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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CDレビュー◇カラヤン指揮ベルリンフィルのヘンデル:合奏協奏曲集(第1番~第12番) 作品6

2022-06-07 09:41:55 | 古楽



<CDレビュー>



ヘンデル:合奏協奏曲集(第1番~第12番) 作品6



指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

録音:1968年8月、スイス、サンモリッツ、ヴィクトリアザール

CD:POLYDOR K.K. POCG-2112~4

 指揮のヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年―1989年)は、オーストリア、ザルツブルク出身。第二次世界大戦後の1951年、再開したバイロイト音楽祭の主要な指揮者として抜擢される。1954年ドイツ音楽界に君臨していた巨匠フルトヴェングラーが急逝したことで、翌1955年にフルトヴェングラーとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのアメリカ演奏旅行の代役を果たし、成功を納めた。この旅行中にベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術総監督に就任し、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、当時のクラシック音楽界に多大な影響力を持つに至った。ベルリンに加え、世界の人気を二分するウィーンの両オーケストラを同時にたばねることになり、このころから”帝王”と呼ばれ始める。1950年代からはスカラ座でも主要な指揮者として活躍した。1954年の初来日以降、合計11回来日している。

 このヘンデル:合奏協奏曲集(第1番~第12番) 作品6のカラヤン指揮ベルリンフィルによる録音が行われたのが、スイスのサンモリッツにあるヴィクトリアザールである。何故ここが選ばれたのかというと、カラヤンの別荘があったからなのである。カラヤンの自宅はオーストリアであるわけだが、冬はスイスのサンモリッツ、夏はフランスのサントロペの別荘で家族と休暇を楽しむのが慣例となっており、その時の写真や動画が今に遺されている。自ら操縦したファルコン10で空港に着陸後、家族と合流して車で別荘に向かい、そこで家族団らんの一時を過ごしたのである。カラヤンは子供のころから機械いじりが好きで、自ら飛行機を操縦したほか、音響機器にも目がなく、当時、世界の最先端を走っていた日本の音響機器にカラヤンは強く惹かれていたようだ。そんな関係で、このサンモリッツの別荘にソニー創業者の一人である盛田昭夫氏を招き、当時世界を席巻していたソニー製のFMトランジスタラジオを一緒に聴いたこともあったという。

 ヘンデル:合奏協奏曲集(第1番~第12番) 作品6は、1739年に作曲された全部で12曲からなる合奏協奏曲集。初版の正式な題は「ヴァイオリン4部、テノール・ヴァイオリン(ヴィオラ)、チェロおよびハープシコードの通奏低音のための七声による12の合奏協奏曲集」で、2挺のヴァイオリンとチェロおよび弦楽合奏(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ)それにチェンバロの通奏低音によって演奏される。この作品は、コレッリの合奏協奏曲集 作品6をモデルとして書かれたと言われており、様式は変化に富み、オペラと共通のフランス風序曲(第5番・第10番)、サラバンド風のアリア(第10番)、ダカーポ形式(第11番)、室内ソナタ的な舞曲の連続(第8番)、フーガに見られるドイツ的な対位法的音楽など、国際性ゆたかな内容を持っている。現在でも取り上げられることが多く、ヘンデルの器楽曲のうちでもっとも優れ、もっとも洗練された作品とされている。

 ヘンデルの合奏協奏曲(第1番~第12番) 作品6は、あらゆるクラシック音楽の中でも、弦楽器が響きがことにほか美しく、しかも力強く鳴り響く作品のひとつである。聴き進むうちに、弦楽器の海に身をゆだね、何とも言えない心地よさが全身を襲う。このためか、従来から多くの指揮者が録音してきた作品でもある。これらの数ある録音の中でも、ひときわ光り輝くのがカラヤンとベルリンフィルによるこのCDだと今でも私は確信する。堂々として力強く、確信に満ちた演奏であると同時に豊かな広がりも有している。何か書道の大家の気合の入った乾坤一擲の書きっぷりを傍から眺めているようでもあり、小気味好いことこの上ないのである。カラヤンは多くの録音を遺し、名盤といわれているものも少なくないが、私は、カラヤンが遺した録音の中でも、このヘンデルの合奏協奏曲集作品6が飛びっきり好きで、今でも私の”座右のCD”の中の一つとなっている。カラヤンの指揮というと、どうしても人工的な演出がことのほか強調されるきらいがあるが、このヘンデルの合奏曲はそういうところが全くなく、まことにもって自然な音づくりがなされている。カラヤンとベルリンフィルとが、互いに無心になって音楽を楽しんでいるという感じがしていて、何回聴き直しても全く飽きが来ないのだ。(蔵 志津久)
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◇クラシック音楽CD◇ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」、協奏曲「海の嵐」、協奏曲「喜び」

2018-01-09 08:34:23 | 古楽

 

ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」 和声と創意への試み op.8-1~4

  協奏曲第1番ホ長調「春」

  協奏曲第2番ト短調「夏」

  協奏曲第3番ヘ長調「秋」

  協奏曲第4番ヘ短調「冬」

ヴィヴァルディ:和声と創意への試み op.8-5

  協奏曲第5番変ホ長調「海の嵐」

ヴィヴァルディ:和声と創意への試み op.8-6

  協奏曲第6番ハ長調「喜び」

指揮: ニコラウス・アーノンクール

管弦楽:ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS‐21043

 これは、ヴィヴァルディ(1678年~1741年)の作品8の6つの協奏曲を収めたCDであり、最初の4つの協奏曲は、"ヴィヴァルディの「四季」”として名高い協奏曲である。クラシック音楽ファンなら誰もが知っている「四季」なのではあるが、前知識なしにこの録音を聴くと「これがあの『四季』なのか?」と思ってしまうほど、強烈な印象を与えずにはおかないのである。その理由は、オリジナル楽器(古楽器、ピリオド楽器)を使い、ヴィヴァルディの生きていた奏法を採用しているからなのだ。考えて見ると、バロック時代に作曲された作品であろうと、古典派時代であろうと、ロマン派時代であろうと、現代の我々は、モダン楽器による、現代人に合った演奏法で演奏を聴くことに馴れてしまっている。作曲された当時はどのような楽器を使い、どのような奏法によったかは、想像するしかない。そのような反省(?)の上に立って、昨今はオリジナル楽器による演奏会もしばしば開催されるようになってきた。このCDは、現在のオリジナル楽器による演奏会の先駆ともいえる歴史的録音(1977年)なのである。モダン楽器による「四季」を聴くことが基本にあると思うが、たまには、作曲された時代の演奏にも触れることは、クラシック音楽を、より深く聴く、きっかけにもなろう。

