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ガジェットがいっぱい。

私が気になる「ガジェット」をチェック!オブジェクトの種類は問いません。気になる物は、手当たり次第にピックアップします。

雑感2015/06/27

2015-06-27 05:51:15 | diary
えー、お題の「雑感2015/06/27」です。

ここの所、色々ありました。

1、MacBook Pro壊れる。

ブログにも書きましたが、よせばいいのにMacにWindowsを入れようとしたばっかりに、
熱暴走して壊れました。
Appleに修理を出すことも考えたのですが、おおよそ8万円くらいかかりそうだったので、
結局、MacBook Airを購入することにしました。

2、トイレ壊れる。

自宅アパートのトイレが壊れました。
これは、アパートの水道メーターの切り替え工事のため、工事していたのですが、
工事終了後通水すると、トイレのフラッシュバルブ上部から水が漏れたので、
大家さんに連絡すると、工事業者さんが来て、直してもらったのですが、
一つ直すと、別の所から水が漏れて、またそこを直すと水が漏れて、というのを、
4つほど繰り返し、結局、給水の配管から便器の入り口までの器具を総取り替えになりました。
半日トイレが使えなくて、膀胱がパンパンになりました。

3、胃がん検診で要精密検査の診断が出た。

5月の末に町の健康診断でバリウム検査をしたのですが、そこで異常が見つかったようで、
精密検査を受けなければならなくなりました。
最悪の場合は胃がんになるかもですが、思い当たる節としては、私の場合ストレスですぐに胃が痛くなり、
今も通院している精神科で胃薬を処方してもらっています。
多分、胃が荒れているのかもしれません。
来週の月曜日に精密検査を受けに隣町の総合病院に診察を受けに行きます。
気が重いです。

まあ、悪いことがあると、その後良いことがある、と考えて、ポジティブにいきます。

私にとっていいことってなんなんでしょうね。
さしあたっては、今やってるプロジェクトが成功して収入のメドがつくことと、
パートナーが見つかることかなぁ。

うまくいきますように。

ではでは。

2015年5月雑感

2015-05-28 06:00:30 | diary
えー、お題の「2015年5月雑感」です。

今回から、月の終わりに1ヶ月の雑感を書いていきたいと思います。

今月の作業進捗について

今月は急に気温の上昇があった為、少し体調を崩してしまいました。
ほぼ月の半分は静養していました。
なので、アプリ開発の作業が捗らない状態になりました。

来月は、今よりももっと暑くなる予想なので、多分体調が好調とは言い難くなりそうです。
作業時間が午前中のみになりそうです。

まずは以前から構想していた、アプリの仕様書を少しずつ書いていく予定にしています。
詳細はまだ公開できませんが、アプリ開発の為に簿記2級レベルの知識が必要である事が判明し、
現在、その学習をしています。

多分少しずつやる事になるので、簿記3級の参考書はひと通り読んだのですが、
まだ理解が少し拙いので、その復習と、簿記2級の参考書の熟読をしようと思います。

私の場合、基本的にはソフトウェア開発業なので、工業簿記の知識も必要になります。
簿記の基本は商業簿記ですが、開発にかかる費用の算定に工業簿記の知識が必須なので、
それもアプリ開発と並行して行う予定です。

次に今月の資金繰りがなんとか、ギリギリの線で予実がトントンになりました。
まぁ、一人で全部やってるので、自分自身の生活を切り詰めて、(特に食費と水道光熱費の節約)
なんとかやりきる事が出来ました。

来月からは少しずつ貯金を貯めようと考えています。
本格的にやりだすと、サーバー運営費も捻出しないといけないので、
綱渡りが続きそうです。

その前にサーバーを一台準備しないといけないので、その予算を来年の夏頃までに作る予定です。
その為の貯金がしばらく続きそうです。

食料品の原価も高騰しているので、自炊はしてますが、結構これもカツカツです。
因みに、水道光熱費の節約の為、汚い話で恐縮ですが、風呂は週に2回と決めています。
私の場合、活動量が少ないので(ほぼパソコンの前で座って作業する事から)
今の所は臭くないレベルの状態です。

