
第1番 ニ短調 BWV 812
第2番 ハ短調 BWV 813
Allemande/Courante/Sarabande/Menuet/Gigue
Allemande/ Courante/Sarabande/Anglaise/Menuet-Trio/Gigue
Allemande/Courante/Sarabande/Gavotte/Menuet/Air/Gigue
第5番 ト長調 BWV 816
Allemande/Courante/Sarabande/Gavotte/Bourree/Loure/Gigue
第6番 ホ長調 BWV 817
Bourree/Gigue
ピアノ:イングリット・ヘブラー
CD:ユニバーサルミュージック PROA 18~19(2枚組)
イングリッド・ヘブラー(1929年生まれ)は、オーストリア、ウィーン出身の名女流ピアニスト。ポーランド人の両親のもと、ウィーンで生まれ、10歳までポーランドで過ごす。第二次世界大戦の勃発によってオーストリア、ザルツブルクに移住し、同地のモーツァルテウム音楽院に入学。1949年にモーツァルテウム音楽院を卒業後、ウィーン音楽院に入学。その後ジュネーヴ音楽院においてニキタ・マガロフに、また、パリではマルグリット・ロンに師事。1952年と1953年の「ジュネーヴ国際音楽コンクール」で第2位を獲得。1954年の「ミュンヘン国際音楽コンクール」で第1位、「ウィーン国際シューベルト・コンクール」でも第1位となった。同年ザルツブルク音楽祭に初めて出演し、モーツァルトのピアノ協奏曲第12番を弾いて正式にデビューを果たす。デビュー後、国際的な演奏活動を開始し、ウィーンの古典派音楽をはじめ、シューマン、ショパン、ドビュッシーなども得意として活躍。特に気品に満ちたモーツァルトの演奏で高い評価を得た。1966年以来、しばしば来日して日本にもファンが多い。1960年代の半ばから後半にかけての時期(40歳前後の時期)に、モーツァルトのピアノ曲(協奏曲も含む)全集をフィリップスに録音し、高い評価を得た。さらに1980年代後半、DENONにモーツァルトのピアノソナタ全曲を再録音を行った。
バッハは、6曲からなるクラヴィーアのための組曲として、フランス組曲のほかイギリス組曲、パルティータの3つの作品を作曲している。これらの組曲は、バロック時代の代表的な楽曲形式の一つであり、アルマンド(緩やかなテンポのドイツ舞曲、4拍子、重厚)、クーラント(テンポの速いフランス舞曲、3拍子、軽快)、サラバンド(荘重のな趣を持ったスペインの舞曲、3拍子、緩徐)、ジーグ(イギリスに由来する速い舞曲、混合拍子、快速)というのが基本形態で、それに、当時流行っていた舞曲(メヌエット、ガヴォット、ブーレ、パスピエ、ポロネーズ、アングレーズ、ルーレ、エール)をその都度挿入させて作曲している。各舞曲は、前半後半それぞれに反復を持つ二部形式で書かれており、自由な多声書式(対位法)に属し、全曲、ほとんど同じ形式で、同じ調子の上に、統一的に構成されている。従って、曲の変化は舞曲の性格に全面的に委ねられている。3つの作品のうち、フランス組曲が最も定型的で小規模なものになっている。ところで、フランス組曲、イギリス組曲の名称は、バッハ自身が付けたものではない。また、バッハは、鍵盤楽器の作品を書くとき、指定した楽器の名前を明示することは一部を除き滅多になかった。
イギリス組曲BWV 806~811は、バッハが作曲したクラヴィーアのための曲集で、全部で6つの組曲からなる。ケーテン時代の1710年代末頃にほぼ作曲を終え、1725年頃までに推敲が終了した。第1組曲の初稿(BWV 806a)の作曲時期は、ヴァイマル時代の1712年頃にまで遡る。バッハのクラヴィーア曲集としては初期の、特に組曲としては最初期の作品に当たる。フランス組曲に比べ、求められる演奏技術が高く、長大な形式美を誇っている。一方、パルティータ(クラヴィーア練習曲第1巻)BWV 825~830は、クラヴィーアのための曲集で、イギリス組曲、フランス組曲とあるバッハの一連のクラヴィーア組曲の集大成に当たるが、バッハの作品の中で最初に出版された曲集で、「平均律クラヴィーア曲集第2巻」や「ゴルトベルク変奏曲」などと並んでクラヴィーア組曲の最高峰と評価されている。導入楽章を持つことはイギリス組曲と共通するが、パルティータの導入楽章は、それぞれ異なった名称を持っている。この、パルティータでは、古典舞曲に占めるイタリア様式の割合が増えているが、あくまで堅牢で揺るぎない構成感覚に裏打ちされ、それらが高度の円熟した技法で処理されているのが特徴。
そして、イングリット・ヘブラーの弾くCDに収められたフランス組曲 BWV 812~817は、バッハがケーテンで過ごした1722年から1723年頃に作曲されたと考えられている。イギリス組曲やパルティータと比べ比較的演奏は容易である。この時期、バッハは先妻であるマリア・バルバラ・バッハを亡くし、15歳下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しているが、創作の意欲に衰えがなく、本作をはじめ多くの鍵盤楽器曲が残されている。フランス組曲は、全部で6つの組曲からなっている。イングリット・ヘブラーの弾くバッハ:フランス組曲は、リスナーの心の中に流麗な響きが染み渡たり、端正なその音色を一度聴くと忘れられないほどの強い印象を与えずにはおかない。一音一音が明瞭であると同時に柔らかく、しかも限りない透明感に満ち満ちている。フランス組曲は、バッハの時代の響きを重視するためか、チェンバロで演奏する場合が少なくないが、イングリット・ヘブラーは、モダンピアノの多彩で豊かな響きの特徴を最大限に生かし切り、バッハの曲から、現代に通じる無限の可能性を引き出すことにものの見事に成功している。イングリット・ヘブラーの弾くバッハ:フランス組曲を聴いていると、常日頃の喧騒を忘れ、ごく自然に静かな祈りの心が湧き出してくる。本来は舞曲ではあるのだが、祈りにも通じる何かを聴きとることができる。これは現在、コロナ禍の真っただ中に喘ぐ人類への祈りだったなのかもしれない。端正で豊饒な音づくりと同時に救いのある音楽を極めた形が、イングリット・ヘブラーのピアノ演奏には確かにあるのだ。(蔵 志津久)