平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

帰途

2010-06-30 11:22:07 | Weblog
 今、秋田からの新幹線こまち8号の中で原稿を書いています。昨日と一昨日は、太宰治の生家や泊まった旅館を訪れる文学ロードでした。ちょっと強行軍だったので、一昨日に泊まった深浦では、さすがに疲れて晩ご飯後は朝まで熟睡。昨晩は、大学の同級生が准教授をしている秋田に泊まり、久しぶりに長電話。同級生だったWさんが酒を飲んで血を吐いて死んだとか…。そういえば、太宰も血を吐いたような。

 太宰と深浦に関しては、帰ってから改めて書くとして、今回は港町が多かったと痛感しました。やはり、聖書の流れから、象徴としての漁師を訪れているのかもしれません。また、紹介した大槌のホタテ屋さんに注文してくださった読者の皆さん、誠にありがとうございます。「おいしい」と好評のようです。

 今回の旅行は、予定よりも慌ただしくて、その理由は交通の便が悪いことに起因します。一列車遅れると、二時間待ちや三時間待ち。昨年の関西圏は、なんだかんだ言っても交通の便はきわめて良好です。岩手と青森と秋田の場合、沿岸をつなぐ高速列車が走っていない場合も多く、あっても本数は一日に数本。列車に合わせてのスケジュールでは、一日に移動できる距離は限られてきます。

 古代から、文化の大半は水辺や海辺の都市で育まれてきました。それは、古代の移動や輸送手段として、主に船が使われたからです。しかし、列車と自動車という、内陸部を縦横に巡る交通手段が発達すると、地方の漁港や交易港は時代から取り残されてしまいます。海上輸送の経由地としての港は廃れ、漁獲高の減った漁業依存になります。さらに、コストが問題視されてくると、地方の工場は閉鎖され、中国などへ移ってしまいます。空洞化が地方疲弊に拍車をかけたのです。

 地方の交通網というのは、体で言うと末梢神経のような機能を有しています。国の主要機関に相当する、体の主要器官が健全なら、手足の先まで健康なのと同じです。体調が悪くなると手足のマッサージを必要とするように、地方が疲弊すると、国そのものが成人病や老化現象に悩まされるのです。都会が都会でいられるのは、地方という人材や資源の供給源が健全だったからで、都会には地方に血を送る義務があるのです。血税を地方に回すのは当然です。

 しかし、血税をダムや鹿の道路に使うのは無駄です。太るのはゼネコンだけだからです。これは栄養ではなく、悪性のコレステロールの類ですね。地方を活性化させる血税の投入方法は、末梢神経を若いままに保つ、交通の確保以外にありません。都会から地方へ行く足の確保ですが、やはり電化や複線化と平行したプランが必要だと思います。

 自動車は便利ですが、世界中で鉄道が見直されているように、エコと環境を両立できる電車こそ地方に必要なものだと思います。日本の鉄道が疲弊したのは、夥しい満州鉄道の引き揚げ者を養ったからで、彼らが亡くなって年金を払う必要がなくなったら、JRグループもかなり楽になるのでは。

 新幹線ができて、駅がパスされた町や村は不便になっただけで恩恵は無し。第三セクターという赤字部門の押し付けでは、地方が怒るのは当然です。地方を活性化させるには、地方を便利にするという発想が不可欠です。高速道では、車離れが進む若い人を引きつけることはできません。鉄道そのものを、新しい発想で再発見する、そういう時代認識が必要だと思いました。

      エフライム工房 平御幸
コメント
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