって開通したことにより、龍神が従来から利用していた通路は遮断されることとなった。烈火の如く怒った龍神は、切取箇所の上部からさかんに木や土砂を線路上に落下させて、汽車の運転を妨害した。この運転事故の続発は龍神のお怒りによるものだった" 沢和哉氏著『日本の鉄道ことはじめ』(築地書館刊)より→出典のサイト

 このように、竹生島弁財天は龍神=蛇神で、日本の各地に蛇身弁財天が残されています。さしずめ、僕は蛇年なので、蛇神の弁財天に通う龍神なのでしょうか?

 さて、龍神が弁財天の元に通うのには理由があります。というのも、弁財天には人柱伝説があるからです。大分府内城の工事では、弁財天像を抱えた娘が人柱として埋められたとあります。岡山の旅でナジェか足が向いて迷子になった倉敷の向こうの福山市(広島県)には、服部大池造成の際に人柱となったお糸を弁財天として祭る、お糸大明神があります。このような弁財天と人柱の関係にはルーツがあるのではないか?そしてそれを解明することが、人柱になった犠牲者の霊を救うことになるのではないか?次回はそのテーマで書き進める予定です。

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