記録のためにも、思ったままに書くので、
トラウマなどで、震災関連は読みたくない方、
どうぞスルーして下さいね。
明日で、東日本大震災から丸4年。
あの日、被災地にいた娘の事が心配で、
停電の中、連絡を取る方法もなく、
寒さと暗さで、早めに床に入ったのを
思い出します。
(奇跡的に夜中に電話が通じました!一度きり。)
あのとき、便利だったのが、
卓上コンロとラジオでした。
卓上コンロは、暖をとれるし、調理もできる。
第一明るいので、電灯の代わりにもなりました。
当時ノブさん達は、牧師仲間達と
ボランティアに何回もでかけました。
たくさんの物資を届けましたよね。
今は、傾聴したり、共に分かち合える
ボランティアが不足しているそうです。
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4年しても、まだ課題の多い被災地の各県です。
地震、津波、放射能汚染被害。
放射能汚染は、福島だけではありません。
人の口に上らなくなりつつある、
岩手、宮城、茨城、栃木、千葉、東京、神奈川などの
一部の汚染地帯は、忘れ去られています。
昨日朝のNHKラジオ「ラジオ朝イチ」では、
茨城県の原木しいたけ栽培農家さんの事が
語られていました。
福島と県境にある鉾田市の農家さんは、
今も原木しいたけが販売できないそうです。
(キノコ類は、どうしても汚染しやすいのです。)
語られないから、震災前と変わらないと思い込み、
安心してしまう。
4年経ってこうなら、
10年したら、「聞いたことがありません」になって、
誰の記憶にも残らなくなっていく怖さ。
そうして、原発の再稼働が当たり前に
展開されていこうとしている現実があります。
今、電力は十分足りています。
再稼働は必要ないのが証明されています。
私にできることは、せいぜいこうして
語りづけていく事ですが、
それでも、見聞きしたことを、どこまで伝えるか
考えてしまう事も多く、
なかなか真実を語りづらいけれど・・・。
保養の支援活動をしていると、
こうした語られない声を身近に聞くことがあり、
この言葉たちを、何とか伝えていく事ができたら。
代弁できればいいのに。
そんなことを思います。
震災そのものの事は言えても、
放射能の事になると、タブーになってしまうのです。
そうしないと暮らしていきづらくなるのです。
そんなときは、個人主義が確立している国が
うらやましいような気さえします。(私見)
だから、保養先では、同じ立場の人たち同士、
本当の事を語りあって、分かち合って、
心から解放されて、楽になれます。
だから、体と心の同時保養だと言われます。
内部被曝が危険なのは、最初の1年くらいは
テレビでも報道されましたが、
今はほとんど触れられません。
線量が変わっていないのに、
マスクをしなくなりました。
マスクをしている方が
変だと見られてしまうと言います。
政府の支援が自主避難者にも与えられたら、
どんなにいいか。
日本は、経済優先だから、
福島復興には力を入れても、
肝心の「人」の手当には無関心。
むしろ高線量地帯でも、大丈夫だから、
そこに生活しているようにと促します。
そういう一つ一つが、被災者を苦しめます。
「復興」という言葉は、本当にふさわしいのだろうか?
もしかして、それこそ人々を苦しめていないか。
「新しいあり方」つまり「新生」とか「新興」とか、
新しい視点での回復が必要ではないのか、
そんなことを考えていますが、
それがどのようにすればそうなるのか、
わからないのが正直なところです。
今日も、祈るばかりです。
苦しみのさなかにある人々が、
なんとか一日一日を無事に、健やかに
過ごせますように・・・。
これからも、変わらずに
語り伝え続けていきます。
この日だけでなく、事ある毎に、
家族や仲間と伝え続けようと思います。
ここあでした。