編集工房ノアさんからお送りいただいた。
ノアさんのPR誌ですが、充実している。
巻頭にはいつもの通り杉山平一先生の詩。
「手のひら」という心打つ散文詩。
涸沢さんの「小島輝正讃」は楽しい読み物だった。
そしてわたしの興味を引いたのは、安水稔和先生の「織田正吉君の視線」。
昨年11月20日に亡くなられた織田さんへの追悼文といえるもの。
織田さんが亡くなられたあと、他の新聞、朝日などには追悼の記事が出ていたと思うが、地元の神戸新聞には載らなかったので、私は不審だった。
きっと安水先生あたりが書かれるものと思っていた。
そしてこの『海鳴り』の記事。
大学時代の「ぽえとろ」という同人誌でのお仲間。
ところが、《何十年ぶりかの再会であった。(略)「何十年ぶり」とは実に七十年余ぶりであった。》
この七十年余ぶりというのは、織田さんの『ユーモアのある風景』という本が出る少し前の話。要するに最近のことである。
わたしは、あれ?そうなのか!と思った。
もっと頻繁に会っておられるのかと思っていた。
とするなら、わたしとの関連で残念だったということがあった。
わたしの詩集『コーヒーカップの耳』の出版記念会が日本盛「煉瓦館」で20年前にあったとき、宮崎翁の手配で織田さんが講演をしてくださることになっていた。
安水先生も出席してくださった。
でも、宮崎翁に連絡ミスがあり、その日は織田さんは別の所(たしか東北のどこか)での講演が先に決まっており、来られなかったのだった。
もしあの時、計画通りに織田さんが来てくださっていたら、この『海鳴り』の原稿も違うものになっていたというわけだ。
この宮崎翁の手違いも、もともとをただせば、安水先生の関連でそうなったのですがね。
そのことを言うとまたややこしくなりますので割愛します。
『完本・コーヒーカップの耳』
ノアさんのPR誌ですが、充実している。
巻頭にはいつもの通り杉山平一先生の詩。
「手のひら」という心打つ散文詩。
涸沢さんの「小島輝正讃」は楽しい読み物だった。
そしてわたしの興味を引いたのは、安水稔和先生の「織田正吉君の視線」。
昨年11月20日に亡くなられた織田さんへの追悼文といえるもの。
織田さんが亡くなられたあと、他の新聞、朝日などには追悼の記事が出ていたと思うが、地元の神戸新聞には載らなかったので、私は不審だった。
きっと安水先生あたりが書かれるものと思っていた。
そしてこの『海鳴り』の記事。
大学時代の「ぽえとろ」という同人誌でのお仲間。
ところが、《何十年ぶりかの再会であった。(略)「何十年ぶり」とは実に七十年余ぶりであった。》
この七十年余ぶりというのは、織田さんの『ユーモアのある風景』という本が出る少し前の話。要するに最近のことである。
わたしは、あれ?そうなのか!と思った。
もっと頻繁に会っておられるのかと思っていた。
とするなら、わたしとの関連で残念だったということがあった。
わたしの詩集『コーヒーカップの耳』の出版記念会が日本盛「煉瓦館」で20年前にあったとき、宮崎翁の手配で織田さんが講演をしてくださることになっていた。
安水先生も出席してくださった。
でも、宮崎翁に連絡ミスがあり、その日は織田さんは別の所(たしか東北のどこか)での講演が先に決まっており、来られなかったのだった。
もしあの時、計画通りに織田さんが来てくださっていたら、この『海鳴り』の原稿も違うものになっていたというわけだ。
この宮崎翁の手違いも、もともとをただせば、安水先生の関連でそうなったのですがね。
そのことを言うとまたややこしくなりますので割愛します。
『完本・コーヒーカップの耳』