<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~シュヴェチンゲン音楽祭におけるターニャ・テツラフと仲間たちの室内楽演奏会~
ニルセン:甲斐なきセレナード FS58
(クラリネット、ファゴット、ホルン、チェロ、コントラバス)
モーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタ 変ロ長調 K.292
(ファゴット、チェロ)
フランセ:弦楽三重奏曲
(ヴァイオリン、ビオラ、チェロ)
ベートーベン:七重奏曲 変ホ長調 作品20
モーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタ 変ロ長調 K.292
(ファゴット、チェロ)
フランセ:弦楽三重奏曲
(ヴァイオリン、ビオラ、チェロ)
ベートーベン:七重奏曲 変ホ長調 作品20
(クラリネット、ファゴット、ホルン、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)
演奏:セバスティアン・マンツ(クラリネット)
ダーグ・イェンセン(ファゴット)
フェリックス・クリーザー(ホルン)
フランツィスカ・ヘルシャー(ヴァイオリン)
ウェンシャオ・ツェン(ビオラ)
ターニャ・テツラフ(チェロ)
ドミニク・ワーグナー(コントラバス)
収録:2023年5月17日、ドイツ、シュヴェチンゲン、モーツァルト・ザール
放送:2024年1月11日 午後7:30~午後9:10
今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2023年5月17日、ドイツ、シュヴェチンゲンのモーツァルト・ザールで行われたシュヴェチンゲン音楽祭におけるターニャ・テツラフと仲間たちの演奏会の放送である。
シュヴェツィンゲン音楽祭(正式名称はSWRシュヴェツィンゲン音楽祭)は、ドイツのシュヴェツィンゲンで毎年4月から6月に開催される音楽祭。音楽祭のメイン会場は、シュヴェツィンゲン城内のロココ劇場。シュヴェツィンゲン城はプファルツ選帝侯カール・テオドールの夏の離宮として建設され、ロココ劇場は1753年にニコラ・ド・ピガージュの設計で建設された。1937年にロココ劇場の修復がなされ、ここを舞台に1952年に南西ドイツ放送の主催で音楽祭が創設された。ロココ劇場では2種類のオペラ公演が行われる。1つは新作オペラの初演で、もう1つはバロック時代・古典派時代の埋もれたオペラの復活上演である。他に管弦楽曲や室内楽曲のコンサートも行われる。
チェロのターニャ・テツラフ(1973年生まれ)は、ドイツ出身。ハンブルクにてベルンハルト·グメリンに、ザルツブルグ·モーツァルテウム音楽院にてハインリヒ·シフに師事。1994年「ARDミュンヘン国際音楽コンクール」チェロ部門で優勝。ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団のソロチェリストを務める。1994年より、兄のクリスティアン・テツラフ、ハンナ·ヴァインマイスター、エリーザベト·クッフェラートと共に「テツラフ·カルテット」のメンバーとしても活動。2021年ワイマール市からグレン・グールド・バッハ・フェローシップを授与された。2022年より、ハンブルク音楽大学の教授を務める。彼女の演奏の特徴は、独特の繊細さと同時に、力強さとニュアンスにある。パワフルでニュアンスに富んだ音は、常に培われた音楽性を伴っている。特にクラシックの枠を超えて、他の芸術形式を取り入れたり、現代社会のニーズに応えることに力を入れており、自然保護や気候変動の問題をコンサートホールに持ち込むことに特別な関心を寄せている。これらの取り組みにより、ドイツのオーケストラ協会から終身大使に任命されている。
