十全大補湯
十全大補湯(じゅうぜんだいほとう)の組成は、気虚に対しての四君子湯(人参 茯苓 白? 炙甘草)と血虚に対しての四物湯(熟地黄 当帰 白芍 川芎)これに補気助陽薬の黄耆と温里薬の肉桂を加えた計10薬の組成になっています。赤は温薬、緑は平薬、青は涼薬です。 温薬 : 涼薬=7:1 になります。温薬(体を温める生薬)の配合が多いので温補気血剤といわれ、気血両虚の虚症に用いられ、熱証には単独では使用しないという中国医学の伝統を前回お話しました。
補中益気湯
補中益気湯(ほちゅうえっきとう)は、元の時代に李東垣によって考案された方剤です。組成は、黄耆 人参 白? 炙甘草 柴胡 升麻 当帰 陳皮です。温熱寒涼の色分けは十全大補湯とおなじです。黄耆(おうぎ)が君薬(くんやく)とされる方剤です。君薬(くんやく)とは方剤の中でもっとも重要な役割を果たす生薬を指します。従って、補中益気湯は黄耆(おうぎ)が君薬で、それに補気剤である四君子湯(人参 茯苓 白? 炙甘草)から茯苓を除いたものに、活血養血剤である当帰(とうき)に、理気薬のうち温薬のひとつである陳皮(ちんぴ)と涼薬である柴胡(さいこ)と升麻(しょうま)を加えたものであると理解されます。
補中益気湯の効用
補中益気湯の作用は、中国では、胃腸を丈夫にする補中益気(ほちゅうえっき)作用、肛門脱出(脱肛)や子宮脱など中気下陷(ちゅうきかかん)の、いわゆる内臓下垂を改善する昇陽挙陥(しょうようきょかん)作用、気虚発熱(ききょはつねつ)を解熱させる甘温除大熱(かんおんじょたいねつ)の作用の3つと言われています。補中益気湯における甘温除大熱の意味は、君薬である黄耆と、同じく甘温剤である人参、白?で気虚発熱を解熱することを指します。
気虚発熱とは?
そもそも、補中益気湯の考案者である元の時代の李東垣(元)は著書“脾胃論”の中で、疲れすぎの際の発熱の病理として、命門の火と元気は不両立(両雄相たたず)であり、勝即一負の原則(片方が弱ると片方が勝る)を展開し、疲れすぎで元気が衰えると、その分、命門の火(中医学が想定する生命を維持する火)が強くなり、気虚発熱の原因となると説きました。これは、現代中国医学からすれば、やや「こじつけ」的な理論であるようです。現代では、肉体疲労が重なったり、飲食の不摂生によって脾気虚(ひききょ)が生じると、その結果、津液(しんえき)(体液と考えていいでしょう)が生成不足になり、陽気(ようき)を制御する陰(いん)に属する津液の不足によって、陽気が外表に広がって発熱をきたすとする説と、脾気が弱ると清陽不升(せいようふしょう)といい、陽気が上昇できなくなり、郁滞(うったい)する結果、やがては発熱をきたすという説が有力です。
柴胡(さいこ)と升麻(しょうま)の役割
柴胡と升麻はそれ自体が涼薬です。加えて大切な中医学的な作用があります。
昇挙陽気(しょうきょようき)といい、郁滞した陽気を動かして引っ張りあげて発散させるという働きです。方剤の学問のなかで引経使薬(いんけいしやく)という役割を果たしています。黄耆にも昇挙陽気作用があります。
婦人科領域での補中益気湯の使い方
気虚タイプの月経過多症やだらだらと生理が止まらない経期延長などに有効です。子宮脱の傾向がある場合にも有効です。
また、どうしても太れないやせすぎの女性で、虚弱体質で手足がだるく、疲れやすく、自汗の傾向があり、胃下垂や脱肛などの中気下陷があり、 暖かい飲み物を飲むと具合が良くなる(これを喜熱飲と漢方用語でいいます)の虚症の婦人に有効です。
十全大補湯と補中益気湯のがん治療現場での使い方
人参 霊芝 黄耆 甘草 大棗 などの補気剤には非特異的に免疫能を高めることが知られています。漢方方剤で、補気剤を含むもので、実際にガンの治療現場で使用されているものは、四君子湯、六君子湯、補中益気湯、十全大補湯などです。活血補血剤としては四物湯(しもつとう)が代表です。これらは、すでに、各製薬会社がエキス剤として、もう既製品が出来上がっているので現代日本では、使いやすいという利点があります。おのおのの方剤を使った動物実験の成績を総合すると、ガン細胞を見つけるとガン細胞を非特異的に殺傷するナチュラルキラー細胞の活性化、侵入してきた細菌や異物を食べてしまうマクロファージの活性化、さらにマクロファージからガン細胞への情報を受け取るT-リンパ球の活性化などのネットワークを介してガン組織の増殖腫大防止、転移の抑制などに働いていることがおぼろげながらに判明してきました。なぜ、「おぼろげながら」と申し上げるかというと、次のような私個人の印象があり、西洋医学的な突破口(ブレイクスルー)を見出すことが「方剤」の基礎研究では大変難しいからです。
加えて、現実の中国の腫瘤科(ガン治療科)で使用される漢方生薬の種類は非常に多く、十全大補湯や補中益気湯をそのまま使っているところなどは皆無です。
漢方方剤を基礎科学的に分析することは、ある意味で不可能に近い?
