昭和53年、江別は開基100年を迎えました。
この年山田市長は新たに、「輝ける江別2世紀に向けて」の副題をもつ向こう10カ年の江別市総合計画を策定しました。
48年の石油ショックを契機とする経済基調の著しい変化や、所得水準の上昇に伴う市民意識の多様化、さらには江別を取り巻く広域的な諸条件の変動などを踏まえてものでした。
江別市総合計画では、札幌市を中心とした道央圏に引き続き人口が集中することを前提に、45年以降(50年までの年平均人口増加率4%を基準に算定、55年には95,000人、62年には124.000人と想定しました。
しかし、50年以降の伸びは2%台に低迷、55年国調べでは86,349人と想定を9,000人近く下回り、9万人突破は、さらに5年後の60年を待たなければなりませんでした。
人口鈍化の要因は、いろいろあるにしろ、一つには45年の広島町の北広島団地の造成、40年代末の石狩町の花畔団地の造成が挙げられます。
つまり、それまで札幌等からの流入先として、大麻(おおあさ)団地を中心とする江別がほぼ一手に引き受けた感がありました。
しかし、同じ道央圏の大型団地の造成等は、流入の拡散を促したのでした。
こうしたことから、江別が人口9万人に達するのは、60年を待たなければなりませんでした。
これは、55年比4.6%,年平均1%弱の増加率まで鈍化したためです。
(参考)
当ブログ2013年 6月29日(土)「記念碑とタイムカプセル」
註:江別市総務部「えべつ昭和史」779頁.
写真:昭和53年10月5日江別市100年記念碑の除幕式
同上書499頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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