★私のクラシック音楽館(MCM)★ クラシック音楽研究者  蔵 志津久            

クラシック音楽のCD/DVDによる名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ツィメルマン、25年ぶりのソロCD シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番&第21番

2017-10-10 07:45:19 | 器楽曲(ピアノ)

シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番、第21番(遺作)

ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン

録音:新潟県柏崎市 

CD:ユニバーサルミュージック(ドイツグラモフォン) 479-8204

 シューベルトが尊敬してやまなかったベートーヴェンは、生涯で32曲のピアノソナタを作曲したが、その最後の3曲であるピアノソナタ第30番/第31番/第32番はベートーヴェンの“後期三大ピアノソナタ”と呼ばれ、それまでのベートーヴェンのピアノソナタとは次元が異なるほど内容の円熟した孤高の音楽を形づくった傑作として知られている。シューベルトは、全部で21曲のピアノソナタを作曲(このほか未完成のピアノソナタもある)したが、ベートーヴェンと同じく最後の第19番/第20番/第21番の3曲は、シューベルトがピアノソナタの世界で最後に到達した境地を余すところなく発揮した傑作として現在でもコンサートでしばしば取り上げられている。このCDには、シューベルトのピアノソナタの最後の3曲のうち、第20番と第21番とが収められている。これは、名ピアニストのクリスチャン・ツィメルマンが2015年~2016年に掛けて行われた日本全国リサイタル・ツアー終了後、新潟県柏崎市で録音したという通常の録音とは一味異なるもの。ツィメルマンのソロ・アルバムとしては、1991年録音(25年ぶり)/1994年発売(23年ぶり)のドビュッシー前奏曲集以来となる貴重なものだ。

 シューベルト:ピアノソナタ第20番イ長調D.959は、作曲者最晩年のピアノソナタ3部作の一つで1828年に作曲された、全部で4つの楽章からなる長大な作品。そのひとつ前のピアノソナタ第19番が、ベートーヴェンのピアノソナタを思い起こさせるような堅牢でがっしりした内容を持つのに対して、この第20番は、シューベルト独自の語り口で書き綴られた美しい作品に仕上がっている。一方、ピアノソナタ第21番変ロ長調D.960は、1828年9月に作曲されたシューベルトの生涯で最後のピアノソナタであると同時に最高傑作の作品である。この作品についてシューマンは次のように書き残している。「まるで永遠に尽きることを知らぬかのように、まるで次から次へと淀むことを知らぬかのように、常に音楽的な歌に富むこの曲は、ページからページへとさらさら流れて行く。ときどき激しい高揚で中断されることもあるけれども、すぐにもとのように落ち着いてしまう。・・・そして曲は、ちょうど夜が明けたらまた新しい作曲が始まるかのように、はつらつと、軽快に、そして優しく終わる」。このようにシューマンが書き綴っているようにこの第21番のピアノソナタは、死を目前にして病に臥せっていたシューベルトが最後の力を振り絞って書いた、孤高で崇高なピアノソナタの“白鳥の歌”であり、“人類の永遠の宝”とでも言える、全体が静寂な美しさに溢れた大傑作のピアノソナタなのである。

 ピアノのクリスチャン・ツィメルマン(1956年生まれ)は、ポーランド出身。現在、世界で最も高い評価を得ているピアニストの一人。1973年「ベートーヴェン国際音楽コンクール」で優勝後、1975年の第9回「ショパン国際ピアノコンクール」で史上最年少(18歳)で優勝。1981年にポーランドを離れ、スイスに移住する。1999年、ショパン没後150年を記念して、ポーランド人の若手音楽家をオーディションで集め、「ポーランド祝祭管弦楽団」を設立。初来日は1978年で、最近ではほぼ毎年のように来日している親日家。自身がオーディオを自作するなどするため、秋葉原の電器街に出かけることなどが来日する契機になったようだ。2005年フランスの「レジオン・ドヌール勲章(シュバリエ章)」を受章した。2011年の東日本大震災当時は東京におり、震災を実際に体験し、以後、ほぼ毎年のように来日し、被災者支援のチャリティコンサート・リサイタルを行った。

 このCDのシューベルト:ピアノ・ソナタ第20番でにおいて、ツィメルマンは、実に明快な解釈を見せる。流れる出るメロディーを自然に身を任せかの如く、柔軟に一気に弾き進む。シューベルトの最後の3曲のピアノソナタは、多くのピアニストは肩に力入り、その結果、武骨な仕上がりになるケースも少なくないが、ここでのツィメルマン解釈はこれらと全く異なり、楽譜に書かれた通りに弾きこなす。演奏家の思い込みをできるだけ排除したいという考えがツィメルマンにはあったのではないか。シューベルトのあまりに短い生涯から来る、後世の人々がつくった物語をなるべく入れないで、ツィメルマンは「シューベルトが最後に行き着いたピアノソナタの音楽的な真の姿こうですよ」とリスナーに呼びかけているようにも聴こえる。一方、ピアノ・ソナタ第21番の方は、逆に、ツィメルマンのこの曲に対する熱い思いがぎゅーと凝縮されているかのような名演を聴かせる。テンポは速からず、遅からず、少しの衒いもない。死を目前にしたシューベルトの想いをツィメルマンが代弁するかのように、時折押し寄せる激高の後の静寂で孤高な精神に溢れた優れた演奏内容となっている。引き締まった構成となっているので、全体に緊張感で溢れる。しかし、そこには少しの硬さも感じられない。この曲が“人類の永遠の宝”であることが実感できるような充実した演奏内容に仕上がっている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ユジャ・ワンのショパン:ピアノソナタ第2番/スクリャービン:ピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」/リスト:ピアノソナタロ短調ほか