これから暑くなるとどうなるかはわかりません。
水道光熱費の上昇が懸念されます。

来月もギリギリかもですね。

果たして生き残れるのか、生き残れるといいなぁ。

ではでは。

英語の夢

2015-04-27 05:49:48 | diary
えー、お題の「英語の夢」です。

今回も英語教材の音声を聴きながら寝たら、英語の夢を見ました。

そこでは亡くなった父と、私が英語で会話していました。
父も私も若く、亡くなる前の年齢でした。

私の父は普通体型でしたが、筋肉質で腕っ節だけは強かったのです。

その父に、英語で説教をされながら、脇の下をげんこつで押されるという、
大変痛いお仕置きをされた夢を見ました。

あまりに痛かったので、つい日本語で「痛い痛い」と言っていたら、
さらに強くグリグリと押してきました。

そこで、私は目が覚めました。

これは英語をサボってることに怒ってるのかな、とか思ってます。

ということで、今週から参加できそうなアクティビティに顔を出そうかと思っています。

Cyprisの皆さん、お手柔らかにお願いしますね。

ではでは。

英語漬け

2015-04-25 05:41:33 | diary
えー、お題の「英語漬け」です。

先ほどまで寝ていて、久しぶりに英語の夢を見ました。

実は最近、英語から遠ざかっていました。
これは本業がだんだんと忙しくなったのが主な原因なのですが、
最近まで、英語のリスニングを暫くしていなかったので、少し英語を忘れていたり、
これって、英語でなんていうんだっけ、とかこの単語はなんていう意味だったっけ、
などなど、英語を忘れかけていました。

で、これではイカンと思って、昨夜から寝る前にiPhoneで英語のリスニング、というか
睡眠学習を始めました。

教材はDUO Selectです。私は英語の語彙を増やすために以前、ネットの知り合いから勧められた、
DUO SelectのCDをiTunesにライブラリ登録していて、それをiPhoneに転送して、
夜寝る前に聴いていました。

暫くして英語の夢を見るようになり、なんとなく単語のフレーズだけは耳に残るというレベルにまでなったのでした。
しかし、聴いていたCDは英語オンリーの復習編というものだけだったので、日本語の意味がよく解っていません。

そこで、昨夜からは日本語訳付きの英語音声CDを収録した練習編というものを聴き始めました。
まだ、昨日の今日なので、効果のほどは未定ですが、英語の夢を見るようになりました。
これは良い兆候です。

最近、Second LifeのCypris Chatにも参加していない、というかSecond Lifeにログオンすらしていないという、
日々のやることが多すぎて、サボっていたので、そろそろ都合の良い時間にCypris Chatに参加してみようかと、
考えています。でも、夜は疲れてしまって、早めに寝てしまっているので、早朝にというか、
朝ご飯前の英語のアクティビティが無いものかと思っていたりして、またちょっと色々と企んでみたいと思ってます。

やっぱり言い出しっぺがやることになるのかなぁ。
誰か、日本語と英語の出来るオブザーバーが欲しいです。

もし、これをご覧の方で英語を早朝に勉強してみようと思われる方は、コメント頂けるとありがたいです。

コメント来るのだろうか?

ではでは。

パートナー

2015-04-24 09:27:45 | diary
えー、お題の「パートナー」です。
今、私はパートナーを探しています。

それは人生の、とか、仕事の、とかが付くパートナーなんですが、
どちらも私といわゆるウマが合う人だったらいいなぁと思っています。

でも、ウマが合うかどうかは、実際に同じ時間を過ごしてみないとわかりませんよね。

こういうネットで知り合った人と、ウマが合うかは、
例えばオンラインでチャットしてみる、とか
メールでやりとりしてみる、とかやってみないと分からないじゃないですか。

