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「辺境」日本の世界史的な意味(1)否定的な史観を超えよ

2020年04月16日 | 相対主義の国・日本
以後、数回に分けて掲載するのは前回ふれた懸賞論文に応募し落選した論文である。このブログで折に触れて語った内容を下敷きにして論文としてまとめたものである

かつて丸山真男は、日本文化の特徴を次のように記した。「私達はたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」(1)。つねに外来の新しい文化に飛びついて、それを吸収し続ける日本文化は激しく変わるが、そういう姿勢そのものは変わらないというのだ。

内田樹は、こうした見方を受けていう、「世界のどんな国民よりもふらふらきょろきょろして、最新流行の世界標準に雪崩を打って飛びついて、弊履を棄つるが如く伝統や古来の知恵を捨て、いっときも同一的であろうとしないというほとんど病的な落ち着きのなさのうちに私たち日本人としてのナショナル・アイデンティティを見出したのです」(2)と。

この二人の日本理解は、かなり自己否定的ないしは自己揶揄的だ。確かに明治以来の日本人の、欧米崇拝や欧米文化や思潮の受容にはこう揶揄されても仕方のない傾向が見られたかもしれない。しかし、このような見方を日本理解の根底に据えているかぎり、日本の歴史や

文化の本質は見えず、きわめて底の浅い日本理解しか生まれないだろう。
大陸から海で隔てられた「辺境」に位置した日本にとっては、海の向こうから入って来るものはつねに崇拝の対象だった。中国や欧米の文明にたえず範を求め続けた。「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」(2)、これが辺境の限界だと内田はいう。日本人に世界標準の制定力がなく、「保証人」を外部の上位者に求めてしまうことこそが、「辺境人」の発想だ。そして、それは「もう私たちの血肉となっている」から、どうすることもできない。だとすれば「とことん辺境でいこうではないか」。こんな国は世界史上にも類例を見ないから、そんな変わった国にしかできないことは何かを考えた方が有意義だ、というのがこの論者の主張だ。

しかし、こうした論には、日本の歴史や文化を見渡すうえでのもっとも大切な視点が抜け落ちている。私たちのナショナル・アイデンティティは、「ほとんど病的な落ち着きのなさ」のうちにあるのではなく、縄文時代に遡る歴史のもっとも深いところにどっしりと根をおろしている。それが見えていないから、きわめて否定的な語でしか日本人のアイデンティティを語れないのだ。

《引用・参考文献》
(1)「原型・古層・執拗低音―日本思想史方法論についての私の歩み」(『日本文化のかくれた形』加藤周一・木下順二・丸山真男・武田清子編、岩波書店、1991年所収)
(2)『日本辺境論』内田樹著、新潮新書、2009年
《関連図書》
日本人にとって聖なるものとは何か - 神と自然の古代学 (中公新書)
ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)
日本の曖昧力 (PHP新書)
日本人の人生観 (講談社学術文庫 278)
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

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