goo blog サービス終了のお知らせ 

コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今夜はカーラ・ブレイは亡くなっていた

2023-11-23 18:00:24 | 音楽

NHKFMで流れていたので検索してみたら、今年亡くなっていたんだな、カーラ・ブレイ。

Carla Bley Big Band - Festival de Jazz de Paris 1988
カーラブレイ - 丘の上のエスカレーター - ジャズアヴィエンヌ1998 - LIVE

チャーリー・ヘイデン&ニュー・リベレーション・ミュージック・オーケストラ ft. カーラ・ブレイ ライヴ・イン・マルシアック 2004

カーラブレイLIVE GARY VALENTE ハレルヤ!

Bootsy Collins, Carla Bley, Steve Swallow & Allen Toussaint - Healing Power + Shoorah [Night Music]

(止め)

 


世界はなぜ地獄になるのか 補遺

2023-11-05 17:25:52 | ノンジャンル

>自分らと同じ特権階級的に遇されてよい、あたかも「上級国民」だったから、過去のイジメは無視されてきたのだとする記事さえあった。

たとえば、慶応のラグビー部の伝統的就職先の上位は、三菱商事やフジテレビだったりするのだが、そのなかでも附属出身者の就活が強いとされる。つまり、慶応の就活最強は、附属・体育会閥なのだ。

小山田圭吾はセツ・モードセミナーという美術学校に学んでいるが、最終学歴としては和光学園高校卒である。しかし、慶応附属出身者の多くがそうであるように、分野は違えど、親族や親戚に音楽芸能界や芸術分野に活躍する人たちに恵まれている。

金や地位という資産ではなく、音楽的な才能という文化資産を受け継いでいるという点が、彼ら附属出身者にある畏敬の念を抱かせたのではないかというのは、なかなか説得力がある視点だろう。

同じ慶応でも幼稚舎など附属から進学した者と高校や大学から進学した者との間には、ほとんど交流がないといわれる。幼稚舎から内部進学者なら、たとえ東大理3に軽々と現役で合格するような秀才でも、当たり前のように慶応医学部に進学するという。

そんな彼らから「仲間意識」を持たれる小山田なら、身体の動きがふつうでない、コミュニケーションがとりにくい同級生(障碍者)のイジメに加わるのも、たぶんそれは悪質なものであるはずだという予断を抱くのもまた、わかりやすいことだ。

そして、そういう予断と無縁ではない我々にとって、小山田の語るその同級生への屈折した「友情」に近い何らかの情理というのはわかりにくい。

「日本いじめ紀行」の小山田インタビューは、そのわかりにくさを保持しているのが取り柄といえる。

スラボイ・ジジェクが親イスラエルと親パレスチナ、反イスラエルと反ハマスの線引きは間違っているといっている。

あるいは元仏外相ドミニク・ドヴィルバンは「パレスチナ惨事」について、「西洋主義」などの数々の罠に囚われぬ、「対話の継続」という希望に熱弁を振るっている。

「小山田圭吾炎上事件」についても、そうした地獄を招き寄せる、我々の線引きやそれを正当化する数々の罠は通底しているように思える。

しかし、対話は続いているし、積み重なっている、日本においては、たとえそれが正統なジャーナリズムやメディア発ではないとしても。

やっぱり、魯迅がよく引用したポーランド詩人の言葉が思い浮かぶ。

ー絶望の虚妄なること希望に同じい

(止め)


世界はなぜ地獄になるのか

2023-10-27 12:15:48 | 新刊本

『世界はなぜ地獄になるのか』(橘玲 小学館新書)

売れているというので買ってみた。

「Pert1 小山田圭吾炎上事件」

東京五輪開会式の作曲担当だったミュージシャンの小山田圭吾が、過去に雑誌企画「日本いじめ紀行」のなかで、高校時代のイジメ経験を語っており、それが問題とされて東京五輪から降板させられた事件を検証している。

高校時代とはいえ、酷いイジメをしたのを雑誌で自慢げに得々と語っていたと新聞記事で読んだ記憶しかなかったが、詳細を知ってみると、報道による印象とはずいぶん違ってくる。

橘は当事者や関係者に直接に取材することなく(取材拒否されたからだが)、当時の雑誌記事やその企画意図、問題となって取材を受けた編集者の証言など、資料やWeb記事から丹念にたどり考察していく、アームチェア・ディテクティブ・ルポといえる。