検証不可能な体系は、検証が不可能な意味で、厳しい批判にさらされません。 悪く言えば、世の中で長続きがするともいえます。しかし、裏を返して、長続きしている体系は、それだけ信頼性があるということにもなりえます。たとえば漢方の方剤のようなものです。
方剤(ほうざい)とは複数の生薬を組み合わせたものです。例を挙げれば、10種類の生薬を組み合わせた十全大補湯、8種類の生薬を組み合わせた補中益気湯などのようなものです。
まず、おのおのの生薬を個別に分析していく基礎研究を想定してみますと、、
実験には必ずコントロールスダデイを必要とします。ある物質を与えた群を実験群とすれば、その物質の濃度別、時期別の実験が最低限必要となります。次に、その物質を与えない実験系を同じスケジュールで行わなくてはなりません。
つまり、物質Aの、ある実験系での効果を見るためには、どう少なく見積もっても、コントロール群も含めて、5つ以上ぐらいの実験が必要です。ところが、1つの漢方生薬には、未知の成分も含めると数種類以上の成分が含まれます。従って、単一の生薬の薬効がどの成分に由来するのかを確認、証明していくためには、5の5乗=3125ぐらいの実験が必要になってきます。
さらに、生薬の成分を熱水抽出した場合、アルコール抽出した場合、有機溶剤抽出した場合、さらには、香りの成分や,生薬の様々な処理、たとえば塩や蜂蜜や、その他の様々な前処理まで考えてくると、たった一つの生薬の成分分析と薬効の検定と確証には、一人の研究者が一生かけても終わらないほどの膨大な実験が必要になってきます。
次に方剤の基礎研究を想定してみますと、、
さらに、漢方生薬を数種類組み合わせた方剤の研究と言うことになると、どの物質が、どの物質と共同、相乗、或いは干渉、競合しあいながら、作用を示すのかなどの確認、証明の確立には、天文学的な実験が必要になってきます。つまり基礎実験による方剤(ほうざい)の完全解明は、近い将来には、事実上不可能に近い感じがします。
西洋医学と中国医学の本質的な違い
西洋医学は基礎的な実験に基づく証拠(エビデンス)のブロック(積み木)の上に築かれた学問体系です。臨床応用は、ある分野のブロックが一定の高さまでに達してから行われます。
中国医学は経験医学であり数千年の、いわば人体実験の上に築かれた学問体系です。臨床実験が先にあり、何故この生薬の組み合わせが、ある患者に有効であるにもかかわらず、別な症例には無効であったのかの理論付けは後からついてくるといっても過言ではないのです。
混乱と誤解と懐疑は避けられないが、、
この違いを素直に容認しないと、デジタル思考で固められた西洋医学者は、中国医学を学んでいく過程で「統合失調症」のような不可解な頭脳の混乱を感じ始めます。
しかし、苦しみながらも学んでいくにつれ、人間の頭脳の持っている「面白さ」も感じ始めます。つまり、アナログ思考が可能になってくることを感じ始めるのです。瞬間的にある時点で「悟り」に近いビジュアルな感覚を持つらしいのです。私が教えをいただいた上海の老先生方は、一様にそうおっしゃいます。「悟りに近いかな?」とおっしゃるのです。最初は中医学大学で伝統医学を学び、次に西洋医学を学び、最後にまた伝統医学に回帰したという老師も多いのです。
経験は貴重な科学的なエビデンスであると認めなくてはならない
西洋医が忙しい日常臨床で処方する薬剤などは、特に悩み苦しんで処方したものでないことは自分の経験から断言できそうです。病名と保険適応が一致していることがまず大原則であり、処方箋を見て、その処方を行った医師の優劣などは一般的には、推し量れないものです。医学部卒後15年もすれば、内科系の場合、教授も助手も、研究生も処方に大差は無いといっても過言ではありません。
ところが、中国の医療現場で感じたことは、研修医、研究生、院生、助手、講師、助教授、教授、名老中医師の処方の内容にそれぞれ違いがあります。なぜこの薬剤を加味したのか?あるいは、なぜこの薬剤を除いたのか?絶えずその疑問に直面し、お互いに討論しあいます。
共通して言えることは、どんな階級の医師であろうと、経験豊富な中医学の老師を、その経験の豊富さ故に尊敬していることです。その意味で、中国伝統医学は、改革解放前は徒弟制度的な色合いが強かったことは事実です。しかし、近代中国になっても、経験を科学的なエビデンスであると素直に受容する医師の姿勢に変わりはないといえます。
実験で確かめられなければ、科学的なエビデンスで無いとする西洋医学的な手法で中国医学の城を落城させようと意気込んで中国に乗り込んで行く欧米人が多数いますが、ほとんどの研究者が数十かそこらの実験で迷路に立ちすくんでしまうのも現実です。 なぜなら、、
方剤の妙(薬剤の組み合わせ理論)はあくまで独自の言語体系の上の基本哲学を具現したもので、現実の臨床は、基本哲学をはるかに越えた、変化に富んでいます。それが原因で、欧米人は戸惑ってしまいます。 お互いの情報を交換し合うことが、今後ますます重要なことになってくるのは事実なのですが、何千年の間に築き上げられた独自の理論を語る「単語(用語)」を共有することが難しいのです。
たとえば、
補中益気丸の英語訳はBuzhong Yiqi Wanそのままであり、気虚発熱はfever due to Deficiency of Qiです。それでは気(Qi)とは何かといえば、the invisible basic substance that forms the universe and produces everything in the world through its movement and changesという具合です。これでは、混乱するのは当たり前なのです。
続く
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