2017-07-11 06:32:00 | 器楽曲(ピアノ)

 

ショパン:ピアノソナタ第2番
リゲティ:エチュード第4番「ファンファーレ」
スクリャービン:ピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」
リゲティ:エチュード第10番「魔法使いの弟子」
リスト:ピアノソナタロ短調
モーツァルト(ヴィロドス編):トルコ行進曲

ピアノ:ユジャ・ワン

録音:2008年11月、ハンブルク=ハールブルク

CD:ユニバーサルミュージック(ドイツグラモフォン) UCCG‐51086

 ピアノのユジャ・ワン (1987年生れ) は、中国・北京出身。北京の中央音楽学院で学ぶ。14歳のときカナダのカルガリーのマウント・ロイヤル・カレッジで研鑽を積む。2001年第1回「仙台国際音楽コンクール」に最年少出場者として参加し第3位と審査委員特別賞を獲得した。2002年からはフィラデルフィアのカーティス音楽院で学ぶ。2003年、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番でヨーロッパデビューを果たした後、2005年にはアメリカでもデビューを果たす。近年、ユジャ・ワンは毎年のように来日しているので日本でのファンも多い。伝統的なファッションを重んじるクラシック音楽のコンサートの中で、奇抜なファッションでも話題を集める。また、欧米の音楽界がアジア人の演奏家をどう受け止めているかを著した書籍「ピアニスト」(エティエンヌ・バリリエ著/アルファーベータ刊) のモデルとしてユジャ・ワンが取り上げられたことでも話題となった。現在ニューヨーク在住。

 最初の曲は、ショパン:ピアノソナタ第2番。この演奏内容は、曲に真正面から取り組んだあまりにも正統的なものであり、ちょっと驚かされる。詩情たっぷりに歌わせるところなどは、何かベテランの大家のピアニストが演奏しているかのような感じもするほど。この頃既に成熟の域にまで到達していたかのようだ。この演奏を聴いていると何故ユジャ・ワンが今人気ピアニストのであるかが理解できるような気がする。現代的な印象とは別に古風な一面も持ち合わせていることを窺わせる。そして、何よりもいいのが健康的なショパンを聴かせてくれるところだ。全体が実に生き生きと、はつらつとした演奏に徹しており小気味がいい。何のけれんみもなく堂々と弾き切る。また、このアルバムにはハンガリの作曲家リゲティ(1923年―2006年)の2曲のエチュードが挿入されている。これがこのアルバム全体を引き締めるのに、かなりの効果を挙げている。これがユジャ・ワンの発案だとすると企画力もなかなかのものだ。リゲティの曲の演奏は、リズム感の良く一挙に弾きる、魅力たっぷりの内容となっている。

 次の曲はスクリャービン:ピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」。これは1897年に書かれた全2楽章からなる作品。「幻想ソナタ」と題されているようにロマンティックで内省的な雰囲気が印象的な曲だ。スクリャービンは旅行先で出会った海の風景から、この作品の着想を得たという。第1楽章は、光と打ち寄せる波が交錯するような印象を与え、第2楽章は激しく打ち寄せる波のようなダイナミックな音楽。ここでのユジャ・ワンの演奏は、ショパンの時とはがらりと一変し、茫漠としたスクリャービン特有の世界に没入して見事。ユジャ・ワンのピアノの音色は微妙なニュアンスが隠し味となっているようで聴いていて飽きがこない。そして、単なる表面的な情緒に陥らず、背筋がピーンと張ったような清々しがなかなかいい。何かユジャ・ワンというピアニストとスクリャービンとが、内面で深く結び付いていることを感じさせるような演奏内容だ。音色もなかなか綺麗に収録されている。この演奏でも成熟さが滲み出ている。

 最後は、リゲティのエチュードを挟んでリスト:ピアノソナタロ短調。この曲はリスト唯一のピアノソナタで、1848年から1861年にかけて書かれた作品。長大な単一楽章を取るが、内容は三部形式となっている。高度な技巧を要求されるためピアニストが一度は挑戦する、試金石のような存在の曲となっている。若きユジャ・ワンがどのようにこの曲を表現するのか興味津々。意外にもここでのユジャ・ワンは、あくまで謙虚であった。決して挑戦的な力みは見せず、優雅ともとれる滑らかさが印象的な演奏を披露する。それでも、所々で力強さも存分に発揮する辺りは、やはりユジャ・ワンは、ただのピアニストとは一味も二味も違っている。そして、聴き進めるに従って、ユジャ・ワンはその内面に歌心を潜めているピアニストであることに気が付かされる。結論を言うとリスト:ピアノソナタロ短調が、こんなにも色彩感あふれる曲だったのかという感を深く抱かせられる演奏であった。そして、ボーナス・トラックとしてモーツァルト(ヴィロドス編):トルコ行進曲が収録されている。ユジャ・ワンの若さが爆発したかのような爽快感極まりない演奏でこのアルバムを締めくくる。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇2016年11月6日に逝去した若き日(初来日時の録音)のゾルタン・コチシュのバルトーク:ピアノ独奏曲集

2016-11-22 10:32:07 | 器楽曲(ピアノ)

バルトーク:アレグロ・バルバロ Sz.49
       民謡による3つのロンド Sz.84
       3つのハンガリー民謡 Sz.66
       組曲 作品14 Sz.62
       ピアノソナタ Sz.80
       ルーマニア民俗舞曲 Sz.56
       古い踊りの歌~15のハンガリー農民の歌 Sz.71より