 ニコラウス・アーノンクール(1929年~2016年)は、オーストリア出身の指揮者、チェロ奏者、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者である。ウィーン国立音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)時代は、チェロを専攻し、卒業後の1952年から1969年まで、ウィーン交響楽団にチェロ奏者として在籍した。ウィーン交響楽団入団の翌年、1953年にアリス夫人らとともに古楽器オーケストラ「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を立ち上げた。1960年代からは、この「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」との外国公演や録音も始まり、バッハやヘンデルの作品を数多く取り上げた。この当時、グスタフ・レオンハルトと共同でバッハのカンタータ全集の録音を完成させ、この業績によりレオンハルトともども1982年の「エラスムス賞」(ヨーロッパの文化、社会、社会科学への貢献を評価して毎年授与される)を受賞した。1970年代からはチューリッヒ歌劇場をホームグラウンドとしてモンテヴェルディやモーツァルトのオペラにも取り組むようになった。1980年代からは古楽オーケストラにとどまらず、現在、我々が馴染んでいるベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどのモダン・オーケストラも指揮するようになる。最近では、2006年にウィーン・コンツェントゥス・ムジクスおよびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて来日した。2015年に体力の限界を理由に引退を表明し、2016年3月5日に亡くなった。

 「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」は、オーストリア・ウィーンを拠点する古楽器オーケストラで、1953年にニコラウス・アーノンクールとその妻アリス・アーノンクールを中心としたウィーン交響楽団のメンバーによって設立された。活動当初はバロック音楽が主なレパートリーで、古楽研究の成果を披露するという意味合いが強かったが、次第に活動範囲を広げて、現在はハイドンやモーツァルトの交響曲にも取り組む。代表的なレコーディングとしては、モンテヴェルディのオペラやグスタフ・レオンハルトと共同して取り組んだバッハのカンタータ全曲集、バッハの宗教曲、モーツァルトの初期交響曲集や宗教作品全集などがある。アーノンクールを中心とした「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」の演奏活動は、歴史的な考証に基づいた確固とした音楽理論がそのベースにあり、単なる懐古趣味とは異なることに注目しなければならないであろう。つまり、アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスは、それまでの演奏活動にコペルニクス的転換をもたらしたという意味で、画期的な演奏活動を成し遂げたオーケストラということができよう。

 そもそも、作曲当時の楽器であるオリジナル楽器による演奏は、アーノルド・ドルメッチ(1858年―1940年)が、バロック時代の古楽器を復元したことにより始まったとされている。そして、次に登場するのがアーノンクールによる「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」の活動であり、ここで一般の認知度が一挙に高まったのである。その後は「コレギウム・アウレウム合奏団」や「ロンドン古楽器コンソート」などの人気古楽器オーケストラが登場するようになり、現在では、オリジナル楽器を使った演奏会が日本でもしばしば開催されるほど、注目度を集めている。このニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによるヴィヴァルディの「四季」を聴くと、最初、モダン楽器による演奏に馴れた多くのリスナーは違和感や抵抗感を感じるであろう。しかし、それらを乗り越え、聴き続けると、ヴィヴァルディが生きていた17世紀~18世紀の人々の暮らしぶりが目の前に浮かび上がる。当時、旅行手段は馬車ぐらいしかなかっただろうし、夜はろうそくの明かりを頼りの生活であったろう。朝、太陽が上ることで一日の生活が始まり、太陽が沈めば一日の活動を終える。後は信仰が多くの人々の精神生活を支え、神に感謝を捧げながら人生を送る。そんな環境は今の我々には想像もできない。そんなことを考えながらこのCDを聴くと、人間の持つ根源的な部分に触れる音楽とは、このような演奏が一番相応しいのではと自然に感じられてくる。現代の我々は、飽くなき刺激を求め、快楽を求めなければ気が済まない。しかし、17世紀~18世紀の人々は、自然の営みを一人一人が肌身に感じ、今日も生きられることに心からの感謝を抱いたに違いない。そんな人々が求める音楽は、素朴で生きる喜びに溢れたアーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏だと最後に気が付かされる。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ムローヴァ&アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のヴィヴァルディ:「四季」

2017-01-10 08:14:52 | 古楽

ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」op.1-4

                          第1番「春」 RV269/第2番「夏」 RV315/第3番「秋」 RV293/第4番「冬」 RV297

           協奏曲ト短調「ドレスデンオーケストラのために」 RV577

ヴァイオリン:ヴィクトリア・ムローヴァ

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ヨーロッパ室内管弦楽団

CD:ユニバーサルミュージック(DECCA) PROC‐1808

 このCDは、ヴァイオリン独奏にヴィクトリア・ムローヴァを迎え、クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団によるヴィヴァルディの協奏曲集「四季」と協奏曲ト短調「ドレスデンオーケストラのために」の2曲を収録してある。結論から言うと、数ある「四季」の録音の中でも傑出した一枚となっており、流麗で芳醇な響きに加え、ゆったりとしたリズム感が何とも心地いい。独奏者のヴィクトリア・ムローヴァ(1959年生れ)は、ロシア出身のヴァイオリニスト。モスクワ中央音楽学校、モスクワ音楽院で学ぶ。1980年「シベリウス国際ヴァイオリン・コンクール」、1982年「チャイコフスキー・コンクール」でそれぞれ優勝し、一躍世界的に注目を浴びる。以後、世界の主要なオーケストラと共演。小澤征爾の指揮するボストン交響楽団と共演した最初の録音(チャイコフスキーとシベリウスの協奏曲)は、モントルーのディスク大賞を受賞。1990年代半ばから「ムローヴァ・アンサンブル」を結成して、ヨーロッパで演奏活動を展開する。1990年代半ば頃からピリオド奏法やガット奏法を取り入れた新しい表現法を試み、さらに、ジャズやポップスにも挑戦している。現代の世界のヴァイオリン界を代表するひとり。

 指揮のクラウディオ・アバド(1933年―2014年)は、イタリア・ミラノ出身。ヴェルディ音楽院、ウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)で学ぶ。1959年に指揮者としてデビューを果たす。1958年クーセヴィッキー、1963年ミトロプーロスの両国際指揮者コンクールで優勝。1968年ミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年音楽監督、1977年芸術監督に就任。また、スカラ・フィルハーモニー管弦楽団を設立しオーケストラの質の向上を図る。1979年ロンドン交響楽団首席指揮者、1983年音楽監督に就任する。1986年ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。そして、1990年ベルリン・フィル芸術監督に就任し、名実共に世界最高の指揮者としての地位を確立。2000年に胃癌で倒れるが、再起し、2003年以降ルツェルン祝祭管弦楽団や自身が組織した若手中心のオーケストラ(マーラー室内管弦楽団やヨーロッパ室内管弦楽団など)との活動を中心に展開。

