コタツ評論

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再びスーザン・ソンダクについて

2020-03-10 12:06:00 | 政治
もちろん、「忖度(そんたく)」や「斟酌(しんしゃく)」のほんらいの意味は、他者を思いやる人間主義的(ヒューマニズムに非ず)な情動である。

ところが、周知のように、いまや「忖度」は「阿り(おもねり)」「諂う(へつらう)」「媚びる(こびる)」言動を示すようになった。他利を図る人間の性善を否定し、性悪(しょうわる)な利己の言葉に変わってしまった。

懲役18年が求刑された栗原勇一郎被告の「虐待殺人事件(虐待死に非ず)」の公判のニュースに接する度に、母親の関与がなければ、あるいは10歳の心愛(みあ)さんは最悪の結果には至らなかったのではないかと思えてならない。

事件発覚後すぐさま「傷害ほう助罪」で逮捕され、すでに懲役2年6ヶ月(保護観察付き執行猶予5年)の判決が下されている母親なぎささんの関与とは、この悪しき意味の「忖度」によるものではなかったかと思える。

また、なぎさ被告は勇一郎被告に対し「わたしと次女が寝ているのをみはからって、冷蔵庫から牛乳を飲もうとしていたよ、ありえないよね、またこっそり出てくるはず。本当におまえはなにさまかとむかつくよね」などと、告げ口をするような内容のメッセージも送っていたということです。https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/26b0413bb125db31a19d8a753d974483

娘が眼前で暴力を受け虐待されているのに、止めなかった。じっさいには、「止められなかった」。なぎささんもまた、勇一郎被告の暴力にさらされ、怯えていたという同情すべき点は少なからず認めるべきだろう。ただ、検察が「傷害ほう助罪」で訴追し、「虐待に加担した」と結論付けたなぎささんの関与は、そんな平板な同情論に落着できるとも思えないのだ。

あの母親はそんな酷いこともしていたのか、と鞭打ちしたくて、「告げ口」例を挙げたのではない。なぎささんの関与は消極的で自己を守るための止むを得ない場合もあったであろうことは、ほかを読むだけでもわかる。

それでもなお、「共犯」の意味の深さを考えるべき、「忖度」事例をあるツィッターで知った。そこでは、もっと積極的で大きな「共犯関係」を示す「忖度」が露呈していた。「忖度」という言葉のほんらいの意味と慣用を歪めた、安倍政権の「政治主導」や「官邸人事」「マスコミ支配」のことだが、じつは「忖度」の主客がそこでは転倒しているのではないかという疑いすら抱いた。

勇一郎被告となぎささんの主犯と従犯や共犯という関係が逆転した場合はほとんど考えられないが、主犯が一人で、共犯が多数や圧倒的多数の官僚や政治家、記者であった場合、はたしてどちらがどちらを先導、主導しているのか、仕向けているのか、容易く判断はできないだろう。

テレビU福島の安倍首相の浪江駅訪問のニュースをご覧いただきたい。そこでの安倍首相の発言内容より、まず彼が、三浦英之記者の「事前通告」なし、「想定外」の質問にすぐに戻って、答えていることに、次にその「真摯」な表情に注目したい。

国会や記者の囲み取材、あるいは記者会見で、回答にもならない愚劣か、質問の意図を踏まえない卑劣な対応しているときの顔つきや表情と比べると、まるで別人かと思える。記者が真っ当な質問をすれば、ときには真っ当な対応を返す人でもあることがわかった気がした。

この安倍首相の「真摯な対応」から、安倍政権の政治主導や官邸人事、マスコミ支配を「止められなかった」と口を揃えるはずの「忖度者」たちが、じつは「主犯」ではないのかという疑念を拭えなくなった。

彼ら「忖度者」たちは安倍首相一人に対して多数であるだけでなく、すべての責任を内閣や官邸・官房に押し付けて、わが身は「忖度」の囲いの中に置いて、法治の外にいるかのようだ。

なぎささんが自己防衛のために止むを得ず心愛さんへの虐待を看過した場合があるのと異なり、彼らは立身出世や地位の保全などの自己利益のために、「忖度」する。なぎささんに比べれば、はるかに積極的に能動的に、公文書を隠匿・捏造・改竄(かいざん)し、国会やマスコミ記者の前で嘘をつき、もしくは、それらを看過するか、事実を歪曲して「報道」してきたし、している。

安倍首相や内閣、官邸に向けてというだけでなく、「忖度者」たち相互がまた「忖度」し合うというシナジー効果を上げて支え合う「忖度共同体」ともいえる。その構成員である彼らを「共犯者」と呼ぶにはかなり無理があると思えるのだ。

福島県浪江駅で三浦記者の質問に対して、別人のような真摯な表情で答えた安倍首相を見ながら、これまでの国会や記者の前で見せてきた、この人の卑しい表情や歪んだ顔つきこそが、彼ら「忖度者」たちへの「阿諛追従」ではないかという考えが頭をよぎった。

菅官房長官から質問を受け付けられず、同調した記者クラブからも冷眼視されている東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者をモデルにした映画「新聞記者」が、第43回日本アカデミー賞の作品、主演男優、主演女優の3部門で最優秀賞を受賞したそうだ。ほとんどのTV・新聞のニュースでは取り上げられなかったが。この韓国の新聞記者弾圧事件を扱った作品もかなりいいらしいです。

映画『共犯者たち』予告編


追記:忖度を主犯とすることで安倍首相を「従犯」とし、なぎささんを非難したうえで、結果的に、勇一郎被告をいささかでも「免罪」しようとしているのではないかという批判なら当たりません。私見では、彼は嗜虐に快楽を求める病気だと思えるからです。

(止め)