確かに、こういったサイトでは、プロフィールを参考に、
その人のひととなりを思い描いてたりします。

でも、少しやり取りしてみて、なんかちがうな、とか思うことが
結構あって、フェードアウトしたりで、さらなる交流に繋がりません。

男同士だと、腹を割って話をしてみることが、結局、
お互いの事が理解出来るのが早かったりします。

でも、相手が異性だと、どうしても少しでも良く思われたい衝動に、
走りがちです。

しかし、私はもう、そんな事で貴重な時間を取られている時間が、
人様より思いっ切り少ないので、この日記に
色々と爆弾を投下していこうと思ってます。

もしかしたら、自爆する可能性が高いのですが、
プロフィールでは伝えたりない事を伝えられればいいと思いますので、
みなさまも、ご覚悟して下さい。

ではでは。

婚活サイト

2015-04-01 05:02:01 | diary
えー、お題の「婚活サイト」です。

実は半年前に、ある婚活サイトに入会し有料会員登録しました。

その時の広告の謳い文句が、「有料6ヶ月プラン(プレミアムオプション6ヶ月無料)」と書かれてあったので、
私は6ヶ月が無料で次の6ヶ月が有料と思い、入会したのですが、最初に6ヶ月分の料金の引き落としがありましたので、
その引き落とし分は6ヶ月後の分が先に引き落とされているんだ、と思っていました。

すると、突然3月30日に一通のメールが来ました。
その時は、身に覚えがない料金の引き落としのメールだったので、何の事だろうかと思って、
調べたらその婚活サイトの料金の請求だったのです。

私はそのメールに書かれている問い合わせ先の電話番号に電話をしました。
すると自動ガイダンスで20秒10円の課金が発生すると言われて、繋がるまで10分ほど待たされました。

そして繋がって呼び出し音に変わると、相手の方から電話を切られてしまいました。

私は、もう一度電話をしました。するとまた同じ対応をされました。
これは何かおかしい、と直感したので、その婚活サイトの連絡先として書いてあったメールアドレスに、
メールをしました。

そして、カード会社に電話をして、もしかしたら詐欺に引っかかったかもしれないので、
その支払いを停止してもらうように連絡しました。
するとカード会社はまだ請求がデータとしてカード会社に来ていないので、
請求が上がったらもう一度連絡してくださいと言われました。

そして昨日の3月31日にメールの返事が来ました。
そのメールには2014年10月1日に登録した、有料6ヶ月プラン(プレミアムオプション6ヶ月無料)が、
自動更新され発生したものである、との事でした。

昨年の10月1日から6ヶ月間という事は、今年の3月31日が最終日では無いか、と思ったので
これはますます怪しいと思いました。

そこで私は念のために昨日の31日の内に退会をしたのです。
そして、契約時の説明不足により退会しました、とのメールを出しました。
カード会社にはこちらから連絡します、との言葉を添えてです。

今は、相手のサイトからのメールの返事待ちです。

そして、念のために地元の消費者生活センターに通報しました。

今後どうなるか、また追い追い書いていきたいと思います。

ではでは。

2014年雑感

2014-12-31 06:44:00 | diary
えー、久しぶりの更新になります。
お題の「2014年雑感」です。

最近、色々とやることが多くて、ブログもまともに更新出来ていません。

今年は私が仕事を始めるための準備をしていました。

色々と考えた上での結論として、自分でアプリを開発して販売しようと決めました。

そのためのビジネスモデルを色々と考えていました。

まずは事業を行うなら、それが社会の役に立つものでないとなりません。

そこで、今年は色々なアンテナを立てて、情報収集を行っていました。

その中で、仮想通貨というものに出会いました。

もしかしたらニュースとかで耳にしたことがあるかもしれませんが、
Bitcoinという仮想通貨(正確に言うと暗号通貨です)がクローズアップされました。

このBitcoinは2008年に論文を書いたSatoshi Nakamotoという人のアイデアを、
いろんな人が協力してカタチにしたものです。

2009年にリリースされました。

私はその時点ではBitcoinについてまったく何も知りませんでした。

ネットで話題になり始めたのが今年だったので、確か今年の始め頃その名前を知りました。

今年の2月の終わり頃に、Bitcoinを現実通貨と交換する取引所のMt.GOXが、
サイバー攻撃に会い、保有していたBitcoinの大部分を盗まれたという事件が起こりました。

