<NHK‐FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~スイスにおけるエフゲーニ・キーシン ピアノリサイタル~
ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」
ラフマニノフ:前奏曲 作品3第2 嬰ハ短調
前奏曲 作品23 から 第1番 嬰ヘ短調
第2番 変ロ長調
第3番 ニ短調
第4番 ニ長調
第5番 ト短調
第6番 変ホ長調
第7番 ハ短調
前奏曲 作品32 から 第10番 ロ短調
第12番 嬰ト短調
第13番 変二長調
ピアノ:エフゲーニ・キーシン
収録:2017年7月26日、スイス・ヴェルビエ サル・デ・コンバン
提供:スイス放送協会
放送:2017年12月21日(木) 午後7:30~午後9:10
今夜のNHK‐FM「ベストオブクラシック」は、昨年7月にスイスで行われた“エフゲーニ・キーシン ピアノリサイタル”から、ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」とラフマニノフ:前奏曲からの10曲である。エフゲーニ・キーシン(1971年生れ)は、ロシア、モスクワ出身。モスクワ市立グネーシン記念音楽専門学校で学ぶ。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、早くから神童ぶりを発揮。これまでコンクール入賞歴はほとんどないものの、国際的ピアニストとして世界が認めるピアニストであり、コンクール万能時代において、これはかなり珍しいことでもある。1986年初来日した後、1990年カーネギー・ホールにおいてアメリカ・デビューを果たす。旧ソ連生まれだが、2002年英国籍、2013年イスラエル国籍も取得。レパートリーはショパン、リスト、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーヴェンなど幅広い。
ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」は、ベートーヴェンのピアノソナタの中でも最高傑作と評価され、あらゆるピアノソナタの中でも抜きんでた内容を持つ大曲である。ベートーヴェンは中期から後期にかけて、新たな可能性を求めて様々な試みを模索する。それらは対位法の導入、リズムの強調、凝縮化などであるが、これらは必ずしも成功したとは言えない面もあった。現在、あまり聴くことはないが、この時期、膨大な数の民謡の編曲を行っている。これは過渡期の時期の息抜きという側面あろうし、生活費を稼ぐという意味あいもあったろう。平たく言えばスランプに陥ってしまったのだ。そこからの脱出が見られた最初の曲が、第28番のピアノソナタであり、本格復活を果たした作品がこのピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」なのだ。その後は、「ミサ・ソレムニス」「第九交響曲」などへと最後の高みへと到達することになる。「ハンマークラヴィーア」とは、イタリア語のピアノフォルテのドイツ語訳。これ以後、ベートーヴェンはドイツ語を盛んに使いだす。第28番の楽譜にも「ハンマークラヴィーア」と書かれているが、現在では第29番のみに使われる。これは、「ハンマークラヴィーア」という厳めしい語感と第29番の曲想がぴたりとあてはまるからだとも言われれている。
ラフマニノフは生涯に27曲の前奏曲を作曲している。これは、ラフマニノフがショパンの「24の前奏曲」に強く惹かれ、24の長短各調それぞれに対して1曲ずつの前奏曲を作曲するという強い意志が働いた結果と言われている。しかし、ショパンのように「24の前奏曲」を一塊で発表しなかったところに、ラフマニノフのショパンに対する畏敬の念が込められているとも解釈できよう。では、何がラフマニノフの「24の前奏曲」かというと、「幻想的小品集」作品3という5曲からなるピアノ独奏曲集のうちの第2曲の前奏曲嬰ハ短調、それに「10の前奏曲」作品23と「13の前奏曲」作品32を足すと「24の前奏曲」となるのである。これに、1888年作曲の前奏曲変ホ短調、1891年作曲の前奏曲ヘ長調、1917年作曲の前奏曲ニ短調の3曲を加えて合計で27曲の前奏曲となる。生前、ラフマニノフは名ピアニストとして名高く、「音の絵」とともに、これらの「前奏曲」は、ラフマニノフの作品を理解するうえで大変重要な位置を占めている。
さて、今夜のキーシンの演奏はというと、ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」は、我々が通常抱く厳めしい「ハンマークラヴィーア」のイメージを一掃するかのように、軽快な足取りで弾き進む。この演奏を聴いていると、キーシンはベートーヴェンをいたずらに神格化するのではなく、ベートーヴェンが曲に込めた熱いマグマの源泉に如何にしたら辿りつけるのかというような挑戦のようにも聴こえた。特に、緩やかな部分における演奏は、何かキーシンがベートーヴェンと二人で語り合っているかのような感じを受ける程、深い内容を表現して見事というほかにない。今夜のキーシンの演奏を聴くと、21世紀に生き続けるベートーヴェン像の一端が解き明かされたようにも感じ取れた。次のラフマニノフ:前奏曲集は、技巧的な鋭さが冴えわたり、一点の曇りもない爽快なラフマニノフの前奏曲集の全貌を掴み取ることができた。同じロシアの魂が共鳴するのであろうか、情感のこもったその表現力は、きらきらと輝き、一部の隙もなくラフマニノフの世界を表現し切る。ピアノという楽器の可能性を最大限に引き出したという意味で、作曲家としてのラフマニノフの存在感と、再現芸術家としてのキーシンの存在感とが、がっちりと結びついた、充実感に溢れた演奏内容となった。キーシンのピアノ演奏は、これからもまだまだ進化を遂げるだろうということを予感できる演奏会であった。(蔵 志津久)