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コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

女を殴らない男はいない

2022-04-01 00:21:00 | レンタルDVD映画
米アカデミー賞のウイル・スミス暴力事件では、ビンタされたクリス・ロックが平気で立っていたことに驚いた。ウイル・スミスは完璧な右フックのフォームだった。

かつてモハメド・アリを演じたこともあり、ボクシング練習もしただろうウイル・スミスだが、やはりアクションスターの見掛け倒しに過ぎなかったのか。

それとも、一見、非力な口先男に見えて、クリス・ロックがストリートで鳴らした猛者だったのか。ほとんど動揺も見せずに、そのままパフォーマンスを続けた根性も含めて、クリス・ロックに「アッパレ!」をあげたい。

ウイル・スミス夫人の丸刈りに「GIジェーン2に出たら?」というジョークには、会場と一緒に笑っていたくせに、傷ついた表情のジェド夫人に気づき、猛然と壇上に上がったウイル・スミスには「喝っ!」だな。



ジェド夫人の坊主頭はファッションではなく、脱毛症に悩んでのことらしいので、他人の身体的な差異をジョークにするのは「最低!」というクリス・ロックへの批判は当然だろう。

おそらく、美人女優のデミ・ムーアが丸刈りになって海兵隊の猛者になるまでを描いた「GIジェーン」を引き合いに出すことで、クリス・ロックとしてはポジティブな揶揄のつもりだったはずだ。

しかし、ロシアのウクライナ侵略への批判を込めた反戦の受賞スピーチが相次いでいるなかで、男勝りの強い女性を描いたとはいえ、この好戦的な海兵隊映画を持ち出したのはいかにも分が悪い。

また、アウシュビッツをはじめとする強制収容所の女性たちや、戦後ナチス将校の愛人や水商売の女性たちがナチス協力者として街中を引き摺り回された光景など、「丸刈りにされた」女性たちを想起もする。

ハゲなど、他人の身体的な差異をジョークにしたという一般的な解釈にとどまらないわけだ。

『蜘蛛女のキス』でアカデミー賞主演男優賞を受賞した名優ウイリアム・ハートが亡くなった。亡くなって知ったのだが、今年のアカデミー作品賞を受賞した『コーダ 愛の歌』に出演しているマーリー・マトリンと同棲していたそうだ。

二人が交際したきっかけは、『愛は静けさのなかに』の共演だった。この映画で聾唖のヒロインを演じたマーリー・マトリンは実際に耳が聞こえない聴覚障害者だった。

「コーダ 愛の歌」も聾唖者の家族のため、唯一健常者の娘が家族外との通訳をつとめながら家業と家事に励む一方、歌手の道を目指すなかで生まれる葛藤と悩みから成長していく物語だ。マーリー・マトリンをはじめ、実際に聾唖の俳優をキャスティングしていることでも話題になった。

その聾唖のマーリー・マトリンをウイリアム・ハートは、虐待していたという。たとえば、アカデミー主演女優賞を得た授賞式から帰る車中で、マトリンはハートから、「自分がオスカーに値すると本当に思っているのか?」「君がもらったその賞が欲しくて何年も働いてきた俳優が何百万人もいるんだ。それを考えろ」と言われたそうだ。

わずか19歳にしてデビュー作品でオスカー像を手にした小娘に、業界の先輩としてモラルハラスメントに及んだだけでなく、性的虐待も受けていたことなどをマーリー・マトリンは自伝で明らかにしているそうだ。一方的な暴露話ではなく、ウイリアム・ハートはこれらを認め、後に謝罪しているという。

あの知的な風貌で繊細な優しい表情のウイリアム・ハートでさえそうなのか、人は見かけに寄らないものだと驚いた。

今回のウイル・スミスの暴力事件も、アメリカでは妻を侮辱されて怒った男らしい一撃という日本のような好意的な見方は少なく、家族を守る男らしさという差別的な男性性の表れとの批判が多いらしい。

(止め 敬称略)





今夜は、「夏物語」

2021-09-17 00:40:00 | レンタルDVD映画
今夜も近所の犬が夜啼きしている。間欠泉のように。何かの事情があって夜に家に入れてくれなくなったのか。昼に聴くことはない。