演奏:セバスティアン・マンツ(クラリネット)
ダーグ・イェンセン(ファゴット)
フェリックス・クリーザー(ホルン)
フランツィスカ・ヘルシャー(ヴァイオリン)
ウェンシャオ・ツェン(ビオラ)
ターニャ・テツラフ(チェロ)
ドミニク・ワーグナー(コントラバス)
収録:2023年5月17日、ドイツ、シュヴェチンゲン、モーツァルト・ザール
放送:2024年1月11日 午後7:30~午後9:10
今夜のNHK-FM「ベストオブクラシック」は、2023年5月17日、ドイツ、シュヴェチンゲンのモーツァルト・ザールで行われたシュヴェチンゲン音楽祭におけるターニャ・テツラフと仲間たちの演奏会の放送である。
シュヴェツィンゲン音楽祭(正式名称はSWRシュヴェツィンゲン音楽祭)は、ドイツのシュヴェツィンゲンで毎年4月から6月に開催される音楽祭。音楽祭のメイン会場は、シュヴェツィンゲン城内のロココ劇場。シュヴェツィンゲン城はプファルツ選帝侯カール・テオドールの夏の離宮として建設され、ロココ劇場は1753年にニコラ・ド・ピガージュの設計で建設された。1937年にロココ劇場の修復がなされ、ここを舞台に1952年に南西ドイツ放送の主催で音楽祭が創設された。ロココ劇場では2種類のオペラ公演が行われる。1つは新作オペラの初演で、もう1つはバロック時代・古典派時代の埋もれたオペラの復活上演である。他に管弦楽曲や室内楽曲のコンサートも行われる。
チェロのターニャ・テツラフ(1973年生まれ)は、ドイツ出身。ハンブルクにてベルンハルト·グメリンに、ザルツブルグ·モーツァルテウム音楽院にてハインリヒ·シフに師事。1994年「ARDミュンヘン国際音楽コンクール」チェロ部門で優勝。ブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団のソロチェリストを務める。1994年より、兄のクリスティアン・テツラフ、ハンナ·ヴァインマイスター、エリーザベト·クッフェラートと共に「テツラフ·カルテット」のメンバーとしても活動。2021年ワイマール市からグレン・グールド・バッハ・フェローシップを授与された。2022年より、ハンブルク音楽大学の教授を務める。彼女の演奏の特徴は、独特の繊細さと同時に、力強さとニュアンスにある。パワフルでニュアンスに富んだ音は、常に培われた音楽性を伴っている。特にクラシックの枠を超えて、他の芸術形式を取り入れたり、現代社会のニーズに応えることに力を入れており、自然保護や気候変動の問題をコンサートホールに持ち込むことに特別な関心を寄せている。これらの取り組みにより、ドイツのオーケストラ協会から終身大使に任命されている。
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ニルセン:甲斐なきセレナード(Serenata in vano)のin vanoは、イタリア語で「むなしく」という意味を持つ。有名な交響曲第4番「不滅(消しがたきもの)」は、このセレナードが書かれた1914年から1916年にかけて作曲されている。当時のニルセンの状況は、夫婦の問題や王立劇場の指揮者としての契約など難しい問題を抱えていた。この曲の編成は、クラリネット、ファゴット、ホルン、チェロ、コントラバスで、退廃的なワルツを思わせる冒頭からニルセン独特の和声とリズムが並ぶ。ニルセンは、この曲について「結局、最後には諦めて、みな自分の楽しみのために演奏して終わる軽いジョークだ」と言い残している。