ピアノ:ゾルタン・コチシュ

録音:1975年10月23日、24日、荒川区民会館(東京都)

CD:DENON COCO73069

 ハンガリー・ブタペスト出身のピアニストで指揮者、作曲家でもあったゾルタン・コチシュ(1952年―2016年)が2016年11月6日に亡くなった。64歳没。若い時、日本において同世代のハンガリーのピアニストのデジュー・ラーンキやアンドラーシュ・シフと合わせて“ハンガリーの三羽烏”とも呼ばれていた。コチシュは、バルトーク音楽院でピアノと作曲を学んだ後、リスト音楽院に進学。1970年ハンガリー放送主催の「ベートーヴェン・ピアノコンクール」で優勝し、以後ピアニストとして国際的な演奏活動を開始。1975年(23歳)には初来日を果たしている。ピアニストとしての活躍にほか、作曲活動も活発に展開した。リストが編曲したワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「マイスタージンガー」を自ら編曲し直したり、バルトークのピアノ曲を管弦楽用に編曲したりなどした。1983年指揮者のイヴァン・フィッシャーと共にブダペスト祝祭管弦楽団(BFO)を設立し、以後指揮者としての活動も本格化させた。1997年ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽総監督に就任。2004年仏文化省からフランス文化芸術勲章を授与される。このCDは、コチシュが初来日を果たした際に日本で録音されたバルトークのピアノ独奏曲集。当時23歳というゾルタン・コチシュ若々しい新鮮なピアニズムを聴くことができる。

 最初の曲の「アレグロ・バルバロ」は、1911年、バルトーク31歳の時に、出世作となった作品。ハンガリーの民族音楽がそのベースとなっているが、当時としてはかなりモダンな作品で、ストラヴィンスキーやプロコフィエフの作品にも相通ずるところがある。次の「民謡による3つのロンド」は、スロヴァキア地方の民謡に基づいて作曲された作品。

 「3つのハンガリー民謡」は、バルトークは1940年にナチスの手を逃れ、アメリカへ亡命する。その翌年にポーランドの大ピアニストのパデレフスキーが亡くなるが、バルトークは1942年「パデレフスキーへのオマージュ」という作品を発表。この3つの民謡は、その中に収められていた曲。次の「組曲」は、1916年に作曲された作品で、それまでの民謡の編曲という範疇から一歩踏み出し、独自の書法で書き始めた頃の作品。

 「ピアノソナタ」は、バルトークのピアノ独奏曲の中でも重要な作品。バルトークは1920年以降ピアノ曲から遠ざかっていたが、6年の間隔の後、再度ピアノ曲に挑戦した。その結果は、初期の民謡の収集に基づいた作品から脱却し、抽象化され、音楽的にも高度なものに昇華された作品となった。次の「ルーマニア民俗舞曲」は、1915年、34歳の作品で、トランシルヴァニア地方のルーマニア人の民族音楽からとられ、バルトークのピアノ作品の中でも知名度の高い作品。最後の「古い踊りの歌~15のハンガリー農民の歌」は、1914年から18年の長きにわたり書き留められた作品。

 これらのバルトークのピアノ独奏曲を弾く若き日のゾルタン・コチシュのピアノ演奏は、実に確信に溢れ、無限の楽興が鍵盤から零れ落ちような、実に清々しい印象を受ける。何よりも若々しいピアノタッチが何といっても小気味良い。そして、バルトークのピアノ作品への心からの共感が演奏全体を貫いており、単なる表面的な演奏とは一切無縁なものに仕上がっている。録音状態も良好であり、バルトークのピアノ独奏曲をまとめて聴いてみたいというリスナーにはお勧めのCD。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇追悼 中村紘子  “ドラマティック~中村紘子 プレイズ・ショパン~”

2016-08-09 12:40:50 | 器楽曲(ピアノ)

 

<ディスク:1>

ショパン:24の前奏曲 作品28
       第15番「雨だれ」/第1番/第5番/第6番/第7番/第8番
      ワルツ
       第1番「華麗なる大円舞曲」/第2番「華麗なる円舞曲」/第3番「華麗なる円舞曲」/
       第6番「小犬のワルツ」/第7番
     幻想即興曲
     ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲」
     即興曲 第1番
     ワルツ 第9番「別れのワルツ」

<ディスク:2>

     ノクターン 第2番/第3番/第5番/第13番/第13番
     バラード 第1番/第2番/第3番/第4番

ピアノ:中村紘子

CD:ドリーミュージック MUCD‐1226~7

 ピアニストの中村紘子が2016年7月26日に亡くなった。

 中村紘子は、山梨県に生まれ、東京都世田谷区等々力で育つ。1959年日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞。1960年、NHK交響楽団初の世界ツアーの時にソリストに抜擢された。その後、渡米しジュリアード音楽院で学ぶ。1965年第7回「ショパン国際ピアノコンクール」で、第4位入賞と最年少者賞を併せて受賞。これは、1955年第5回「ショパン国際ピアノコンクール」で、田中希代子が第10位で日本人として初入賞して以来、10年ぶり二人目の入賞となった。

 その後、世界各国で演奏活動を続ける一方で、様々な国際コンクールの審査員を務める。日本では第3回「浜松国際ピアノコンクール」から審査委員長を務めた。そして、コンクール創立10年たらずで「国際ピアノコンクール連盟」に加盟させ一級レベルの国際ピアノコンクールにまでに育て上げなど、若いピアニストの育成にも力を入れた。さらに、ノンフィクション作家・エッセイストとしても活躍し、1989年には「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2008年紫綬褒章受章。