 ヨーロッパ室内管弦楽団は、英国ロンドンを本拠地とする室内オーケストラ。クラウディオ・アバドの提唱により、1981年ECユース管弦楽団(現EUユース管弦楽団)の出身者を中心として、ヨーロッパ12カ国の約45名の若い演奏家たちにより結成された。アバドをミュージカル・アドバイザーとして1982年にロンドンでデビューし、アバド指揮、ポリーニのピアノソロによるヨーロッパ・ツアーにより瞬くうちに名声を得る。音楽監督・首席指揮者などは置かず、これまでアーノンクール、ショルティ、マゼール、ベルグルンド、バルシャイなどの指揮者、ポリーニ、クレーメル、ゼルキン、ピリスなどのソリストたちと共演を重ねてきた。レパートリーもノーノやシュトックハウゼンなどの現代音楽に至るまで幅広くこなす。アバド指揮でロッシーニの歌劇「ランスへの旅」、シューベルトの交響曲全集やハイドンの交響曲集、ニコラウス・アーノンクール指揮でベートーヴェンの交響曲・協奏曲全集やバルトーク作品集、ゲオルク・ショルティ指揮でモーツァルトの交響曲や歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」など、これまで数多くの優れた録音を遺している。

 ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」は、独立した作品ではなく、1725年にアムステルダムのル・セーヌ社から出版された協奏曲集「調和と創意への試み」op.8の最初の4曲のことを指す。この「四季」は、特に日本において絶大な人気を誇っている。これは同曲の四季折々の風物を描くソネットを配した構成が、古来芸術と季節とを強く結びつけてきた日本人の精神にぴたりと合うからだと考えられている。このCDでの「四季」の演奏は、その響きが流麗な上に、芳醇な香りが濃厚にたちこめたものになっており、数ある「四季」の録音の中でも特筆すべきものに仕上がっている。テンポはややゆっくり目としたもので、これらがの要素一体となり、日本人が特に好む理想的な「四季」が、そこには現れてくるのである。ムローヴァのヴァイオリン独奏も詩的な雰囲気をたっぷりと含み、聴き応えは十分以上といってもよいほどだ。ヴァイオリン独奏者、指揮者、そしてオーケストラの三者の息がぴったりと合っていることが、この録音の魅力を倍増させている。このCDには、「四季」のほかヴィヴァルディの協奏曲ト短調「ドレスデンオーケストラのために」が収録されている。「ドレスデンオーケストラ」とはドレスデン宮廷管弦楽団のこと。この曲での演奏は、「四季」より一層重厚さが増したような感覚の演奏で、特に華やかな管楽器群の響きが一際印象に残る。(蔵 志津久)  

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◇クラシック音楽CD◇ピリスのバッハ:ピアノ協奏曲第1番/第4番/第5番

2012-05-15 10:45:38 | 古楽

バッハ:ピアノ協奏曲第1番/第4番/第5番

ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス

指揮:ミシェル・コルボ

管弦楽:リスボン・グルベンキアン室内管弦楽団

CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS22161

 このCDは、名ピアニスト否、今では巨匠(女性ピアニストにはしっくり来ないが)ピリス(正しい発音はピレッシュ)が弾いたバッハのピアノ協奏曲の3曲が収められている。「バッハのピアノ協奏曲?」と一瞬違和感を感じてしまうが、一般にはドイツ語でチェンバロ協奏曲(仏語でクラヴサン協奏曲、英語でハープシコード協奏曲)と呼ばれている一連のクラヴィーア協奏曲(鍵盤楽器による協奏曲)のことを指すわけであり、現代においては鍵盤楽器の王者はピアノであるので、バッハのピアノ協奏曲と言っても別に不思議はないわけである。当時、バッハはライプチヒでコレギウム・ムジクム(音楽の集いといった意味)の指導者としての仕事に就任した(1729年)。コレギウム・ムジクムで演奏するのは音楽学生(といってもセミプロ級の腕を持っていた)であり、バッハは、ここで演奏する曲を作曲する必要に迫られたのである。

 そのために作曲された作品の一つが一連のチェンバロ協奏曲なのである。演奏場所はコーヒー店やコーヒー庭園で、聴衆はコーヒーを飲みながら学生たちが演奏する曲を聴いていたようで、いわばドリンク付きコンサートであり、今日のコンサートのはしりみたいものだったようだ。バッハは、チェンバロ協奏曲を1台用8曲、2台用3曲、3台用2曲、4台用1曲の合計14曲を1729年~1739年の10年間に書いたという。これらは、コレギウム・ムジクムの教材用ということからか、バッハの過去の作品の焼き直しか、編曲としての作品も含まれており、全てがバッハの作品ではないようなのだ。ただ、一旦バッハの手を経ると、全くの新しい作品のような輝きを持ちはじめるから、あまりそのことに拘ることもないのかもしれない。例え、バッハの作品と断定できなくても、バッハの響きがすればそれはそれでいいではないかと。

 このCDでピアノを弾いているのが、ポルトガル出身のピアニストのマリア・ジョアン・ピリスである。ピリスは、若い時から来日して名演を日本の聴衆に聴かせてきたが、最近も来日し、かつての若々しいピアニズムに加え、円熟の境地に入った名人芸を披露している。ピリスのピアノ演奏は、実にすっきりとメリハリの効いた味わいなのだが、少しも無機質なところがなく、聴き終わった感じは、気品のあるしっとりとした情感に包まれたものとなっているところが、他のピアニストが到底真似できない名人芸なのである。自然な営みの中にピアノ演奏が伸びやかに繰り広げられるといった感じであり、このことが日本人の好みにピタリと合うのかもしれない。ピリスもそのことが分っているからこそ、何回も来日しているのではなかろうか。そんなピリスは、バッハのピアノ協奏曲を弾いたらどうなるだろうか。聴く前から期待に胸が膨らむ。結果は予想通り、バッハとピリスの相性はピタリと合っている。ピリスの透明感のある音色はバッハによく馴染んでおり、とりわけ現代的なセンスが散りばめられているところが、実に聴き易い。ピリスのピアノは、バッハを現代に見事に再現して見せている。録音は1974年6月。スイス出身の指揮者ミッシェル・コルボ(1934年生まれ)との相性もいい。

 第1番は、バッハのニ短調のヴァイオリン協奏曲の編曲と言われているが、確証はないそうである。そんな成り立ちの曲ではあるが、バッハのチェンバロ協奏曲の中では最も知られた曲で、一度聴けば耳に残る印象深い曲なのだ。第1楽章は、何かモーツァルトのピアノ協奏曲のような雰囲気があるし、第2楽章などはベートーヴェンの初期のピアノ協奏曲を連想させるような曲でもある。第3楽章になると、ようやくバロック時代の曲だと我に返るが、これもピリスの現代感覚によって、現在の我々が聴いても少しの違和感も感じられない。第4番も原曲が何であったかはっきりとしないが、オーボエ・ダモーレ協奏曲イ長調ではないかと言われているのだそうだ。この曲は、全曲にわたり、実に伸び伸びとした雰囲気を持った曲で第1番に劣らず人気がある曲だ。全体の印象はバロックの曲に相違ないのであるが、それを超えて愛らしい様相を持っているところがチャーミングな曲だ。第5番も原曲がバッハの曲かどうか確証はない。しかし、この第1楽章の出だしを聴けばそんなことはどうでもいいと思ってしまうほど、現代の我々の耳に馴染む。第2楽章の甘美なラルゴを聴けば誰でも天空へ遊ぶ気持ちにさせられる。ピリスの絶妙なピアノ演奏には脱帽させられる。そして第3楽章を聴くと、ただただ音楽の楽しさにだけに浸ることができるのだ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ターフェルムジーク・バロック管のヘンデル:「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」

