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NHK・BSプレミアムの今月のBSシネマを見た感想

新型ウィルス緊急事態宣言、一部解除へ!チョット減ったら解除。それでエエンか?
種火残して解除、これでは消火完了・完全鎮火とはならない!なかなか鎮火しない足利の山火事を見ても分かる道理だ。種火を残したままでは結局延焼するばかりなのだ。
このままでは、オリンピックの最中に感染のピークがくる可能性もある。それでエエンか?そうなれば下手すれば日本の国際的信用が地に堕ちるであろう。

新型ウィルス禍の中でのオリパラ開催は、そのための必要十分条件を明示して、それに対して感染対策の戦略を構築するべきではないか。そのための十分条件は先ずは、この度成功したテニス全豪オープンでの開催条件ではないか。
だが全豪オープンの経済収支は、既に分っているだけでも“1億オーストラリアドル(約83億円)以上の歴史的な損失”を出しているという。漫然としたオリパラ開催は、とてつもない財政負担を強いられる可能性が大きい。
それに、大会開催のマネジメントだけが問題なのではない。開催地での感染状況そのものが問題となるはず。オーストラリアでは国内で1日当たり感染者数名だという。日本とは比較にならないほど少ない。そういう意味でも“緊急事態宣言、一部解除”している場合ではないのではないか。
それでは少なくとも世界が納得する必要条件は、どういうものなのか、それこそ大会組織委員会や政府が早々に示す必要があるのではないか。最早、それなしにオリパラ開催も、新型ウィルス感染対策もあるまい。両方満足させる戦略目標の決定が急がれるはずではないか。

その上で、新型ウィルス・ワクチンのオリパラ開催までの必要数が決められるはずだ。ところが、ワクチン担当相の示したワクチン確保数量は6月末までに65歳以上の全員接種可能だという。それは、世界が納得する必要条件となるのであろうか。若い人がキャリアで市中に大勢いる限り、外国人選手はオリパラ参加を拒否することは十分考えられる。だから、それでは安心安全な開催可能条件とはならないはずだ。
各担当の戦略目標に整合性が破綻しているようでは、オリパラ開催も新型ウィルス感染対策もアンダー・コントロールであるとは言えまい。これでは現代国家・日本とは言えまい。こうした統一された全体観なしで、“緊急事態宣言、一部解除”とは、中央政府・菅政権は一体何を考えているのだろうか。

各地の聖火リレーは実施の意味があるのか。人々が集まって見にくるなという、つまり密かに実施する聖火リレーは全く無意味なのではないか。その点において、島根県知事は理にかなった当然のことを言ったまでだ。それを“ケシカラン”とのたまわったのは島根県出身の妖怪のような国会議員。頭の中は蜘蛛の巣だらけ、何を考えているのか分からない。

こんな右往左往で訳も分からず、ぐずぐずしていて“新型ウィルス禍に打ち勝った日本”と言える状態に、6月中にできるのだろうか。
繰り返すが、漫然としたオリパラ開催は、超莫大な赤字を子々孫々にレガシーとして残すだけになる。それも世界的恥辱として。これでオリンピックそのものの開催意義は無くなってしまうのではないか。

だから経済に資するための“緊急事態宣言解除だ”というのか。経済のためならやっぱり中途半端の解除では返って犠牲が大きくなるだけではないのか。経済のためなら、補償金の用意が要る。それは無利子・無担保・長期の融資で済むことではないか。あくまでも供与ではなく融資だ。知り合いの事業者も無利子・無担保・長期なら融資で良いと言っていた。融資額決定は国税庁の過去の申告データで迅速に計算できるのではないか。何故、国税庁データを活用しないのか。この国の政府は不思議な無作為をする。

