
江別村の村名選定については、最初江別(エベツ)村、恵村(エベツ)村、画櫃(エヒツ)村、戎太(エベスブト)村、江別太(エベスブト)村、蛯津(エビツ)村、などの候補を挙げ、上局中屯田幹部、公文課、地理課に票決を求めました。
その結果、満場一致で江別村が選ばれ、「開拓使布令類聚」によれば、
十月五日甲第八号府県布他達
当使管した石狩国札幌郡ノ内字江別太ヘ新ニ
一村ヲ江別村ト称ス
と、明治11(1878)年正式に決定布達されました。
こうして、すべての設備が整い、屯田は第一大隊付属江別分隊と称し、32坪の分屯所および翌年12年には、板庫(27.5坪)厩(6.6坪)も峻功、2月屯田事務局江別派出所が置かれ、着々と江別村の開拓が開始されました。
江別村・対雁村の行政については、開拓使は明治12(1879)年7月、布達乙第4号をもって従来の大小区画を廃し、郡区編成法により郡区町村を編成して、全道に18カ所の郡役所を置き、札幌・函館に区役所を設け、さらに各部に戸長役場を配置することになりました。
この結果、明治13(1880)年2月9日札幌区から分離し、江別村対雁村両村戸長役場が設けられました。初代戸長には(これまで札幌区第小区副戸長を担っていた)千徳瀬兵衛が就任し、行政区画の一部として戸籍および学校業務などを担っていました。
(参考)当ブログ6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ6月10日(火)「地名解」
当ブログ6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」
当ブログ6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」
註)北海道江別市役所「江別史上巻」参照。
写真:津石狩(対雁)番屋跡・江別発祥の地(江別市工栄町,旧豊平川河口部左岸)、2007年撮影。
昭和33(1958)年建立の標石は、石狩川堤防・河川敷地となって現在は撤去されています(江 別史教育委員会資料参照)。
その結果、満場一致で江別村が選ばれ、「開拓使布令類聚」によれば、
十月五日甲第八号府県布他達
当使管した石狩国札幌郡ノ内字江別太ヘ新ニ
一村ヲ江別村ト称ス
と、明治11(1878)年正式に決定布達されました。
こうして、すべての設備が整い、屯田は第一大隊付属江別分隊と称し、32坪の分屯所および翌年12年には、板庫(27.5坪)厩(6.6坪)も峻功、2月屯田事務局江別派出所が置かれ、着々と江別村の開拓が開始されました。
江別村・対雁村の行政については、開拓使は明治12(1879)年7月、布達乙第4号をもって従来の大小区画を廃し、郡区編成法により郡区町村を編成して、全道に18カ所の郡役所を置き、札幌・函館に区役所を設け、さらに各部に戸長役場を配置することになりました。
この結果、明治13(1880)年2月9日札幌区から分離し、江別村対雁村両村戸長役場が設けられました。初代戸長には(これまで札幌区第小区副戸長を担っていた)千徳瀬兵衛が就任し、行政区画の一部として戸籍および学校業務などを担っていました。
(参考)当ブログ6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ6月10日(火)「地名解」
当ブログ6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」
当ブログ6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」
註)北海道江別市役所「江別史上巻」参照。
写真:津石狩(対雁)番屋跡・江別発祥の地(江別市工栄町,旧豊平川河口部左岸)、2007年撮影。
昭和33(1958)年建立の標石は、石狩川堤防・河川敷地となって現在は撤去されています(江 別史教育委員会資料参照)。
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