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ユダヤ人と日本文化のユニークさ07

2012年01月14日 | 日本文化のユニークさ
このテーマについては前回でいちおうの区切りにしようと思っていたが、少しだけ付け加えたいことが出てきた。それは、この問題を母性原理と父性原理という観点から見るとどうなるかということである。

母性原理と父性原理、あるいは女性原理と男性原理という観点は、これまでも河合隼雄の著作などに触れながらしばしば紹介してきた。砂漠や遊牧を基盤とする一神教は、善悪を明確に区別し相対主義を許さない男性原理を特徴とするが、自然崇拝的な森の思考は、多様なものの共存を受け入れる女性原理、母性原理を特徴とする。(日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化などを参照)

ユダヤの文化と日本の文化は、さまざまな意味で対極にあるということをこれまで強調してきたが、父性原理と母性原理という視点で見ると、その対極性がさらに際立つようだ。

日本列島という豊かな森に覆われた自然環境は、地球上でも特に狩猟・採集に適し、さらに豊かな海での漁猟も加わっていたからか、日本の人口密度は狩猟採集社会としては、世界一高かったといわれる。その森と海の豊かさもあって、本格的な農耕段階に入るのが遅れ、金属器の採用も遅れている。世界史的には農耕の段階に入ってから土器も使用されるようになるのだが、縄文時代はすでに土器が発達した、異常に高度な狩猟・採集文化の時代であった。

森に覆われた豊かな大地は、母なる大地である。それは多様な動植物を育む大地である。縄文人に狩猟・採集を中心としながらも定住を可能にした豊饒な大地である。そのように豊かな自然環境の恩恵を受けながら生きる人々は、その母性的な自然を崇拝し、母性的な宗教を信じたとしても不思議ではない。

一方ユダヤ人はどうであったか。彼らは砂漠や草原が広がる土地を遊牧していた。そこは、様々な動植物をおい育てる豊かな母なる大地ではなかったし、それ以前に彼らは、そのふところに抱かれて安住できる大地を持っていなかった。縄文人は、ときに自然が猛威を振るうことはあっても、日本列島の母なる大地から追放されることはなかった。ところがユダヤ人は民族の始まりから安住の地をもたず、仮に定住してもやがて集団で連れ去れれ異郷に捕囚されたり、離散したりを繰り返した。迫害されるたびに彼らは「なぜ」と自問しただろう、「なぜわれわれは、かくも過酷な運命を強いられるのか」と。そして考えだだろう、「これは父なる神がわれわれに課した試練なのだ」と。

日本列島に住む人々は、母なる自然の恩恵をじかに受け取りつつ世界史上でもまれな高度な狩猟採集時代を生きた。一方ユダヤ人は、豊かな自然にも安住すべき大地にも恵まれず、自分たちの過酷な運命を意識して「なぜ」を繰り返しながら生きた。一方に、母性的な自然に包まれる自然性があり、他方に安住の地もなく他民族にも迫害され続ける人々の運命への「問いかけ」があった。そしてそれぞれの文化が、母性の原理と父性の原理の両極をなしているのだ。

今世界は、父性原理の濃い西欧文明の影響を強く受けている。その父性原理の源はユダヤの一神教にある。文明そのものが、母性的な自然との一体化を脱して父性的な原理に立つことによって成立するともいえる。一方で日本文化は、農耕文明以前の母性原理の精神の層を脈々と受け継ぎながらも、父性原理的な近代文明の成果もいち早く吸収した。そのような日本文化のユニークさは、文明はほんとうに父性原理の上でしか成り立たないのかと、世界に向けて問いを発する役割を持っている。いや、日本のマンガやアニメは、そのような役割を担ってすでに世界に発せられているような気がする。

《関連図書》
★『森のこころと文明 (NHKライブラリー)
★『森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
★『中空構造日本の深層 (中公文庫)
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
★『論集・日本文化〈1〉日本文化の構造 (1972年) (講談社現代新書)


コメント (4)
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