言葉は依然…分からない…。
それでも敵意のないことだけは…確かなようだ…。
穏やかな温かさと全身を弄られるようなくすぐったさ…決して不快ではないものの…なんだか奇妙な感じだ…。
『.。o○….。o○…。 』
だから…分かんねぇよ…。
頼むから…ノエルか紫苑の居る時に…来てくれよ…。
時折…軽い痛みを覚えるが…全身を揉み解されているような気分…悪くはない…。
気味が悪いのは…何かが身体を透りぬけていくような感触…。
苦痛と言えば苦痛なのに…慣れてくるとむしろ快感…。
『○o。.….。o○…。 』
意味を成さない音の羅列…に聴こえるそれが…何故か次第に…言葉…らしきものに思えてくる…。
不思議なことに…そう感じ始めると…何となくだが…相手の意思が伝わってくるような気がする…。
えっ…ちょっと…まさか…それはないって…。
おぼろげながらも意味を把握できるようになると…このエナジーが自分の身体に何をしているか…が分かってきて…らしくもなくうろたえた…。
どうやら…ノエルの提案…を…実行したかどうか…調べに来たようだ…。
年甲斐もなく…赤面した…。
『.。o○…終…実…○o。.…。 .。o○…? 』
終…実…?
ノエルの最後の子供…ってことか…?
聞いてはいけないことを耳にしたような気がした…。
エナジーは…人間も動物…動物は子孫を遺そうと躍起になるもの…自分の子孫を遺したくはないのか…と訊いているらしい…。
ノエルが産める最後の子供…最後の機会…。
だけどそれは…紫苑の為にあるんだ…。
あんたたちには到底…理解できないだろうけど…。
最後の実なら…なおさら…僕のものにはできない…。
『○o。.…○o。.…。 .。o○…。』
後は…良く理解できなかった…。
エナジーは諭すような口調で何かを語りかけたが…滝川はほとんど聴こうとしなかった…。
寝室にあの気配を感じて西沢はそっと扉を開けた。
籐椅子に身を沈めるようにして滝川が眠っている…。
子供のようにあどけない顔をして…。
恭介…。
その顔を覗きこんで思わず微笑んだ…。
が…それはやがて切ない笑みに変わった…。
ひょっとしたら僕も…養父と同じことをしているのかも知れない…。
そう思った…。
西沢はずっと以前に、滝川を責めたことがある。
年下の西沢に対して特別な想いを抱く滝川…。
けれど…それは西沢本人への想いではなく…滝川が亡くなった和を忘れらなくて…西沢を身代わりにしているだけのことだ…と…。
同じこと…どころか…もっと酷いことを…しているのかも…。
あの時、滝川は迷うことなく心を曝け出し、その誠実さで西沢の誤解を解いた。
西沢の苦境を幾度も身を挺して救い、想いの強さを命懸けで証明して見せた。
けれど僕には…違う…と…誰かの身代わりではない…と証明できるものがない…。
多分…その通りだから…。
ごめん…恭介…おまえを責める資格なんて…もともとなかったのに…。
結局…僕はどうしたいんだろう…?
受け入れもしない…拒絶もしない…いい加減な顔ばかり向けて…。
両親や養父母から無条件には与えて貰えなかった愛情…を年上の恭介に求めているだけ…。
恭介が優しいのを良いことに親代わりにして甘えてるだけ…かも…な…。
そんなふうに考えたくは…ないけれど…。
そろそろ…初恋の紫苑ちゃんから…恭介を解放してやらなきゃ…。
このまま僕の傍に居たんじゃ…恭介はずっと寡暮らしで終わっちまう…。
何とか…恭介なしで自分を抑えられるように頑張らないと…ね…。
滝川がうっすらと眼を開ける…。
傍に居る西沢に気付いて微笑んだ…。
お帰り…紫苑…。
「ゴメン…うっかり眠っちまった…。 なんも仕度してねぇ…。
買い物…行かなきゃ…。 何時だろ…? 」
籐椅子の背凭れから慌てて身を起こす…。
「いいよ…そんなの…。 店屋物で済ましちまおう…。 ノエルたちは…? 」
チラッと時計を見ながら西沢が訊いた…。
いつもなら…もう…帰ってきてもいい時間…これから買い物では間に合わない…。
「急に親戚が訪ねて来たそうで…仕事が片付いたら…実家の方で宴会…。
ケントが一緒だから…輝も…嫁さんの振りして顔を出すことになってるらしい…。
今夜は305号室泊まり…だぜ…多分…。 」
滝川は意味有りげにニヤッと笑った…。
「じゃ…慌てなくてもいいな…。 」
子供たちが居なければ…何時だって構やしない…。
西沢がそう思った時、不意に滝川の手が頬に触れた…。
あまり…良い状態ではない…と気付いたらしい…。
上手く…いかなかったか…?
