<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~トン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクのモーツァルト演奏会~
①モーツァルト:交響曲 第20番 ニ長調 K.133
指揮:トン・コープマン
管弦楽:カメラータ・ザルツブルク
②モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191
ファゴット:リッカルド・テルツォ
指揮:トン・コープマン
管弦楽:カメラータ・ザルツブルク
③モーツァルト(リッカルド・テルツォ:編曲):歌劇「フィガロの結婚」から「恋とはどんなものかしら」」(アンコール)
ファゴット:リッカルド・テルツォ
指揮:トン・コープマン
管弦楽:カメラータ・ザルツブルク
④モーツァルト:フリーメーソンのための葬送の音楽 ハ短調 K.477(479a)
指揮:トン・コープマン
管弦楽:カメラータ・ザルツブルク
⑤モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
クラリネット:ダニエル・オッテンザマー
指揮:トン・コープマン
管弦楽:カメラータ・ザルツブルク
⑥モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から「さわやかに風よ吹け(アンコール)
クラリネット:ダニエル・オッテンザマー、ウォルフガング・クリンザー
バス・クラリネット:モニカ・ヴィースターラー
収録:2023年1月30日、オーストリア、ザルツブルク、モーツァルテウム大ホール
放送:2023年7月14日 午後7:30~午後9:10
今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2023年1月30日、オーストリア、ザルツブルク、モーツァルテウム大ホールで行われたトン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクによる演奏会の放送である。曲目は、オールモーツァルトプログラムで、若い頃の作品2曲(交響曲第20番とファゴット協奏曲)それに晩年の作品2曲(フリーメーソンのための葬送の音楽とクラリネット協奏曲)の合計4曲である。
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指揮のトン・コープマン(1944年生まれ)はオランダ出身。古典学を修めた後、アムステルダム音楽院でオルガンとチェンバロを学び、音楽学をアムステルダム大学で学ぶ。1979年にアムステルダム・バロック管弦楽団を創設。1992年にはアムステルダム・バロック合唱団を併設し、高い評価を受ける。わけてもバッハの宗教曲やモーツァルトの交響曲の演奏・録音を通じて、オリジナル楽器演奏運動の先駆けとなる。ノリントン、ガーディナー、インマゼールといった指揮者たちが古楽のアプローチでロマン派音楽にも進出したのに対し、コープマンは、ハイドンやモーツァルトの作品は古典派ピッチではなくバロック・ピッチで演奏・録音を行い、ベートーヴェン以降の音楽については、オリジナル楽器アンサンブルで演奏することはない。コープマンはバッハのカンタータ全曲録音を2005年に完了した他、バッハのオルガン作品全集の録音を3度目の挑戦で成し遂げた。ソリストや指揮者としての数々の録音によって、数多くの受賞歴を持つ。
カメラータ・ザルツブルクは、オーストリアのザルツブルクを拠点とする室内オーケストラで、指揮者でありモーツァルテウム音楽院の院長でもあったベルンハルト・パウムガルトナー(1887年―1971年)により1952年に創立された。以前は、モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ・ザルツブルクあるいはカメラータ・アカデミカ・ザルツブルクと呼ばれていた。メンバーはモーツァルテウム音楽院の教授と学生たち。①モーツァルトに最適な室内オーケストラの編成②パウムガルトナーという優れた指揮者③モーツァルトをよく理解している優秀なメンバー④ザルツブルクという好条件に恵まれたこと、などでカメラータ・ザルツブルクは急速にその活動を内外に広げた。特に、モーツァルトの初期の作品や全集など、数多くのレコーディングを行った。1971年のパウムガルトナーの死去以降は、ウルス・シュナイダー、アントニオ・ヤニグロ、シャーンドル・ヴェーグ、ロジャー・ノリントンが首席指揮者を務めた。
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①モーツァルト:交響曲 第20番 ニ長調 K.133
モーツァルト:交響曲 第20番 ニ長調 K.133は、弦楽とオーボエ2、ホルン2、トランペット2の楽器編成で全4楽章で構成されている。演奏時間は約28分。1772年7月、16歳の頃に作曲された。何故モーツァルトがこの交響曲を作ろうとしたのかは分かっていないが、トランペット2本が加えられていることから何かの祝祭イベントのために作曲したのかと推測されている。
今夜の、この曲でのトン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクの演奏は、躍動感がひと際印象に残る演奏で、その華やかで生き生きとした演奏を聴いていると、「何かの祝祭イベントのために作曲されたのでは」とい話が真実味を持って聴こえてくる。コープマンの指揮ぶりは、歳を感じさせない実にキビキビとしたもので、晩年の作品とは異なる、モーツァルトの原点ともいうべき簡素な響きを我々リスナーに余すところなく届けてくれた。
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②モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191