このMt.GOXという暗号通貨取引所は、日本の東京にあり、当時世界最大のBitcoinを取り扱っていました。

当時のレートで、とてつもない金額のBitcoinを盗まれて、顧客に返すことが出来なくなり、
結局会社は自己破産をすることになりました。

このBitcoinは現在でも積極的に取引されています。

ただ、投資では無く、投機目的の取引となっていて、多分来年はまた色々と暗号通貨が出てくるものと思われます。

現時点では自己責任の世界なのです。

Bitcoin自体、管理者も発行者もいません。正確に言うとユーザーが発行者であり管理者でもあるのです。

今後もBitcoinは色々ありながらも続くと思われます。

現時点でBitcoinは色々な問題を抱えています。

しかし、これから多分バージョンアップもされると思いますので、いろんな問題を解決して、
暗号通貨の基軸通貨になることはほぼ間違い無いでしょう。

これから色々と出てくる仮想通貨は結局Bitcoinと取引する事により、その価値をつけるものと考えられます。

そこで、私は、新しい仮想通貨(暗号通貨)を作ろうと考えています。

現時点ではまだ公開できる情報はありませんが、暗号通貨とそれを取り巻くアプリを作って販売しようと計画しています。

一応リリース予定は来年中に予定していますが、作業の進捗状況によっては、もう少し遅れるかもしれません。

その為に、一人では出来ないので、仲間をインターネットで募ろうと考えています。

もし、このブログを見て興味を持たれた方は、コメント頂くか、Twitterにメッセージ下さい。

さて、何人ほど集まるかなぁ。

ではでは。

体質改善

2014-10-20 05:24:09 | diary
えー、お題の「体質改善」です。

私は現在、顔のニキビ痕に悩まされています。
元々脂性の私の肌は、ニキビが出来やすい体質みたいです。

それと、この約2年間ほど、ほぼ食事のメニューが同じという、とんでもない状態で体重を落としてきました。

体重は確かにかなり落ちました。
私の身長が167cmで体重が以前は69kgありました。現在の体重は朝は53.7kg、夜は54.7kgぐらいです。

しかし、ちょっと汚い話で恐縮ですが、便秘に悩まされています。

かなり固いものがコロコロと出てしまうのです。

以前は割とまっすぐなものが出てました。
しかし、ダイエットを始めてから、半月ほどで便秘になったのでした。

多分、無理なダイエットの弊害なんでしょうね。

そこで、本日から食生活の見直しにはいります。

まずは腸内環境の改善のため、パン食を辞めようと思います。
これまで、朝食はトーストと目玉焼きでしたが、朝食に果物を取る様にしようと考えています。

予定ではバナナとリンゴとヨーグルトを取る様にしようと思っています。

実は今日は20日で私の家の近くのスーパーがイオンになったので、5%オフの日なのです。

なので、今日買い物に行く日なので、以前に体調が良かった頃のメニューを実験で暫くやってみようと思います。

基本的には予算が決まっていますので、その予算内で出来る事からやって行く予定です。

昼食は納豆を食べる様にしようと思っています。

実は私は納豆が苦手です。
しかし、腸には良い食べ物であると伝え聞いたので、明日から、納豆を食べてみようと思います。

さて、どれくらい効果があるのか、人体実験を私の体でやってみます。

体重はこれ以上落とすと逆に体に悪いので、今の状態をキープしつつ、手軽に続けられる方法を模索してみます。

治るのか、治るといいなぁ。

ではでは。

はじめてのBASIC

2014-10-15 06:51:29 | diary
えー、お題の「はじめてのBASIC」です。

高校入学祝いとして、パソコンを買ってもらった私は、まずはパソコンでゲームをしたくて、
パソコン雑誌のプログラムリストをパソコンに入力する事から始めました。

コンピューターはソフトウェアが無ければ、ただの箱です。

当時のパソコンはBASICという言語を使って、プログラミングする事によって、
はじめてソフトウェアが使えるのでした。

プログラミングは全くの初心者だった私が、はじめてプログラミングを覚えたのは、
ただただパソコンでゲームがやりたい、という動機だけでした。

当時、パソコンは「マイコン」と呼ばれていました。
マイコンとは、マイコンピューターの略とか、マイクロコンピューターの略とか言われていました。

私の持っていたマイコンは本体のエンブレムにしっかりとパーソナルコンピューターと刻印されていました。
でも、ユーザーはほぼマイコンと呼んでいました。

そのマイコンにBASIC言語で書かれたプログラムリストを入力するのがまた一苦労で、
まずはキーボードの使い方を覚える事から始まり、行番号を入力してスペースキーで1文字分スペースを入力し、
命令や定数、変数の定義を行い、1行の終わりにリターンキーを入力して、
ようやくプログラムの1行が入力出来るというものでした。

