骨董市での出会いは「一期一会」、その時に気になった物との出会いは二度とない。
そんな思いを毎回強くする。
会場内を一巡しただけで、もう二度と手にすることができない。そんなことが度々あった。
だから、骨董市で気に入った物を手に入れると言うことは、即断即決を要する「真剣勝負」なのである。
そして、最近思うことだが、迷うような物は買ってはいけない!ということである。
人間には「見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」という五感の他に第六感というものがあって、
どうやら骨董品の即断即決の基準となるものはこの第六感ではないか、、と思うようになった。
* ~ * ~ *
父の遺伝で、若い時から陶磁器や古い物に興味があって、その頃は迷うことなく「欲しい!」という気持ちのまま買い物をしていた。
そして、その時に手に入れた物は今でも見ていて気持ちがいいのである。
ところが、いろいろと勉強する内に、その知識で物を見るようになって、あれこれと迷うようになった。
そして、その時迷った末に買った物は時間をかけて選んだわりには、その後あまり魅力を感じなくなってしまうのである。
さらに傍にあると目ざわりになったり、気持ち悪いとさえ思えてくる。これはどこからくるのか、、
考えてみると、知識を持って頭で買った物は自分の感性に沿った物ではなかったということだったのだと思う。
第六感とは、「鋭くものの本質をつかむ心の動き」と辞書にあった。
そうか!物の本質を瞬時につかみ、自分の感性に合った物を選ぶ、これが大事なんだ!
第六感を大事にすること。
これは当たり前かも知れないが、いろいろと失敗してきた中で、ようやく私が気づいたことである。
* ~ * ~ *
この八角皿はひと目で気に入った第六感物である。骨董屋の説明によると幕末から明治初め頃の伊万里焼とのこと。
まるで陶工が遊んでいるかのように、描き、堀り、塗っている。
元気が良くって大胆、はみ出しも気にしない、梅はふわっと、軸はサーっと器面に広がり、波に遊ぶ千鳥、、
どれも脈絡のないものの寄せ集めのようだが、何の違和感もない。
よくここまで遊びましたね!そう言って拍手を送りたいくらいである。
どんな陶工さんが作ったのか、、私の第六感に訴えた陶工さん、会えるものなら会ってみたいものである。
そんな思いを毎回強くする。
会場内を一巡しただけで、もう二度と手にすることができない。そんなことが度々あった。
だから、骨董市で気に入った物を手に入れると言うことは、即断即決を要する「真剣勝負」なのである。
そして、最近思うことだが、迷うような物は買ってはいけない!ということである。
人間には「見る」「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触れる」という五感の他に第六感というものがあって、
どうやら骨董品の即断即決の基準となるものはこの第六感ではないか、、と思うようになった。
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父の遺伝で、若い時から陶磁器や古い物に興味があって、その頃は迷うことなく「欲しい!」という気持ちのまま買い物をしていた。
そして、その時に手に入れた物は今でも見ていて気持ちがいいのである。
ところが、いろいろと勉強する内に、その知識で物を見るようになって、あれこれと迷うようになった。
そして、その時迷った末に買った物は時間をかけて選んだわりには、その後あまり魅力を感じなくなってしまうのである。
さらに傍にあると目ざわりになったり、気持ち悪いとさえ思えてくる。これはどこからくるのか、、
考えてみると、知識を持って頭で買った物は自分の感性に沿った物ではなかったということだったのだと思う。
第六感とは、「鋭くものの本質をつかむ心の動き」と辞書にあった。
そうか!物の本質を瞬時につかみ、自分の感性に合った物を選ぶ、これが大事なんだ!
第六感を大事にすること。
これは当たり前かも知れないが、いろいろと失敗してきた中で、ようやく私が気づいたことである。
* ~ * ~ *
この八角皿はひと目で気に入った第六感物である。骨董屋の説明によると幕末から明治初め頃の伊万里焼とのこと。
まるで陶工が遊んでいるかのように、描き、堀り、塗っている。
元気が良くって大胆、はみ出しも気にしない、梅はふわっと、軸はサーっと器面に広がり、波に遊ぶ千鳥、、
どれも脈絡のないものの寄せ集めのようだが、何の違和感もない。
よくここまで遊びましたね!そう言って拍手を送りたいくらいである。
どんな陶工さんが作ったのか、、私の第六感に訴えた陶工さん、会えるものなら会ってみたいものである。

八角皿の裏銘
「丸にキ」印