2012-01-31 10:31:12 | 古楽

ヘンデル:管弦楽曲「水上の音楽」
            管弦楽曲「王宮の花火の音楽」

管弦楽:ターフェルムジーク・バロック管弦楽団

CD:ソニーレコード SRCR2641

 私はヘンデルの名前を見ると、真っ先に思い出すのは管弦楽曲「水上の音楽」や管弦楽曲「王宮の花火の音楽」である。そのくらいポピュラーな曲であり、事実聴いてみると、非常に耳に馴染み、しかも心地良く、なるほど名曲ではあるといつも感じる。ロマン派や現代音楽の感覚からすると、バロック音楽であるこれら2曲の音楽は、ちょっと現代人である我々の感覚とは違うという認識に捉われるが、一方では、音楽自体を素直に聴いてみると、バロック時代の音楽の方が純粋な音楽の悦びに満ち溢れているとも感じられるのだ。つまり、音楽だけの世界に浸りきるという点では、バロック音楽は現在でも、その存在意義を失ってはいないとも言える。ところでバロック音楽とは、どのような音楽を指すのであろうか。一般的には、ヨーロッパ音楽において、17世紀から18世紀半ばまでの音楽を総称して言うようだ。「バロック」の語源は、ポルトガル語の「バロッコ」(ゆがんだ、不揃いな、あるいはいびつな真珠)からきたとも言われている通り、あまりいい意味とも言えなくはない。しかし、逆の意味からは、装飾に富んで、感情を込めた生き生きとした音楽であるとも言える。そして劇音楽(オペラ)や器楽音楽などが相次ぎ登場し、それ以降の西洋音楽の興隆の先駆けになった重要な時代でもあったのだ。

 このCDで演奏しているターフェルムジーク・バロック管弦楽団は、そんなバロック時代の音楽をオリジナル楽器(古楽器)で演奏する演奏団体であり、バロック音を聴くには正にぴったりの楽団である。同楽団は、1979年、カナダのトロントを本拠地として結成された古楽器オーケストラ。ベースとなる奏者は古楽器のスペシャリストの19人で、必要に応じて増強しているそうだ。1981年より、女流のバロック・ヴァイオリニストであるジャンヌ・ラモンが音楽監督兼コンサートマスターを務めている。また同じく1981年にターフェルムジーク室内合唱団を併設している。同楽団の音色は、秋の空を思わせるよう清々しくも鮮やかであり、しかも活き活きとしていて、聴いていて少しも疲れることはない。よく、バロック時代を専門とする楽団は、古色蒼然とした色合いを持っていることも少なくないが、ターフェルムジーク・バロック管弦楽団は、その反対で、現代の我々が聴いても、違和感なくバロック時代の音楽が心地良く耳から聴こえてくる。とても爽やかな古楽器オーケストラだ。

 管弦楽曲「水上の音楽」は、イギリス国王ジョージⅠ世のテームズ河の舟遊びのために作曲され、実際に演奏された曲。作曲年代は、ジョージⅠ世のテームズ河の舟遊びが行われた1715年説と1717年説の2つがあるようだ。現在、遺された楽譜は、「クリュザンダー旧全集版」と「ハレ新全集版」の2つがあり、ともに22の楽章からなっている。このCDは、「クリュザンダー旧全集版」によっている。「ハレ新全集版」によると、全体が3つの組曲に分けられ、第1組曲はホルン、第2組曲はトランペット、第3組曲は木管楽器が特徴的であるという(同CDのライナーノート、筆者:三澤寿喜氏)。曲全体は、いかにも舟遊びの曲らしく、全体に伸び伸びとしており、大らかな気分を満喫することができる。例えば有名な第3曲のアレグロなどを聴くと、前々へと進む船の舳先で、心地良い川風に身を任せ、居ながらにして舟遊びをしているような感覚にさえ思えてくる。「水上の音楽」でのターフェルムジーク・バロック管弦楽団の演奏は、実に緻密に仕上がっており、特に弦と管のバランスが見事と言うほかない。全体はゆったりとしたテンポで進み、現代オーケストラでは到底味わうことが出来ない優雅な雰囲気を醸しだしている。

 管弦楽曲「王宮の花火の音楽」は、8年間続いたオーストリア継承戦争の終結と、戦勝を祝うための記念事業を目的として書かれた曲。祝賀会当日には、序曲の演奏の後、礼砲が鳴らされ、さらに花火が行われたという。この後、花火によって木造の一部に火災が起こったというハプニングがあったが、ヘンデルの「王宮の花火の音楽」の音楽自体は大きな成功を収めたようである。全部で5曲からなるこの曲は、当初管楽器と打楽器のために書かれたが、その後ヘンデル自身によってによって弦楽を伴う形として演奏されている。このCDも管弦楽版によっている。全曲はほとんどがニ長調によっているが、これは祝祭音楽に欠くことのできない金管楽器の特性によるものという。ここでのターフェルムジーク・バロック管弦楽団の演奏は、「水上の音楽」とは、がらりと様相を変え、いかにも戦勝祝賀曲らしく金管楽器を中心に、華やかに、大らかに、そして力強く堂々と奏せられる。その伸びやかな、雄雄しい演奏に、遥か昔のイギリスで多くの人々が集い、戦勝に酔いしれている雰囲気がすぐそこにあるような気分にさせられてしまう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ヒラリー・ハーンのバッハ:ヴァイオリン協奏曲集

2011-10-04 10:38:59 | 古楽

~ヒラリー・ハーンのバッハ:ヴァイオリン協奏曲集~

バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番
    2つのヴァイオリン協奏曲
    ヴァイオリン協奏曲第1番
    オーボエとヴァイオリンのための協奏曲

ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン
       マーガレット・バーチャー(2つのヴァイオリン協奏曲)

オーボエ:アラン・ヴォーゲル(オーボエとヴァイオリンのための協奏曲)