1行に入力出来る文字数も決まっており、その文字数を1文字でも超える場合、
エラーになってプログラムが動かないというものすごく使いにくいものでした。

今で言うエディターというアプリケーションもまずはBASICで作ってそれを実行する事で、
はじめてマシン語が入力出来るという、本当に初心者泣かせのシロモノでした。

そして、当時はフロッピーディスクがありませんでしたので、プログラムを外部記憶に保存しないと、
電源を切ったら、それまでの入力したものが消えてしまうのです。

当時の外部記憶はなんとオーディオカセットテープでした。

それをデータレコーダーというカセットデッキにパソコンをつないで録音する事で、
データを保存する事が出来たのです。

データ保存にもコツがあり、音声入力レベルが少しでも違うと、読み込めないという、
これまたとんでもないものでした。

とにかく、一つ何かをしようとすると、それをやるために覚える事が山の様にあって、
よほど根気がないと、パソコンでソフトウェアを動かす事が出来ないのでした。

かくいう私も、何度も挫折しそうになりながら、一つづつステップを進めて、自分のレベルを上げるのに必死でした。

なので、当時からパソコンをやっている人は、何かしらコンピューターに関わっていると思われます。
ただのユーザーがキーパンチャーでもあり、プログラマーでもあり、管理者でもあり、オペレーターでもあるのです。

本当にパソコンには苦労をさせられています。
それは未だに続いています。

それでも私はやっぱりパソコンが好きです。
思った様に動いた時の感動は、何者にも変えられません。

今は便利な世の中になりましたね。

ではでは。

パソコンとの出会い

2014-10-14 06:34:19 | diary
えー、お題の「パソコンとの出会い」です。

私とパソコンの出会いは中学校卒業後の春休みにさかのぼります。

私が工業高校を受験するにあたって、父と合格祝いについて相談した時に、
当時私は祭りの太鼓をやっていて、YMOの洗礼を受けた事もあり、
ドラムセットが欲しくてたまりませんでした。

そこで、私は高校受験合格と引き換えにドラムセットを買ってもらう事を父と約束しました。
もちろん貧乏な私の家では普通に約束したのでは、買ってもらう事は不可能でした。

私は策を練りました。
それは当時、父はアルコール依存症で、私に酒を買ってこさせるほどの状態でした。
父は酒を飲むと気が大きくなり、簡単に約束をするのでした。
私は高校受験合格の祝いにドラムセットを買ってもらう事の証文を取って指紋の捺印をさせて、
確証を取ったのです。

その証文は大事に取ってありました。

高校受験合格で、本当ならドラムセットを買ってもらう予定だったのですが、
合格後の春休みにいとこの住んでいる名古屋に遊びに行く事になりました。

そこで、初めてパソコンと出会うのです。
元々私はコンピューターに少し興味がありました。
あのYMOがシンセサイザーを制御するのにコンピューターを使っている事を知り、
コンピューターで音楽が出来るということを知識として知ったのです。

当時はNECから日本初のパソコンPC-8001が発売された事もあって、
パソコンというものがあることは知っていました。
ただ、実物を見た事も触った事もありませんでした。

まずは、いとこの家の近くの本屋でパソコンに関する情報を集めました。
そこで初めてパソコンはプログラミングをして使う事を知りました。

もちろんプログラミングなんてしたこともありません。
当時、いとこの家から自転車で30分ほど行った所に、家電量販店があり、
そこにパソコンが展示されているという事をいとこに教えてもらったのです。

私はそれを見たい、出来れば触ってみたいと思いました。
で、私はいとこと家電量販店に行って、NECのPC-6001を生まれて初めて見て、
それを触る事になったのでした。

私は、どうやってプログラミングするか全く解らない状態で、
本屋で買ったパソコン雑誌のプログラムリストとにらめっこして、
試行錯誤してプログラムを入力したのです。

が、素人の初心者がそれを実行する事は不可能でした。
なので、電器屋の店員さんに聞いてみる事にしました。

すると店員さんは、そんな事も知らないのにパソコンを動かそうとしている私を、
鼻で笑ってあしらったのです。

小心者の私は恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしてそこから逃げ出したのでした。

後で、いとこと叔母に「知ったかぶりするから恥をかくんだ」と何度も言われて笑い者にされて、
私はショックでその夜は布団の中で悔し泣きをしたのでした。

それから私の心に火がついて、「よし、それならやってやろうじゃないか」と思い、
島の家に帰ってから、父にドラムセットはいらないからパソコンを買ってくれと、
直談判したのです。