窓際のベッドに横たわると、その声がよりはっきりと聴こえる。それが嫌さに無料動画 GYAO の配信を漁って、韓国映画「夏物語」〈原題:그 해 여름 英タイトル once in a summerを観た。

37年間、孤独に啼いた男の物語である。

2006年製作〈日本公開は2007年〉から遡ること37年前の7月、ソギョンとジョインはスネリという、まだ電気も通っていない農村で出会い、恋に落ちた。ソギョンは奉仕活動のためにソウルからやってきた大学生であり、ジョインは村の小さな図書館の司書だった。

37年前とは1969年である。この年の7月20日、アポロ11号の宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが月に降り立った。その数日前に、初めて村に電線が敷かれ、村人たちが初めてテレビを視聴したのが、アポロ11号の月面着陸の中継映像だった。

食い入るようにテレビ前に群なす村人たちの輪を離れて、男女は話す。たがいの顔を盗み見るように、あるいはその瞳に見入られるように。

川端康成の「踊り子」のような男女の設定だが、ジョインの踊りは稚拙で歌えば音痴である。

Once in a Summer (Roy Clark - Yesterday, When I Was Young)


1969年は日本でも全共闘運動の最盛期であったが、韓国では朴正熙大統領の時代、民主化を求める学生運動は盛んになり、弾圧もまた激しかった時代である。

ソギョンとジョインの悲恋の背景と契機がこの年にあるせいか、繰り返し流れる挿入歌もまた、1969年の曲である。この歌は元歌を歌ったシャルル・アズナブールが亡くなったときに特集したが、ロイ・クラークのものはこの映画によって初めて知った。

町角のレコード屋で流れている歌声をガラス越しに女が耳を当て、男も同じように聴くふりをしながら、眼を閉じて聴き入いる女の表情に見とれているから、韓国ではロイ・クラークでヒットしたのだろうか。

この映画については、もう少し書きたいので、折をみて書き足していくつもりですが、私の結末を先にいってしまうと、泣きました。

〈続くかも〉

ソギョンを演じたイ・ビョンホンは最新作の">「KCIA 南山の部長たち」(2020年)では朴正熙大統領を暗殺した中央情報部部長をに扮している。朴正熙大統領の3選を阻止するデモ隊に巻き込まれ催涙弾を浴び、警棒を振るわれる学生から、その弾圧を指示した治安側のトップまで演じるという珍しいキャリアを積んでいる〈17日〉。

ジョインのスエは身長168mと長身でモデル出身とのこと。道理で姿勢が美しく、何を着ても洒落て見えるわけだが、とても田舎娘には見えない。イ・ビョンホンの69年ファッションもちょっとした見どころである。社長令息として当時流行のポロシャツ風や裾広がりのズボンを穿いていたりする。ヒョウ柄に似た悪趣味なズボンなど、青年期の趣味の悪さや軽薄さをよく表しているが、イ・ビョンホンが身につければ不思議に違和感がない(20日)。

イ・ビョンホンのソギョンは「ジョインシー(ジョインさん)」と呼ぶが、村長(チョン・ソギョン)は「ジョイン!」と呼びせてにして辛く当たる。チョン・ソギョンはこの作品で初めて知ったが、脚本家・監督もする人のようだ。また、ソギョンの親友を演じた、鼻横の大きなほくろが特徴のオ・ダルスやTV局プロデューサーに扮したユ・ヘジンは韓国映画おなじみの名優である。脇役といっても、ときに準主役級を演じることも多い韓国のすばらしい性格俳優たちこそ、韓国映画の見どころのひとつといってもよいだろう(20日)。



追悼 田中邦衛

2021-04-03 13:50:00 | レンタルDVD映画
亡くなった田中邦衛さんは、加山雄三さんの映画若大将シリーズで青大将を演じられ、ライバル役でいらっしゃいました」とアナウンサーが言いやがった。

アナウンサー氏が原稿を書いたか、構成台本にそう書かれていたのか不明だが、「ライバル役でいらっしゃいました」はないだろう。

「バカ丁寧」には他者への悪意は込められないものだが、この場合は、他者をバカにしてかかる丁寧といえる。

田中邦衛をいくぶん軽んじているようで、じつはニュースを、放送を軽んじている表れで、ようするに心底では視聴者をバカにしているからこそ、こんな低劣な原稿が本番にまかり通るわけだ。