報道機関監視の総務省の会食接待スキャンダル。報道機関が及び腰の報道であってはならない。
本当に7万円1回きりなのか?ホントウは5千円くらいから始まって、果てしない回数の会食の挙句7万円に至ったと想像するのがシゼンではないのか。接待を受けた御当人の答弁は微妙だ。“確認した限りでは1回です。”だという。要するにバレたのが1回。確認できないほどの会食回数ではないのか。
それにもかかわらず、接待された側は“誰と会食したか記憶にない”と言い張る。それで接待した側は、どんな利得を得たのか。“政策が歪められたことはない”と総務省は主張する。
接待の時期と受けた役人の地位、接待金額のリストが存在するというが、それを見ると極めて戦略的な接待と見て取れるという。これでも検察は動かないのか。これが“法治国家”なのか。
“政策が歪められたことはない”がホントウなら、私企業側としては見返りのない費用・出費は問題とはならないのか。この会社、秋田県出身の創業者一族の同族会社。株主の監視は期待できない。そうか首相の地元、ズブズブ!忖度の利くリケン活用なのか!カオで長男を入社させ、高級官僚に忖度させた?!


さて、自宅に籠る生活からNHK・BSプレミアムのBSシネマを見る機会が増えた。そういえば、昨年はこのブログでもBSシネマを見て“ボディーガード”と“慕情”を紹介したことがある。

この番組のシリーズはCMがないし、編集カットも一切されていないuncensoredのようだ。だから番組の終わる時間は一定ではなく、映画はそのまま存分に楽しめる。余裕のあるNHKだからこそできることだ。
ところが最近、映画を見ると何故か涙もろくなって来ている。先週は、チャップリンの“街の灯City Lights”を見た。無声映画だったが、ラストシーンで涙があふれた。何ということのない、ちょっとした話だと思うのになぜなのだろうか。精神がかなり弱っているのだろうが、それに思い当たるフシはない。どういうことだろう。秋でもないのに・・・歳のせいか?そんなことのせいにはしたくないのだが・・・。やっぱりそれは、それだけの名作なのだろう。

そう言えばチャップリンの映画にヒットラーを茶化した“独裁者”というのがあった。現代では習近平を嘲る映画を作る気骨のある映画人は居ないのだろうか。
中国共産党政権はBBCの人権侵害報道をウソだと決めつけた。事実の検証を示さずに事実をウソだと断言する相手だ。ウソツキが相手を嘘つきだと言っても、反証を示さなければ信じられない。BBCの報道が事実なのだろう。
オリンピックは政治的に中立だという。中立であることが政治的ウソに寄与・貢献することになる危険性は高い。IOCは金には弱いのか。その姿勢を改めるべきだ。

そうだ思い出した、そのBSシネマで先週の火曜日は“南極物語”だった。見終わって、これも意味なく涙したのだが、その後フト我に返って、この映画の意味は何なのだろうと、余計な思いが沸き上がってしまった。話の筋は次の通り。

1956年(昭和31年)南極観測隊第1次越冬隊が、南極大陸へ赴いた。翌年2月、第2次越冬隊と引継ぎ交代するため再び砕氷機能のある巡視船“宗谷”*で南極大陸へ赴いたが、意外に長い悪天候のために南極への上陸、第2次越冬隊派遣断念を決定する。そこで、第1次越冬隊の樺太犬15頭を、無人となる昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。極寒の地に餌もなく残された15頭の犬の運命、犬係だった2人の越冬隊員(高倉健,渡瀬恒彦)の苦悩があった。そして1年後に再開された第3次越冬隊として昭和基地に戻って来た両隊員が、越冬して生き残った兄弟犬タロとジロに再会する。だが他の15頭は生存していないか行方不明だった。