指揮:ジェフリー・カヘイン

管弦楽:ロサンゼルス室内管弦楽団

CD:ユニバーサル ミュージック UCCG‐50058

 よく“三大B”と言われるが、正直な話、私はこれまでこの“三大B”のうち、ベートーヴェンとブラームスについては、あらゆるジャンルの曲を耳にタコができるほど聴いてきたし、多分これからも聴き続けるであろうと思う。それに対し、これまで大バッハの音楽については、世間で言うほど、それほど特別な関心もなかったし、一部の有名な曲に限って聴いてきたというのが正直なところである。ところがである。最近、やたらとバッハの曲に惹かれるようになってきた。これまでは、バッハの曲を聴くと、バロック音楽という枠組みの中でしか曲を捉えられなかったが、最近は、そんな枠組みが取り外され、バッハの音楽がストレートに心に響くようになってきたようなのだ。つまり昔は古い音楽という思いが強かったが、今は、むしろ現代人の心にピタリと寄り添うような感覚をバッハの曲の中に見い出すことも少なからずある。ベートーヴェンの曲は、“苦難を克服して歓喜に至る”という、至極明快なベートーヴェンの独自の主張に酔わされるわけであるが、バッハの曲は、そんな人生の応援歌みたいな要素は皆無なのである。バッハの音楽は、リスナーにそっと寄り添い、時としては慰めみたいな言葉もかけてくれる。今の私にとっては、バッハは現代の作曲家以上に、身近に感じられる作曲家なのだ。

 そんな時に、ヒラリー・ハーンが、バッハのヴァイオリン協奏曲を4曲弾いたアルバムが目にとまった。これまで私は、バッハのヴァイオリン協奏曲を収めたCDは、オイストラフの盤を唯一の名盤として聴き続けてきたが、最近の若いヴァイオリニストは、どのようにバッハを弾きこなすのだろうという好奇心が湧き起こり、ハーンのこのCDを聴いてみようという気になったのだ。結論から言うと、ハーンの現代的な感覚に裏打ちされた新しいバッハ像がはっきりと打ち出されており、その熱演に聴き惚れてしまった。バッハの音楽に正面から向き合い、同時にその音から現代にも通じる感覚を見つけ出そうとする、真摯な演奏態度に心底から共感が湧き起こってきたのだった。ヒラリー・ハーンは、米国バージニア州生まれ(1979年)のドイツ系アメリカ人のヴァイオリニスト。フィラデルフィアのカーティス音楽学校に学ぶ。2003年、グラミー賞を受賞しているが、著名な音楽コンクールで優勝経験をせず、しかも現在の名声を勝ち得ているところをみると、真に実力派のヴァイオリニストであることが見て取れる。度々来日しているので彼女の生の演奏をお聴きになった方も少なくはないであろう。このCDのライナーノートでハーンは「このアルバムを聴きながら、みなさんもゆっくりとした楽章では旋律を口ずさみ、早い楽章では爪先で床を鳴らし、曲に合わせて踊っていただけたら、(もちろん自分の家で、ですが)幸いです。どうぞ、私たちとご一緒に!きっとバッハも喜ぶと思います」と書いている。ハーンのヴァイオリン演奏をそのまま現したようなこの文章から、その人柄が自然に浮かんできそうだ。

 早速、このアルバムの録音順に順に「バッハ:ヴァイオリン協奏曲集」を聴いて行くことにしよう。まず、最も有名なヴァイオリン協奏曲第1番から。第1楽章を聴いただけでこのアルバムの性格が分るような演奏だ。力強く、リズム感が極めて良く、メリハリが利いたその演奏は、新しいバッハ像を見る思いがする。その演奏は決して誰かの真似などではなく、ハーンが現在感じているバッハの音楽を、そのままストーレートに弾いたということが直に伝わってくる。カヘイン指揮ロサンゼルス室内管弦楽団の演奏も、感覚的にハーンと共同歩調を取り合うように伴奏していることも好感が持てる。第2楽章は、第1楽章とがらりとと変わり、ゆっくりとしたテンポで、実にしっとりとしたバッハを聴かせてくれる。私はこんなに優美で深遠な第2楽章の演奏を聴くのは初めての経験だ。バッハの音楽が本来持つ奥深さと親しみやすさを同時に再現したことには、言う言葉もないほど。第3楽章は、第1楽章のような快活なテンポで一気に弾き進む。これぞ現代に生きるバッハであるということを実感させてくれる演奏となっている。2つのヴァイオリン協奏曲は、ヒラリー・ハーンとマーガレット・バーチャーの2人のヴァイオリン演奏の意気がピタリと合い、バッハの音楽が持つ、筋がピーンと張ったような古典美が伝わってくる。第2楽章のゆっくりしたテンポも伸び伸びとした表現が実に心地良い。

 ヴァイオリン協奏曲第1番は、第2番の陰に隠れ、比較的目立たないヴァイオリン協奏曲ではあるが、一度その魅力に嵌ると、第1番を凌ぐようなバッハならではの音の魔術の虜になってしまう。ハーンの演奏も、そんな曲の性格を意識したように、第2番に比べ一層緻密で重厚な演奏に終始し、その聴き応えは、腹の奥底へと響くような充実感あるものになっている。しかも、ハーン独特のしなやかで華のある弓使いが随所に見られ、思わず「これは凄いヴァイオリニストだ」という思いに駆られる。第2楽章の静かで、朗々とした旋律を聴くと、もう時間が一瞬停止して、音そのものだけが光り輝いている・・・そんな感じがひしひしと迫って来るようだ。オーボエとヴァイオリンのための協奏曲の第1楽章は、誰でも聴いたことのあるメロディーが流れ出し、ハーンではないが「ゆっくりとした楽章では旋律を口ずさみ」たくなるようだ。第2楽章は、オーボエとヴァイオリンとが絡み合うように演奏して行くが、2人の演奏家の絶妙のコンビネーションを心の奥まで堪能することができる演奏内容となっている。この楽章だけとっても、この録音のレベルの高さが裏づけされるし、現代に生きているバッハを実感できる。第3楽章は、オーボエとヴァイオリンが、技術の粋を込めた演奏を披露する。そこにあるのは純粋な音の悦びだけである。
(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇クラウディオ・シモーネ指揮のヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」

2011-09-06 10:35:12 | 古楽

ヴィヴァルディ:協奏曲集「調和の霊感」

指揮:クラウディオ・シモーネ

弦楽合奏:イ・ソリスティ・ヴェネティ(ヴェネツィア合奏団)

CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS‐22154/5

 ヴィヴァルディの名を聞くと反射的に「四季」を思い浮かべるリスナーも少なくないであろう。それだけ「四季」は、日本人のクラシック音楽ファンに親しまれ、定着ている証なのだと思う。今回のCDは、このヴィヴァルディの「調和の霊感」と名付けられた、全部で12曲からなる協奏曲集である。こちらの方は、「四季」ほどポピュラーではないが、よく聴き通すと(全部で12曲もあるので少々しんどいのだが)、「四季」に劣らず充実した内容となっており、一度その魅力に取り付かれると、「四季」以上に愛着が出てくるとも言えるバロック期の名協奏曲集なのである。まあ、人間と同じように外形だけで判断してはならないのが音楽で、「調和の霊感」という名称そのものが「四季」ほどに親しみがわかない、ということが今イチ人気が出ない原因ではないかと、私なぞは邪推してしまう。「調和の霊感」と言われると神秘的なことは感じられるが、あまり親しみのある言葉ではない。そもそも、「四季」はもともと12曲からなる協奏曲の最初の4曲をピックアップしたものであり、もし、イ・ムジチ合奏団が「四季」の名を付けずに、原曲のまま全12曲を演奏し続けたら、今ほどの人気がでたかどうか疑わしいと思う。