 中村紘子の功績の一つとして、クラシック音楽にあまり馴染のない層にもその名が知られるなど、わが国のクラシック音楽の裾野を広げることに貢献したことが挙げられよう。どうしてもクラシック音楽家は、芸術至上主義と言おうか、自分の世界の中に閉じこもりがちであるが、中村紘子は、政治であろうがマスコミであろうが接点を持ち、情報を発信し続けてきた。そのお蔭でわが国のクラシック音楽も、随分と開かれた印象を日本の人々に与えることができたのではないかと思う。

 晩年の中村紘子はパデレフスキ協会設立にも尽力した。パデレフスキは、後にポーランドの首相にもなった大ピアニスト。「細田さんも政治家兼ピアニストなんですから会長をやってくださいと」口説き落として、自民党の細田博之氏(現自民党幹事長代行)をパデレフスキ協会の会長に就任してもらったことなどは、このことをよく現している事例の一つだろう。

 このCD「ドラマティック~中村紘子 プレイズ・ショパン~」は、2009年度「レコード・アカデミー賞<特別部門/企画・制作>」を受賞した50周年記念CD-BOX「Hiroko Nakamura at 2009」から収録した2枚組のアルバムである。全ての曲で、中村紘子独特の華やかさが溢れだした演奏を聴かせてくれる。中村紘子の手はあまり大きくなく、ピアニスト向きでなかったそうで、本人もテレビで語っていたが、そのハンディを絶え間ない練習でカバーしたようだ。

 中村紘子のショパンの演奏を聴くと、何かほっとしたような安らぎが感じられる。非常に健康的なショパンなのである。聴き進うちに、夢の中を彷徨っているような気分にもさせられる。それに加え、ロマンの香り豊かな、とてもドラマチックな展開の演奏内容なのである。私が最後に中村紘子の生の演奏を聴いたのは、三ツ橋敬子指揮のピアノ協奏曲の演奏会の独奏者として登場した時である。若い三ツ橋を何とか支えようとしたのか、三ツ橋敬子の後ろから、指揮者の手振りをしていたことを思い起こす。

 もう再び中村紘子の生の演奏を聴くことができない・・・何とも残念で悲しいことだ。            合掌                     

                                                          (蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ジャン・ユボーの「フォーレ:ピアノ作品全集」

2016-06-07 17:04:36 | 器楽曲(ピアノ)

 

フォーレ: ピアノ作品全集

<DISC1>

夜想曲(全13曲) 第1番~第9番

<DISC2>

夜想曲(全13曲) 第10番~第13番
主題と変奏 嬰ハ短調 作品73
即興曲(全5曲)
3つの無言歌 作品17

<DISC3>

舟歌(全13曲)

<DISC4>

小品集 作品84(第8番は「夜想曲 第8番」としてDisc1トラック8に収録)
前奏曲集 作品103
ヴァルス・カプリス(全4曲)
マズルカ 変ロ長調 作品32

ピアノ:ジャン・ユボー

録音:1988年10月~1989年4月、パリ、サル・アディアール

企画:タワーレコード

CD:ワーナーミュージック・ジャパン WQCC-405~8

 名ピアニストであったジャン・ユボー(1917年―1992年)による、このCD4枚組の「フォーレ ピアノ作品全集」は、ピアノ組曲「ドリー」やバラードなどを除けば、文字通りフォーレのピアノ曲を網羅してある。このため、フォーレのピアノ曲を俯瞰したい場合には大変便利だし、何よりも流麗なジャン・ユボーのピアノ演奏が、これらの作品の特徴を際立たせており、心底からフォーレのピアノ曲を堪能できるアルバムとなっている。フォーレ(1845年―1924年)の作品は、初期(1860年~1885年)・中期(1885年~1906年)・晩年(1906年~1924年)の3期に分けられることが多いが、ピアノ曲はその全期にわたって作曲されている。それだけフォーレにとって、ピアノ作品への思い入れがことのほか強かったことの証かもしれない。そして、夜想曲、即興曲、舟歌など、ショパンの作品と軌を一にしていることが特徴となっている。しかし、一貫してフォーレらしい優雅で、穏やかな曲調となっており、ショパンのような激情を見せることは決してない。フォーレの生きていた時代は、ワーグナーやストラビンスキー、シェーンベルクなどの革新的作品が世に送り出されていたが、フォーレは独自のスタイルを変えることはなかった。
 
 「夜想曲」の作曲時期は、フォーレの活動時期のすべてにわたっており、最後の第13番は、ピアノ作品の最後を飾るもの。ショパンの夜想曲のような甘美さはそれほどないものの、深い、透明感に満ちた世界を描き切っており、夜想曲としては、ショパンの作品に比肩されるべき、高みに達したと言っていいいだろう。「主題と変奏」は、主題と11の変奏からなる作品で、フォーレのピアノ作品の中でも一際高い評価がなされている。名ピアニストであったコルトーは「この作品の音楽的な豊かさ、表現の深さ、器楽的内容の質の高さは、あらゆる時代のピアノ音楽のうち、最も希有で最も高貴な記念碑のひとつであることは、まったく疑う余地がない」と絶賛している。「即興曲」は、5曲あるが、このほか、ハープのために作曲された1曲の即興曲のピアノ版があり、「即興曲」第6番と呼ばれている。「無言歌」は、3曲があるが、作曲されたのは、1863年、フォーレが18歳の頃の作品で、メンデルスゾーンの「無言歌」に倣った作品と言われている。