読後、小山田圭吾って、ごく普通の高校生だったんだな、と思った。どこにでもいる、私や誰それであってもかまわない、ごくありふれた。考えてみればそれも当然で、そんなにびっくりするほどの高校生がいるはずがない。

もちろん、マスコミはそんなことは書かなかった。東大卒のシンガーソングライターとして話題となった小沢健二とは中学時代から同級で、二入でバンドを組んでから、その先鋭的な音楽センスが注目され、才能あふれる音楽家として東京五輪開会式の作曲を任されるまでに「勝ち組」になった、55歳ミュージシャンのイジメ・スキャンダルとしてフレームアップしようとした。その信じられない裏の素顔とばかりに、不祥事続きの東京五輪にからめて。

すると、あの「オザケン」も55歳かとちょっと驚いたが、小山田も高校時代なら40年近く前のイジメである。それをおよそ30年前の90年代の雑誌で語っている内容が問題となった。旧聞も旧聞なのだが、イジメをした上に、それを懺悔するどころか自慢した、というところが、現在の国民感情を刺激するとマスコミは乗ったのだろう。

橘が整理したところによると、40年前もイジメ自殺は起きていて、ときに「イジメ問題」がクローズアップされたが、30年前の90年代には、加害者を談話インタビューする雑誌企画が成立するほど、メディアにおいてイジメ問題は一般化して、それだけインパクトが逓減していたと読める。

今回のマスコミ報道も、イジメたという悪事を雑誌で自慢げに語っていたという点が強調され、いわば「ポリコレ」事件として浮上したといえる。だが、問題となった雑誌のインタビューの小山田は、けっして自慢話や武勇伝として語ってはいない。かといって、懺悔調では全然ない。

イジメをした同級生について、その原因となった彼の「奇行」に当初はびっくりしたが、やがて、「気になる存在」となり、「ファンになった」と小山田は話している。イジメの内容も報道されたほど悪質なものではなく、実行者ではなく傍観者であったり、もっと幼い頃の見聞だったりしたものを、切り取り繋げて「衝撃的」な記事にしている。ただし、ときに、もっとも悪質とされてもしかたがない、イジメの「発案者」だったことも小山田は認めている。

そこからは、他人や状況に流され、流れていく、とりたててワルでもなければ嘘つきでもない、他方、その罪の意識と後悔は沈殿しているという、ごくありふれた内面が想像できる。と同時に、何が自分をそうさせたかを知ろうとする小山田の探求心もうかがえる。

スキャンダルが発覚した場合、マスコミは実際以上に悪く書くことが多いが、ときに実際以上に良く書く場合がある。橘の論考はもちろんそんな扇動や忖度には距離を置き、といって中間的な微温的な立場にも立たず、小山田の内省を踏まえながら、社会文化のなかで等身大という捉え直しを試みている。

それはマスコミが煽情的に描き出す「ありえない姿」ではなく、国民感情が期待する「ありのままの姿」の予定調和のどちらでもない、いわば「ありふれた姿」に本質というより、実質を見出そうとしている、という風にも思える。

橘と同じ資料を読み込んだはずの新聞雑誌記者のほとんどが、「誤報」に近いステロタイプな叩き方をした。なかには、小沢健二や小山田圭吾は、メディア人種や音楽界のクリエイター周辺から、特権階級的に遇される、いわば「上級国民」だったから、過去のイジメは無視されてきたのだとする記事さえあった。

金や地位だけでなく、才能という「文化資産」を受け継いだ「上級国民」という観点を音楽界に当てはめたのはおもしろい。しかし、当の小山田は言わずに済んだ、自らの高校時代のイジメを率直に告白し、イジメた同級生(障碍者)との対談までさせようとする企画にあえて乗ったのだ(被害者との対談は断られたが)。

イジメた側は忘れてもイジメられた側はずっと忘れることはないとよくいわれるが、イジメから10年以上も経てなお、小山田はイジメた同級生について、どのようなイジメの場面があったのか、よく覚えていて、どうして起きたのかについても考えていた。

反省や後悔、弁明や謝罪という以上に、イジメ当事者であることを引き受け考え続けてきたことが、小山田の発言からうかがえる(イジメ側が何を思い考えていたかを尋ねるのが、この「日本いじめ紀行」の企画意図だからでもあるが)。やはり、小山田もどうしてイジメをしてしまったのか、なぜそれは起きたのか、イジメた同級生と再会することになっても、知りたかったのだろう。