そう訊ねるかのように西沢を見つめる…。
「家の半分は…僕が支払うことになったけど…残りは親心…だとか言って譲らないんだ…。
養父と縁を切ろう…ってわけじゃないから…こっちも意地になることはないし…。
そこらへんで手を打つことにした…。 」
西沢にとっては、なんとなく、すっきりしない結果に終わったようだ…。
上出来…と滝川は笑った…。
これまでに比べりゃ…大進歩だ…。
「残りの祥さんの持分の中から…僕と輝が幾許かの権利を買い取る…。
僕等が住むことになる部屋の分譲代金だ…。
土地はお前のものだから…新しい家の半分以上は…こちら側が所有することになる…。
あの家はもう鳥籠にはならないぞ…紫苑…。
紫苑とノエルと輝と子供たち…そして…僕の『家』だ…。
この前…輝と話し合ってそう決めたんだ…。 」
養父から…権利を…買い取る…?
西沢は怪訝そうに滝川を見た…。
そうだ…と滝川は頷いた…。
「交渉決裂なら…おまえはまた…僕のことを気に病むだろう…。
いつまでも恭介を鳥籠の中に引っ張り込んでちゃいけない…とか何とかってね…。
だから…先手を打ったんだ…。
なぁ…紫苑…僕の幸せは僕が考える…。
おまえにゃ到底理解できないだろうが…僕にとって…その笑顔見ていられる以上の幸せは…他の何処にもないんだ…。
引っ張り込まれてる…わけじゃなくて…買った部屋に住む…だけだから…いつも傍にくっついて居るからって…別に気にすることはないんだぜ…。 」
よく言うよ…西沢は噴出した…。
「恭介…おまえ…どうせまた…自分の買いとった部屋を荷物置きにして…僕のベッド占領するつもりだろ…? 」
恭介が住むのは…僕の寝室…ってことだな…。
可笑しくてたまらない…西沢がそんな笑顔を見せた…。
いいぞ…と滝川は秘かに思った…。
だってさ~…愛する紫苑…の傍で眠りたいじゃないか~…!
いつもながら…妙に甘ったるい強請り声…西沢のへその辺りがもぞもぞする…。
いい加減…頭ん中から…初恋の紫苑ちゃん…を消せ…!