*巡視船“宗谷”は実は元々オホーツク沿岸海域で流氷に対応する砕氷能力しかない船だった。これで本格的な南極海の砕氷には無理があった。

要は、南極観測の計画全体がかなりいい加減で、チョットの天候異変で断念せざるを得ない状態ではなかったのではないか、ということ。犬係だった2人の越冬隊員には事前に計画詳細を伝えなかったから、彼らは知らずに15頭の犬をばらばらにならないよう縛り付けたまま基地を離れてしまい、気付けば戻れないままとなった。それが遺棄された15頭の犬たちの悲劇となる。
巡視船“宗谷”の脆弱な能力で派遣したことに根本の問題があるが、それでも15頭の回収を念頭に置いた撤退計画は十分に考えられたはずだ。あるいは事態が悪くなるにつれて、決断が遅れ結局無理な行動となったこともあるのかも知れない。その場その場で“全力を果たした、遺棄は仕方がない”とは計画や決断のいい加減さを覆い隠す台詞ではないか。
氷海に閉じ込められた“宗谷”を救出に来た米砕氷艦の乗組員の日本の計画を聴いて日本チームへ放った台詞の“それはカミカゼ精神か”と言っていたのが印象に残る。正に、戦後まもなく旧軍的発想が未だ大手を振っていた時期の失敗エピソードなのだ。無理を重ねた作戦計画と遅い決断に、都合が悪くなれば弱者は切り捨てる、そんな悪癖が透けて見えるのだ。
これが後々に残る“美談”であろうか。いい加減な計画で犬たちは切り捨てられた、単なる動物虐待ではないのか。けなげな犬たちの生きざまが“美談”なのだろうか。犬係だった2人の越冬隊員の懊悩が“美談”なのだろうか。“感動モノ”と感じたから映画にしたのだろうが、結局のところ何が言いたいのか、よくわからない。亡くなった犬たちの慰霊は必要だが、これを“美談”と感じる日本人の心情も理解できない。この映画は世界では評価されるものではないはずだ。
子供の頃聞いた話でもあるが、その時はこんな失敗で大人たちは騒ぐのだ、そんなものなんだと思う程度だった。しかし今回改めて何気なくこの映画を見て少し泣けたが、よく考えてみてフト我に返って思い直した時、逆にいきどおった次第だ。その後、あまり良い気分にはなれなかった。

ところで仕事等でBSシネマは見られないのも多数あったが、今月放映分の内、実際に見たのは次の通り。今月は結構多く見たように思う。自覚は薄いが、ヒマだったのだろうか?
①ゾンビ(ディレクターズカット版)Dawn of the Dead(1978)監督:ジョージ・A・ロメロ、出演:デビッド・エンゲ,ケン・フォリー等
②裏窓Rear Window(1954)監督:アルフレッド・ヒッチコック、出演:ジェームズ・ステュアートとグレース・ケリー等。
③心の旅路Random Harves(1941)監督:マーヴィン・ルロイ、出演:ロナルド・コールマン,グリア・ガースン等
④飢餓海峡(1965)監督:内田吐夢,出演者:三國連太郎,左幸子,高倉健,伴淳三郎
⑤バルジ大作戦Battle of the Bulge(1966)監督:ケン・アナキン,出演者:ヘンリー・フォンダ等
⑥アリー/スター誕生A Star Is Born(2018) 監督:ブラッドリー・クーパー,出演:ブラッドリー・クーパー、レディー・ガガ
⑦続夕日のガンマン・地獄の決闘 The Good, the Bad and the Ugly(善玉、悪玉、卑劣漢) (1966)監督:セルジオ・レオーネ,出演者:クリント・イーストウッド,リー・ヴァン・クリーフ,イーライ・ウォラック
⑧新幹線大爆破The Bullet Train, Super Express 109(1975)監督:佐藤純弥,出演者:高倉健,千葉真一,宇津井健
⑨夜の訪問者Cold Sweat(1970)監督:テレンス・ヤング,出演者:チャールズ・ブロンソン,リヴ・ウルマン,ジャン・トパール
⑩哀愁Waterloo Bridge(1940)監督:マーヴィン・ルロイ,出演:ヴィヴィアン・リー,ロバート・テイラー
⑪ガス燈Gaslight(1944)監督:ジョージ・キューカー,出演者:シャルル・ボワイエ,イングリッド・バーグマン,ジョゼフ・コットン
⑫卒業The Graduate(1967)監督:マイク・ニコルズ、出演:ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロス
⑬スケアクロウScarecrow(1973)監督:ジェリー・シャッツバーグ,出演:ジーン・ハックマン,アル・パチーノ
⑭南極物語(公開30周年記念リマスター版)ANTARCTICA(1983)監督:蔵原惟繕,出演:高倉健,渡瀬恒彦
⑮街の灯City Lights(1931)監督:チャールズ・チャップリン,出演:Cチャップリン,ヴァージニア・チェリル,ハリー・マイヤーズ
⑯ダーティハリー Dirty Harry(1971)監督:ドン・シーゲル、出演:クリント・イーストウッド,レニ・サントーニ,アンディ・ロビンソン