 「舟歌」は、夜想曲と同様全部で13曲が書かれた。また夜想曲と同様に、創作活動の全期間にわたって作曲されている。舟歌は、元来ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎが船を進めるときに歌う歌のことを言う。多くの作曲家が舟歌を残しているが、13曲もの舟歌を書いたのはフォーレだけ。それだけ、イタリアに明るい風景にフォーレは憧れたということであろう。「小品集」は、異なる時期につくられた8曲の小品を集め、出版されたもの。「前奏曲集」は、ドビュッシーが前奏曲集第1巻を作曲した時期と重なっている。全部で9曲作曲され、様式も多様であるが、9曲が一つのまとまった作品を意図されつくられたことは確かのようだ。「ヴァルス・カプリス」は、4曲からなるが、全て初期の頃の作品。当時、フランスでは、ピアノ用のヴァルス(ワルツ)の作曲が盛んであり、その中で書かれた作品。「マズルカ」は、1875年頃の作品。マズルカというとショパンを思い起こすが、フォーレのマズルカは、ショパンのそれとは少々趣を異にする。

 ピアノのジャン・ユボーは、フランス出身。パリ音楽院で学ぶ。13歳でピアノ科の首席。17歳でローマ大賞の二等賞を獲得する。さらに25歳でヴェルサイユ音楽院の院長に就任。その後、パリ音楽院で後輩の指導に当たった。この間、第一線のピアニストとしての活動を展開して、世界的名声を得た。このCDでユボーは、精細を極めた演奏を披露している。しかし、全体としては、神経質というより、ゆったりとした温かみのある演奏であり、フォーレのピアノ曲の真髄に触れるには、もっとふさわしいピアニストと言えるのではないか。きちっとした構成力が印象に残り、単なるフォーレの情緒的な面の後追いではないところが、その魅力の源泉となっているようだ。全4枚のCDが、一貫した姿勢で貫かれているところが、この録音を一際高いところに押し上げている。よく、一貫した姿勢で弾かれた演奏は、単調に陥りやすいものであるが、このCDのユボーの演奏だけは、それとは異なり、聴き込めば聴き込むほど味わい深く、フォーレの醸し出す独特の音の世界を噛みしめることができる。ある意味では、古き良き日を思い起こさせてくれる演奏内容ではあるが、さりとて、現在にも通じる新鮮さに微塵も欠けていないところに深みが感じとれる演奏内容である。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇マレイ・ペライヤのショパン:練習曲op.10&op.25(全24曲)

2015-06-09 10:56:15 | 器楽曲(ピアノ)

ショパン:練習曲op.10&op.25(全24曲)

ピアノ:マレイ・ペライヤ

CD:ソニーミュージックジャパン SICC 30065

 米国出身のピアニストのマレイ・ペライア(1947年生まれ)は、1976年の初来日以来、度々来日しているので実演を聴いている方も数多くおられよう。若い頃、マレイ・ペライヤは、CDなども発売され、将来を嘱望されていたが、その後、動静が途絶え、引退したかに思われたが、これは手の故障のためであったらしく、回復後今日に至るまでの活躍は、若い頃を上回るほどのものが見られる。ニューヨークのブロンクスに生まれ、1966年、17歳の時にニューヨークのマネス音楽大学へ入学。1972年リーズ国際ピアノ・コンクールでアメリカ人初の優勝者となった。その後、国際的な演奏活動および録音活動を開始する。

 1973年には住まいをロンドンに移し、ここを拠点にあらたな演奏活動をスタートさせた。そして1981年から1989年までオールドバラ音楽祭の共同芸術監督を務めた。しかし、1990年にペライアは右の親指を切り、それが原因で敗血症を引き起こし、長期間の療養を余儀なくされた。その後、復活を果たすも、再び手の故障が再発し、演奏活動を一時休止することになる。そして、2006年には再復活を遂げ、現在に至っている。これまで3度のグラミー賞受賞、2015年イスラエルのウルフ賞芸術部門受賞など数々の受賞歴を持つ。2004年名誉大英帝国勲章ナイト・コマンダーKBEを受章。

 ショパンの練習曲op.10&op.25は、練習曲という名前が付けられているが、芸術性も高く、高い演奏技巧を要求されることから、ピアニストにとって高く聳える山のような存在となっている。あのショパン弾きで有名な大ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887年―1982年)でさえ「ショパンの練習曲は恐ろしくてたまらない」と語っている。また「それらをきちんと演奏することは、とても難しい仕事で、私はいまだに挑戦する勇気を持てないでいます」とも語ったほどと伝えられている。最初の「12の練習曲集」op.10は、1833年6月にライプニッツで出版され、リストに献呈されている。その時ショパンは若干23歳であった。二番目の「12の練習曲集」op.25は1837年に出版された。こちらの練習曲も最初の12曲と同様に霊感にあふれた内容となっており、これによってショパンは、その天才性を如何なく天下に知らしめることになる。

 このCDでのマレイ・ペライヤの演奏は、全体が非常に安定しているにもかかわらず、同時に詩情性にも富むという、二律背反的要素を内包した、滅多に聴かれないほどの高みに達した、優れたものに仕上がっている。特に、その男性的なピアノタッチが、リスナーにとっては誠に心地良く響く。包容力のある演奏そのものだ。スヴャトスラフ・リヒテルの強靭さと、サンソン・フランソワの激情的抒情味とを同時に併せ持った演奏のようでもある。演奏全体は、さんさんと輝く陽光の下に、健康的なショパンが一気に花開いたとでも表現できようか。マレイ・ペライヤは、一時期、手の故障でブランクがあり、ライバルのピアニスト達に一歩後れを取ったきらいがあったが、このCDを聴くと、現時点においては、現代のピアニストの巨匠の一人に十分に値する優れたピアニストであることが実感できる。そして、このCDを聴くと、今後さらに深みを増すピアニストに違いないと、確信させられるのである。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇ロシア楽派の伝統を引き継ぐメジューエワのラヴェル:組曲「鏡」他