誰が手を入れても、「亡くなった田中邦衛さんは加山雄三さんの映画若大将シリーズで、ライバル役の青大将を演じました」となるはず。

それはさておき、映画若大将シリーズが田中邦衛の代表作の一つであることは間違いない。

加山雄三という太陽に照らされて目立ってしまったニキビのように、自らの小心臆病卑怯にもがきながら挑み続け、つねに一敗地に塗れる「青大将」のイメージが田中邦衛のその後の役どころを予約した。

⑱帰ってきた若大将 / 手紙奪回作戦・東京編(1961)


最初に絡むおばさんは、悠木千帆という芸名だった頃の樹木希林である。田中邦衛ははじめから田中邦衛だったが、樹木希林も悠木千帆から変っていない。

むさくるしい容姿にして、弱者そのものの見苦しさの田中邦衛を、なんと大企業の社長御曹司に扮させるという二重のミスキャスティングには、あらためて考えさせるところがありそうだ。

けっして階層上位の強者ではありえず、弱者ながらも懸命に生きる田中邦衛のTVドラマの代表作が、「若者たち」(フジ 1966)の「太郎兄(たろうにい)」だろう。映画もつくられたが、TVドラマのほうが圧倒的によかった。

若者たち ザ・ブロード・サイド・フォー


映画 若者たち ③~金より強いんだ!人間は!!



田中邦衛をなんどか東横線で見かけたことがある。いつも座席には座らず、ドア近くに立っていた。まぶかに野球帽をかぶり、サングラスをつけた顔がいつもうつむき加減で、なるべく目立たないようにしている様子が見てとれた。

ただし、私はすぐに目をやってしまった。ジャンパーの肩にショルダーバックを下げた、ごくありふれた格好なのだが、白のスリムジーンズの裾が異様に短かかった。中年男がツンツルテンのスリムジーンズを穿いて、靴下さえを丸出しにしているのは、ちょっと驚くほど目立つものだ。

こんな珍妙なジーンズを穿いているのはどんな奴だろうと目を上に上げていって、あの特徴ある分厚い唇と長く伸ばしたモミアゲから、田中邦衛とわかった。やはり電車でよくみかけた川谷拓三もツンツルテンのスリムジーンズを愛用して、短足を強調していた。芸能界は変なものが流行する。

さて、弱者・弱虫の見苦しさを体現した田中邦衛に、狡猾冷酷をくわえた映画「仁義なき戦い」の暴力団幹部・槇原政吉役は、強烈な記憶を残した。

【田中邦衛名場面集】仁義なき戦い 1973


オドオドウロウロしながら、口を尖らせて責任逃れの言い訳を重ね、相手の様子を上目遣いにうかがい、そこに同情の色やうんざり眉を寄せたとみるや、一気に胸元にすがらんばかりに近づき、必死の表情で唾を飛ばさんばかりにかき口説く。一転、ふいと離れて立ち尽くし、伏し目がちに口篭(ごも)るように内心を吐露する。

弱者であり弱虫であること、その小心臆病をむしろ武器に相手を油断させ、隙あらば冷酷非情に裏切り陥れる。嘘と知りながら、生き残ろうとする懸命さに胸を打たれる。病気の犬のように眼は潤み、斜めにかしいだ卑怯者の立ち姿に哀愁さえ漂うのだ。

映画ゴッドファーザーに比すなら、フレド(ジョン・カザール)に匹敵する役柄と名演ではないか。

「若大将シリーズ」の「青大将」、「若者たち」の「太郎兄」をさらに陰影深くさせた「槇原政吉」役こそ、田中邦衛の集大成にして代表作だと思える。

おいおい、まさかこれで終わりではないだろうな。田中邦衛の代表作として、あれを忘れてやしませんか、という声も多いだろう。大変申し訳ないが、却下させていただく。

もちろん、田中邦衛はいつでもどこでも田中邦衛を熱演して、私たちを納得させてくれるのだが、あのドラマの脚本がどうにも我慢ならない。人によっては大御所、日本を代表するドラマ作家なのだろうが、私にはひどい過大評価にしか思えない。