 バロック音楽全盛に時代に比べ、現代は忙しない時代になっているのだから、この「調和の霊感」も、全12曲を全部続けて聴く必要はないわけであり、私に言わせて貰えば、「四季」に対抗するわけではないが、この「調和の霊感」は最後の4曲をピックアップして聴けば全曲の真髄を味わうことができ、しかも、時間に追い掛け回される現代でも、充分に時間の余裕を持って聴くことができると確信している。そんなわけで、前12曲からなる「調和の霊感」の第9曲~第12曲を聴いてみることにしよう。第9曲の第1楽章はアレグロの楽章で、伸びやかな弦の響きが誠に心地よく、よく晴れた草原で思い切って背伸びをしたような爽快さが堪らない。第2楽章のラルゲットは、正に天上の音楽のようであり、心が救われるような気分に浸ることができる。第3楽章は、如何にもバロック音楽スタイルで軽快なテンポが聴くものの心を解きほぐしてくれる。第10番の第1楽章は、お祭りのような雰囲気で盛り上がれる。何か日本の祭りのような雰囲気もあり、親しみが持てる。第2楽章は、ラルゴ-ラルゲット-ラルゴの楽章で、ヴァイオリン奏者の巧みな弓使いにほれぼれとしてしまう。第3楽章は実に堂々としていて、バロック音楽の真髄に触れたようでもあり、音そのものの魅力に思わず惚れ惚れしてしまう。

 第11番は、第7番と同じく全部で4つの楽章を持つ(その他の曲は全て3楽章からなる)。第1楽章は、何か「四季」の音楽にも通じてリスナーに訴えかけるような余韻が素晴らしい。第2楽章は、低音の弦の響きの響きが一際効果的であり、テンポも現代的であり、現代人にも共感が得られよう。第3楽章は、訴えかけてくるようなメロディーが一度聴いたら忘れられない印象をリスナーに強く与えてくれる。ヴィヴァルディ・マジックとでも呼んだらいいような演出効果には思わず脱帽させられる。第4楽章のアレグロは、疾走するスピード感が絶妙であり、この部分だけ取り出して現代感覚をたっぷり味わえる。第12曲の第1楽章は、逆にバロック時代の王宮の一室での式典を見ているような典雅さが何とのいえない雰囲気を醸し出す。同時に何か声を出して口ずさみたくなるようでもあるのだ。第2楽章は、それはそれは、優雅な美しさに満ち溢れた音楽の世界が静々と進んでいく。何とも表現しがたい雅な佇まいがそこにはある。最後の第3楽章は、宮殿で舞踏会が始まったような華やかさが一面を覆いまばゆいばかりだ。

 今回、「調和の霊感」の最後の4曲、第9番~第12番を通して聴いてみたが、「四季」に劣らず、いや「四季」を上回る魅力に溢れた協奏曲集であるという印象を強く受けた。「四季」のファンのリスナーには、特に「調和の霊感」最後の4曲を聴いてほしいものだ。このCDで演奏しているのがクラウディオ・シモーネ指揮のイ・ソリスティ・ヴェネティであり、実にメリハリの効いた演奏であると同時に、情感溢れる雰囲気もたっぷりと味あわせてくれる演奏にもなっており、理想的な「調和の霊感」を再現してくれている。録音場所がトリノのストゥビニージ宮ということで、スタジオ録音とは一味も二味も違った演奏に仕上がっているようだ。指揮のクラウディオ・シモーネ(1934年生まれ)は、イタリアの指揮者であり、これまで多くの録音を通じて日本のファンにもお馴染みである。指揮ぶりは、正統的できっちりとした演奏が特徴だが、このCDでも情緒溢れる演奏も存分に取り入れ、その演奏に思わず引き込まれてしまうほどの出来上がりを見せている。イ・ソリスティ・ヴェネティ(ヴェネツィア合奏団)は、クラウディオ・シモーネが設立した、イタリア・ヴェネツィアを本拠地とする弦楽アンサンブルであり、度々来日している。このCDでも一糸乱れぬ見事な弦楽合奏を聴かせてくれている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ガーディナーのバッハ:管弦楽組曲全集(第1番~第4番)

2011-08-09 10:32:18 | 古楽

バッハ:管弦楽組曲全集

指揮:ジョン・エリオット・ガーディナー

管弦楽:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

CD:ワーナーミュージック・ジャパン(ERATO) WPCS‐22140/1

 バッハの4曲からなる管弦楽組曲は、同じくバッハのブランデンブルグ協奏曲と双璧をなす管弦楽の傑作である。4曲とも舞曲や宮廷音楽の集大成とも言えるものであり、当時の優美で華やかな音楽が、現代のリスナーにも、大きな喜びと安らぎを与えてくれている、誠に貴重な音楽なのである。作曲年代は、定かではないが、バッハのワイマール時代(1708年―1717年)あるいはケーテン時代(1717年―1723年)と考えられており、ライプツィヒ時代(1723年以降)に大幅に加筆されたという。当時のドイツ音楽というと、極端に言えばヨーロッパ全体の中では片田舎の音楽としか認識されておらず、そんな環境でバッハは孤軍奮闘といった塩梅であったようである。当時の最新流行の音楽というと、フランス音楽、イタリア音楽であり、バッハもこれらの最新の音楽様式を取り入れれことに努め、完成したのがこの舞曲を中心にした管弦楽組曲なのだ。当時の舞曲の基本は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジグの4つであったが、ここでバッハは、アルマンドは使わず、ブーレ、メヌエット、ガヴォットなどを使い、舞曲から少々離れた曲も盛り込むなど、バッハの創作意欲が偲ばれる。

 このCDで演奏しているジョン・エリオット・ガーディナーは1943年生まれのイギリスの指揮者。1998年にエリザベス2世よりナイトに叙任され、現在では、サー・ジョン・エリオット・ガーディナーと称されている。ケンブリッジとロンドンのキングズ・カレッジに学んだが、ケンブリッジの学生時代の1964年にモンテヴェルディ合唱団を結成して、その活動が一躍世界的注目を浴びる。その折に結成したオリジナル楽器によるオーケストラがイングリッシュ・バロック・ソロイスツへと発展していったのである。つまり、ガーディナーは、モンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイスツの両方の創始者として古典派音楽の演奏で活躍を見せ、その名は世界的に定着することになる。1990年には、ロマン派音楽のレパートリー開拓を目指して、オルケストル・レヴォリューショネール・エ・ロマンティークを新たに結成した。また、主要オーケストラへの客演指揮を行い、古典派音楽のほか、ロマン派および近代フランス音楽の指揮も手掛け、ここでも定評を受けている。このCDは、ガーディナーのバッハ作品でも初期に当るもので、1983年1月に録音されたもの。それだけに演奏内容は若々しく、瑞々しい感性が光り、躍動するリズムが聴くものを納得させずにおかない。それにしても、この録音のオケの音色の透き通った素晴らしさは例えようがないほど。