そこで、なんと父からOKをもらう事になりました。

当時、家が貧乏なのは痛いほど解っていました。
なのに、買ってもらえるなんて思ってもみなかったので、私は天にも昇る気持ちになりました。

それからはBASIC言語の勉強を独学で覚えました。
それがコンピューターのプログラミングとの出会いでした。

続きます。

ではでは。

進学の秋

2014-10-13 06:46:32 | diary
えー、お題の「進学の秋」です。

中学生になった私は、電子工学を学ぶ為に、高等専門学校の電子工学科に入る為に、
電子工作の勉強を始めました。

しかし、私は学校で習う主要5科目の成績が良くありませんでした。
特に英語と数学の成績が悪く、とても高等専門学校に進学する事は不可能に近い状態でした。

元々小学校で算数が苦手で、分数あたりから授業について行けていませんでした。

中学に入ると、英語と数学が授業で始まりました。
しかし、算数の基礎が出来ていない私は、数学の授業は始めからさっぱり解りませんでした。

しかし、公式を無理矢理覚えて、間違いながら勉強したのですが、
所詮付け焼き刃で、基礎が出来ていないので、授業はどんどん先に進み、
解らないままなんとなくやっていた、という悪循環に陥ったのです。

英語に関しては、始めの1学期はなんとかついて行けてたのですが、
2学期からは、さっぱり解りませんでした。

特に文法用語が出てから、英語が苦手になったのです。

国語は漢字の読みは出来るが、難しい漢字は書けないというこれまた、
「アホ」確定でした。

主要5科目のうち、好きだったのは理科と社会だけでした。
あとは技術家庭科と美術と音楽は好きな科目でした。

好きと出来るは違っていて、理科と社会も、得意と不得意がはっきりと分かれるという、
基礎学力がやはり全然足りないのです。

中学2年になった私は進学を決める基礎考査を受けました。
いわゆる模擬テストってやつです。

そのテストの成績では高等専門学校への進学は不可能である事が判明したのです。

そこで私の学力でなんとか入れる学校を調べると、工業高校の一番簡単な学科か、
商業高校のやはり一番簡単な学科しかありませんでした。

私は卒業したらなるべく早く就職したかったので、自分のやりたい事をやるには、
工業高校の一番簡単な学科を第一志望にして、それがダメなら職業訓練校に進む事にしたのです。

職業訓練校を出ただけでは中卒での就職となります。

私は必死で受験勉強を解らないままやっていました。
とにかく得意な部分だけでも重点的に勉強するという方法で、テスト対策の為の勉強をしていました。

そして、高校入試を受けました。
結果は運良く合格したのです。
こんな「アホ」でも高校に進学出来たのです。

続きます。

ではでは。

YMOの秋

2014-10-12 06:37:48 | diary
えー、お題の「YMOの秋」です。

秋祭りが終わって、私はさとしくんのお兄さんから、YMOのアルバムを録音したテープを、
はじめて聴かされて、カルチャーショックを受けたのが、やはり秋でした。

それ以来私はYMOにハマることになるのです。

私とさとしくんで、即席のセッションをしたりもしました。
私の家に、建て替えでいらなくなった学校の備品の壊れたオルガンがあって、
さとしくんはボウルに紙を貼って輪ゴムで止めただけのドラムを作り、
さとしくんがドラム役をやり、私がキーボード役をやって、
YMOの曲をコピーするという遊びをやっていました。

もちろん小学生の遊びですから、2人とも演奏は下手です。
さとしくんはドラムに夢中になると、ついつい力が入って、紙を破りました。

そして私は、音が出ないキーを弾くとその音を口まねして、2人して大笑いしたのでした。

それ以来中学を卒業するまで、2人してYMOの即席コピーバンドを自己流でやっていたのです。

自己流ですから、弾き方なんて、もうめちゃくちゃです。

誰に習うとも無く弾いていたので、耳コピで同じ音を押して行くというだけの、キーボード奏者でした。
なので、演奏法もなにもあったもんじゃないのです。

当然、全然上手くなりませんでした。

それでも私はシンセサイザーが欲しいと強く思う様になり、雑誌に載っているシンセサイザーの写真を切り取って、
チラシの裏に貼付けては、自分だけのスクラップブックを作っていたのでした。

