江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

江別市総合建設計画策定

2012年04月25日 | 歴史・文化

 昭和35年度の施政執行方針演説において松川市長は、『市民の福祉を推進し、市政の進展を策するためには、まず総合都市計画及び農村建設計画を推進し』云々と、江別市にとりはじめての総合とし計画を策定することを明らかにしました。

 同計画は、36年2月「江別市総合建設計画」(昭和36年~45年度)として具体化し、以降10カ年間における江別の街づくりを、あらゆる領域において計画的に推進することになりました。
 その基本的なスタンスは、年々巨大化する札幌市の衛星都市として、いかに均衡のとれた健全な体質の街として発展させるか、ということにつきました。

 同計画は、そこへ到達するための目標として、次の三つを挙げました。
1.札幌広域都市圏における軽工業の振興と高度な農業構造の実現を図るため、必要な産業面の投資を促す受入体制の整備
2.中小企業の安定を図り、かつ、商店街のサービス施設を整備する
3.札幌広域都市圏にマッチした教育、文化、保健の諸施設を高め、北方田園調の都市住宅環境を造成する

 具体的計画は、(1)経済・産業計画(農業・開拓・漁業・工業・商業・観光)、(2)地域計画(都市計画・交通・通信・治山・治水)、(3)社会計画(住宅・教育文化・厚生・公安・公害対策)、(4)行政機能の向上計画、(5)財政計画、の5つに分かれます。
 
 最も基本となるのは、(2)の地域計画であり、(5)の財政計画です。
都市の規模と性格、その発展の方向性の骨格をなす総合的な土地の高度利用計画と、財政的な裏付けがあってこそ、はじめて他の計画も具体性を帯びることになるからに他ならないのです。

 都市計画の区域を定め、居住区域を設け、街路、公演、緑地及び上・下水道を含めた各種公共施設用地など、いわゆる都市基盤整備が先行しなければなりません。
そうでなければ、従来と同様の対症療法的な、方向定まらずの街づくりとなりかねず、であればこその総合計画の策定でした。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」240-241頁.
写真:昭和34年5月第2代江別市長に就任した松川清氏
 同上書226頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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