昭和3年、江別小に待望の野球部ができました。
その年の2月に赴任した高橋季雄校長の肝いりでした。
若手の野村憲弘、鎌田久雄の両教諭が指導者となり高等科1~2年生を中心に、尋常科5~6年生を交えたチームが編成されました。
鎌田によると、当時の江別小の教師たちは揃って狂のつくった野球好きでした。
日曜ごとに即成チームを作っては遠征試合までしたというから、子どもたちのチームができるのは時間の問題でした。
(中略)
初陣は、3年7月の第5回全道樺太少年野球大会石狩地区予選大会です。
自信満々、江別小は勇んで参加しましたが、やんぬるかな、1回戦こそ島松小に5対2で勝ったものの、2回戦で、前年の地区大会優勝校千歳小に翻弄されました。
バント、バント、バント攻めで浮き足立ってしまいました。
当時、高等科1年でベンチを暖めていた浅見晴夫(のち江別第一中学校教諭)は、『その晩泣きはらしたんです。あったら奴らにやられたって。悔しいって。本当、みんな泣いたわ』と、いまだやんぬるかなの気分濃厚でした。
要するに、チョさrた訳ですが、これが良かったのです。
奮起一番、その年の夏休みは返上、猛練習の明け暮れとなりました。
翌4年、メンバーが揃いました。
投手の山田、三塁の関、遊撃の浅見が主力でしたが、その他、のち北大の投手となる寺尾翼の軽快な守備も光りました。
それに、リリーフ投手の藤林末吉の左からの荒れ気味のスピードボールも貴重な戦力でした。
勝てて加えて練習量も十分でした。
今年こそはの思いが、少年のしなやかな全身に漲っていました。
註 :江別総務部「えべつ昭和史」807-808頁.
写真:学生野球チームギャラクシー
同上書105頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログ及び江別創造舎facebook掲載いたしております。
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