ここあコテージ

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恵みの余滴 2

2012-11-09 09:43:14 | 回想
恵みの余滴の第2弾は、
第1弾から少し時間がさかのぼります。


私が救われたての頃の事。

私の父は、教会に行くことや洗礼を受けることに対して
全面的な賛成ではないにしろ、一応、私の信仰の自由を
認めてくれました。

ただし、家の中には持ち込まないことを、口約束ではありますが、
させられました。

一方、私の母は、父とは全く異なって、信仰にも、教会にも
反対でしたし、反抗的な態度でした。
何かあるとすぐ教会のせいにしていたこともありました。

私は、大学卒業後、教員採用試験などの失敗などもあり、
しばらく浪人生活をせざるを得なかったのですが、
そんなとき、母は私に

「教会活動にばっかり一生懸命だけれども、○○(私の名前)の神様は
○○に何かしてくれたのか」とズバリと皮肉を言いました。


若い頃は、今よりももっとまっすぐで、恐れ知らずだった私は、
母のことばに、ついつい、

「私の神様は、他の神様と違って、生きている神なんだから、
私に絶対に仕事を与えてくれるよ。見てて!」

と、挑戦的に言い放ってしまったのです。


私は、内心「しまった!」と思いましたが、それは本当にそう思ったから
正直に母に言ってしまったことでした。


あわれみ深い神様は、まもなくして、私に適した職場を備えて下さった
ばかりか、生涯のパートナーとの出会いもお与え下さいました。



そして、父は自分の人生の中で、辛い時期がありましたが、
その時、私が勧めた聖書や信仰図書も読んでくれるようになり、
長い間の闘病の末、3年前にイエス様を信じて、天国へ
凱旋して行きました。


当の母は、相変わらずずっと理解のないままでしたが、
父の闘病後から、少しずつ心が開かれていき、
父の葬儀をキリスト教式で行い、
その司式を主人に託することを申し出ました。


現在では、信仰に不理解の母も、
食前の祈りを率先してするようになり、
お墓も、自分の責任で建立。
みことばを入れたお墓となりました。


また、主人の父親も、今年の9月末に、
信仰を告白し、洗礼を受けたいと申し出ました。
まもなく教会で洗礼を受けるべく、現在準備中です。



神様は、私たちの家族をこのようにして祝福して下さり、
私たちの力ではなく、ただただ神様の一方的なあわれみによって、
ここまで導いて下さいました。


「機会を十分に生かして用いなさい。」

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも
あなたの家族も救われます。」


家族伝道ほど難しく、祈りと忍耐のいるものは無いと感じます。
でも、必ず機会が巡ってきますから、それを生かして用いて下さい。

神様は、御家族の主でもありますから。



ここあでした。






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