コタツ評論

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今宵はアルゼンチンタンゴ

2013-12-06 00:06:00 | 音楽
先夜、ご紹介した Sol・Gabetta がアルゼンチーナなので、今夜はアルゼンチンタンゴの有名曲「ポル・ウナ・カベサ (Por una cabeza)」をダンス付きで。

映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り(1992)』から。



盲目の退役軍人スレード中佐(アル・パチーノ)が孫の彼女ドナ(ガブリエル・アン・ウォー)をリードするダンスシーンが、このタンゴ曲を世界的に有名にしました。以降、ウェディング・パーティで、新郎新婦が踊る「ファーストダンス」の定番曲になっているようです(日本以外では)。ジョン・ウィリアムズ指揮、バイオリン演奏はイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)です。

踊っているのが、イギリスのコリン・ファースとジェシカ・ビールとはわかるのですが、何という映画なのかわかりません。 検索してみたら、「 Easy Virtue(安易な美徳?)」という日本未公開のイギリス映画でした。
"


ステップや回転などがあり、かつてはバレエの本場ソ連が独壇場でしたから、フィギアスケートはダンスでしょう。Mao Asada の場合には、やはり、舞いと呼びたい雅びがあります。衣装も素晴らしい。ついでに、カメラワークも。歴代の日本女子フィギアでは間違いなくもっとも美しく、世界の現役選手のなかでも、もっとも美しく舞う一人ではないでしょうか。



俳優が映画のなかで踊る場合は、演出とカメラに助けられてそれらしく見せているわけですが、さすがにプロのダンサーは、どこを切り取っても、止まっている立ち姿ですら、踊っています。ほとんど背景は不明ながら、画質、演奏、ダンス、いずれも一級品ではないかと思いました。



脚さばきがほとんど映っていないのが残念ですが、演奏と一体になったライブパフォーマンスの空気感がよく伝わってきます。

(敬称略)

今宵はソル・ガベッタ

2013-12-05 01:56:00 | 音楽
Sol Gabetta で Youtube 検索すれば、たくさんの動画があります。サンサーンスがいいのですが、音が小さ過ぎるので諦めました。

Sol Gabetta - Bloch - Prayer - Jewish Life


エレーヌ・グリモー&ソル・ガベッタ / DUO


エレーヌ・グリモー(Hélène Grimaud)もいずれ載せたいですね。オオカミ好きだそうです。

Sol Gabetta - 'Oblivion' (Astor Pantaleón Piazzolla) [live]


Sol Gabetta - Allegro (Antonio Vivaldi)


(敬称略)

意思ばてろ発言に軍ぐつのヒッキー

2013-12-04 01:45:00 | 政治
自民党内では「リベラル過ぎる」と批判されるほど、石破さんは温厚でリベラルな人です。その石破さんが、「テロ発言」に及びました。

「今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。(11/29 石破ブログ




国会や議員会館周辺に一般住宅はありませんから、「多くの人々」とは、国会議員や国会職員など公務員を指します。つまり、公務員VSデモ隊という構図から、「テロ行為」という言葉が選ばれました。さらに、「その本質において」と熟考を重ねて強調しています。

では、テロの本質とは、何でしょうか? デモ隊が反対している、当の特定秘密保護法案に明記されています。

「テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう)」(特定秘密保護法案 第12条)

「国家若しくは他人にこれを強要し」の国家とは、石橋発言では国会議員や国会や議員会館に働く職員などの公務員を指すことは明らかです。しかし、石橋発言はマスコミ、野党、世論から強い反発と批判を浴び、その真意を問われることになりました。

「国会の周りに大音量が響き渡っているが、周りにいる人たちが恐怖を感じるような大きな音で『絶対に許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいのか。民主主義とは少し路線が異なるのではないかという思いがするが、もし表現が足りなかったところがあればおわびしなければならない」(12/1 富山県南砺市の講演

