まったくよくなかった。いったい、この映画のどこがいいのか、俺にはわからなかった。冒頭の刑事のセリフで、これはダメだなと思い、そのままだった。
「このとおり、暑いし。女房は俺に当たり散らす。捜査資料は山積み。殺人犯、レイプ魔、詐欺師、ホモどもやお前・・・。警察の手間を省いてもらおう」
吊されたジャマールが、足の親指に電極のクリップを付けられている。自動車のバッテリーを利用した電気拷問を部下に命じて、刑事がつぶやくようにいうセリフだ。「クイズミリオネア」に出演した、スラム育ちの無知なはずの少年ジャマールが、最終質問まで正解を続けたことに、何か不正を働いたのではないかと疑われ、自白を強要されているのだ。
ここで、この映画はインド映画ではなく、イギリス映画であり、それも、ハリウッド映画の亜流としてのイギリス映画であることがわかる。悪徳と破壊に満ちた社会の防波堤として、日々の仕事にウンザリしながら、しかし真実への畏敬を失わず、最後は公正さに立ち戻る刑事。ハリウッド産の探偵や刑事物映画には繰り返し使われてきた類型である。
ジャマールが、イギリス人のために携帯電話の割安サービスや特典を案内するコールセンターのお茶汲みであるように、インド名物のスラムの貧困に加え、スラム跡に林立するビル群に象徴される経済成長と、「クイズミリオネア」に熱狂するような大衆社会などをパッケージに包んでみせた、いわば「最新」のインド観光映画でもある。
それ以上ではないが、それ以下の映画でもある。ジャマールはコールセンターのお茶汲みから正社員をめざし、パリコレのモデルのような容姿のラティカに恋する。平準化された労働者と消費者がいて、そのライフスタイルを憧れとする大衆社会がある。巨大なインド市場を狙う生活関連商品企業に向けた、「最新」のインドPR映画ともいえる。
アメリカの通信・映像・メディア産業などは、ボリウッドと呼ばれる膨大なインドの映画人口を次代のビジュアル産業のターゲットにしたいはずだ。ハリウッドをはじめとする映画産業はその一部に過ぎない。映画屋が下請けをつとめた、「最新」のテストマーケティング映画として、インド人観客の反応は綿密に分析されただろう。
「トレインスポッティング」というイギリスの下層社会の若者群像を痛切に描いた佳作をものしたP・ボイル監督は、この英米印合作のビジネス映画によって、ボリウッドとハリウッドの橋渡しをした貢献を認められ、アカデミー賞を授与された。イギリス人とインド人のスタッフキャストが、歓喜を叫ぶ授賞式光景を覚えている。
ビジネス上は誰もが、「win win」の成功を手にしたわけだが、やはり観客はいい面の皮である。悪徳と破壊に満ちた映画界の防波堤として、日々の不本意な仕事にウンザリしながら、しかし映画への畏敬を失わず、最後は観客に立ち戻る映画監督とは、いまだ類型ではない。
(敬称略)
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