クールジャパン★Cool Japan

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ユダヤ人と日本文化のユニークさ03

2012年01月06日 | 日本文化のユニークさ
コメントでご質問を受けた。私の言い足りなかった部分もあるので、それにここで答えながら論を進めたい。

最初の質問は、「キリストを有罪にして、処刑させたのはユダヤ人であったわけで、その事に対する嫌悪感は自然な感情ではないでしょうか?」というものだ。

確かに、ユダヤ人イエスを「ローマに反逆を企てる者」として処刑したのはユダヤ人であるが、問題はその事実とその後ヨーロッパで繰り返されたユダヤ人迫害とは釣り合うものかどうかということだ。言うまでもなく、エルサレムを奪回した十字軍によるユダヤ人虐殺、ペスト流行時のユダヤ人虐殺、魔女狩りでのユダヤ人の犠牲、東ヨーロッパでの「ポグロム」とよばれる大規模なユダヤ人迫害、そしてヒトラーによる迫害と虐殺。これらすべてが「自然な感情」と言えるのかどうかということである。

しかもキリスト教信仰の中心をなすのは、「人類の罪を贖うイエスの十字架上の死および復活」である。イエスが十字架上で処刑されなかったらキリスト教は成立しなかったともいえる。その意味では、キリスト教徒はユダヤ教徒に感謝すべきだとの逆説も成り立つ。別の言い方をすれば、キリスト教にとっては、人類の罪をチャラにするためにイエスを殺したのは神の意志だったのである。

次の質問は、ユダヤ人と日本人は「両極にありながら、西欧文明に与えたインパクトという面では、どこかに通じるものがあるのではないか」という私の発言に対するものである。「日本が西欧世界に与えたインパクトは、彼らのキリスト教が失わせてしまった、彼らの文化(正確には教会文化)に足りないものが、日本に在りそうだと気がつかせてくれたというあたりにあるようです、だから、"どこかに通じるものがある"とは思えません。影響を与える文化の中でも、性質が違うものではないでしょうか?」というものである。

西洋文化に「足りないもの」を彼らに気づかせるという意味が日本にありそうだという主張は私も同じである。むしろ、マンガ・アニメなど日本のポップカルチャーがクールなものとして受け入れられる背景には、一神教にない何かが日本文化にあるからだろうというのが、このブログの根底にある考え方である。

前回のブログでも、キリスト教を軸にして考えるとユダヤと日本は両極端に位置することを主張したのだが、逆にあまりにみごとに両極にあるので、陰と陽、プラスとマイナスが補いあい、引かれ合うようにどこかで通じ合うものがあるのではないかと考えたのである。ポジとネガのように好対照なので、かえって逆説的に通じるものがあるのではないか。

その通じ合うものとは、もちろん性質や内容ではなく、真逆の方向でのインパクトの強さにおいてである。ユダヤ教は、西欧文明に対し、いわば過去から、そのもっとも本質的な部分に影響を与え、規定する働きをしてきた。そして西欧近代が生まれた背景には、明らかにユダヤ教的な一神教がある。

一神教からもっとも遠くに位置する日本文化は、いわば未来に向けて、一神教の影響や規定を解き放つ働きをなすのかもしれない。いやマンガやアニメは、一部その働きをなしつつある。それは、西欧近代が忘れ失ってしまった何かを思い出させるのではないか。

《関連記事》
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以上が、陰と陽が通じあうということの意味である。ただ、これで充分明確に言葉にできたとは思っていない。これからの課題になるであろう。ということで、質問に答えているうちにこのテーマの次の展開の内容に触れてきたようだ。項をあらためて進めることにしたい。

《関連図書》
★『ユダヤ人 (講談社現代新書)
★『驚くほど似ている日本人とユダヤ人 (中経の文庫 え 1-1)
★『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)
★『一神教の誕生-ユダヤ教からキリスト教へ (講談社現代新書)
★『旧約聖書の誕生 (ちくま学芸文庫)
コメント (1)
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