江別創造舎

活動コンセプト
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保育所の設置

2013年01月22日 | 歴史・文化

 昭和39年厚生省が行った要保育児童調査によると、39年現在の道内の不足保育所数は299、約2万人分と判明しました。

 全国の未設置自治体は約3割でした。
その理由は、設置はもとより、その運営の経営的財政負担に耐えられないからでした。
同省では、この調査をもとに42年度から保育所緊急整備5カ年計画を立て、国庫補助金制度を設けることになりました。
 これが契機となり、以降、40年代半ばから50年代にかけ保育所設置の進展をみることとなりました。

 江別における最初の常設保育所は、26年3月開設の江別町保育所(緑町西1丁目)で、定員は60人、保育料は月額300円でした。
 この保育料月額300円は、道が示した算定基準の520-530円をかなり下回るものとなりました。
しかし、政策的にそのまま32年度まで推移しました。

 その後、市の財政悪化や道などの指導により、33年6月、保育所条例の改正を行いました。
そして、保育料を国・道レベルに引き上げ、同時に保育所の名称を江別市みどり保育所と改称しました。

 昭和30年代には、35年4月に白樺保育所の開設はありましたが、その後足早に増加をみるのは国庫補助制度が始まる40年代を待たなければなりませんでした。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」390-391頁.
写真:昭和28年江別町保育所
 同上書391頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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