あのドラマのむさくるしい五郎の見苦しい振舞いを見ていて、たとえば、あの名脚本家には「卑屈」というのが「下手に出る」くらいの理解しかないのがわかるのだ。あのドラマのファンにはとうてい納得できないだろうが、「変なの」と見過ごしていただきたい。

(敬称略)

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2021-03-20 12:31:00 | レンタルDVD映画


観たくないと避けてきた映画だった。

赤衛軍事件を起こした菊井良治と取材した朝日ジャーナル記者川本三郎を軸に、1969~1971年、大学を席巻した全共闘運動のある顛末を「愚行録」として辿った映画だからだ。

1971年8月、陸上自衛隊朝霞駐屯地に侵入し武器庫から武器を盗もうとした赤衛軍2名が警備中の一場哲雄陸士長を刺殺した。

この事件を計画し首謀した日大生菊井良治に取材接触した川本三郎は、犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪で逮捕され、朝日新聞社を懲戒解雇された。

また、当時、「暴力革命論」を唱えて学生に人気があった京大助手滝田修(本名竹本信弘)は、菊井と接触があったため、共謀を疑われて指名手配され、10年間の逃亡生活の末逮捕された。裁判では共謀は認められず、強盗致死の幇助で懲役5年の有罪となった。

以上が事件の顛末である。

若き川本三郎記者と交流のあった、週刊朝日の表紙モデルの美少女は、こう言う。「どちらかと言うと、それまでは学生運動に賛成の立場だったけど、罪のない人が死んだことで、嫌な感じがする…」(ただし、川本三郎の原作本は未読なので、モデルとなったじっさいの保倉幸恵がそう発言したのか不明である)。



この事件を知ったとき、彼女と同年だった私も同様に感じた。いや、とっさに思ったのは、「まずいものを見てしまった」という舌打ちしたい後悔だった。

高見順に「いやな感じ」という小説がある。

俺はこのとき、まずいものを見てしまった。いや、なに、女の立て膝の奥を見たというのではない。
 足もとの土間に、ラーメンの丼どんぶりが二つ重ねて、じかに置いてある。それが俺の眼に映った。それだけならいいんだが、食べ残しのそのおつゆのなかに、煙草の吸殻すいがらが捨ててある。紙の腹が切れて、ふやけた臓物がきたならしくはみ出ている上に、抜け毛を丸めたのまでが、べたりとくっついている。風で飛びこんだのか。それとも、これもわざと捨てたのか。きたねえことをしやがると俺は顔をしかめたが、すぐ、
「いや、これでいいんだ。このほうがいいんだ」
と自分に言いきかせた。汚濁にまみれた俺が、それをきたないなんて言えた義理ではない。俺自身のほうが、よっぽど、きたない。


ここで、この映画の主な登場人物の事件当時の年齢を記してみたい。

滝田  修 1940年(昭和15)生、1971年時 31歳
山本 義隆 1941年(〃16)生 〃  30歳
川本 三郎 1944年 (〃19) 生 〃  27歳
菊井 良治 1949年 (〃24) 生 〃  22歳
一場哲雄陸士長 1950年 (〃25) 〃 21歳
保倉 幸恵 1953年 (〃28) 生 〃  18歳


菊井良治と対比して描かれる東大全共闘議長の山本義隆と、菊井が支援を求めて接近した京大助手の滝田修が、60年安保のときはともに20歳前後の安保世代であることがわかる。

1969年に東京大学を卒業した川本はまさに「学園紛争」のど真ん中世代だが、占拠した全共闘学生と機動隊が2日間にわたって激しい攻防戦を繰り広げた東大安田講堂事件が起きた1969年に、19歳だった菊井良治は「闘争」の最盛期に遅れた年代といえる。ちなみに、実行犯の日大生は19歳、元自衛官で駒沢大生は21歳だった。

映画「マイ・バック・ページ」、たぶん川本三郎の同名原作も、1969~1971年という時代を描こうとしている。それは学生たちが政治的に先鋭化した過激な時代ではあったのだが、そうした学生運動や学園闘争にやや遅れてきた青年たちを通して、時代に迫ろうとしたように思える。



