ケーブルTVの放映を観た。
善き人のためのソナタ
(Das Leben der Anderen、英題:The Lives of Others)
http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/
「ヒトラーの贋札」以上の傑作。お子さま向けばかりのハリウッド映画では、もはや作れなくなった大人のための完璧な娯楽作品。
アクションシーンは無し。銃撃シーンはもちろん銃器すら撮されない。美しい建築物や自然風景のロケは無し。大がかりなセットや群衆シーンも無し。ベルリンの古いアパートメントの居室と東独の秘密警察シュタージの取調室が主要場面。若く美しい男女は出てこず、ベッドシーンやラブシーンもほとんど無し。中年男4人と中年女一人が出ずっぱり。喜怒哀楽が直接描かれることはほとんどない。長いセリフも無し。マンガ記号でいえば、「……」が多い。音楽は、BGMではないオリジナル音楽は、「善き人のためのソナタ」というピアノ曲がただ1回短く弾かれるだけ。
にもかかわらず、暴力と対話を重要なモチーフとした、リアルでサスペンスフルな人間ドラマが間断なく展開する。140分という長尺をまったく感じさせない。もったいつけた思わせぶりな終わりかたもしない。どの国の誰が観ても、映画館を出るときには、最後のストップモーションで陰気なシュタージの元大尉がそうしたように、ほんのかすかな満足の笑みをその瞳に浮かべているだろう。「プレゼントですか?」「いや、私のための本だ」。空洞のようだった黒い瞳が輝くハッピーエンド。
演劇や音楽や文章や言葉が、人間を「善き人」に変える。いや、人間は変えられる、改造できる、とするのが全体主義国家だから、それに抵抗する無名無告の「善き人」を演劇や音楽や文章や言葉が見出すというべきか。「善き人」からみれば、呼ばれてしまう。シュタージの厳格なヴィースラー大尉は、ドライマンの戯曲とそのヒロインを演じたクリスタの演技を観たときから、それと気づかずに呼び出され、後戻りできない「善き人」の道を歩みだす。
シュタージの優秀な猟犬として、ドライマンの演劇に反国家主義の臭いを嗅ぎつけたつもりだったのだが、偶然カフェに入ってきた監視対象の女優クリスタに、「あなたのファンです。舞台のあなたは輝いていた。あなたは偉大な芸術家です」と賛辞を述べる自分を止められない。必要もないのに一人でカフェに入り酒を注文する、極秘作戦中に当の監視対象に話しかける、それまでの謹厳実直な生活態度と隠密行動を大きく踏みはずして、葛藤に揺れるこのカフェの場面が秀逸だ。
ヴィースラー大尉を演じたウルリッヒ・ミューエの好演はもちろんだが、その上司のアントン役のウルリッヒ・トゥクル、さらにその上司のヘンプフ大臣の悪役ぶりが素晴らしい。どのように体制が変わっても体制側に席を占めて生き残っていく、きわめて有能な卑劣漢を過不足なく見せてくれて、この映画が暴き突きつけた国家と人間の悪の提携が続いていることを納得させる。娯楽映画とか映画芸術といった区分を無意味にする圧倒的な力を持った奇跡的な映画だ。
善き人のためのソナタ
(Das Leben der Anderen、英題:The Lives of Others)
http://www.albatros-film.com/movie/yokihito/
「ヒトラーの贋札」以上の傑作。お子さま向けばかりのハリウッド映画では、もはや作れなくなった大人のための完璧な娯楽作品。
アクションシーンは無し。銃撃シーンはもちろん銃器すら撮されない。美しい建築物や自然風景のロケは無し。大がかりなセットや群衆シーンも無し。ベルリンの古いアパートメントの居室と東独の秘密警察シュタージの取調室が主要場面。若く美しい男女は出てこず、ベッドシーンやラブシーンもほとんど無し。中年男4人と中年女一人が出ずっぱり。喜怒哀楽が直接描かれることはほとんどない。長いセリフも無し。マンガ記号でいえば、「……」が多い。音楽は、BGMではないオリジナル音楽は、「善き人のためのソナタ」というピアノ曲がただ1回短く弾かれるだけ。
にもかかわらず、暴力と対話を重要なモチーフとした、リアルでサスペンスフルな人間ドラマが間断なく展開する。140分という長尺をまったく感じさせない。もったいつけた思わせぶりな終わりかたもしない。どの国の誰が観ても、映画館を出るときには、最後のストップモーションで陰気なシュタージの元大尉がそうしたように、ほんのかすかな満足の笑みをその瞳に浮かべているだろう。「プレゼントですか?」「いや、私のための本だ」。空洞のようだった黒い瞳が輝くハッピーエンド。
演劇や音楽や文章や言葉が、人間を「善き人」に変える。いや、人間は変えられる、改造できる、とするのが全体主義国家だから、それに抵抗する無名無告の「善き人」を演劇や音楽や文章や言葉が見出すというべきか。「善き人」からみれば、呼ばれてしまう。シュタージの厳格なヴィースラー大尉は、ドライマンの戯曲とそのヒロインを演じたクリスタの演技を観たときから、それと気づかずに呼び出され、後戻りできない「善き人」の道を歩みだす。
シュタージの優秀な猟犬として、ドライマンの演劇に反国家主義の臭いを嗅ぎつけたつもりだったのだが、偶然カフェに入ってきた監視対象の女優クリスタに、「あなたのファンです。舞台のあなたは輝いていた。あなたは偉大な芸術家です」と賛辞を述べる自分を止められない。必要もないのに一人でカフェに入り酒を注文する、極秘作戦中に当の監視対象に話しかける、それまでの謹厳実直な生活態度と隠密行動を大きく踏みはずして、葛藤に揺れるこのカフェの場面が秀逸だ。
ヴィースラー大尉を演じたウルリッヒ・ミューエの好演はもちろんだが、その上司のアントン役のウルリッヒ・トゥクル、さらにその上司のヘンプフ大臣の悪役ぶりが素晴らしい。どのように体制が変わっても体制側に席を占めて生き残っていく、きわめて有能な卑劣漢を過不足なく見せてくれて、この映画が暴き突きつけた国家と人間の悪の提携が続いていることを納得させる。娯楽映画とか映画芸術といった区分を無意味にする圧倒的な力を持った奇跡的な映画だ。
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