異国舩騒動の第四ページ『上の写真の五行目以降』
解読
仍之申越候。恐々謹言。
大森十郎兵衛
八月十四日未下刻
西川松蔵殿
読み方
これによって申し越し候。 恐々謹言『きょうきょうきんげん』
大森十郎兵衛『じゅうろべえ』
八月十四日未『ひつじ』下刻『げこく』
西川松蔵殿
解説 この五行目は読むのは困難です。 「仍之」・・・これによって。覚え込むよりほかありません。 「申越」・・・これも困難です。 「越」の下の点が「候」。 その次の『乙』のような崩しは「恐」。その次は「々」。 最後は「謹言」。 「恐々謹言」又は「恐惶謹言」とは、手紙の終わりの挨拶言葉で、「恐れながら、謹んで言います。」『恐れながら謹んで申し上げます。』 はじめの文書の日付が八月十五日で、最後のページの日付が八月十四日になっていて、つじつまが合いません。ある時代の人がコピーするときなどに、順番が前後したのかも知れません。三つの文書とも、水崎沖に異国舩風の舟が現れて、どこの浦へ漂着するか分からないので、気をつけるようにとの郡役所から、尾鷲組他各組の役人宛に出した警戒警報のようなものです。時は寛政二年、一七九0年、今から二百二十一年前の話です。第七章はこれにて終了します。