前回に引き続き感冒と時流性(あるいは時行性)感冒(インフルエンザ)の漢方治療について稿を進めます。
風熱(ふうねつ)という漢方の証があります。
症状として、中等度~高熱があり、やや悪風がし、汗が出にくく、頭の脹痛、咳嗽があり、痰は粘稠で、黄色味を帯び、咽喉の乾燥或いは扁桃腺の発赤、腫張があり、鼻が詰まり、鼻水は黄濁で、口渇があり喜飲であり、舌苔は薄白、あるいは微黄で、舌の辺縁や舌の先が赤く、脈象が浮数などの症候群です。風寒証より邪気が一歩体内に進んだ状態と理解してもいいでしょう。肺の清粛が失われ、咳嗽が生じ、痰が粘稠或いは黄色くなります。風熱が肺衛を犯すと脈が浮数になります。辛涼解表が治療原則です。銀翹散(ぎんぎょうさん)を主方とします。
銀翹散(ぎんぎょうさん 温病条弁 清代):
連翹 金銀花 薄荷 ?芥 淡豆豉 蘆根 淡竹葉 桔梗 牛蒡子 生甘草
金銀花、連翹は辛涼解表、牛蒡子、薄荷は疏散風熱、清利咽頭に、荊芥、淡豆豉は透邪解表、桔梗は提昇肺気、止咳利咽、竹葉、蘆根は甘寒生津、清熱止渇に働き、甘草が調和諸薬となります。高熱の場合には柴胡、黄苓、石膏、大青葉を加え、清熱作用を強化し、頭痛が著しい場合には桑葉 菊花 蔓荊子を加えます。咽喉腫痛の者には、馬勃、掛金灯、玄参、土牛膝を加え、利咽解毒し、咳嗽、痰が黄色く粘稠の場合は、黄苓、知母、象貝母、光杏仁を加え、清肺化痰をはかります。口渇がひどい場合には、天花粉、石斛を加え、清熱生津の効能を求めるのがいいでしょう。
銀翹散の創者の呉鞠通(ごきくつう)は清代に温病学派の医師です。葉天士から始まり、薛生白、呉鞠通、王孟英等は温病学に対して大いなる貢献した代表人物です。以前のブログ「益胃湯(温病条弁)呉鞠通(1798年)について考える」
http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20090521
を参照してみてください。
温病条弁の「温病」とは感染性(外感と漢方では言います)熱病のことです。銀翹散は「温病学」の中の「衛分証」の治療方剤として出現しました。温病と似たような用語に温疫(おんえき)があります。温疫の特徴は流行性と伝搬性(伝染性)です。ほっておけば、現代用語でいうパンデミックになりうる熱病を指します。検疫という現代用語から温疫を想像できるでしょう。両者の違いを厳密に分ける必要はないとする学派もあります。具体的に病名を挙げて両者の違いを考えて見ましょう。
デング熱(dengue fever)は、デングウイルスによる感染性熱病です。
ネッタイシマカやヒトスジシマカなどの蚊によって媒介される伝染病です。潜伏期間は4日から7日で悪寒を伴い急に高熱がでますが、3日程で37度あたりまで解熱し、さらに24時間後ぐらいに再度高熱が出現するという特徴があります。頭痛、筋肉痛、関節痛、腹痛や便秘を伴うこともあります。発症3~4日後より躯幹部に発疹が出現し、発疹は四肢や顔面へ広がります。致死率は低く0.01~0.03%ですが、時としてデング出血熱となって、粘膜から大量に出血し、デングショック症候群という重症型もあり、致死率は3~6%になります。これを温病と言うのか
あるいは温疫というのかについては、私自身の考えでは温病なのです。人から人へ直接に接触あるいは飛沫感染を起こさないからです。
インフルエンザやSARSの爆発的な伝染性はまさに温疫といえるでしょう。モンゴル帝国が衰退した理由の一つに異常気象に伴う飢饉、ペストの大流行が挙げられています。ペスト菌に感染すると2~5日の間に、寒気を伴い、高熱が出ます。その後、ペスト菌の感染の仕方によって、腺ペスト、ペスト敗血症、肺ペストなどに分けられますが、肺ペストの場合、患者の咳によって飛散したペスト菌を吸い込んで発病することも多かったのですから、鼠のペスト流行、蚤(ノミ)によるペスト菌の媒介があるにせよ、飛沫感染、患者の体液からの感染と言う意味で、まさに温疫といえるでしょう。天然痘はどうだったでしょうか?現在でこそ絶滅宣言下にありますが、まさに飛沫感染、接触感染によりパンデミックを起こした温疫に含まれる疾患でした。明朝末期に、華北地方ではペストや天然痘が猛威を振るい、1千万人以上の死者が出たといわれています。
