ここあコテージ

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恵みの余滴 3

2012-11-10 08:45:49 | 回想
恵みの余滴第3弾は、
神学校時代の事。


主人と私は結婚し、1年後に神学校に行きました。
主人は本科生、私は聴講生として受け入れていただきました。


当時はすでに子どもも与えられていたので大変な時期でしたが、
特に大変だったのは経済面でした。


私たちは、当初はある程度の蓄えを用意して入学したのに、
やはり、生活費や学費、子どもにかかる費用、そして
私の突然の入院などで、当然のごとく蓄えは減りました。
そして、基本的にここの学校はアルバイトを禁止していました。


そんな私たちの様子を見て、神学校の舎監の先生が心配し、
神学校内の援助制度を利用できることを話して下さいました。
(私たちは具体的なことは舎監にも語りませんでしたが。)


私たちは相談して、一致して決断しましたが、
それは、援助をお断りする事でした。


私たちの神学校は、OMFと言う宣教団体が設立した学校です。
当時のOMFの信仰姿勢の一つは、「すべての必要は、主にのみ話す」
と言うものだったのです。


私たちはOMFの教会で育ち、たくさんの宣教師たちにお世話に
なってここまできたわけですが、

そのOMFの信仰姿勢に倣いたいと思わされて、
その日から二人で必死になって祈り始めました。
実はとても危機的な経済状態であったからです。


私たちは必死に祈りました。

そして、私たちの祈りに応えて下さった神様は、
私たちに対して、定期的なサポーターを2組備えて下さいました。


そして、他にも不定期の献金者が与えられたり、
主人の祖母が、私たちの現状を知らないのに、
まとまった額を送金してくれたりして、どうにかプラマイゼロで
3年間の神学校生活を終えられました。


私たちは、そこで、神様にどんなことでも完全に頼ることを
教えていただきました。


「アドナイ・イルエ」(主の山の上に備えあり)


この経験は、後の牧会生活の中でも、とても役に立ちましたし、
今も尚、主に信頼し続けることのチャレンジは続いています。


神様は真実なお方です。すべての必要は主が与えられます。
生活の必要も、物理的な必要も、霊的な必要も。

私たちの小さな祈りさえも受け入れて下さいます。



どんな時でも、主と主のみことばに信頼して
いきたいと思います。




ここあでした。









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2 コメント

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Unknown (くり)
2012-11-10 09:32:44
「主に信頼し続けることのチャレンジ」
まさに、このことを感じています。
チャレンジはこの先もずぅ~っと、続くんだなあと・・・。
余滴ありがとう~~!
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Unknown (ここあ)
2012-11-10 13:28:52
本当に、信仰生活はいつでもそうですね。

私もその都度、主を信頼する事を試されていることばかりです。一つクリアされたとしても、別の事で新しいチャレンジが待っているし・・・。

そうやっていつしか神様によって成長させられるんでしょうね・・・。感謝な事ですね。

続けて読んでね。


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