これまで何度…そう怒鳴ったことか…。
「いつまでも…初恋の紫苑ちゃんに…拘ってやしないさ…。
僕の中の大切な思い出ではあるけれど…もう消えてしまった過去…だ…。
僕が傍に居たいのは…常に…今の紫苑…だよ…。
スローペースで齢を重ねていく…おまえを見ていたい…。
僕の眼で撮り続けたいんだよ…。 」
写真ね…。
西沢の唇から溜息が洩れた…。
女…撮れよ…女…。
「女なんか数え切れねぇほど撮ってるよ…。
芸術家のやることじゃない…って添田が文句つけたほど…マルチな仕事してんだからよ…。
何でもござれ…で…。
手は抜いてねぇ…どの仕事だって真剣勝負だからな…。
…違う…って…そんな話をしてんじゃない…。
おまえはぁ…少しは人の話をまともに聞け…! 」
今度は滝川が溜息をついた…。
だって…恭介が撮りたいっていうからさ~…。
「いいや…もう…。
とにかく…そういうことだから…僕を手放そうとしないように…。
好きでおまえの傍に居る…。
何なら…有さんの代わり…だと思って貰っても構わないぜ…。 」
その瞬間…西沢の表情が一変した…。
図星だ…と滝川は感じた…。
吐き出せ…紫苑…おまえの本心…。
何でもよかった。
逸る気持ちを抑え、西沢が口を開くのを待った。
紫苑がひと言でも本音を吐露できれば…状態はずっと良くなるはず…。
抑え込んだ自己を少しでも解放できれば…。
「…欲しかったんだ…。
たったひとつだけ…僕の心が…覚えている温もり…。
その時限り…他の誰からも与えて貰えなかったもの…。
…養父だと…ずっと信じていた…。
4歳の時…母の死がきっかけで…完全に切れた僕を必死で庇ってくれた人の…温もり…。 」
その温かさが欲しくて…養父の羽毛蒲団を持ち出してはトンネルにして遊んだ…。
叱られても…叱られても…止められなかった…。
西沢の切ない遊びは…実母絵里の死から7~8年…続いたろうか…。
掛け布団のトンネルにぬくぬくと包まっていれば穏やかな気持ちでいられた…。
さすがに…小学校を終える頃には…そんな遊びも自然に消えていったが…。
「HISTORIAN事件が起こるまでは…疑いもしなかった…。
けど…この事件に関わったせいで…養父には僕を抑え込む力はない…と分かってしまった…。
養父は並外れた力を持つ能力者だけど…裁きの一族の特殊な力を封じることはできないんだ…。 」
疑いも…?
滝川は怪訝に思った…。
西沢の本家に生まれたとはいえ、ただひとり蚊帳の外に置かれていた西沢は、生きるための情報を入手するために絶えずアンテナを張っている。
養父祥の力が西沢より劣る…などということは…かなり早い段階で気付いていたはずなのだ…。
気付いていながら、有り得ない現実を疑わないのは、西沢の意識に何らかの手が加えられていたからに相違ない。
「祥さん…なんてことを…!
大パニックを起こした時の…紫苑の記憶をすり替えたのか…?
あの祥さんがそんな過ちを犯すとなれば…有さんに関する記憶だな…?
それこそが紫苑の心にとって…何よりも重要な鍵…制御装置だったのに…。
たったひとつしかない実の父親の温もりの記憶を紫苑の中から消してしまったのか…。
絵里さんの言葉の呪縛だけを残して…。 」
今や…滝川の方が爆発しそうだった…。
生まれたばかりの紫苑を有から騙し取っておいて…よくもそんな酷いことを…。
西沢家の秘密を護るためとはいえ…数々の不幸の責任を幼かった紫苑ひとりに背負わせて…ペットや玩具のように扱い…それだけでも許せないのに…。
「いいんだ…そんなこと…。 もう…済んでしまったことなんだ…。
時には痛い思いもしたけど…あれは…怜雄や英武の病気のせいだったんだし…。
それももう…ふたりとも完治したんだから…。
養父はいつも優しかったし…何でも与えてくれたし…僕は恵まれてる…幸せなんだよ…。 」
まだそんなことを…と滝川は胸の中で舌打ちした…。
人が良いのもいい加減に…と滝川が言いかけた時…突然…西沢が黙り込んだ…。
その表情は…明らかに動揺しているように見える…。
何かを言おうとして…唇は震えるが…言葉にはならない…。
西沢の内面で激しい葛藤が起きている…。
「紫苑…話せ…!