このような訳で、否応なしに明代、近世とくに清代の医師たちは、温病であろうと温疫であろうと診療を迫られたのです。そこで生まれた診断と治療方法が衛気営血弁証体系であり、温病学の中心をなすものです。したがって、衛気営血弁証は温病と温疫の両者にまたがる弁証なのです。そうなりますと、温病は温疫を含む広い概念ともいえそうです。
衛気営血弁証とは
清代 葉天士による外感温熱病の弁証方法であり、温熱病の進展していく過程での「浅深軽重」の4段階を示します。
温熱病邪は衛から気に、気から営に、営から血に伝わり、病状が段々重くなります。営血は同質であり程度の軽い状態が営分、重い状態が血分であると考えていいようです。各証のうち衛分証(えぶんしょう)を述べます。
衛分証(えぶんしょう) 温邪襲表 肺衛失宣が病理です。
弁証の要点は発熱 口渇 咽頭通 粘調黄痰 薄白~薄黄苔 脈浮数などになります。
八綱弁証(寒熱、表裏、虚実、陰陽の観点から診断すること)での表熱症に相当します。発汗の有無は問いません。治療原則は辛涼解表で主方は前述した銀翹散と桑菊飲(そうぎくいん)になります。適応症は外感風熱を主としていますが、風熱犯肺の咳嗽にも適応があります。漢方用語を用いて表現すれば、辛涼解表により衛分の熱邪を祛邪するという意味の疏風泄熱が効能です。
あらためて組成を色分けするとつぎのようになります。
銀翹散 辛涼平剤
連翹 金銀花 薄荷 ?芥 淡豆豉 蘆根 淡竹葉 桔梗 牛蒡子 生甘草
桑菊飲 辛涼軽剤
桑葉 菊花 薄荷 桔梗 杏仁 連翹 蘆根 炙甘草
涼寒薬が主体ですね。効能はほぼ同じなのですが、平剤と軽剤の意味は、日本語的感覚からは離れますが、前者のほうが作用が強いと言う意味です。桑菊飲は小児科で用いられる辛涼解表方剤です。
さて、上記した生薬を現代中薬学にしたがって分類し、抗ウイルス作用が報告されているものにアンダーラインを引いてみましょう。
辛温解表薬 ?芥
辛涼解表薬 薄荷 牛蒡子 桑葉 菊花 淡豆豉
清熱解毒薬 金銀花 連翹 蘆根 淡竹葉
止咳化痰薬 桔梗 杏仁
生甘草は清熱解毒に、炙甘草は補中益気 潤肺化痰 諸薬調和に働きます。
続く
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こうしてみますと、前回のブログでの私の疑問が出てくるのです。
なぜインフルエンザに辛温解表方剤の麻黄湯が有効だということばかりが騒がれて、辛涼解表薬や清熱解毒薬を多用する治療法は省みられていないのかという疑問なのです。なにか傷寒学派と温病学派の争いのようですね。傷寒学派は、傷寒は全ての外感熱病の総称であり、温病を含むものであるから、六経弁証が厳然と存在する限り、傷寒論は大基本なのであるという考え方をします。温病への対策では、「傷寒論」中の陽明病証に準じれば温病は治りうると主張したのです。一方、温病学派の主張は、傷寒論は「寒に詳しく、温を略している」というものです。傷寒論中陽明病証の治療の内容は温病に転用は可能であるが、いわゆる温病的な証治がなされていなく不十分とするものです。西洋医学オンリーで育った医師は私も含めて、傷寒論に最初に接した時は、どうしても1対1の疾病モデルを脳裏に浮かべながら読み進めていくのです。それで、途中でモデルが浮かばなくなり、というよりあれもこれもと浮かぶようになり焦点がぼけてくるのです。それで、次に「温疫論」「温病学」を読むと、なんとなく脳裏に浮かぶ疾患が現代医学に近い感じがしますが、これもまた読み進めていくうちに焦点が定まらなくなってきます。片や日本の卑弥呼時代の中国後漢時代の理論であり、片や、病原体が特定できていない明代、清代の理論なのですから疾患別、臓器別、病原体別の診断治療で育った西洋医にとって、クリアーに理解できるものではありません。忍耐と寛容と何よりも先人にたいする尊敬の精神がなければ一通り読破することが不可能です。そういうわけで、日常の漢方診療でも、ある時は傷寒論、ある時は温病学、ある時は現代中国医学と西洋医学の混合と、どうしても都合よく利用させてもらうということになってしまいます。弁証にしても、ある時は、六経弁証、ある時は八綱弁証、臓腑弁証、三焦弁証、気血津液弁証、そして衛気営血弁証と、都合のよい弁証を選択するようになります。ご都合主義に近いのですが、これはこれで仕方がないことだと私は思うのです。なにしろ、はっきりしない分だけ奥が深いのです。
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