ここで、⑪“ガス燈”はBSシネマでは2度目だったが、バーグマンの大きな鼻が少し気になったが、それをの上回る美貌と表情の演技力に見とれてしまう。③“心の旅路”や、⑩“哀愁”は洋画の古典。いずれも涙なしに見られない。これらいずれもイギリス上流社会と接点を持った近代女性のウラ悲しい人生の側面を描いている。
②“裏窓”のヒッチコックの絶妙のハラハラ感、恐怖感とコメディ要素の組み合わせが良い。

④“飢餓海峡”は三國連太郎の関西弁に若干違和感。それに原作では巨漢となっていたようだが、わき役だった高倉健等も長身だったので、映画では身体的大きさが際立った印象はない。またコメディアンでもあったバンジュンのシリアスで、少々残念なオッサン刑事の演技は良かった。筋書きも水上勉原作で良かったが、小説の原題でもある“飢餓海峡”の表題は少々ズレた大袈裟な印象がある。内容は結構よかったが、それだけに全体にもう一歩工夫が要った制作ではなかったか。
⑧“新幹線大爆破”は何だか公開時あまり話題になった記憶は私にはない。“海外でも評価された”とのコメントがあったようだが、実際に見ると、大爆破する計画の動機に必然性が弱く、計画自体にも巧妙さに欠けるように感じる。恐らく、公開当時、世界の鉄道のトップ・レベルだった新幹線に世界が注目しそれを評価したのではないか。
このように邦画はいずれも、今一歩感があって残念な印象が残る。

⑦“続夕日のガンマン”、⑨“夜の訪問者”、⑫“卒業”、⑬“スケアクロウ”、⑯“ダーティハリー”は公開時有名だったが、その後のテレビ放映も何故かしら見逃してきた映画で、この番組でようやく見られてよかった。“続夕日のガンマン”と“ダーティハリー”と現在でのイーストウッドの変貌ぶりには驚く。
⑫“卒業”ではサイモン&ガーファンクルの“ミセス・ロビンソン”の歌の意味が恥ずかしながらようやく分かった。昔、何故かUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス分校)が一時流行したが、こちらは恋人エレーンの通うバークレー分校UCBがシーンに取り上げられている。だが、そうだと思って調べたら、実はUSC(南カリフォルニア大学)でのロケだったという。何だかザンネン!
⑬“スケアクロウ”はハックマンがあんなに大男で逆にパチーノが小さかったとは知らなかった。

⑤“バルジ大作戦”は、エピソードそのものは実話のようだが、未だ 実際に従事した人物が存命だったせいか、登場人物はいずれも架空との設定のようだ。だが、広大な原野での戦車戦は迫力満点。実際の戦車だったのだろうか。

①“ゾンビ”は公開当時“新たなバケモノ誕生”とのふれこみで、“ゾンビ”初の映画だったように思う。その時ヒマでもあったので面白半分に実際に映画館に見に行ったはずだが、筋立ての記憶が全くない。今回も見たのだが、何だか眠りこけてしまっていた。従って、筋書きは覚えていない。私には眠い映画なのか。

これが今月のBSシネマの感想。全般的に楽しめたのだが、午後一番の放映に、これを見るとそれだけで1日が潰れてしまうのが困ったものだ。だがこれからも見たものは、時々ここで取り上げるつもりだ。昔、映画評論家の台詞“いゃー、やっぱり映画っていいですよね”を噛みしめる今日この頃である。


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