おまえが過去から解放されないと…おまえの中のそいつが意味もなく目覚める…。
そいつが本気を出したら…僕が命をかけたって抑えられるもんじゃない…。
時ならぬ時に…崩壊…に動き出されては…エナジーたちも困るだろう…。
そいつを眠らせておくためには…おまえの心の安定が必要なんだ…。
どんなことでもいい…。
もう…心の中に封じておくな…! 」
聴こえているのかいないのか…西沢は顔を引きつらせている…。
倒れるか…。
危険を感じた滝川が西沢を支えようと手を伸ばした刹那…滝川の頭の中に悲鳴のような西沢の声が響きわたった…。
「…た…す…け…て…恭…介…! 」
西沢の中で…失われた記憶…の修復が始まった…。
次回へ
それでも敵意のないことだけは…確かなようだ…。
穏やかな温かさと全身を弄られるようなくすぐったさ…決して不快ではないものの…なんだか奇妙な感じだ…。
『.。o○….。o○…。 』
だから…分かんねぇよ…。
頼むから…ノエルか紫苑の居る時に…来てくれよ…。
時折…軽い痛みを覚えるが…全身を揉み解されているような気分…悪くはない…。
気味が悪いのは…何かが身体を透りぬけていくような感触…。
苦痛と言えば苦痛なのに…慣れてくるとむしろ快感…。
『○o。.….。o○…。 』
意味を成さない音の羅列…に聴こえるそれが…何故か次第に…言葉…らしきものに思えてくる…。
不思議なことに…そう感じ始めると…何となくだが…相手の意思が伝わってくるような気がする…。
えっ…ちょっと…まさか…それはないって…。
おぼろげながらも意味を把握できるようになると…このエナジーが自分の身体に何をしているか…が分かってきて…らしくもなくうろたえた…。
どうやら…ノエルの提案…を…実行したかどうか…調べに来たようだ…。
年甲斐もなく…赤面した…。
『.。o○…終…実…○o。.…。 .。o○…? 』
終…実…?
ノエルの最後の子供…ってことか…?
聞いてはいけないことを耳にしたような気がした…。
エナジーは…人間も動物…動物は子孫を遺そうと躍起になるもの…自分の子孫を遺したくはないのか…と訊いているらしい…。
ノエルが産める最後の子供…最後の機会…。
だけどそれは…紫苑の為にあるんだ…。
あんたたちには到底…理解できないだろうけど…。
最後の実なら…なおさら…僕のものにはできない…。
『○o。.…○o。.…。 .。o○…。』
後は…良く理解できなかった…。
エナジーは諭すような口調で何かを語りかけたが…滝川はほとんど聴こうとしなかった…。
寝室にあの気配を感じて西沢はそっと扉を開けた。
籐椅子に身を沈めるようにして滝川が眠っている…。
子供のようにあどけない顔をして…。
恭介…。
その顔を覗きこんで思わず微笑んだ…。
が…それはやがて切ない笑みに変わった…。
ひょっとしたら僕も…養父と同じことをしているのかも知れない…。
そう思った…。
西沢はずっと以前に、滝川を責めたことがある。
年下の西沢に対して特別な想いを抱く滝川…。
けれど…それは西沢本人への想いではなく…滝川が亡くなった和を忘れらなくて…西沢を身代わりにしているだけのことだ…と…。
同じこと…どころか…もっと酷いことを…しているのかも…。
あの時、滝川は迷うことなく心を曝け出し、その誠実さで西沢の誤解を解いた。
西沢の苦境を幾度も身を挺して救い、想いの強さを命懸けで証明して見せた。
けれど僕には…違う…と…誰かの身代わりではない…と証明できるものがない…。
多分…その通りだから…。
ごめん…恭介…おまえを責める資格なんて…もともとなかったのに…。
結局…僕はどうしたいんだろう…?
受け入れもしない…拒絶もしない…いい加減な顔ばかり向けて…。
両親や養父母から無条件には与えて貰えなかった愛情…を年上の恭介に求めているだけ…。
恭介が優しいのを良いことに親代わりにして甘えてるだけ…かも…な…。
そんなふうに考えたくは…ないけれど…。
そろそろ…初恋の紫苑ちゃんから…恭介を解放してやらなきゃ…。
このまま僕の傍に居たんじゃ…恭介はずっと寡暮らしで終わっちまう…。
何とか…恭介なしで自分を抑えられるように頑張らないと…ね…。
滝川がうっすらと眼を開ける…。
傍に居る西沢に気付いて微笑んだ…。
お帰り…紫苑…。
「ゴメン…うっかり眠っちまった…。 なんも仕度してねぇ…。
買い物…行かなきゃ…。 何時だろ…? 」
籐椅子の背凭れから慌てて身を起こす…。
「いいよ…そんなの…。 店屋物で済ましちまおう…。 ノエルたちは…? 」
チラッと時計を見ながら西沢が訊いた…。
いつもなら…もう…帰ってきてもいい時間…これから買い物では間に合わない…。
「急に親戚が訪ねて来たそうで…仕事が片付いたら…実家の方で宴会…。
ケントが一緒だから…輝も…嫁さんの振りして顔を出すことになってるらしい…。
今夜は305号室泊まり…だぜ…多分…。 」
滝川は意味有りげにニヤッと笑った…。
「じゃ…慌てなくてもいいな…。 」
子供たちが居なければ…何時だって構やしない…。
西沢がそう思った時、不意に滝川の手が頬に触れた…。
あまり…良い状態ではない…と気付いたらしい…。
上手く…いかなかったか…?