今夜のニルセン:甲斐なきセレナードの演奏は、いかにもニルセンの曲らしくキビキビとした音の流れを巧みに表現して、リスナーを楽しませた。通常、ニルセンの曲は、その曲の頂点に向かって力強く、一途の思いに乗って一気に駆け上がって行くものだが、この甲斐なきセレナードだけは、少々趣が異なり、何かユーモラスであり、自分を外から眺めているような、余裕が感じられる曲だ。今夜の演奏は、そんな、あまりニルセンらしくない曲を十分に心得たように、ユーモラスに弾き進むところがなんとも味わい深いものに仕上がった。まあ、この曲は、ニルセン自身が言っているように「軽いジョークだ」と思って聴くのがなによりだし、今夜の演奏もそれを良く表現していた。
今夜のニルセン:甲斐なきセレナードの演奏は、いかにもニルセンの曲らしくキビキビとした音の流れを巧みに表現して、リスナーを楽しませた。通常、ニルセンの曲は、その曲の頂点に向かって力強く、一途の思いに乗って一気に駆け上がって行くものだが、この甲斐なきセレナードだけは、少々趣が異なり、何かユーモラスであり、自分を外から眺めているような、余裕が感じられる曲だ。今夜の演奏は、そんな、あまりニルセンらしくない曲を十分に心得たように、ユーモラスに弾き進むところがなんとも味わい深いものに仕上がった。まあ、この曲は、ニルセン自身が言っているように「軽いジョークだ」と思って聴くのがなによりだし、今夜の演奏もそれを良く表現していた。
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モーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタ 変ロ長調 K.292は、ファゴットとチェロのための二重奏曲で、1775年の初め頃、または1777年にミュンヘンで作曲されたと考えられている。自筆譜は現存せず、モーツァルト自身がこの作品について言及した資料なども発見されていない。モーツァルトは1774年12月から翌年の3月まで、オペラ「にせの女庭師」の上演のためにミュンヘンに滞在し、その折に同地のアマチュア音楽家でチェロ愛好家(ファゴットの名手だったとも言われる)の宮廷侍従タデウス・フォン・デュルニッツ男爵のために書き下ろした作品。出版されたのは死後14年が経った1805年。全3楽章の構成で、演奏時間は約9分。フランス風ギャラント様式の協奏曲と思わせ、ファゴットが独奏楽器として活躍し、チェロはあくまで伴奏的役割に終始する。
今夜のモーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタの演奏は、この曲の持つフランス風のギャラント様式の協奏曲様式の雰囲気を存分に発揮させ、モーツァルトらしさを前面に押し出した演奏に終始した。ファゴットを演奏するダーグ・イェンセンが、しっとりとした雰囲気のファゴットの音色を思う存分に披露してくれたお陰で、フランス風の曲想を持つこの曲の神髄を味わわせてくれた。よく、モーツァルトのフランス風ギャラント様式の曲というと思いっきりきらびやかな演奏内容となるものだが、今夜の演奏は、これとは無縁で、あくまでしっとりとしたファゴットの音色を堪能できた。これは、ドイツの音楽祭での演奏ということがその理由だったからであろうか?
今夜のモーツァルト:ファゴットとチェロのためのソナタの演奏は、この曲の持つフランス風のギャラント様式の協奏曲様式の雰囲気を存分に発揮させ、モーツァルトらしさを前面に押し出した演奏に終始した。ファゴットを演奏するダーグ・イェンセンが、しっとりとした雰囲気のファゴットの音色を思う存分に披露してくれたお陰で、フランス風の曲想を持つこの曲の神髄を味わわせてくれた。よく、モーツァルトのフランス風ギャラント様式の曲というと思いっきりきらびやかな演奏内容となるものだが、今夜の演奏は、これとは無縁で、あくまでしっとりとしたファゴットの音色を堪能できた。これは、ドイツの音楽祭での演奏ということがその理由だったからであろうか?