「テロ」を「非民主主義的」と言い直し、「もし表現が足りなかったところがあれば」と仮定して、「おわびしなければならない」としました。これが「もし表現が過ぎたところがあれば」なら、「テロは言い過ぎだろう」と即答できるのですが、「表現が足りなかったところ」を尋ねられても、ちょっと見当がつきません。

「『テロだ』と言ったわけではないが、テロと同じだという風に受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回する」(12/1 講演後、記者団に)

やはり、「テロと同じだという風に受け取られる部分があったとすれば」と仮定して、「撤回する」としました。つまり、「表現が足りなかったところ」や「テロと同じだという風に受け取られる部分」の説明責任を果たそうとするのではなく、その反対に、解釈責任を問うているといえます。受け取り側の読解力に問題があったのではないか、というわけです。

したがって、メディアは「撤回発言」と報じましたが、「とすれば」と仮定や条件を示して、「撤回する」といっているだけで、撤回はしていません。

整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。

自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。(12/2 石破茂ブログ


冒頭に戻りますが、国会や議員会館周辺には一般住宅はありませんから、議員会館前のデモ隊の騒音が、「一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げる」ということはあり得ません。

ただし、国会議員や会館職員なども「一般の人々」や「市民」とするなら、一市民の石破茂の発言になります。その場合は、「畏怖を感じ」「平穏を妨げ」られたというのは事実でしょうから、撤回する必要はありません。

そうした矛盾を躱わし、本来の謝罪をするために、「自民党の責任者として」という発言主体を出します。国会議員としてではなく、特定秘密保護法案推進の立役者のひとりではなく、一政党の幹部という立場です。

その前に、「撤回し」といっていますが、これも厳密には撤回とはいえません。「テロの本質」を「民主主義とは相容れない」「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と言い換えただけです。そして、「本来あるべき民主主義の手法」とは、「整然と行われるデモや集会」であるとすでに例示しているわけです。

しかし、「自民党の責任者として、行き届かなかった点がありました」というお詫びだけは本物です。昨日朝のNHKニュースで、石破自民党幹事長はこう云って頭を下げ、薄い頭頂部を晒していました。

関係諸機関にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。(12/3 NHK)

特定秘密保護法案の審議を紛糾させる騒動になったことで、自民党内や賛成野党、関係省庁の諸機関に、自民党幹事長として謝ったわけです。

どうして石破さんは、意固地を張るかのように、最後まで国民には、暴言の撤回を渋り、謝らなかったのでしょうか? その一方で、自民党幹事長としては謝ったのでしょうか?

たぶん、特定秘密保護法案だけではなく、その前に国家安全保障会議(日本版NSC)の創設があり、その先に集団的自衛権があるからです。この3つがそろって、はじめて日本は戦争ができることになります。

集団的自衛権は戦争行為そのもの、国家安全保障会議は戦争を指揮する司令塔、特定秘密保護法は戦時検閲法といえます。

戦時においては、国家の非常事態として、その危機管理上の要請から、民主主義国家でもある程度の基本的人権や自由の制限は許されています。第二次世界大戦時のアメリカも国内に戦時検閲法を敷き、占領下の日本にもそれを延長して適用しました

3点セットのどれを欠いても、あるいは不充分な運用しかできなければ、戦争の遂行には重大な障害となります。

かつて防衛大臣をつとめ、「国防オタク」と揶揄されるほど、防衛問題の専門家を自負する石破さんが「テロ発言」に及んだのも、これ以上反対が盛り上がれば、戦争ができる国になる、千載一遇のチャンスを失うことになりかねない。そうした危機感からだったのではないでしょうか。

あるいは、こうも考えられます。尖閣諸島の領有をめぐり、領海侵犯を繰り返す中国とは、すでに戦争状態にある、もしくは一触即発の緊急事態が迫っている、石破さんの現状認識がそうであったとしたなら、「戦時検閲法」反対デモをテロと云ったことについて、撤回や謝罪する必要はないし、また断じてしてはならないわけです。