そして中学生になる頃には、自分の進路について色々と考える様になりました。

私はこの貧乏な家から早く独立したいと強く思う様になり、将来は手に職を付けたいと考える様になりました。

そこで、昔からの夢である、ロボットを作りたいと思う様になり、電子工学を学びたいと思う様になったのです。

当時、県内で電子工学を教えていたのは、県立の高等専門学校でした。
そこは私にとっては、とてつもなく難しい学校だったのです。

でも小学校の頃にはそこに行きたいと父に言ってました。
父は好きな様にしたらええ、と言ってくれました。

中学になると私は、電子工作の通信学習を始める事になりました。
そこでは、インターホンを作るキットと工具、教本をセットにして販売されていたものを、
父に言って買ってもらう事になりました。

その頃から私は家電製品を分解しては組み立てるという趣味を持つ様になったのです。
半田ごてをはじめて握ったのも中学1年生の頃でした。

続きます。

ではでは。

祭りの秋

2014-10-11 06:28:17 | diary
えー、お題の「祭りの秋」です。

私が転校してから、けいちゃんと友達になりました。

それから暫くして、もう1人友達が出来ました。

私が小学4年の終わり頃、家から歩いて10分ぐらいの所にある、
さとしくんという男の子と知り合いになりました。

さとしくんは今で言う所の自閉症の子で、始めはちょっと変わった子かなぁ、
というくらいの子でした。
基本的には無口で、自分の好きな事には一生懸命になるのですが、
興味の無い事は一切目もくれない子でした。

きっかけは小学校の近所にある駄菓子屋で、そこで飼われている犬をかまっている、
さとしくんをはじめて見た頃から、何となく話す様になり、
私も犬が好きだったので、その犬がきっかけで仲良くなりました。

家が近かった、といっても歩いて10分の所ですから、当時としてはちょっとした散歩ぐらいの感覚で、
さとしくんの家に遊びに行ったり、家へさとしくんが遊びに来たりする仲になりました。

そこで、さとしくんのお兄さんとも知り合いになり、そのお兄さんが漫画を描くのが上手で、
その漫画を楽しみにしていたのです。

そして、半年が過ぎた頃、秋祭りの準備の為に私はさとしくんのお父さんに、
太鼓の叩き方を教わる事になったのが、きっかけで、家族ぐるみの付き合いになったのでした。

私は当時、本当に小柄で、ひ弱な子供でした。
その私がハマったのが祭りの太鼓のたたき役になったことでした。

実は祭りの時に太鼓台が出るのですが、そこには子供が2人載って叩く事になっていました。
体が小柄だった私はさとしくんとペアで太鼓台に載る事になったのです。

それからというもの、太鼓の練習に足しげくさとしくんの家に通って、
さとしくんのお父さんやお兄さんから太鼓の叩き方を習って、
家でも練習していたのです。

その地域では、小学4年になると、祭りの太鼓台を引くのに、子供がかり出されるのでした。
そこで、太鼓台を引く役と太鼓を叩く役に分けられて、私は太鼓を叩く役になったのです。

私は手にマメを作ってそれをつぶしても、太鼓の練習をやめませんでした。
それくらいハマっていたのです。

おかげでかなり上達しました。
こんなに一つの事に夢中になったのははじめてでした。

祭りの楽しみは実はもう一つあります。
それは祭りのお花というおひねりを地域の人からもらって、祭りが終わるとそれを
子供たちで分け合って、お小遣いになるという夢の様な時間が待っていたのでした。

