私は観てないんですが、聞いた話によると、東電社長「引き回しの刑」だったそうで、「気の毒だったわよ」という感想でした。首相も歓迎にはほど遠い迎えられ様だったそうです。抗議された人も抗議する人々も、それでも最後はお辞儀し合うところが、たぶん海外メディアにとっては妙ちきりんに見えたでしょうね。
「社長もここに住んでみろ」謝罪に避難者怒声
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110422-567-OYT1T00938.html
「もう帰るんですか」避難所訪問の首相に憤慨
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110421-OYT1T00896.htm
被災者の皆さんとしては無理もないところですが、こういう見出しの「憤慨記事」は有害無益な「風評被害」を生み出すばかりです。見出しを読めばおそそ見当がつくはずですから、読むのは自粛しましょう。
いうまでもなく、清水東電社長や菅首相に、重大な責任があることは間違いありませんが、責任のすべてがあるわけではない。責任の多くがあるのでもない。
資源エネルギー庁や経済産業省、原子力安全・保安院、原子力委員会、電事連、原子力に提灯を持ってきた学者や文化人、マスメディア、そして利権を貪ってきた国や県や市町村議員、首長たち、その他、それらすべての人や組織がそれぞれ責任を分担すべきです。責任は計量できませんが。
しかし、いちいち挙げるわけにもいかないので、「清水バカ社長や菅アホ首相のせいだ」とはしょって言うわけです。少なくとも3.11以前は、誰も彼らを「アホバカ」呼ばわりをしていなかったのに(菅首相を除けばですが)。
先の敗戦前後の世論やマスコミも、たぶんこれとよく似ていたのだろうな、と思います。予想もしない新しい未来を眼前にするだけでなく、経験もしなかった過去が蘇って現れるのですから、「長生きは三文の徳」とはよくいったものです。
この不景気の上に、電気料金値上げだの、増税だの、先行き暗い庶民感情としては、「清水バカ社長や菅アホ首相のせいだ」といいたいのは無理もないところですが、私見では、こういう責任論は、完全に間違っています。
清水東電社長や菅首相、資源エネルギー庁や経済産業省、原子力安全・保安院、原子力委員会、電事連、原子力に提灯を持ってきた学者や文化人、マスメディア、そして利権を貪ってきた国や県や市町村議員や首長たち、その他以上に、重大な責任を負うべき者が他にいます。
「清水バカ社長や菅アホ首相のせいだ」が「風評被害」となるのは、その最大の責任者を隠蔽して免責するからです。
現在、おじさんやおばさんと呼ばれる、ある世代の人々はたいてい、その少年少女時代に、とくに父親に、「なぜ、戦争を止められなかったの?」という愚問を一度は口にしたはずです。しなくとも、心中で問いかけたはずです。
私たちも、子や孫から、「なぜ、原子力を止められなかったの?」と問われる日が来るかもしれません。やはり、「しかたがなかったんだ。1億2千万人を食わしていくためには、エネルギーが必要だったんだ」と口を濁すのでしょうか。
やはり、「日本だけが原子力をやっていたんじゃない。欧米諸国はどこもやっていたんだ。日本だけが後れをとれば、米露や中国に負けるのは明らかだったんだ」というのでしょうか。
「どうして、誰も反対しなかったの?」と訊かれて、「そりゃ、一部反原発の学者や市民団体はあったらしいが、俺たちはほとんど知らなかったからな」というのでしょうか。あるいは、騙されていたというのでしょうか。
今度は、「天皇制」や「一部の軍国主義者」のせいにするわけにもいきません。「悪いのは一部原子力推進者たちであり、日本人民は被害者」とは誰も言ってくれません。
でも、「子どものくせに、生意気言うな! 誰に食わしてもらっていると思っているんだ!」と話を打ち切るわけにもいきません。見上げる子どもの細い首には、ネックレスのように甲状腺を手術した跡が連なっているからです。