そう訊ねるかのように西沢を見つめる…。
「家の半分は…僕が支払うことになったけど…残りは親心…だとか言って譲らないんだ…。
養父と縁を切ろう…ってわけじゃないから…こっちも意地になることはないし…。
そこらへんで手を打つことにした…。 」
西沢にとっては、なんとなく、すっきりしない結果に終わったようだ…。
上出来…と滝川は笑った…。
これまでに比べりゃ…大進歩だ…。
「残りの祥さんの持分の中から…僕と輝が幾許かの権利を買い取る…。
僕等が住むことになる部屋の分譲代金だ…。
土地はお前のものだから…新しい家の半分以上は…こちら側が所有することになる…。
あの家はもう鳥籠にはならないぞ…紫苑…。
紫苑とノエルと輝と子供たち…そして…僕の『家』だ…。
この前…輝と話し合ってそう決めたんだ…。 」
養父から…権利を…買い取る…?
西沢は怪訝そうに滝川を見た…。
そうだ…と滝川は頷いた…。
「交渉決裂なら…おまえはまた…僕のことを気に病むだろう…。
いつまでも恭介を鳥籠の中に引っ張り込んでちゃいけない…とか何とかってね…。
だから…先手を打ったんだ…。
なぁ…紫苑…僕の幸せは僕が考える…。
おまえにゃ到底理解できないだろうが…僕にとって…その笑顔見ていられる以上の幸せは…他の何処にもないんだ…。
引っ張り込まれてる…わけじゃなくて…買った部屋に住む…だけだから…いつも傍にくっついて居るからって…別に気にすることはないんだぜ…。 」
よく言うよ…西沢は噴出した…。
「恭介…おまえ…どうせまた…自分の買いとった部屋を荷物置きにして…僕のベッド占領するつもりだろ…? 」
恭介が住むのは…僕の寝室…ってことだな…。
可笑しくてたまらない…西沢がそんな笑顔を見せた…。
いいぞ…と滝川は秘かに思った…。
だってさ~…愛する紫苑…の傍で眠りたいじゃないか~…!
いつもながら…妙に甘ったるい強請り声…西沢のへその辺りがもぞもぞする…。
いい加減…頭ん中から…初恋の紫苑ちゃん…を消せ…!
