ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

吾以外 皆師也

2011-10-19 14:30:33 | 日記・エッセイ・コラム

 どこで読んだか、今はまったく記憶にありませんが、妙にこの言葉だけは頭に残っていたのです。「吾以外 皆師也」は確か作家の吉川英治が何かの本に書かれていた言葉だと憶えているのです。これとて怪しげな記憶かもしれませんが、それでもとても心に残っていたわけです。

 先日、小樽で行われた大きな大会にゲストとしてこられた I 先生と10年ぶりくらいで再会しました。45年前、最初に職場として働き始めた神戸YMCAの総責任者でした。それまで長い闘病生活をしていたぼくは、ようやく病から解放されて働き口を求めていたとき、偶然にもここに拾っていただいたときからの関係なのです。

 まるで野球のテスト生のように、様子見の職場でした。多分そのときから、先生を人生の目標のように生きてきたように思うのです。やがて時が経ち、神戸を離れ北海道で働くようになっても、いつもひ弱なぼくを何くれとなく、気にかけてくださっていたように思います。

 そして久しぶりの再会ができたのです。先生は、すでに92歳になられ、それでも矍鑠として講演をされました。感動の思いでフロアから覗っておりましたが、先生との関係は単なる先輩としてだけでなく、すべての面で師匠であることに気がついたのです。

 少しでも近づきたいと思っていましたが、到底不可能なことのようでした。「吾以外 皆師也」の言葉を思い出し、それでもこのような心境になるには、枯淡の域に達しないと味わえない崇高な言葉ではないかとわが身を省みてしまいました。

 一人の素晴らしい人生を歩まれている先生との出会いは、ぼくにとってはかけがえのない師匠であることには変わりません。ぼくの心は感謝と感動で充たされ、ますますのご壮健をいつまでも願うのでした。

やさしいタイガー


増毛の旅

2011-10-19 10:53:38 | 日記・エッセイ・コラム

 終着駅「増毛駅」に一両の列車が止っていました。無人駅は人の姿も見えず、レール止めがあり、その先には線路はありません。折り返す列車がどことなく寂しげに見えました。軽くディーゼルの音をあたりに響かせながら、人待ちの列車に出会いました 。

 18日、この日の天候は必ずしも旅には良いとはいえませんでした。重く垂れ込む厚い雲、しかも風は強く吹き、雨も時折降り、増毛の海は、轟々とうなりながら、激しい白波が港の防波堤に打ち付けるといった日でした。

 親友のHさん兄弟と増毛に一日の旅を楽しんできました。先月、Hさんの弟さんに出ていただいいた旅の放送で増毛を紹介して下さいました。まだ行ったことのないところだけに、いつか訪ねてみたいと思っていたのですが、こんなに早く実現するとは思ってもしませんでした。お誘いくださって3人で出掛けたのです。

 増毛は、映画「駅 STATION」のロケ地で一躍脚光を浴びた港町です。高倉 健、倍賞千恵子が主演し、この街に今も残る風待食堂、旅館富田屋(木造3階建て)、清酒「国稀」を生み出した旧商家丸一本間家(にしん漁の網元)が誇っているように見えました。

 どこか哀愁漂う増毛は、僕にはこのような天候が似合っていると勝手に思い込んでいました。北海道には、もうとても人が住めないような建物をよく見かけます。それでも地元にとっては一つの文化として受け止めているのかもしれません。道内最初の小学校が今も当時の木造2階建ての校舎のまま使われていると聞き、心に残りました。

 夕闇が迫ってくる帰り道、空は少しずつ雲間が覗き、天候の回復を予感させるようでした。旅の感想を一言。

やさしいタイガー