2015-04-07 13:07:57 | 器楽曲(ピアノ)

ラヴェル:組曲「鏡」(蛾/悲しき鳥/洋上の小舟/道化師の朝の歌/鐘の谷)

ショパン:スケルツォ第2番
      2つの夜想曲op.55(第1番/第2番)

スクリャービン:ピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」

ピアノ:イリーナ・メジューエワ

録音:1997年6月10日~13日、笠懸野文化ホール(群馬)

CD:日本コロムビア COCO 73367

 1997年から日本を拠点に活躍するロシア出身のピアニスト、イリーナ・メジューエワは、今や、わが国のクラシック音楽界に欠かせない存在となっている。そんなメジューエワが、1996年の「メンデルスゾーン/ショパン/メトネル」、1997年の「メンデルスゾーン作品集」に続き、第3作目のCDとして同じく1997年に発売したのがこのCDである。メジューエワは、今年3月に「第27回ミュージック・ペンクラブ賞」を受賞したが、その贈賞理由には、「バッハからプロコフィエフにいたる広範囲なレパートリーをもち、ロシア作曲家メトネルの真価を日本の聴衆に知らしめるなど、真摯な態度と高い知性に支えられた、良質な演奏を展開している。・・・また小学校でのコンサートなど長期にわたるアウトリーチ活動のあわせ、わが国の音楽文化の普及への貢献を、ここに讃えるものである」と書かれてある通り、日本での演奏活動に対して多くの支持が集まっている。イリーナ・メジューエワ(1975年生まれ)は、ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)の出身。グネーシン音楽学校でヴラディミール・トロップに師事。その後、ヨーロッパ諸国で演奏活動を行っていたが、結婚を機に、1997年から日本の京都に拠点を移し、アジア各国でも演奏活動を展開している。グネーシン音楽学校からはキーシン、リフシッツ、リツキーなど、現在世界で活躍するピアニスト達を輩出しているが、彼らの師がヴラディミール・トロップである。そのトロップの師がグートマン、さらにそのグートマンの師が、ロシア音楽界の巨匠ネイガウスなのである。つまりメジューエワは、ロシア楽派の伝統引き継ぎ、現在日本を拠点に活躍している貴重な存在のピアニストなのである。

 第1曲目は、ラヴェル:組曲「鏡」(蛾/悲しき鳥/洋上の小舟/道化師の朝の歌/鐘の谷)。この組曲は、ラヴェルが1905年、30歳のときに作曲した、5曲からなるピアノのための組曲。中でも「道化師の朝の歌」は、単独で取り上げられることも多い曲で、第3曲「海原の小舟」と第4曲「道化師の朝の歌」は作曲者自身によって管弦楽編曲が行われた。この曲でのメジューエワの演奏は、天空からピアノの音が降り注ぐかのごとく、微妙なニュアンスを含んだ、繊細極まりない表現に徹している。どちらかというとこの組曲は、レヴェルの曲らしからぬ雰囲気を湛えているが、逆にそのことがメジューエワの個性が自然の形で発露できるようでもある。一つ一つのピアノの音は、極限まで磨き上げられ、宝石箱から宝石が堰を切って一気に流れ出すような、透明感に溢れたその美しさは、他に例えるものが見つからないほどである。この演奏を聴いていると、音楽がいつ始まって、いつ終わるかが、全く気にならないで進行しているように思われる。それほど、ここでのメジューエワの演奏は、それぞれの曲と一体化し、静寂さの中でゆっくりと歌が響き渡り、永遠の闇えと消え去るようでもある。そう考えて行くと、ここでのメジューエワの演奏は、詩人と何ら変わらないような演奏内容となっている。

 次は、ショパン:スケルツォ第2番と2つの夜想曲op.55(第1番/第2番)。ショパン:スケルツォ第2番は、もともと激しい感情を内に秘め、思いの丈を鍵盤に叩きつけるような、激しい曲想を持つ。しかし、この曲でのメジューエワの演奏は、そんなことに一向にお構いなしに、美的感覚を前面に打ち出した演奏内容に終始する。ここでリスナーは、「ショパン:スケルツォ第2番は、こんなにも美しい曲だったのだ」と思わず納得させられる。そこにはすべてが、丸い曲線で覆われ尽くされたような空間が表現されている。ひょっとすると、この曲は、スケルツォではなく、バラードだったのではないのか、と思ってしまったほどである。もうこれは、良くも悪くも、メジューエワの描く美的感覚が空いっぱいに広がっていくような感覚だ。メジューエワ一流のショパンの世界に足を踏み入れたことになる。そのためか、聴き終わると清々しさが心に残る。ショパン:2つの夜想曲op.55(第1番/第2番)は、これはもうメジューエワが紡ぎだす音の世界が、ショパンのこれらの曲想とぴたりと合い、申し分ない。限りない漆黒の世界が横たわっているような雰囲気が辺りを覆い尽くす。ショパンの夜想曲の王道を行くような、静かであり、同時に深々とした演奏内容だ。