これまで何度…そう怒鳴ったことか…。
「いつまでも…初恋の紫苑ちゃんに…拘ってやしないさ…。
僕の中の大切な思い出ではあるけれど…もう消えてしまった過去…だ…。
僕が傍に居たいのは…常に…今の紫苑…だよ…。
スローペースで齢を重ねていく…おまえを見ていたい…。
僕の眼で撮り続けたいんだよ…。 」
写真ね…。
西沢の唇から溜息が洩れた…。
女…撮れよ…女…。
「女なんか数え切れねぇほど撮ってるよ…。
芸術家のやることじゃない…って添田が文句つけたほど…マルチな仕事してんだからよ…。
何でもござれ…で…。
手は抜いてねぇ…どの仕事だって真剣勝負だからな…。
…違う…って…そんな話をしてんじゃない…。
おまえはぁ…少しは人の話をまともに聞け…! 」
今度は滝川が溜息をついた…。
だって…恭介が撮りたいっていうからさ~…。
「いいや…もう…。
とにかく…そういうことだから…僕を手放そうとしないように…。
好きでおまえの傍に居る…。
何なら…有さんの代わり…だと思って貰っても構わないぜ…。 」
その瞬間…西沢の表情が一変した…。
図星だ…と滝川は感じた…。
吐き出せ…紫苑…おまえの本心…。
何でもよかった。
逸る気持ちを抑え、西沢が口を開くのを待った。
紫苑がひと言でも本音を吐露できれば…状態はずっと良くなるはず…。
抑え込んだ自己を少しでも解放できれば…。
「…欲しかったんだ…。
たったひとつだけ…僕の心が…覚えている温もり…。
その時限り…他の誰からも与えて貰えなかったもの…。
…養父だと…ずっと信じていた…。
4歳の時…母の死がきっかけで…完全に切れた僕を必死で庇ってくれた人の…温もり…。 」
その温かさが欲しくて…養父の羽毛蒲団を持ち出してはトンネルにして遊んだ…。
叱られても…叱られても…止められなかった…。
西沢の切ない遊びは…実母絵里の死から7~8年…続いたろうか…。
掛け布団のトンネルにぬくぬくと包まっていれば穏やかな気持ちでいられた…。
さすがに…小学校を終える頃には…そんな遊びも自然に消えていったが…。
「HISTORIAN事件が起こるまでは…疑いもしなかった…。
けど…この事件に関わったせいで…養父には僕を抑え込む力はない…と分かってしまった…。
養父は並外れた力を持つ能力者だけど…裁きの一族の特殊な力を封じることはできないんだ…。 」
疑いも…?
滝川は怪訝に思った…。
西沢の本家に生まれたとはいえ、ただひとり蚊帳の外に置かれていた西沢は、生きるための情報を入手するために絶えずアンテナを張っている。
養父祥の力が西沢より劣る…などということは…かなり早い段階で気付いていたはずなのだ…。
気付いていながら、有り得ない現実を疑わないのは、西沢の意識に何らかの手が加えられていたからに相違ない。
「祥さん…なんてことを…!
大パニックを起こした時の…紫苑の記憶をすり替えたのか…?
あの祥さんがそんな過ちを犯すとなれば…有さんに関する記憶だな…?
それこそが紫苑の心にとって…何よりも重要な鍵…制御装置だったのに…。
たったひとつしかない実の父親の温もりの記憶を紫苑の中から消してしまったのか…。
絵里さんの言葉の呪縛だけを残して…。 」
今や…滝川の方が爆発しそうだった…。
生まれたばかりの紫苑を有から騙し取っておいて…よくもそんな酷いことを…。
西沢家の秘密を護るためとはいえ…数々の不幸の責任を幼かった紫苑ひとりに背負わせて…ペットや玩具のように扱い…それだけでも許せないのに…。
「いいんだ…そんなこと…。 もう…済んでしまったことなんだ…。
時には痛い思いもしたけど…あれは…怜雄や英武の病気のせいだったんだし…。
それももう…ふたりとも完治したんだから…。
養父はいつも優しかったし…何でも与えてくれたし…僕は恵まれてる…幸せなんだよ…。 」
まだそんなことを…と滝川は胸の中で舌打ちした…。
人が良いのもいい加減に…と滝川が言いかけた時…突然…西沢が黙り込んだ…。
その表情は…明らかに動揺しているように見える…。
何かを言おうとして…唇は震えるが…言葉にはならない…。
西沢の内面で激しい葛藤が起きている…。
「紫苑…話せ…!
おまえが過去から解放されないと…おまえの中のそいつが意味もなく目覚める…。
そいつが本気を出したら…僕が命をかけたって抑えられるもんじゃない…。
時ならぬ時に…崩壊…に動き出されては…エナジーたちも困るだろう…。
そいつを眠らせておくためには…おまえの心の安定が必要なんだ…。
どんなことでもいい…。
もう…心の中に封じておくな…! 」
聴こえているのかいないのか…西沢は顔を引きつらせている…。
倒れるか…。
危険を感じた滝川が西沢を支えようと手を伸ばした刹那…滝川の頭の中に悲鳴のような西沢の声が響きわたった…。
「…た…す…け…て…恭…介…! 」
西沢の中で…失われた記憶…の修復が始まった…。
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