明治9年(1876年)の対雁移民・樺太アイヌに割渡された農地の、その後に触れていきましょう。
当該地は、樺太アイヌの大半が所有権(明治39年6月無償付与)をそのままに対雁を離れた以降、道庁の管理のもと小作人に転貸されていました。
これが、時代の要請となった自作農創設の機運とあい町、小作人に売却されましたが、その間の経緯は以下のとおりです。
明治39年8月以降、石狩・来札に残留していた樺太アイヌは、対雁の土地を担保に北海道拓殖銀行から1,200円を借りました。
これは、日露戦争後に日本領となる彼らの故郷、樺太への帰還旅費のためでした。
その後、対雁の土地は札幌支庁が管理の責任を持ち、経営を行っていたところ相当の成績をあげ、移民の残した負債を完済しました。
畑は反あたり約100円の時価を有し、現金と合わせ大半を共有権者に分配することで合意しました。
ただし、土地については従前からの小作人に特売処分を行うこととしました。
註 :江別市総務部「新江別市市」342-343頁.
写真:土地貸借契約證書
同上書341頁掲載<出典:部落史資料第二集八幡のおいたち>
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