 最後のスクリャービン:ピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」は、1892年頃から1896年頃にかけて作曲され、1897年に出版された曲。2楽章構成のこの曲は、スクリャービンが黒海を訪れた時の印象に基づいたものいわれており、2つの楽章は、夜の海の凪と嵐を象徴するとも言われている。メジューエワの第1楽章の演奏は、これまでの演奏内容と少々趣を変え、ロマン派風のうねりを強調したものになっている。小説を読み進み、その複雑なストーリーが重なり合ったような、奥深さを感じさせる。同時にこれまでの演奏では鳴りを潜めさせていた、力強い表現力に暫し聴き惚れる。やはりメジューエワはただの美しさだけに寄りかかる凡庸なピアニストではなかったのだ。実に説得力ある演奏内容だ。第2楽章では、さらにこの傾向に拍車がかかる。あたかもベートーヴェンのソナタのような、力強さとスケールの大きい曲想を持った曲であるが、それに相応しいメジューエワの力演を聴くことができる。このスクリャービン:ピアノソナタ第2番は、最近演奏されることが多くなっているようであるが、このメジューエワの演奏を聴くと、現在の我々の感覚にもぴたりと合う曲であることが実感できる。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ファジル・サイが欧米に大旋風を巻き起こした衝撃のデビュー・アルバム

2015-01-13 08:28:54 | 器楽曲(ピアノ)

モーツァルト:ピアノソナタ第13番
        キラキラ星変奏曲(「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲)
        ピアノソナタ第10番
        ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲」

ピアノ:ファジル・サイ
 
CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS-22209

 このCDは、ファジル・サイがモーツァルト作品を演奏した衝撃のデビュー・アルバム。新鮮な感動を呼び起こし、広く世界にファジル・サイの存在感を印象付けた。ファジル・サイ(1970年生まれ)は、トルコ・アンカラ出身のピアニスト兼作曲家。アンカラ国立音楽学院で学び、17歳でデュッセルドルフのシューマン音楽院に留学。さらに1992年から1995年までベルリン音楽院で学び、1994年にニューヨーク・ヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝する。その後、国際的な演奏活動をスタートさせた。室内楽奏者としても活躍し、ユーリ・バシュメット、シュロモ・ミンツらと共演してきた。初来日は1996年で、その後もしばしば来日している。ピアニストとしてだけでなく、作曲家としても活発な活動を展開。16歳で作曲した"Black Hymns"は、ベルリン建都750周年記念行事で演奏された。1991年には「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲」をベルリン交響楽団と自ら初演。1996年には、ボストンでピアノ協奏曲第2番「シルクロード」を初演した。トルコ文化庁の委嘱によるオラトリオ「ナーズム」は、トルコ人の詩人ナーズム・ヒクメットの詩をベースに作曲されたもの。2002年には、ピアノ協奏曲第3番がフランス国立管弦楽団により初演されたのに続き、2003年イスタンブル音楽祭では、オラトリオ「Metin Altiokのためのレクイエム」が初演された。2006年にはザルツブルク音楽祭のために「In the Serai」を作曲。このほか映画音楽の作曲も手掛けるなど、多才ぶりを発揮している。

 モーツァルト:ピアノソナタ第13番は、1783年~84年に、リンツおよびウィーンで作曲されたと考えられている。如何にもモーツァルトの作品らしく、全体に明るく軽快なピアノソナタとなっている。そして、しばしば指摘されるのは、このピアノソナタとヨハン・クリスティアン・バッハとの関係だ。モーツァルトは、子供の時からJ.C.バッハのギャラント様式に影響を受けて育った。このピアノソナタは、このことがベースとなって書かれたものと考えられ、さらに新たにモーツァルト独自のスケールの大きさも併せ持った作品になっており、典雅さと協奏曲風な雰囲気が共存する、新たな境地を開いたピアノソナタということができよう。私は、このCDを最初に聴いたときに、大いに驚いた。最近、このような雰囲気のモーツァルト演奏を聴いたことがないかったからだ。装飾音を多用はしているが、そこには単なる懐古趣味とは違った、“現代に息づく古典”が存在していたからだ。意表を突かれた演奏内容であった。「こんな形での演奏スタイルがまだ残されていたのか」と改めてファジル・サイの着眼点に敬服した。モーツァルト時代の演奏スタイルは、ひょっとするとこんなのではなかったかとも。現代のピアニストは、ロマンの世界に没入するか、現代人特有の虚無感の披露に終始することが多いが、ファジル・サイの演奏を聴いていると、「演奏をすること自体が喜びであり、それ以上でも、以下でもない」と宣言しているようでもある。

 モーツァルト:キラキラ星変奏曲(「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲)は、主題の原歌詞は、母に打ち明けるフランスの恋の歌で、作者は不詳。1781年~82年にウィーンで書かれた作品。当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」 による変奏曲であるが、後に恋の歌ではなく童謡「きらきら星」として知られるようになったため、日本では「きらきら星変奏曲」とも呼ばれるようになった。恋の歌と童謡という何とも不思議な関係の曲だ。ここでのファジル・サイの演奏は、これまで聴いてきたどの「きらきら星変奏曲」の演奏とも異なり、生き生きとして喜びに満ちたものとなっている。もともとは童謡ではなくではなく、恋の歌だったことが実感できる演奏だ。次のモーツァルト:ピアノソナタ第10番は、1780年の夏にザルツブルクで、1781年から83年にかけて、ミュンヘンまたはウィーンで作曲されたと考えられている。A.アインシュタインはこのピアノソナタを「かつてモーツァルトが書いた、もっとも愛らしいもののひとつ」と評したほど流麗な曲。ここでのファジル・サイの演奏は、前の2曲の時ほど誇張がなく、ごく素直に、流れるように弾き進める。この結果、ここまで聴き進めて、リスナーには、一服のやすらぎのような雰囲気が芽生える。これは、ファジル・サイの隠れた演出力のなせる技なのであろうか?