追記:特定秘密保護法案 第12条の読み方について。

大人数で練り歩き、拡声器やシュプレヒコールや拡声器の大音量で主張を訴える、あらゆるデモは外形的には「強要」に見えるわけです。「結社・集会の自由」が「テロ行為」なのかという批判が出ています。私もそう読まれてしかたがない文章だと思いますが、もちろん、そうではない、と反論が寄せられています。ところで、「又は」と「若しくは」の文法ルール(?)、ご存知でしたか? 私は知りませんでしたね。

礒崎陽輔ツイッター
https://twitter.com/isozaki_yousuke


(敬称略)

ダニエルも恐い

2013-12-01 23:10:00 | レンタルDVD映画
先に、アジア最凶俳優の筆頭に韓国のチェ・ミンシュクを上げました。筆頭にしたのは早過ぎました。チェ・ミンシュクに勝るとも劣らない逸材が、オーストラリアから出たからです。「Snowtown(2011) 」のダニエル・ヘンシュオール(Daniel Henshall)です。TUTAYAの準新作コーナーにあります。

11人のホモセクシャルや少年愛者を拷問して殺した、殺人グループの実話に基づいた作品です。主犯のジョン(ダニエル・ヘンシュオール)は、彼らを「子どもを狙うクズ」「殺してしまえ」としますが、小学校の校庭で遊ぶ子どもらを眺めながら、ポケットに突っ込んだ手で自慰したりするような、被害者のほとんどは無害で弱々しい性的マイノリティに過ぎなかったようです。

ジョンを絶対的なリーダーとする、4人のホモ狩りグループは、周辺に女性や女装した中年の「オカマ」をも抱えた、疑似家族共同体をつくっています。貧乏白人ながら、家を持ち、家庭があり、半端仕事をしているか、政府の援助で暮らしている下層階級です。単独犯や相棒と犯行を繰り返す、いわゆる連続殺人鬼(シリアルキラー)とはかなり違います。

色白ポッチャリのダニエル・ヘンシュオール

ホモフォビアによるヘイトクライムかといえば、ジョンを除けば、なんとか識字能力がある程度、レイシストといえるほどの知性もなさそうです。だらしなくソファに足を投げ出して座り、くだらぬTV番組を観るくらいしか、時間つぶしを知りません。ジョンにしても政治的、文化的な言説の持ち合わせなどなく、威圧的に注視して黙らせるだけです。

この見つめるジョンが恐い。怒鳴ったり、怒った表情すらほとんど見せず、顧客に保険の説明をはじめようとするセールスマンのように、いつもにこやかで紳士的です。女性や子どもには優しく接し、冗談や悪戯好きで快活に笑い、誰からも好かれます。ただ、ハンサムといえる顔に強く光る黒い瞳が、ひたと注がれるとき、ほとんど瞬きしません。静かに強く見つめます。

犯行グループの男たちだけで過ごしているときは、ホモジーニアスなホモ集団のようにも見えます。それを象徴するような食事シーンが頻繁に挿入されます。狩りを始める前、狩りを終えた後、狩りと狩りの間、自宅で安食堂で、彼らはよく食事をともにします。ポテト、ニンジン、グリーンピースを付け合わせに、グレービーソースがけの肉といったワンプレートディナーです。

誰もが黙々と、ナイフとフォークと口を動かしています。味を楽しむというより空腹を満たす食事です。ときおり誰かれに向けた手短な言葉を挟みながら、手際よく切り分けて口へ運び、手早く咀嚼して呑み込むジョンの様子が、途中から拷問して悶死に至るまでの手順をなぞっているように思えてきます。あるいはジョンが噛み唾液にくるみ舌に載せているのは、じつは人肉ではないかと。

もちろん、そんなことはないのですが、ジョンにとっては、「変態」である、多様な性癖を持つ、つまり興味関心の幅が広い彼らを、ただの一片の肉に「均質化」すること、それが究極の目的だった。そう思えてきます。年若い新入りを仲間にしたとき、ジョンはいっしょにバリカンを使い坊主刈りになって、屈託なく笑い合います。差別集団というより原初的で、種族的に思えます。

