どこで読んだか、今はまったく記憶にありませんが、妙にこの言葉だけは頭に残っていたのです。「吾以外 皆師也」は確か作家の吉川英治が何かの本に書かれていた言葉だと憶えているのです。これとて怪しげな記憶かもしれませんが、それでもとても心に残っていたわけです。
先日、小樽で行われた大きな大会にゲストとしてこられた I 先生と10年ぶりくらいで再会しました。45年前、最初に職場として働き始めた神戸YMCAの総責任者でした。それまで長い闘病生活をしていたぼくは、ようやく病から解放されて働き口を求めていたとき、偶然にもここに拾っていただいたときからの関係なのです。
まるで野球のテスト生のように、様子見の職場でした。多分そのときから、先生を人生の目標のように生きてきたように思うのです。やがて時が経ち、神戸を離れ北海道で働くようになっても、いつもひ弱なぼくを何くれとなく、気にかけてくださっていたように思います。
そして久しぶりの再会ができたのです。先生は、すでに92歳になられ、それでも矍鑠として講演をされました。感動の思いでフロアから覗っておりましたが、先生との関係は単なる先輩としてだけでなく、すべての面で師匠であることに気がついたのです。
少しでも近づきたいと思っていましたが、到底不可能なことのようでした。「吾以外 皆師也」の言葉を思い出し、それでもこのような心境になるには、枯淡の域に達しないと味わえない崇高な言葉ではないかとわが身を省みてしまいました。
一人の素晴らしい人生を歩まれている先生との出会いは、ぼくにとってはかけがえのない師匠であることには変わりません。ぼくの心は感謝と感動で充たされ、ますますのご壮健をいつまでも願うのでした。
やさしいタイガー