 演奏内容は、第1番および第2番と、第3番および第4番では大きく異なる。ガーディナーが意識して指揮したのか、第1番および第2番は、静寂で詩的な表現が辺りを覆い、従来のバッハの印象を一変させるような優美さが特徴だ。それに対し、第3番および第4番は、活発なリズム感に溢れ、その躍動美は例えようもない。そんなガーディナーの“演出”効果のためもあってか、あっという間に全4曲の演奏が終わってしまうという感じすら受ける。第1番は、ゆっくりとたテンポのとり方が、何とも優雅であり、それにオケの響きの透明さが加わり、聴いていて知らず知らずのうちに、バッハの世界に引きずり込まれる感じが何とも凄い。第2番は、落ち着いた古典音楽の世界が繰り広げられ、喧騒の世界の現代から、奥深く同時に慎み深いバロックの世界へと一挙に連れ去られるような快感を味わうことができる。繊細でいて何かぴしりとハリが利いた音楽とでも言える空間がリスナーの目の前に次々と繰り広げられ、音楽の楽しさそのものが伝わってくるのだ。バロック音楽は退屈どころか、現代人でも共感できる楽しさが凝縮されていることが実感できる。これはやはりバッハの天才のなせる業か。

 第3番は、第1曲からして華やかな序曲から始まり、楽しい音楽の予感に満ち溢れている。第2曲目は、この4つの組曲からなる管弦楽組曲の中で最も有名な「エアー」である。ガーディナーの指揮は、すっきりとまとめ、誠に口当たりの良い演奏に終始する。この辺のガーディナーの指揮を聴くと、ガーディナーがバロック音楽を熟知し、いたずらに聴衆に媚びることなく、バッハ音楽を伝えてくれていることが、手に取るように分るのだ。続く、ガボット、ブーレ、ジーグの舞踏音楽は、リズム感が何とも言えず良く、惚れ惚れする仕上がりに満足させられる。第4番の第1曲は、格調高い序曲が印象的。この音楽を聴くと、やはりバロック音楽は、王宮の音楽であり、荘厳さが特に記憶に残る。それでも、第2曲以下は、親しみやすい舞曲調のメロディーが続き、飽きさせない。この辺は、バッハの作曲手腕の確かさなのであろう。最後の5曲目は、管弦楽組曲全体を締めくくるに相応しく、荘厳でであると同時に輝きに満ちた明るさが聴く者を圧倒する。ガーディナーの指揮も畳み駆るように演奏し、バロック音楽の魅力を今に伝えるのに充分だ。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇オットー・クレンペラーのバッハ:ブランデンブルグ協奏曲第1番―第6番(全曲)

2011-07-05 09:50:07 | 古楽

バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第1番―第6番(全曲)

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

CD:EMI TOCE 91023-24

 バッハ(1685年―1750年)の音楽は、今から250年以上前に作曲されたのにも関わらず、現代の我々も共感を覚える何かが存在している。例えば、少し先輩に当るヴィバルディ(1678年―1741年)と比較してみれば明白だ。ヴィバルディも現在演奏される名曲を数多く残しているが、如何にもバロック音楽といった趣が濃厚であり、我々リスナーがヴィバルディを聴くと、遥か彼方のバロック時代にタイムスリップしたような感覚に捉われるのである。それに対してバッハの音楽には、現代の我々が共感できるような部分が存在している。今はそう聴かれなくなったが、バッハの音楽をジャズにアレンジした演奏が盛んだった時代があった。バッハの音楽は、クラシック音楽という範疇を飛び越えてしまうだけの、とてつもないエネルギーを内包しているのだ。また、グレン・グールドのバッハのピアノ演奏は、バッハと現代とを結びつける先駆けだったということができる。グレン・グールドの天分が、バッハの現代性をいち早く嗅ぎ取ったと言って過言でなかろう。

 今回のCDは、バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第1番―第6番(全曲)である。何故ブランデンブルグなのかとうと、ブランデンブルグ辺境伯のクリスティアン・ルードヴィヒに献呈されたのでこの名が付いているのである。献呈した日は、1721年3月21日となっているが、これらの全6曲は、かなり長い間をかけて作曲されたらしい。作曲された順は、第6番⇒第3番⇒第1番⇒第2番⇒第4番⇒第5番の順だという。このうち、第6番と第3番はワイマール時代、第1番以降はケーテン時代に書かれたものとされている。この曲は合奏協奏曲というジャンルに当て嵌まり、バッハといえども合奏協奏曲のお手本とする作曲家はいたわけであるが、それがヴィバルディということになる。ヴィバルディは、イタリアの作曲家らしく明快で、軽やかな音楽を作曲したが、バッハはこれに加え、フランスの音楽の味、さらにはドイツの音楽のエッセンスを加えて作曲した。その結果、お手本としたヴィバルディの合奏協奏曲を上回る傑作を残すことになったのだ。いわば、バッハの作曲したブランデンブルグ協奏曲は、多国籍音楽ともなっているところが、先輩格のヴィバルディを追い抜いてしまった原因があるということになる。そんな目で見ると、バッハは、他の作曲家とは何か違うことをしようとした、改革派の作曲家でもあったのであろう。

 それではオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏で聴いてみよう。第1番は、他の曲がいずれも急ー緩ー急の3楽章で書かれているのに対し、唯一4楽章形式を採用している。この辺はバッハの新しい取り組みの意欲が感じられる。曲は全体にゆっくりとしていて、聴いていて安心感が持てる曲想に仕上がっている。クレンペラーの指揮は、奥行きの深い堂々とした構えの音楽を構築する。しかし、少しもぎすぎすした所はなく、瑞々しさに溢れ、聴き応えがある。第2番は、典型的なバロック時代の合奏協奏曲である色合いが濃い曲であり、クレンペラーの指揮も明るく華やかな色彩で演奏する。第3番は弦楽器だけの編成であり、その第1楽章を聴くと懐かしいメロディーが聴かれ、何かほっとする。この辺が現代でもバッハ愛好される理由の一つだ。少しの古めかしさがなく、弦楽合奏の醍醐味が味わえる。オットー・クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団メンバーとが一つになって演奏するさまが何ともいい。第4番の第1楽章のメロディーは誰でも一度は聴いたことがあろう。親しみが湧く曲だ。第5番の第1楽章も御馴染みのメロディーが聴かれ、懐かしさに溢れた曲。クレンペラーはそんな曲を丁寧に、隅々に配慮した演奏を聴かせてくれる。第6番は、音楽が幾重にも折り重なった感じの曲で、クレンペラーの指揮は、その重厚な趣を醸し出すことに見事成功している。