人間はたやすく暴力に屈する。行使される者だけではなく、行使する者にとっても、それは同じことではないかとだんだんに思えてきます。ジョンたちは、仕事のように、兵士のように、仲間の「オカマ」から町に住むホモたちの住所を聞き出し、狩りの計画を立て、誘い出し、重い道具の入ったバッグを用意し、待ち構え、隠蔽工作のために録音します。

衝動的ではなく、怒りに高ぶるのでも、悦びに震えるのでもなく、男たちは淡々と手順に従い暴力を進行させていきます。暴力に淫するところはなく、職人が仕事をするように、兵士が行軍するように、日々の中心を占めています。狩りをしていないときは、ただ狩りと狩りの間なのです。

ヘイトクライムやシリアルキラーといった分類には落とし込めず、かといって、前近代的な捕食本能に帰することもできない。社会的というなら家族的、個人的というなら共同体的、病的というなら実務的、そんな名付けようのない殺人と冷酷の記録です。それを主導した不可解な人物を、けっして戯画化されない悪を、好男子ジョンを、ダニエル・ヘンシュオールは体現しました。

この映画は潔癖なほど、ジョンたちに正当性を与えません。理解は促されるべきという「政治的に正しい」語法をを使いません。「実話に基づく」という限界が、罪と人を分かつとする限定をはずしたのかもしれません。ゴールドコーストとカンガルーの国にも、寒々しい Snowtown があるように、私たちのよき隣人ジョンは、どこにでもありふれた男なのです。

ダニエル・ヘンシュオールに圧倒されて、ほとんど突っ込みどころが見つけられなかったのですが、働きに出る母親が隣近所の男に子守を頼む慣行がよくわかりませんでした。ジョンも子守を快く引き受けて、新入りになる少年と仲良くなるのですが、長男18歳、次男の少年は15歳、その弟は12歳という3兄弟です。

子守を引き受けた男は、母親の代わりに子どもたちに目配りをし、夕食を作って食べさせるのです。上二人は大人と変わりない体格なのに、どうして子守が必要なのか、12歳の末弟にしろ、飯くらいは作れるだろうに。それもどうせ、フライパンで冷凍の野菜を温めて、肉を焼いてソースをかけたくらいの一皿料理なのだから。そこが不思議でなりませんでした。

凶悪」のリリー・フランキーが、チェ・ミンシュクやダニエル・ヘンシュオールの怖さにどこまで迫るのか、期待しています。

(敬称略)

地震はあるけど自信がなくて

2013-12-01 02:43:00 | 政治
御所に福島・広野の新米届ける 天皇陛下「少し頂こう」
http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013112701001164.html

陛下が米を研いでいるお姿を想像した。白ワイシャツを袖まくりして、チャッチャッチャッと水音高く。手ずから田植えをされるのだから、年に一度くらいは米を研がれるかもしれない。今の季節なら、お香々は白菜の漬け物か。

それでも僕は桃を買う
http://www.moj.go.jp/content/000116357.pdf

全国中学生人権作文コンテストで総理大臣賞を受賞した作文。「中国人」と明かすところが鮮やか。福島の放射能汚染の隠蔽を狙った授賞と批判も多いらしい。しかし、どうして日本及び日本人は、被差別部落や在日朝鮮人や中国人を引き合いに出さないと、自身の人権について語ることができないのだろう。もちろん、これは作文の問題ではなく、選考についてのことだが。

「防空識別圏で他国機撃墜してもいいよね?」「ダメです」中国国防部定例記者会見の重要ポイントとネタを読む
http://kinbricksnow.com/archives/51879810.html

防空識別圏についてとてもわかりやすい解説。ジョークも云っている。日本が中国に逆立ちしても勝てない点のひとつがこれ。リラックスしてユーモアを交え、話の要点を伝えることができる、そんな政治家や官僚を日本で見たことがない。もっともその点を意識しているらしい、麻生さんにしてあれだもの。

国防部に比べると外交部はお飾りといわれるが、いつもお美しい外交部報道官の華春瑩さん。