平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

童謡(わざうた)の毒

2010-05-02 06:01:30 | Weblog
 民主党のルーピー鳩山と、小沢民主席への風当たりは強まる一方ですが、とうとう二人を揶揄(やゆ)する替え歌が流されているそうです→こちら。でも、内容はともかく、流している方も童謡(わざうた)の本質を理解していませんね。

 童謡(わざうた)というのは、蘇我氏が聖徳太子の息子である山背皇子(やましろのみこ)を滅ぼしたときに流されたものが有名で、政治が混乱したときに権力者側を非難・風刺するツールです。蘇我氏は次のような歌で非難されています。

"岩の上に 小猿米焼く 米だにも 食(た)げて通らせ山羊(やましし)の老翁(おじ)"

 古代史の中でも解説しているのですが、岩は原始キリスト教の教会の隠語で、米はキリスト教自体を指します。猿は祭司の隠語なので、小猿は祭司の藤原氏が投影された、蘇我氏の息子である蘇我入鹿(そがのいるか)を指します。山羊の老翁が誰を指すかは解釈次第なのですが、大事な事は、蘇我入鹿と山背皇子は架空、あるいは半架空(実在の人物Aに人物Bを投影した)の存在で、これらは後の時代の藤原四兄弟による長屋親王虐殺が投影された事件なのです。

 日本書紀が記された時代は藤原氏が絶対権力の時代であり、藤原氏の罪をそのまま書く事が出来ず、過去に遡って記述する手法が用いられたわけです。推古天皇の名前が「古(いにしえ)を推(お)し量る=<''`∀´ > 昔はきっとこうだったニダね ホルホル」ですから、記紀編纂の時点ですでに、聖徳太子の時代は推量するしかなくなっていたのです。聖徳太子時代を復元して記述する過程で、藤原氏の汚点も、すでに権力を無くしていた蘇我氏に投影されたのです。蘇我氏自体が架空という事ではありません。

 僕は法隆寺は原始キリスト教の教会と考えており、ここから、本当の仏教導入は天武・持統の時代だと考えています。それまでは、原始キリスト教の寺院が主流で、だからこそ鑑真が来日するまで、日本で仏教の戒は授けられなかったのです。ですから、中国の圧力という構図から見ると、仏教保護の唐の認証で政権を維持した奈良時代が今、1300年を経て蘇ろうとしているわけです。原始キリスト教の因縁ある者にとって、奈良遷都1300年は喜ぶべきものではなく、悪夢の蘇りでしかないのです。

 さて、童謡(わざうた)というのは、永田町界隈で政治パフォーマンスとして流しても駄目なのです。このような替え歌は、小学校や幼稚園の周りで繰り返し歌う事で、子供が自然に覚えて家庭に持ち帰り広まります。カゴメの歌がいつの間にか広がったように、子供を利用するのは常套手段です。もっとも、これは白戸三平氏が漫画の中で描いている事ですけど。麻生さんは知らないのかな?

 なお、上海閥のドンである江沢民(こうたくみん)元主席が、自分が熱望した上海万博の開会式から閉め出されたようです。いよいよ上海・罰の蟹料理の始まりでしょうか。我らが民主党の小沢民主席(しょうたくみん・しゅせき)も、首のあたりが冷や冷やしているでしょうね。

参考
議員会館前抗議/小沢コガネムシ・ハトポッポの替え歌他
http://www.youtube.com/watch?v=oqU1Ez3tu54

【替え歌】ポッポっちゃまくんのテーマ ポッポ様【政治シリーズ】
 http://de.nicovideo.jp/watch/sm9871253

      エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする