コタツ評論

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芥川賞はflowersに

2011-08-02 00:06:00 | ブックオフ本


万城目学を教えてくれた若い本友だちから、『パーク・ライフ』(吉田 修一 文春文庫)を借りて読了。表題作と「flowers」という中編小説が2篇収められた177頁。薄い上に、平易な読みやすさのおかげで、読み終わるのに2時間はかからなかった。「PARK LIFE」と「flowers」と表記を合わせたほうがよかったはずだが、『パーク・ライフ』は芥川賞受賞作らしいので、タイトルを変えるわけにもいかなかったのだろう。

昼どきの日比谷公園で「スタバ女」と僕がカフェモカを飲みながら、少し話をするというだけの話だ。小説的な感興はあるようでなく、ないようであるのかもしれないが、私には、何がおもしろいのか、あるいは、どこがおもしろくないのか、いずれもよくわからなかった。ほとんど感興を覚えないのに、100頁をペロペロ読めたのは不思議。ちょっと、狐に鼻をつままれたような気分(狐に鼻をつままれた人間なんて、人類史上、2人くらいしかいないだろうに、なんという比喩だろう)。

ただひとつ。スターバックスでコーヒーを飲む女性たちを揶揄しながら、スタバのコーヒー自体はわるくないと思っているらしい、「僕」や「スタバ女」の前提評価には納得できない。ドトールやベローチェ、マックなどに比べれば、たしかにスタバはずっとマシなコーヒーを出すが、コーヒーとしてマシとはとてもいえない。まともなコーヒーなら、たとえば、銀座線田原町駅(たわらちょう)近くの「純喫茶みち」(台東区西浅草1-7-18)の白いカバーのかかった古びたソファに座ればよい。いまの季節なら、アイスコーヒーを頼むとよくわかる。マシーンではなく人手が淹れたコーヒーの美味さが。

残念ながら、この本はパスだなと閉じようとしたが、ちょうど人身事故で電車は立ち往生している。ほかに手持ちは、竹内好監修の『論語』しかない。1960年代の本なので、活字が小さく、紙が黄ばんでいて、車内灯では読みにくい。それで、次の「flowers」をパラパラしはじめた。20分ほどして運転再開し、下車駅に着いてからも、ホームのベンチに座って読み続け、一気に読み終えた。若き本友だちも、「自分は、「flowers」のほうがおもしろかったのですが」と云っていたっけ。

初出勤の朝、妻の鞠子に見送られ、僕は帝国ホテルから仕事場へ向かった。

という冒頭から、おいおい、また『パーク・ライフ』みたいに、アッパーミドル人種が登場する作品かとうんざりしかけたが、日比谷公園前の帝国ホテルから出勤した「僕」の仕事場は、飲料水の配送会社。まだ街の至る所に自動販売機が普及する以前、会社や商店などに重い清涼飲料水やお茶やコーヒーを運ぶ月給25万円の配送トラックの運転手が「僕」の仕事だった。「僕」の前職も、九州の田舎の墓石会社勤めというから、「パーク・ライフ」の「僕」と比べると、ずいぶん下層という意外な展開だった。

望月元旦という先輩配送ドライバーの助手となった「僕」が、とらえどころのない元旦の非倫理的な行動に振り回されつつ、次第に惹きつけられながら、最後に踏み止まる会社のシャワー室の場面が迫真的だった。ちょうど今年のように、真夏日が連続10日も続いたある日、重い飲料水のケースの積み下ろしから解放されたドライバーたちが、ひと汗流す暗く熱気のこもったシャワー室。タオル一本ぶら下げて佇む裸の男たちと土下座をする元旦。その顎を蹴り上げて血を滴らせ、リンチの口火を切ったのは、「僕」の脚だった。

捨ててきた故郷。喜劇女優志願という別な道を歩きはじめた妻。故郷から訪ねてきた従兄弟の孝之介。惨めな境遇の職場の同僚。さまざまな離間を一気に跳び超えようとした「僕」の濡れた裸足。そこに、自分と元旦を救う「蹴りたい背中」があった。「flowers」を注視する3人の男の静けさをたたえた和合の場面から続く、それはひとつの官能的な「友情」の結末に思えた。

(敬称略)
コメント
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