たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

丹生川(にゅうかわ)

2012年01月28日 | 日記

吉野の丹生川上神社のつづきです。上神社に上、中、下と三つあってこんがらがる。
一番上流の奈良県吉野郡東吉野村にある中社は、氏子や宮司さんには叱られますが、道路も狭くとても辺鄙な地です。
立派なお宮さんなのでちゃんと受付事務所に正装した宮司さんが居られます。宮前に吉野川の支流高見川と書きましたが、どこかで貰った奈良県観光連盟発行の地図にもドライブマップも高見川となっています。

ところが中社で貰ったパンフのこの宮の由緒です。
”当社は今を去ること1千3百余年前、天武天皇白鳳4年「人声ノ聞コヱザル深山吉野丹生川上ニ我ガ宮柱ヲ建テテ啓祀セバ、天下ノタメニ甘雨ヲ降ラシ霖雨(りんう:長あめ)ヲ止メン」との御神教によって斎祀された”とあります。

そして「水神の宮居」という地図が載っていて、宮前を蛇行し流れる川は高見川でなく丹生川となっています。神域の一部が丹生川(象の小川、小川)、丹生の峰などとも記されています。古代は丹生川といったのかなぁ。この疑問は「玄松子の記憶」さんで解消した。太古はこの中社、高見川を丹生川といったらしい。奥の宮、口の宮もいろいろ変遷があったらしいと分った。

歴代朝廷の御崇敬は篤く 後醍醐天皇御製
 この里は丹生の川上ほど近し 祈らば晴れよ五月雨の空  と詠っておられます。

ここから、車で小一時間吉野川を下って川も太くなり、大淀町の下市口駅前、岡崎から吉野川を渡って30分くらいのところに奈良県吉野郡下市町町長谷、下社があります。字は長谷ですが土地の名は丹生です。ここも辺鄙なところです。

由緒も歴史も古いのお宮のようです。社前にここにも丹生川の源流が流れています。この丹生川は現在の地図表記も丹生川です。
宮司さんに聞きました。「ここは何故丹生というのですか」、「昔この上流に神社仏閣を朱色に塗る塗料の丹とういう鉱物が取れたからです。そういうことで丹生(にゅう)といいます」。

辞書には「丹(たん)は赤色の土、朱砂、辰砂(しんしゃ)」とあります。神奈備さんによれば中社も下社も朱砂の女神丹生都姫といって、いにしえより渡来した姫神を祀ったらしい。
丹生という地名から丹生都姫伝承から辰砂まで、この神奈備ドンは呆れるほど博識です。

神社の歴史は仏教とはまた別に奥が深く参ってしまう。私がなぜ丹生川にこだわり、興味を持ったのか長くなるので・・。(つづく)

付録)私のブログは昨朝で丸7週間余経ちました。
誰かに読んでもらおうとして始めたものではなく、暇つぶしの日記でした。お粗末な内容で恥欠き日記にもかかわらず、予想外に多くの訪問者で少し驚いています。訪問者にお礼申し上げます。寒いので遊びにも行けず、仕事にしてせっせとアップしました。

小さい文字で読みにくいと思います。ブラウザの字を大きく表示する方法は幾つかありますが、簡単なのは、「Ctrlキーを押したまま+マウスポインタのホイールを回すと表示文字の拡大.縮小が可能です」ので、110%以上でお読み下さい。

当方ブラウザはWindows Internet ExplorerV8 (V9はXP非適用)のほか、
Mozilla Firefox 、Google Chrome の三つを入れていますが、どれも同じ方法です。Google は文字の再変換ができませんので、ブログの投稿編集には不適です。Firefoxが開いたページがタブで表示されるので、ブログ編集には便利なような気がします。

                                  


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