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2013年10月12日 宮城、山形、福島旅行 1日目(その1)

2013年10月20日 17時51分48秒 | 旅行

東北旅行は例年、夏休みに行くことが多いのですが、今年は時期をずらし、秋の東北に行ってきました。

 

まずは、南三陸町の志津川に向かいます。

途中、立ち寄った「道の駅 津山」。

 

「クラフトショップ もくもくハウス」地元の木工芸品を扱うショップで、なかなか魅力的な商品がたくさん販売されています。

ここで、丸いトレーを購入。木目がきれいなので、思わず購入しました。

 

 

そろそろ東北も新米の季節、ということで地元登米産のササニシキを購入し、志津川に向かいます。

 

志津川は、先日の大震災の津波被害が最も大きかった地域のひとつで、旧市街地に入ると、わずかにコンクリートの基礎だけが残る、草ぼうぼうの平地が広がっています。

JR気仙沼線 志津川駅前からの光景です。中央に見えるのが防災庁舎です。まだ復興などという言葉とは程遠い状況です。

 

 

 

そして、廃墟と化した志津川駅。

 

 

気仙沼線 柳津~本吉間の開業は昭和52年で、国鉄で開通した最後の地方交通線です。また、旅行作家の宮脇俊三氏が、国鉄全線完乗後にはじめて開通した路線であり、氏の著書「時刻表2万キロ」に開通の経緯、開通初日の地元の歓迎ふりが詳しく書かれています。

昔から津波の被害が多かった志津川では、そのたびに交通が途絶し食糧が不足するため、鉄道開通は悲願だったとのことです。

 

しかし、その鉄道は、皮肉にも津波で壊滅的な被害を受けてしまいました。今、鉄道の路線を利用してBRTの道路にする工事が進められています。

気仙沼線が復活する日は来るのでしょうか。復興は道路から、といわんばかりに立派な高速道路の建設が急ピッチで進められていました。

 

 

志津川を後にし、登米に向かいます。

この辺の地名は、市町村合併で登米市(とめ)になりましたが、旧登米町は(とよま)と読みます。

登米町は北上川沿いにある城下町で、明治時代の建物が多く残ることから、みやぎの明治村と呼ばれています。

その代表的な建物が「教育資料館」。昭和48年まで小学校として使用されていたということです。

 

 

中には昔の小学校の教科書や仙北鉄道の資料等も展示されており、なかなか面白いです。

 

 

小学校は、今は教育資料館の裏側にあります。建物が歪んでいるのは、ガラスが昔ながらの表面にひずみのあるガラスだからです。

 

 

 

教育資料館の庭には、銀木犀の木があり、丁度花が満開で良い香りが漂っていました。

 

 

 

 

教育資料館の隣には「遠山の里」という観光施設があり、この辺が登米町の観光の中心です。

 

 

交差点の反対側にある、「水沢県庁記念館」。宮城県になる前、岩手県南部と水沢県だった時期があるそうです。現在の県境は、地域の実態と合致していない例は結構各地で見られます。

 

 

 

 

さて、登米町を後に、山形方面に向かって移動します。

途中、渡り鳥の越冬地としてラムサール条約にも登録されている伊豆沼に立ち寄りました。

「サンクチュアリセンター」は、伊豆沼の生物、自然を紹介する施設で、入場無料です。

 

 

伊豆沼殻は少し離れており、伊豆沼のそばに別の観察台があります。

 

 

 

この施設はJR東北本線の新田駅のすぐそばにあります。丁度東北本線の普通列車がやってきました。

 

 

 

 

                                 <その2に続く>

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