コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

トリプルクロッシング

2007-02-09 22:34:48 | レンタルDVD映画
映画はやはり映画館で観るのが本筋だと思うが、こんな作品はDVDレンタルでしか観る機会はないだろう。

http://posren.livedoor.com/detail-79803.html?ln=17

一言でいえば、2流。脚本はつじつまが合わないし、展開はのろい。やくざな男たちは類型的だし、女たちもただのバカばかり。もう一言つけ加えれば、粗雑。だが、その反対の優等生ぶった、たとえばナイト・シャマラン作品などより、ずっと好きになれる不良品だ。ナスターシャ・キンスキーをはじめとする、3人のみじめな境遇の女たちが、右往左往しながらカジノ強盗計画に巻き込まれるなかで、同志的連帯を結んでいくところが泣ける。最後のナスターシャ・キンスキーはまるで、「女囚さそり」の松島ナミのようだ。アメリカ映画なのに、ロシア人ばかり出てきてロシア語がとびかうところが、いまのアメリカ映画らしくていい。けっして、お勧めの映画ではないが、映画を観るという無為な時間の過ごしかたに、ほどよくマッチしている。名作や傑作を求めて選り好みするのは卑しい。うん、このブログのタイトルを「何様かよ」に変えよう。「何が粋かよ、吹きさらし」に比べると腰が引けてるが、分相応だろう。


痴漢!にご用心

2007-02-09 22:05:00 | ノンジャンル
未見だが、周防正行監督・脚本の『それでもボクはやってない』が話題になっているようだ。電車内で痴漢をしたという冤罪をめぐって、逮捕・送検・起訴・裁判の様子がリアルに描かれているという。裁判員制度を目前に時宜を得た公開だろう。たしかに、誰でも一度は、裁判の傍聴に行くことは勧められる。映画やTV、小説などでおなじみの正義と真実を追及する熱いドラマなどはどこにもなく、法律の専門家たちによるはなはだしく予定調和の無味乾燥なゲームが繰り広げられていることがよくわかる。いや、ゲームといえば、少しはおもしろい仕組みや仕掛けでもあるかと誤解されそうだ。被告はベルトコンベヤーに乗せられた機械のようなもので、否応なくあれこれ部品をつけられて、その行き先は決まっているのだ。誰でも、有罪率99.9%を実感するに足る経験となるだろう。

電車内の痴漢冤罪に関していえば、自分からベルトコンベアーに乗らない決意と行動がまず必要だ。「話せばわかる」という考えかたが、この場合一番まずい。女性(男性)から、痴漢と名指された後の行動が大事だ。手をつかまれて駅員を呼ばれたり、周囲の乗客に囲まれたりする。そして駅事務所に連れて行かれて、警察が呼ばれる。そのとき、「俺は痴漢した覚えはない。事情を説明して誤解を解こう」と考えるのは間違いではないが、場違いだ。手をつかまれたり、乗客に取り囲まれたりしたら、それは、「現行犯で緊急逮捕」されたことになるのだ。逮捕されたら、警察官に引き渡され、留置され、期限内に送検され、というベルトコンベアーに乗ることになる。釈明の場合ではない。名刺か、なければ運転免許証など身分を明らかにするものをその場に残して、速やかに立ち去るのがベストだ。興奮している乗客にそんな冷静な対応はとてもできないと思ったら、次善の策としては、とにかくその場を逃げるしかない。駅構内から出たら、駅員もそれ以上追わないはずだ。

しかし実際、そんな立場になったら、俺もアワアワいっているうちに、気がつけば留置場の中にいたということになるかもしれない。その場合でも、とにかく何も話さないということで有罪のベルトコンベアーに乗ることに抵抗することはできる。留置された以上、1日や2日で出られることはまずない。覚悟を決めて、最悪の結果を免れる努力をするしかない。あるいは、協力してくれたら、すぐに帰れると警察官からいわれるかもしれない。信じてはいけない。彼はものがわかった人間でもなければ、その逆のわからず屋でもない。職務に忠実に逮捕から先の有罪への手続きを進めようとしているだけだ。とにかく、家族や弁護士に連絡を取るよう繰り返すのだ。大事なことは、絶対に取り調べ調書を作らせないことだ。完全黙秘は難しいだろうが、取り調べの警察官が何か書き出したら、一切喋らないほうがいい。国家権力を相手にしたら、「話せばわかる」は無効だ。相手は人間ではないのだから、話してもわからない。そこが恐ろしいところだ。