チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:諏訪内晶子
指揮:ドミトリ・キタエンコ
管弦楽:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS 21057(ライヴ録音)
このCDは、1990年7月7日、チャイコフスキー国際コンクール終了後、モスクワ音楽院大ホールで行われた、優勝者による記念コンサートの演奏をライヴ録音したものである。当時18歳であった“天才少女 諏訪内晶子”の青春の記録とも言えるこのCDは1990年10月に発売され、当時、大ベストセラーとなった記念すべき録音である。今聴いても、何という若々しさと優美さに溢れた名演であることかと、思わず聴き惚れる。チャイコフスキーの作品の演奏スタイルは、ロシアの風土に根差した土臭い演奏と、民族的な感覚から一歩引いて普遍的な音楽の美しさに根差した演奏スタイルとに二分されるが、ここでの諏訪内晶子の演奏は、普遍的な音楽の美しさに根差し、それを一層昇華させたような演奏内容になっており、単に美しさという範疇を越え、リスナーは何か遠い世界へと誘われるような不思議な体験をすることができる。現在、世界のヴァイオリンの女王の君臨するムターも同じような演奏内容だが、ムターがより無機質な美意識に貫かれているのに対し、ここでの諏訪内晶子演奏は、若々しさとナイーブさを交差させたような類稀な演奏を披露してる。
第1楽章で諏訪内晶子は、その持てる力を存分に発揮しているが、無駄な力は全く入っておらず、その流れるような演奏ぶりは、これまで聴いたどのチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲の演奏にも例えることができないような、魅力に輝き満ちている。一言で言うと瑞々しい演奏とでも言ったらいいのであろうか。決して線は細くはないのであるが、あたかも衣擦れの音が聴こえて来るような清潔感が溢れ出る。この音の環境は、何処かで聴いた覚えがあるぞ、と考えていたら、日本の“能”に行き着いた。そうなんだ、これは能舞台で能役者が演じる迫真の演技にも似た空気が流れているのだ、と私には思えた。諏訪内晶子自身は、意識はしていないであろうが、日本文化の持つ清廉さと西欧文化の持つ絢爛さとが、諏訪内晶子というヴァイオリニストの内面を通して見事に融合し、一挙に花開いたような優美な演奏内容となっている。
第2楽章の演奏も、第1楽章と同じことがいえるが、ほの暗い憂愁の曲想を諏訪内晶子は巧みに捉え、丁度、第1楽章の裏面に当るような、しっとりとした演奏内容となっており、引き込まれるような雰囲気に酔わされる。そして第3楽章。ここでは、自身の持つ技巧を遺憾なく発揮して、一気に弾きまくる。それでも荒っぽさは微塵もなく、最後まで優美さは持ち続けたままだ。このライヴ録音には、終楽章以外に第1楽章の終わりにも聴衆が拍手する様子が収録されており、当時の熱気が伝わってくる。この録音は、画家や作家で言えば、あるいは若書きに当る演奏なのかもしれないが、逆に18歳という若さでなければ到底表現できないような、心からの喜びに溢れた演奏内容は、今聴いても、聴いているだけで何か心が浮き浮きしてくる。
諏訪内晶子は、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースを修了後、文化庁芸術家在外派遣研修生としてジュリアード音楽院に留学し、同時にコロンビア大学で政治思想史を学ぶ。1987年、15歳の時に日本音楽コンクール第1位を受賞した後、1988年パガニーニ国際コンクール第2位、1989年エリーザベト王妃国際国際コンクール第2位を受賞。そして、1990年、チャイコフスキー国際コンクールで第1位に輝いた。これは、最年少で、日本人初、全審査員の一致による優勝であった。現在は、パリを拠点に活躍している。そして先頃、諏訪内晶子が自ら芸術監督を務め、新たなクラシック音楽祭「国際音楽祭NIPPON」を開催することを明らかにした。ここ10年来「演奏活動以外に、何か世の中に恩返しができないか。次の世代に伝えていけることはないか」ずっと考えてきたという彼女が、長年温めてきた構想を実現させたのが今回の音楽祭の発表であるという。その成果に大いに期待したい。(蔵 志津久)