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フランセ:弦楽三重奏曲の作曲者のジャン・ルネ・デジレ・フランセ(1912年―1997年)は、フランスの新古典主義音楽の作曲家、ピアニスト、編曲家。多作家で、生気あふれる作風で知られる。没後の翌年から、フランス国内でフランセを讃えた「ジャン・フランセ国際音楽コンクール」が開催されている。フランセは若い頃から洗練されたピアニストで、パリ音楽院ピアノ科では首席で卒業。ピアニストとしてソリストや伴奏者としての道を模索したこともあった。しかし、やはり、フランセの主要な業績といえば、作曲活動である。作曲様式は、生涯を通じてほとんど変わらず、軽快さと機智にある。ストラヴィンスキーやラヴェル、プーランクらに影響されたが、つくられた作品は、自分自身の確たる美学へとまとめ上げている。初期の1933年に書かれた弦楽三重奏曲(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)は、彼の軽妙洒脱な持ち味が生かされている。全体は4つの短い楽章からなる。
今夜のフランセ:弦楽三重奏曲の演奏は、この軽妙洒脱な曲を、がっちりとした構成力をベースに、三人の演奏者の高い演奏技術力を見事に結集させたものになった。この曲は、第1楽章(アレグレット・ヴィーヴォ)、第2楽章(スケルツォ、ヴィーヴォ)、第3楽章(アンダンテ)、第4楽章(ロンド、ヴィーヴォ)の性格の異なる4つの楽章からなり、各楽章とも弦楽器の綾なす、万華鏡のような世界を克明に描き出している。ドラマティックな展開があるわけでもなし、かといってフォーレやドビュッシーの曲のような甘美なメロディーがあるわけでもない。どちらかと言えばそっけない曲で、現代音楽風の臭いがする。今夜の演奏は、3つの弦の巧みな結び付きが克明に表現され、弦楽器の持つ表現力の奥深さを改めて感じさせてくれた演奏になったようだ。
今夜のフランセ:弦楽三重奏曲の演奏は、この軽妙洒脱な曲を、がっちりとした構成力をベースに、三人の演奏者の高い演奏技術力を見事に結集させたものになった。この曲は、第1楽章(アレグレット・ヴィーヴォ)、第2楽章(スケルツォ、ヴィーヴォ)、第3楽章(アンダンテ)、第4楽章(ロンド、ヴィーヴォ)の性格の異なる4つの楽章からなり、各楽章とも弦楽器の綾なす、万華鏡のような世界を克明に描き出している。ドラマティックな展開があるわけでもなし、かといってフォーレやドビュッシーの曲のような甘美なメロディーがあるわけでもない。どちらかと言えばそっけない曲で、現代音楽風の臭いがする。今夜の演奏は、3つの弦の巧みな結び付きが克明に表現され、弦楽器の持つ表現力の奥深さを改めて感じさせてくれた演奏になったようだ。
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ベートーベン:七重奏曲 変ホ長調 作品20は、7つの楽器による室内楽曲で、作曲者によるピアノ三重奏への編曲版も存在する(ピアノ三重奏曲第8番 変ホ長調 作品38)。同曲は、ベートーヴェン初期の傑作で、明るい旋律と堂々としたリズムをもち、作品が公開された当初から広く親しまれた。作曲されたのは1799年から1800年にかけてで、同時期に作曲されたものに交響曲第1番などがある。ベートーヴェンの作曲人生の中では、古典派音楽の勉強と自らの独自性を模索する時期の作品。モーツァルトのディヴェルティメントのように、娯楽的でサロン向けの音楽として書かれているが、旋律やリズム、構成の面などでその後のベートーヴェンらしい作品の登場を予感させる部分も随所に見られる。全第5楽章からなる。シューベルトはこの作品に影響されて八重奏曲を書いたといわれる。
今夜のベートーベン:七重奏曲は、テンポは中庸を保ち、正統派の演奏スタイルに基づいた安定したものであった。この曲は、演奏者の接し方で曲の雰囲気が大きく変わることがあるため、親しみやすい反面、演奏する方もリスナーも曲の本質を捉えるのはなかなか難しい。今夜の演奏は、正統派と書いたが、一人ひとりの奏者は、自由にのびのびと演奏していることが聴きとれ、少しも堅苦しい感じさせなかったのは、奏者一人一人の技能の高さからくるものだろう。ベートーヴェン自身は、この曲の人気ぶりに辟易としたらしいが、私はベートーヴェンをやたらに神格化せず、身近に感じられ、さらに将来の飛躍も同時に感じ取れるこの曲の存在は貴重だと思う。そうした見方からすると、今夜の演奏は、決して奇を衒わず、さりとて重々し過ぎることもなく、この曲の理想的な演奏内容に仕上がっていたと思う。
◇
以上の4曲を聴き終えて、いかにもドイツの音楽祭らしく堅実な演奏内容が強く印象に残った今夜の室内楽演奏会ではあった。(蔵 志津久)