モーツァルト:ファゴット協奏曲 変ロ長調 K.191は、モーツァルトが18歳の時の作品で、古今のファゴット協奏曲の中で最もよく知られた作品。この協奏曲が作曲された事情や初演についてはわかっていないが、1774年6月4日にザルツブルクで完成しており、ザルツブルクの宮廷楽団員のために書かれたと考えられている。3楽章からなり、演奏時間は約17分。
ファゴットのリッカルド・テルツォ(1990年生まれ)は、イタリアのパレルモ出身。7歳よりマウリッツィオ・バリジオーネの下でファゴットを学び始める。同時に作曲とピアノを学び、ピアノではディプロムを取得。その後、モーツァルテウム音楽大学においてマルコ・ポスティンゲル、ミュンヘン国立音楽大学においてダーク・イェンセンに師事。2009年よりグスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラに参加。2010年よりモーツァルテウム管弦楽団の首席奏者を務める。ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、チューリッヒ歌劇場等に首席奏者として客演。また「ロッシーニ国際ファゴットコンクール」、「IDRS国際ダブルリードコンクール」をはじめ、その他多くの国際コンクールで第1位。毎夏、オーストリアのバード・ゴイザーンやサルツブルク市内で行われるマスタークラスで講師を務める。2018年よりライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第一首席奏者を務める。
今夜の、この曲でのリッカルド・テルツォのファゴットは、一音一音を実に丁寧に、しかも明確に弾きこなし、ファゴットが持つ独特の音の奥深さをものの見事に表現し尽くしていた。完璧な技巧力に加え、どことなく、ほのぼのとした情感も巧みに醸し出すと同時に、何かユーモラスな一面も持ち合わせたその演奏能力の高さには感心させられた。
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④モーツァルト:フリーメーソンのための葬送の音楽 ハ短調 K.477(479a)
モーツァルト:フリーメーソンのための葬送の音楽 ハ短調 K.477(479a)は、1785年(29歳)にウィーンで作曲された。モーツァルト自身が作品目録に「同志メクレンブルクと同志エステルハージの死去に際してのフリーメイソンの葬送音楽」と書いている。モーツァルトはフリーメイソンのための音楽を多く作曲しているが、同作は最も有名な作品として広く知られ、後に作曲された「レクイエム」(1791年)に通じるものがある。
今夜の、この曲でのトン・コープマン指揮カメラータ・ザルツブルクの演奏は、いたずらに悲壮感を強調するのでなく、この曲の持つ奥深さをさりげなく表現したことが、逆に鎮魂の思いを強く印象付ける結果になったようだ。曲は 69小節の短い曲で、3部で構成されている。教会作品でこそないが、宗教的な楽曲である。コープマンの指揮は、静かに深く深く沈潜し、モーツァルトの哀悼の思いを見事に描き切っていた。
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⑤モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622は、1791年(モーツァルトの死の年=35歳)に作曲された。モーツァルトが協奏曲のジャンルで遺した最後の作品であり、クラリネットのための唯一の協奏曲。当時、ウィーン宮廷楽団に仕えていたクラリネットとバセットホルンの名手のシュタードラーのために書かれた作品。当時まだ新参の楽器であったクラリネットの特性をモーツァルトはすでによく捉えており、特に最低音近くの音域を十分に鳴り響かせ、高音域との対照効果を巧みに引き出している。
クラリネットのダニエル・オッテンザマー(1989年生まれ)は、オーストリア、ウィーン出身。ウィーン音楽演劇大学でヨナン・ヒントラーに学び、2006年にウィーン・フィルおよびウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団。2009年よりには両団の首席クラリネット奏者となり、ソリスト、室内楽の分野で幅広く活躍し、世界各国の主要なコンサートホールに出演。2009年「カール・ニールセン国際クラリネットコンクール」の入賞をはじめとする国際コンクールでの数々の輝かしい受賞歴を持つ。2010年ベルリン・ドイツ交響楽団の首席奏者に就任。そして2011年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者オーディションに合格。2005年には、ともにウィーン・フィルの首席奏者である父親のエルンストと兄のダニエルとのトリオ“クラリノッッティ”を結成。このトリオのために多くの作品が作曲され、CDも発売されている。また2007年に創設された、ウィーン・フィル公認の室内アンサンブル「ザ・フィルハーモニクス」のメンバーであり、クラシック音楽のみならず、ジャンルを超えた音楽に幅広く取り上げている。
今夜の、この曲でのダニエル・オッテンザマーの演奏は、輝かしくも伸び伸びとしたクラリネットの音色を自在に弾き分け、自己の世界を思う存分描き切っていた。第二楽章で披露した哀愁を含んだ巧みなクラリネット独特な表現も、リスナーにとって心地良いことこの上ない。今夜の演奏を聴くと、日本にも多くのダニエル・オッテンザマーのファンがいることが十分にうかがい知れる。
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今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」の放送は、モーツァルトの生涯に思いを馳せ、ヨーロッパの古を今に伝える優れた演奏の数々を聴くことができた。これが揺らがぬ”伝統の響き”というものなのであろう。(蔵 志津久)