被害者はもちろんだが、加害者もまた、「なぜ起きたのか」を知りたいのだ。

涙ながらに土下座しろ、社会的制裁を受けろ、イジメられた者の苦しみを少しでも味わえ、という「キャンセルカルチャー」の復讐心の解消からほど遠い、この「日本いじめ紀行」の前向きな企画に感心した(小山田を第1回として、その後は誰も引き受けてくれなかったそうだが)。

誤解を畏れずにいえば、障碍者をイジメた小山田とイジメられた同級生について、その後もずっと考え続けてきた10年後の小山田の屈折した「友情」に、私は好印象を持った。そんな「友情」はあり得ない、自己合理化に過ぎないと直ちに切り捨てる「キャンセルカルチャー」に、与することはできないと思った。

「炎上」に見舞われた55歳の小山田は、いったい何を考えているのだろう。イジメた同級生に出した年賀状の返信のハガキを、いまも大事に持っているのではないか。

橘も少し突っ込んでいるが、障碍児や不登校児などを積極的に受け入れてきた、リベラルな校風で知られる和光学園で、そうしたイジメが蔓延していたことも、興味深い。

(止め)

 


牛肉 ガーリック味付き 20%OFF

2023-10-07 05:43:08 | ノンジャンル

「これ、おいしいね」

家人が感想を述べた。

「そうかい、それはよかったね」

私は答えた。

しばらくして、

「おいしいね、これ」

また言う。

「それはよかったね」

私も言う。

咀嚼する家人の口許を見ている。

「おいしいね、これ。家で自分でつくったの?」

目と唇をまるくして言った。

「ただ、焼いただけだよ」

「さっきから、おいしいって言葉を5回くらい言ったよ」

「覚えてない? 忘れた?」

「それとも、おいしいといわないと俺が文句言うと思ったのかな」

家人はウフフと笑った。

「そんなに頭は回らないよ。それに、おいしいって言ったの3度くらいだよ」

「そうか。それならよかった」

私は言った。

(止め)

 

 


君は女子バレーを観ているか?

2023-09-23 17:24:02 | ノンジャンル

「FIVBパリ五輪予選/ワールドカップバレー2023」を観ているか。日本はこれまで1セットも落とさぬ5連勝という快進撃を続けている。今日、土曜日に同じく5連勝中で世界ランク1位のトルコと対戦する。セットカウント3-1以上でトルコに勝利すれば、グループ2位以内が確定し、パリ五輪に出場できるという大一番だ。

ちなみに日本は世界ランク8位、ブラジルやアメリカ、中国が強いことは知っていたが、トルコが一位とは? 伝統的に東欧諸国や南米に強豪国が多く、アジアでは中国、日本、韓国くらいだったが、タイが世界ランク14位と躍進しているのは嬉しい。

ここ3戦くらいを観たかぎりでは、高さや身体能力に劣る分を技術と速さでカバーするという、日本のお家芸で勝利している、のではないように思う。バレーボールを少し齧った経験から言うと、バレーボールにおける身長差やジャンプ力はそう簡単に越えられる壁ではない。

「木偶の坊」や「総身に知恵の回りかね」は大昔の話で、バスケを観てもわかるように、いまや技術や速さにそれほどの差はない。

ではなぜ、エースの古賀紗理那が180cm、平均身長175cmの日本が2m越えや190cm越えが珍しくないチーム相手に圧勝できるのか。チームワークというには生易しすぎる、一丸となっての攻守だと思う。

ニコニコしながら甲高い声を掛け合いながら、1点1点もぎ取っては手をタッチして喜ぶ。わずかなことでも喜ぶ。ホームの熱狂的なファンの声援がそれに呼応する。チーム一丸、会場一体、が彼女たちに勝機をつかませ、勢いを与えている。

これ、まさしく日本の、日本人の勝ち方なんだよな。短期決戦では、スキルや地力ー総合力に勝る相手に勝つことができる。勝ち続けることはできないし、しぶとく負けることもできないが、「柔よく剛を制する」こともある。

天然全体主義ともいうべき国民性があってこそのものだから、もちろん毀誉褒貶あるわけだが、少なくとも日本チームと対戦チームのどちらが楽しそうか、生き生きとしているか、この瞬間、どちらが幸福なのかは明白だ。

いまの日本は、日本人は、黙々と日々の努力を続けられる環境はなく、ここぞというときのチームワークはなく、周囲の応援もない。トップダウンの減点主義のプレッシャーに苦しめられる、かつてのソ連東欧チームのような、暗い表情の人々に満ちているのではないか?

さあ、19時からの日本女子代表チーム第6戦を応援しよう。世界NO.1のトルコがどんなチームか楽しみ。