滝田修や山本義隆は60年安保の盛り上がりを肌身で経験したはずだが、菊井たちのようにまだ未熟な若者であり、川本のようにナイーブだったはずだ。1969年にまだ未成年だった菊井たちは「学園闘争」の最盛期を直接知るはずもない。1969年1月の「安田講堂攻防戦」は全国の大学全共闘運動の最後の火花であり、これを分岐点に闘争は一気に下火になっていくのである。

山本義隆や滝田修を取材し、菊井良治に接近した、「闘争ど真ん中」年代の川本三郎もまた、週刊誌記者という「傍観者」として話を聞く、あらかじめ遅れた立場にいた。その自覚こそが川本をして菊井にのめりこませ、就職浪人までして憧れたジャーナリストの道を踏み誤らせたのではないか。

当時、高校生だった私や保倉幸恵など、さらに遅れていた年代も「過激派学生」にシンパシーを抱いていたが、どこか他所の「祭り」のように、あるいは乗り損ねた電車の後部を見送るように、多少の後悔を含んだ冷めた気持だったと思う。

当時は大学だけでなく、高校にも「学園闘争」が波及し、新左翼党派に「オルグ」されて街頭デモに参加する高校生も少数ながらいたことが新聞にも報道されていたので、まったく無知無縁な高校生のほうが少なかっただろう。

自分が居るべき時空間に遅れた、決定的に遅れているという自覚とは、すなわち失敗が先立っているのと同じである。川本三郎記者につきまとう状況への「後ろめたさ」や菊井への「気後れ」がそれを物語っている。

失敗から始まっているのなら、成功は途方もないものでなくてはならない。菊井がのめりこんだ過激な行動主義と川本の大スクープ狙いはそうした理路を辿って交差したに思える。

「遅れ」を取り戻そうと先走ったようにみえて、じつは「遅れ」とは過去に向かい、現在に生きようとしていないことでもある。失敗から始まって約束された失敗に終わる愚行の記録のなかで、いまを生きる3人が対比されて描かれている。それがこの映画を秀作にしている。

一人はいうまでもなく、「この事件は嫌な感じがする」といった保倉幸恵であり、もう一人は刺殺された一場哲雄陸士長である。一場哲雄陸士長は赤衛軍2名と格闘中、肺を貫通する刺傷2カ所を受けて倒れるも、犯人が逃走後、通報のために警衛所をめざしておよそ100mを這いずりながら進み、中途で力尽きた。

インタビューで監督自身が答えているが、保倉幸恵との交流と一場哲雄陸士長の無残な最期の場面を重要視している。取り戻せない過去へ向かう者によって蹂躙されながら、いまこの瞬間を生きようと懸命に雨泥を這い進む者がいたことを忘れさせまいという強いカメラアイ(視線)が印象に残った。

保倉幸恵と一場哲雄陸士長は川本三郎に対応する人物であるが、もう一人は菊井良治に対比されている。虚言癖で詭弁家で現代でいえばサイコパスと呼ばれるような、救いのない菊井良治という人物像に対比される一人については、次回に積み残そう。

(敬称略 この項続く)

有夫恋

2021-02-11 00:41:00 | レンタルDVD映画


凄い映画を観ました。映画史のオールタイムベスト10には必ず入る作品です。

「花様年華 In the Mood for Love」2000年に香港で製作された映画です。

(かようねんか)と読みます。「満開の花のように輝く女の人生の瞬間」という意味だそうです。1960年の香港、新聞記者チャウ(トニー・レオン)と小さな商社の社長秘書チャン夫人(マギー・チャン)の悲恋が描かれます。たがいの妻と夫が不倫していることを知り、二人は近づいていきます。

色と匂いと音が凄い映画です。

まずは色から。風にたなびく赤いカーテンなど、赤がとくに印象的ですが、あのけばけばしい中国寺院の明るい紅色ではありません。もっとレトロモダンなというか、ルージュのような赤です。青もあります。ヨーロッパ様式のテーブルスタンドや壁紙の柄、それに中華をミックスさせたインテリア装飾の大胆な色遣いに圧倒されます。その一方、淡いパステル調や渋い色をあしらった、日本の着物柄のような精緻な色彩の組み合わせも堪能させられます。

