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いずれこの記事が出るものと楽しみに楽しみに待っておりました。
蒸気機関車の最盛期を知らない私には、全ての光景がとても新鮮に映ります。
汽笛の音色も、とても擬音語では表しきれない、シンプルでかつ奥の深い感じがします。
初めて汽笛を聞いた時にはとにかく驚きました。
写真を撮りに行かれる方、どうか危険行為等の無いように、ご安全に。
始まったんですね。試運転。うらやましいです。試運転のほうが臨場感もあっていいかもしれないですね。本番は人人人かもしれないですね。
只今我々も、勾配を研究中です。多分須崎駅にはターンテーブルもないでしょうから、どっち向きなのかなあ機関車は・・・いろんなこと調べてから1泊2日でいざ出動となりそうです。いかなくっちゃ!!やっぱりね。
東北のやまがたです。
今回の蒸気機関車の写真いいですね。
昭和20年代は、はしってましたる
うらやましいです~。
私の方は残念ながら都合が合わず
見に行けそうにありません。
あの汽笛が聞きたかったなぁ…。
でもこちらで写真を見られたので
よかったです。
ありがとうございました!
SLが公式に運行される23日~26日については、色んな行事が入ってしまって行けそうにありませんでしたので、とにかくこの目で見たいと思って行ってきました。
走る姿も美しいのですが、今回は汽笛に大いに感動しました。
>isshyさん
ターンテーブルは多度津に残っていたような気がしますが、須崎駅には当然のことですがありません。
このため、高知駅から須崎に向かう下りは後進、須崎駅からの上りが正規の姿になります。
須崎=佐川間に斗賀野越えの勾配があるためディーゼル機関車が後ろに着きます。
上り列車では吾桑駅までの登り、岡花駅西方、仁淀川鉄橋、そして朝倉駅西方の立体交差あたりが煙目当てでしたらお薦めです。
>つんちゃん
子どものころはあまり汽車に乗る(旅行に行く)という機会が少なかったのですが、蒸気機関車に乗った記憶は鮮明に残っています。
四国にSLが無くなってからのち、小海線で出会ったSLも懐かしい想い出です。
>とららさん
残念ながら私の住んでいるところでは汽笛が聞こえませんが、沿線の方はすごく懐かしいと話していました。
運転士さんが何人いるのかわかりませんが、上りと下りで汽笛を鳴らす回数が違うといっていました。
沿線で待っている人がいるとよく、汽笛をならしてくれるのかもしれません。
aigenさんのところでSLを知りちょっと見てきました。TBさせて下さい。本当にいろんな所で撮られる機関車は楽しみですね。
合わせていつの日かどこかでaigenさんの隣で写真撮れってる偶然を楽しみにしています。
幼稚園くらいの頃だと思いますが、運転席に載せてもらった時は、この鉄のかたまりは生きている!っと思いました。
釜を焚く熱気もすごかったのですが、鼓動のようなものが伝わってきましたので。
私の住む滋賀でも北びわこ号として年間何回かはSLが走っています。
汽笛の音を聞くと、その頃のことを思い出します。
かつて、鉄道を高知から西に敷設する計画が持ち上がったとき、高岡(今の土佐市)では猛反対をしたそうです。
佐川の財閥が強かったためという話もありますが、結局、高岡を通らずに佐川を経由することになりました。
何時のころからか鉄道が好きになった私にとっては、何とも残念な話ですが、昔のことですから仕方ありません。
ということで、遠い汽笛に憧れているのですが、さすがにここまでは聞こえてきません。
>へんろ加藤さん
お遍路さんをされているのですね。散歩で清滝寺にはよく登るのですが、未だお遍路として歩いたことはありません。
いま、NHKで歩き遍路のドラマを放送していますが、あれだけの多数のひとが同じルートを同じ時間で歩けるはずがありません。
また、高知市内で宿泊した夜に、屋台に飲みに出て酔いつぶれるなどとは、いくらドラマとはいえ現実的ではありませんね。
(妻の父が何度か、歩いて八十八ヵ所を回りました)
>あすかの父さん
お父さんが蒸気機関車の運転士をされていたのですか。それはうれしいお話しですね。
長距離の移動ということからいえば、鉄道の果たした役割は大きいと思います。しかし、段々とスピードを競うようになるとディーゼルになり、電車になっていきました。運転操作もコンピュータ制御が取り入れられたりして、機能を理解すれば使いこなせるようになってきたと思います。
しかし、SLはやはり人の手でないと動きません。久しく蒸気機関車を間近に見る機会が無かったのですが、今回のC56を見てまた、その素晴らしさ、美しさに感動しました。
因みにこのC56-160は、昭和14年に製造されたと銘板にありました。