江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

治水対策の要望

2012年04月16日 | 歴史・文化

 昭和37年10月以降、当面の災害復旧工事として幌向川両岸堤防の嵩上げ応急工事、巴農場周辺の旧石狩川堤防、新篠津川下から美原までの石狩川右岸3千メートル、八幡地区石狩川堤防1,700メートルなどが行われました。

 当時の江別は一つの転換期にきていました。
戦後混乱期を抜け出し、膨張する札幌市の衛星都市として急速に都市化に向かおうとしていました。そのための総合都市計画でした。

 しかし、いくら都市化へ拍車がかかろうとも、水害を繰り返すのでは話にならない、という世論であり、市理事者の認識でしたが、松川市長は、治水の松川と呼ばれる程、以降議会と一体となり、中央陳情など治水対策に奔走しました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」236頁.
写真:昭和36年7月豪雨による水害<豊幌地区の被害地>
 同上書231頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載致しております。

コメント
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