続いて音ですが、これは後にメインテーマ曲と挿入歌の動画を紹介します。これも大胆な選曲ですが、封じ込められた情熱を煽り、また癒すかのように胸を浸していきます。
 
匂いとは、まずは食べ物です。惹かれあう二人がいろいろものを食べます。最初のうちはややぎこちなく、だんだんに屈託なく、睦まじく、咀嚼します。二人だけでなく、近所の人や友人とあるいは一人で、ワインを、白酒を飲み、ステーキや中華料理を食べます。映画のなかの人々とテーブルを囲み、ともに食べ物の匂いや食感が味わえるような気がする映画です。

そしてなにより、男の色気と女の色香の映画です。トニー・レオンはこの作品で第53回カンヌ映画祭最優秀主演男優賞を得ているほど、匂い立つような男ぶりですし、マギー・チャンの人妻の貞淑な香気は絶品です。「恋愛映画の金字塔」という時代遅れの讃辞がぴったりします。

チャン夫人によって、20着もの旗袍(チーパオ)が着まわされます。あの襟の立った、ノースリーブで、身体の線を際立たせ、脚にスリットの入った、いわゆるチャイナドレスのことです。古びて汚い下町の狭い階段や装飾過多に思えるインテリアに、繊細な色づかいでモダンな柄のチャイナドレスを着こなした、マダムチャンの立ち歩き、身のこなし、仕草をまるで時が止まったかのように優美を極めていました。

トニー。レオンの恋情を訴える黒い瞳はもちろんのこと、一見、何の変哲もない地味なスーツ姿やワイシャツ姿の撫で肩の線には、清潔な色気がありました。当時のスタイルのごく細ネクタイ、やはり細めのスーツの襟、その胸ポケットから白い大判のハンカチをとりだして、雨に濡れそぼった顔や髪、上着の肩のあたりを拭く、男のありふれた所作に惹きつけられます。たぶん、このチャイナドレスとスーツの衣装とデザインには凝りに凝ったはずです。

チャン夫人の頸(うなじ〕から肩のまるみを経てしなやかな上腕に、つと腰のくびれ、そこから流れ落ちるように踵と爪先に滑るカメラアイ。背後から、部屋の隅から、開いたドアや窓の通路や外から、あるいはそれらの逆側から、窃視するようなカメラワークに徹しています。

高いビルを見上げるとか、駅やオフィス内を一望するとか、人間の身体を大きくはみ出すような広い視界のいっさいが注意深く避けられています。二人の全身像ですらめったに映されない徹底ぶりです。

英題のとおり、二人の恋のムードが満たされた自室やホテルの部屋などが大半の場面を占め、観客もすぐ傍らにいるかのように、いわゆるバストショットよりもっと下まで、かといってローアングルではなくミドルアングルの撮影です。そのうえ、スローモーション撮影を多用していますから、私たちの視線は二人を真近に追うばかりです。

フランス映画高等技術委員会賞を受賞したのは、こんな撮影をしたクリストファー・ドイルに負うことが大であったようです。もちろん、そんなカメラアイを可能にした、優れた美術や衣装デザイン、照明などがあったればこそです。2000年当時の香港のファッション、美術、デザインの俊英たちがこの映画のために結集したという話です。

月並みですが、カップルで観るとたがいにがっくりくる映画ですから、一人で観ることをお勧めします。

音楽もひとすじ縄ではいきません。メインテーマは梅林茂というはじめて知った人ですが、ウィキに掲載された写真を見ると、いい顔をしています。チャウの容貌です。

Yumeji's Theme / Shigeru Umebayashi


鈴木清順監督の竹久夢二と女たちを描いた『夢二』のテーマ曲でした。メインテーマ曲をほかの映画からもってくるなんて話も、聞いたことがありません。

Te Quiero Dijiste


挿入歌は、ナット”キング”コール。それもスペイン語で歌ったものだけです。アメリカだけでなく、中南米も含めたヒスパニック市場のためでしょう。香港とは大国を背後にして「植民地的」なところは似通っていますが、それ以外に共通点がはないともいえます。ナット”キング”コールも成熟した大人の男の清潔な色気がある人でした。

In the mood for love - The End (Quizas, quizas, quizas - Nat King Cole)


有名な「キサス・キサス・キサス」です。スローモーション撮影を多用して成功した稀な映画でもあります。

(止め)