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◇クラシック音楽CDレビュー◇ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団/ロンドン交響楽団のショスタコーヴィチ:交響曲第5番/第7番「レニングラード」/第10番

2020-10-06 09:41:19 | 交響曲



<クラシック音楽CDレビュー>



~ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団/ロンドン交響楽団のショスタコーヴィチ:交響曲第5番/第7番「レニングラード」/第10番~



ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
          交響曲第7番「レニングラード」
          交響曲第10番

指揮:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

管弦楽:ワシントン・ナショナル交響楽団(第5番/第7番)
    ロンドン交響楽団(第10番)

CD:ショスタコーヴィチ:交響曲全集(第1番~第15番)から
    WARNER CLASSICS 0190295460761(CD12枚組)



~ショスタコーヴィチ:交響曲全集(第1番~第15番)~

指揮:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

管弦楽:ワシントン・ナショナル交響楽団
   (第1番/第2番/第3番/第4番/第5番/第6番/第7番/第8番/第11番/第12番/第13番)
管弦楽:ロンドン交響楽団(第10番/第15番)
管弦楽:モスクワ・アカデミー交響楽団(モスクワ・フィル)(第14番)

<CD1>
 交響曲第1番ヘ短調 Op.10
 交響曲第9番変ホ長調 Op.70
<CD2>
 交響曲第2番 Op.14「十月革命に捧ぐ」
 交響曲第3番変ホ長調 Op.20「メーデー」
 合唱:ロンドン・ヴォイシズ
<CD3>
 交響曲第4番ハ短調 Op.43
<CD4>
 交響曲第5番ニ短調 Op.47
<CD5>
 交響曲第6番ロ短調 Op.54
 交響曲第12番ニ短調 Op.112「1917年」
<CD6>
 交響曲第7番ハ長調 Op.60「レニングラード」
<CD7>
 交響曲第8番ハ短調 Op.65
<CD8>
 交響曲第10番ホ短調 Op.93
<CD9>
 交響曲第11ト短調 Op.103「1905年」
<CD10>
 交響曲第13番変ロ短調 Op.113「バビ・ヤール」
 バス:ニコラ・ギュゼレフ(バス)
 合唱:ワシントン合唱芸術協会男声合唱団
<CD11>
 交響曲第14番ト短調 Op.135「死者の歌」
 ソプラノ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
 バス:マルク・レシェーチン
<CD12>
 交響曲第15番イ長調 Op.141

録音:1988年~1995年(第14番のみ1973年ライヴ)

CD:WARNER CLASSICS 0190295460761(CD12枚組)


 今回は、チェロの巨匠ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが指揮をした、CD12枚組「ショスタコーヴィチ:交響曲全集(第1番~第15番)」から、第5番、第7番「レニングラード」、第10番の3曲を聴くことにする。これら3曲に共通するのは、当時の旧ソ連政府という絶対的権力に対峙して、体制、反体制を止揚した高みに達した無類の傑作交響曲であるということである。第5番は「民族意識の高揚」、第7番は「祖国防衛の大叙事詩」、そして第10番は「心の葛藤からの解放」という人類の普遍的テーマに真正面から取り組み、ものの見事に音楽で描き切っている。ロストロポーヴィチは34歳以後は、指揮者としても活躍したが、この録音を聴くと、指揮者としても超一流の腕を持っていたことが聴きとれる。そしてなにより、自身も亡命生活という苦難を経験したことが、ショスタコーヴィチの交響曲を他のどんな指揮者より、深い愛情と共感をもって指揮することができる源泉になっているのだろう。その意味から、ロストロポーヴィチが指揮したCDアルバム「ショスタコーヴィチ:交響曲全集」は、不滅の存在価値を持っている言っても過言でない。

 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927年―2007年)は、アゼルバイジャン、 バクー(旧ソビエト連邦)出身。チェリストとして20世紀後半を代表する巨匠として知られる。1943年モスクワ音楽院に入学したが、作曲の師はショスタコーヴィチであったという。1945年「全ソビエト音楽コンクール」金賞受賞。1951年バッハの無伴奏チェロ組曲の演奏で「スターリン賞」受賞。そして1961年指揮者としてもデビューを果たす。1963年「レーニン賞」受賞。1966年ソビエト連邦「人民芸術家」の称号を受ける。しかし、1970年社会主義を批判した作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンを擁護したことにより旧ソ連政府から「反体制」とみなされ、以降、国内演奏活動を停止させられ、外国での出演契約も一方的に破棄される。そのため1974年に亡命。1977年アメリカ合衆国へ渡り、ワシントン・ナショナル交響楽団(1931年に設立されたワシントンD.C.のオーケストラで、ケネディ・センターを拠点とし、英語名は The National Symphony Orchestra)音楽監督兼首席常任指揮者に就任。1978年旧ソビエト政府により国籍剥奪されるが、1990年ワシントン・ナショナル交響楽団を率いてゴルバチョフ体制のソ連で16年ぶりに凱旋公演を行い、国籍を回復した。親日家としても知られ、1958年に大阪国際フェスティバルで初来日して以降、たびたび来日した。
 