 このCDで指揮をしているオットー・クレンペラー(1885年―1973年)は、ドイツの指揮者で、数多くの録音により、現在でも愛聴者が多い。マーラーの推薦で、プラハ・ドイツ劇場の指揮者としてスタート。1933年―1939年、ロスアンジェルス・フィルハーモニックの常任指揮者として活躍したが、脳腫瘍のため一時引退に追い込まれる。以後、死に至るまでクレンペラーは、怪我などの病魔にも悩ませられることになる。このCDでもそうであるが、クレンペラーの指揮は、比較的ゆっくりとしたテンポで行われることが多いが、これは病気の影響とも言われている。第2次世界大戦後、ヨーロッパ楽団へ復帰を果たす。1947年、62歳でハンガリーのブダペスト国立歌劇場の監督に就任する。1952年には、EMIと録音契約を結び、以後多くの名演奏を残すことになる。そして1959年、クレンペラーはフィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者の座に就き、同楽団が1964年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団として新しいスタートを切った後も両者の活動は続いた。オットー・クレンペラーの指揮ぶりは、如何にもドイツの指揮者らしく、堂々とした構成の音楽を聴かせる。今回のバッハ:ブランデンブルグ協奏曲第1番―第6番(全曲)の録音は、そんなクレンペラーの特徴がよく現れた録音として今後も長く聴かれ続けることになろう。
(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ムター&トロンハイム・ソロイスツのヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」

2011-05-24 11:26:57 | 古楽

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」
         「悪魔のトリル」

ヴァイオリン&指揮:アンネ=ゾフィー・ムター

弦楽合奏:トロンハイム・ソロイスツ

CD:ユニバーサル ミュージック UCCG‐50075

 ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」ほど、日本のリスナーに愛されているバロック音楽は他にあるまい。クラシック音楽ファンは言うに及ばず、クラシック音楽を聴く機会が少ない人々にまでその名は知れ渡っている。この理由の一つは、「四季」という表題が(ヴィヴァルディが付けたものではないようであるが)、日本人なら誰でもぐっとくるネーミングであるからだろう。日本のいい所を日本人に挙げさせると、必ず「四季があること」という項目が入ってくる。古来、万葉の頃から日本人は、四季の移り変わりに敏感に反応し和歌などに詠み連ねてきた。一般にバロック音楽というと、多くの日本人にとっては、理解し難い宗教色の印象が濃く、ともすると敬遠気味となる。ところが、ヴィヴァルディの「四季」だけは、日本人の感覚で捉えることができるので、理屈を超えて良い印象を持つようだ。ヴィヴァルディの「四季」を聴いて、クラシック音楽ファンになった人も少なくないはずだ。それに、曲の身の丈も日本人に合っているように思う。何かしら日本古来の古楽にも似て、こじんまりとしたまとまり感が、これまた日本人向きだ。

 そんなことで、これまでどれほど多くのヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」が発売されて来たことであろうか。その中には名盤も数多く、その中から1枚を選ぶのは至難の技だ。そこで今回は、思い切って“ヴァイオリンの女王”ことアンネ=ゾフィー・ムターがヴァイオリン&指揮と指揮をし、弦楽合奏がトロンハイム・ソロイスツの盤を聴いてみたい。このトロンハイム・ソロイスツは、1988年に結成された若手17人からなるノルウェーのアンサンブルである。しかもこれはライヴ録音というから珍しい。曲の性格上、「四季」の演奏は、完璧に弾き込んだ方が、より曲の真髄に迫ることができそうな感じがして、一般にはスタジオ録音盤の方を勧めたい、とは思う。しかし逆にいうと、ムターの最近の円熟味を、切れ味がいいライヴでの一発勝負が聴けるところがこの盤の最大の売りなのだ。聴いてみると、ムターの感受性豊かなヴァイオリン&指揮が実に新鮮であり、そのムターが意図する「四季」を必死になって再現しようとしている、トロンハイム・ソロイスツの若き弦の響きがこれまた新鮮で、従来の「四季」の古色悄然としたイメージ(言い過ぎか)を一新した快演といってもいいのではなかろうか。

 第1協奏曲「春」。第1楽章は、極普通のテンポで始まる。ムターはただいたずらに自分の表現を強調するより、ヴィヴァルディの豊かな感受性を大事にして演奏するが、その演奏内容は、限りなくまろやかで思わず聴いていても笑顔がこぼれるといった感もして、納得のいく演奏。第2楽章は、微妙なニュアンスを巧みに演出しており、ムターの感性が一挙に顔を覗かせる。繊細でしかもゆったりとした雰囲気に思わず聴き惚れる。第3楽章は、トロンハイム・ソロイスツの若々しいアンサンブルを心ゆくまで堪能できる。少々未熟な響きのようにも聴こえるがそこは若さでカバーといったところか。第2協奏曲「夏」の第1楽章は、周到に準備された弦の響きが誠に美しく、リスナーの心に直接強いインパクトを与えるのに成功しているようだ。第2楽章は、稲妻と雷の表現のライヴ独特の生なましさがいい。「四季」のライヴの良さを実感できる。第3楽章の迫力はムターならではでの個性溢れるものに仕上がって聴き応えたっぷり。

 第3協奏曲「秋」の第1楽章は、ヴィヴァルディの「四季」の代名詞みたいな楽章であるが、ムター&トロンハイム・ソロイスツのコンビは、「四季」をバロック音楽としてではなく、現代にも通用する感覚で演奏するので、思わず聴いていて手に汗握るというとオーバーであるが、もうバロック音楽を越えて、ヴィヴァルディが現代に蘇ったような素晴らしい演奏を聴かせてくれる。第2楽章は、一転して緩やかで幽玄の趣いっぱいの楽章だが、ムター&トロンハイム・ソロイスツはさらりと表現してそつがない。第3楽章は、「狩り」の音楽だそうであるが、ここではムターのヴァイオリンが俄然本性を現して迫力充分。第4協奏曲は「冬」。第1楽章は、寒さで凍える表現がライヴならではの鋭い表現となっており、聴いていて十分の満足感が得られる。ムターとトロンハイム・ソロイスツの息がぴたりと合っているところも聴きどころ。第2楽章。この楽章だけ聴いても「四季」はいいなと感ぜられるほどの名曲。ムターのヴァイオリンも夢見るように美しいメロディーを奏でる。ここでも現代的な「四季」となっており、自然体で聴くことができる。そして、最後の第3楽章に入っていくが、ムター&トロンハイム・ソロイスツは、あたかも思いのたけをぶつけるように情熱的な演奏に終始する。最後は陰影が強調されたライヴのいいところが前面に押し出された演奏で終わる。(蔵 志津久) 

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