私は、太鼓を叩いたので、普通の子よりも、多くそのお花を頂く事が出来たのでした。

好きなことをやってお金をもらえるなんて、なんて素晴らしいんだろうと、非常に感激したのを覚えています。

それ以来、毎年秋祭りになると私は太鼓の叩き手になったのでした。

続きます。

ではでは。

転校の秋

2014-10-10 07:12:31 | diary
えー、お題の「転校の秋」です。

小学4年の秋に転校してから、私はいじめられました。

島には小学校と中学校がありますが、そのクラスは1学年1クラスしかなく、
結局いじめは約6年間続く事になりました。

一番最初のきっかけは、私が転校生だからという理由でした。
転校して最初の1週間は、以前にクラスにいた子が1人転校して行った事から、
私は歓迎されました。

しかし、その頃の私は人見知りが激しく、少しなじめませんでした。
そして、1週間が過ぎた頃、上級生の1人が私をいじめのターゲットにしたのです。

理由は私が転校生だからという事でした。

実は、その上級生は元々東京に住んでいて、家庭の事情で祖母のいるこの香川県の島に転校して来たのです。
で、その上級生はクラスで浮いていて、いじめられていたということらしいのです。
上級生は、私が転校して来た事を知ると、腕力にものを言わせて私をいじめ始めました。

私が嫌がるのを無視して、無理矢理翌日から「朝、俺を迎えに来い」と私に強要したのです。
それから暫くの間、私は嫌々上級生を迎えに行くという役目を負うはめになったのです。

私が、嫌なそぶりをみせると、二言目には「言う事を聞かないとぶっとばす」と脅すのです。

当時私は非常に小柄で痩せていて、上級生は私より大柄で、腕力が強いのです。
性格もかなりのわがままで、自分の思い通りにならないと「ぶっとばす」というのが口癖なのです。

私はその勢いと脅しに屈したのです。

そして、一週間が過ぎた頃、ある事件が起こるのです。
それ以来私は、クラスメートからもいじめを受ける様になりました。
その日から私は、ひどいいじめに悩まされる事となりました。

もう、友達は出来ないと諦めていました。

しかし、ある男の子が、私に声をかけてくれたのです。
その子は、私の住む地区よりも4キロほど離れた漁港に住んでいました。

家から歩いて1時間ほどの場所にあるその子の家に遊びに行く事になりました。
それ以来、その子とは毎週日曜日に一緒に遊ぶ仲になったのです。

私は、その子を下の名前で「けいちゃん」と呼んで非常に仲良くなったのでした。
けいちゃんとは中学を卒業するまで、一番の仲良しになりました。

続きます。

ではでは。

音楽の秋

2014-10-09 06:38:53 | diary
えー、お題の「音楽の秋」です。

前回の続きです。

私はYMOのライディーンを聴いて、カルチャーショックを受けました。

シンセサイザーというコンピューターを使った楽器で、音楽が演奏出来るという事実を、
私はすぐには受け入れられませんでした。

だって、理屈がわからなかったからです。

私はコンピューターとシンセサイザーの関係を本屋で調べました。
すると、シンセサイザーという楽器はコンピューターによって音を作って、
それを元に曲を奏でる事が出来るというものでした。

私はシンセサイザーが欲しいと思いました。

そこで、音楽雑誌で調べてみるととてつもなく高価なものである事を知り、
これは将来の夢にしようと考えたのです。

コンピューターが音を作る仕組みは、当時の私にとっては、非常に難しく、
しかしとてもワクワクするものでした。

これはコンピューターを勉強してみたいと思う動機付けの元になったのです。

元々私は子供の頃から電車や飛行機といった乗り物が好きで、
テレビのロボットアニメの影響を受けて、メカニックなものがますます好きになったのでした。

小学生の頃に文集に、私は大人になったらロボットを作ってみたいと書きました。

ロボットを制御するのにコンピューターを使うということも当時のアニメの知識で、
何となく知っていたというレベルでした。

その頃から、漠然とコンピューターに対して、憧れの様なものを抱いていたのです。

私はYMOの曲を聴いてから、コンピューターの無限の可能性にどんどんと惹かれて行ったのです。

私は小学5年生の頃、島の秋祭りで太鼓を叩く事になりました。
それから、練習して、なんとか本番までにそれなりに叩ける様になりました。

それ以来、暇があったら、自分の手で自分の体を叩く事によって、リズムを刻む様になりました。

実は私は子供の頃から音楽が好きで聴くのも歌うのも好きだったのです。

小学4年生の時に両親が離婚して、大阪から香川県の父の実家の島に引っ越してからも、
つらい事があった時など、お気に入りの歌を歌って発散していたのです。

歌を歌ってる時はつらい事も忘れさせてくれていたのでした。

転校して早々に私はいじめられる事になりました。
それ以来、つらくなると島の家から歩いてすぐにある近くの海岸で歌を歌っていたのです。

続きます。

ではでは。