 ショスタコーヴィチ:交響曲第5番は、1937年に作曲された。全4楽章による古典的な構成となっており、ショスタコーヴィチの作品の中でも特に著名な作品の一つ。日本では、かつては「革命」の副題で親しまれた。1936年、スターリンの意向を受けた旧ソビエト共産党の機関紙「プラウダ」が、ショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を「荒唐無稽」、バレエ音楽「明るい小川」を「バレエの嘘」と激しく批判するという事件が発生した。つまり、スターリンの独裁下の旧ソ連体制下にあっては、作曲者のショスタコーヴィチ自身は、「体制への反逆者」というレッテルを貼り付けられたことを意味する。そして、ショスタコーヴィチの友人・親類たちも次々に逮捕・処刑されていった。このような厳しい状況に晒される中、ショスタコーヴィチが書いたのが交響曲第5番である。作曲の前年にはスターリン憲法が制定された。第5番が旧ソ連体制の輝ける将来を祝福するような力強さがみなぎった交響曲に聴こえる裏には、ショスタコーヴィチの旧ソ連政府への静かな抵抗が潜んでいるとする見方がある。

 交響曲第5番でのロストロポーヴィチの指揮は、どちらかというと壮大さな音づくりは極力抑えられ、ショスタコーヴィチの心の奥底に入り込み、ショスタコーヴィチがこの曲で真に訴えたかったことを手探りで探し出し、訴えかけるような演奏に徹する。これはロストロポーヴィチのショスタコーヴィチへ対する深い共感がつくり上げた、情感のこもった指揮内容であり、ショスタコーヴィチの心の奥底を映し出した、他の指揮者には到底真似できない境地に達した、ロストロポーヴィチならではの演奏と言える。

 ショスタコーヴィチ:交響曲第7番は、レニングラード包囲前の1941年12月に完成した。現在、第8番、第9番と合わせ「戦争3部作」と言われる。「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」と作曲者自身が表明したことから「レニングラード」という副題が付けられている。第二次世界大戦のさなか、ナチス・ドイツ軍に包囲された(レニングラード包囲戦)レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)市内で作曲された。当初、全4楽章からなる各楽章には、「戦争」「回想」「祖国の大地」「勝利」という副題が付けれれていたが後に削除された。このことを見てもショスタコーヴィチはこの曲を、単なる反ナチズムの立場に立つ作品としてとらえていたわけではないことが推測される。つまり、現在では、反ファシズムだけでなく旧ソビエト政府の全体主義も描いたのではないかという見方もされている。しかし、当時の旧ソ連政府や欧米の連合国諸国にとってこの交響曲は、反ファシズム、反ナチズムの勝利の交響曲として捉えられ、絶賛された。

 交響曲第7番でのロストロポーヴィチの指揮は、第5番に比べて伸び伸びと雄大なスケールで描き切る。これは、少なくとも反ナチズムを象徴する曲であり、これへの共感の意識が根底にはあるように感じられる。ロストロポーヴィチの指揮は実に明瞭で曖昧さが入り込む余地はない。しかし、決してぎすぎすした感じは感じさせず、逆にショスタコーヴィチの心情に対する共感がたっぷりと込められたものに仕上がった。この曲の指揮でもロストロポーヴィチは、そのスケールの大きいドラマチックな棒さばきで、他の指揮者を大きく凌駕したと言える。

 ショスタコーヴィチ:交響曲第10は、1953年に完成した。全部で15曲あるショスタコーヴィチの交響曲のうちでも、最高傑作とも位置付けられている作品である。この作品の前の作品に当たる交響曲第9番を聴いたスターリンは、ベートーヴェンの交響曲第9番のような偉大なる作品を期待していたが、聴いてみるとその期待とは裏腹に、軽妙洒脱な作品であったため激怒したとも伝えられている。このために、1948年にショスタコーヴィチは、当時、旧ソ連政府の文化部門の最高責任者であったジダーノフより批判を受け(ジダーノフ批判)、ショスタコーヴィチは苦境に追い込まれることとなった。そして1953年のスターリンの死の直後、いわゆる雪どけの時代の直前に、この交響曲第10番が発表されたのだ。発表当時、「ニューヨーク音楽評論家賞」を受賞するなど、西側諸国は交響曲第10に高い評価を与えたが、旧ソ連内においては「社会主義リアリズムからかけ離れた曲」派と「作品支持」派に二分され、いわゆる「第10論争」が繰り広げられることになるが、結局「楽観的な悲劇」という訳の分からない統一見解で騒ぎは収まった。

 交響曲第10でのロストロポーヴィチの指揮は、ショスタコーヴィチの心の内に潜む苦悩に静かに寄り添い、深い理解をもった指揮ぶりに徹する。ジダーノフ批判を受け、何時死が襲ってくるかもしれないショスタコーヴィチの恐怖感がひしひしと伝わってくるような演奏内容だ。これは、地球温暖化やコロナ禍の恐怖に直面する現代にも当てはまる感情ではないのか。そして、この曲での最後では、突破口が開かれ、未来に向け雄々しく立ち上がろうとする様子も克明に演奏される。この曲においてもロストロポーヴィチは、存在感のある指揮ぶりを遺憾なく発揮して、聴くものを圧倒する。(蔵 志津久)
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