 最後のモーツァルト:ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲」は、モーツァルトのピアノソナタの中でも一際知名度の高い曲。モーツァルトが歌劇「後宮からの逃走」を書いていた頃、すなわち1783年頃に作曲されたとも考えられている。その理由は、歌劇「後宮からの逃走」は、トルコを舞台にしており、トルコ風の音楽を劇中に取り入れているため。モーツァルトは、トルコ風のエキゾチックな音楽が、当時、ウィーンで流行っていたことに目を付け、歌劇ばかりでなく、ピアノソナタにも採用したと考えられる。それまでのヨーロッパの優雅な宮廷文化を、新しい価値観に置き換えるシンボルとしてトルコ風音楽が使われれているようだ。そう考えながらモーツァルト:ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲」を聴くと、これまで聴こえてこなかった時代の背景が浮かび上がってくる。ここでのファジル・サイの演奏内容は、“疾走するモーツァルト”と“思索するモーツァルト”とが、交互に現れては消え、消えてはまた現れるという、驚くべき手法でリスナーを完全に翻弄する。この演奏を聴いていると、モーツァルトがトルコ風の音楽を取り入れ、それまで連綿と続いてきたヨーロッパの優雅な宮廷文化に、何とか風穴を開けようとした意図すら感じられるようだ。やはりファジル・サイは風雲児に違いない、そんなことをことを感じさせる演奏だった。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇若き日のグリモーをショパン、リスト、シューマンに聴く

2014-07-08 11:00:09 | 器楽曲(ピアノ)

ショパン:バラード 第1番 
リスト:ソナタ風幻想曲 「ダンテを読みて」(巡礼の年 第2年 「イタリア」 S.161より)  
シューマン:ピアノソナタ 第1番

ピアノ:エレーヌ・グリモー

録音:1987年8月23日~25日

CD:コロムビアミュージックエンタテインメント DENON COCO‐73047

 ピアノのエレーヌ・グリモーは、フランスのエクス・アン・プロヴァンス出身。現在では、世界を代表するピアニストの一人として活躍していることは、ご承知の通り。これは、そんなグリモーが17歳の時に録音したCDであり、既に将来の大成を予言するかのごとく質の高い演奏を披露している。グリモーは、1982年、13歳でパリ国立高等音楽院に満場一致の首席で入学し、1985年、ジャック・ルヴィエのクラスをプルミエ・プリで卒業。同時に研究科への進学も満場一致で許可され、ジェルジ・シャンドール、レオン・フライシャーに学ぶ。同年ラフマニノフの「ピアノソナタ第2番」の録音により、モントルーのディスク大賞を受賞。そして1987年からパリで、プロのソリストとしての演奏活動を開始した。1990北米デビュー、そして翌年21歳でアメリカに移住することになる。ドビュッシーなどフランス人ピアニストが得意とするレパートリーにはあまり興味がないそうで、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスなどドイツ・ロマン派音楽に取り組むほか、ラフマニノフ、ショパンについても、しばしば演奏している。グリモーの初めてのディスクは15歳の時に録音したラフマニノフの「ピアノソナタ第2番」であり、今回紹介するCDは、その2年後の録音。注目すべきはその曲目で、ショパン:バラード 第1番/リスト:ソナタ風幻想曲 「ダンテを読みて」(巡礼の年 第2年 「イタリア」 S.161より)/シューマン:ピアノソナタ 第1番と、後年の活躍を予言するような、深みのある、ひとひねりした曲が選ばれているのが興味深い。また、グリモーは、ピアニストとしての活動のほか、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立し、ニューヨーク州郊外で野生オオカミの保護活動に取り組み、その著作もあるという。

 ショパン:バラード第1番は、ショパンがパリ滞在中の1831年から1835年に作曲され、1836年に出版された。ショパンは、生涯で4曲のバラードを作曲しているが、この第1番が、ピアノによるバラードの世界で最初の作品と言われている、単一楽章ではありながら、ピアノソナタに劣らない内容を持ち、単なるピアノの小品とは一線を隔している。これまで、ショパンのバラードは、ショパンの祖国であるポーランドの詩人、アダム・ミツキェヴィチの愛国的なバラード詩に基づいて作曲されたとされてきた。これらの詩は、「スヴィテーツ」および「スヴィテツィアンカ」というノヴォグロデク郊外の湖とそこに住む妖精にまつわる伝説に題材を得た内容となっている。しかし、最近の研究によると、それらの詩とショパンのバラードとの関連性は見当たらないというのが定説となっているようである。ここでのグリモーのショパン:バラード第1番の演奏は、は、若干17歳とは到底思えないような思慮に富んだ演奏内容になっている。一本筋が入ったような確信に満ちた演奏が印象的だ。決して奇を衒うような演奏はせず、あくまでオーソドックスではあるのだが、奥深さというか、幽玄さに満たされた音楽空間を形作っている。この歳で、このように先を見通した演奏ができるピアニストは、そう滅多にはいるものではない。技術的にも安定しており、力強さも心地よく聴くことができる。やっぱり、グリモーは、若いころから類まれなる才能の持ち主であったことが、裏付けられるような演奏内容だ。

 2曲目のリスト:ソナタ風幻想曲 「ダンテを読みて」は、ピアノ独奏曲「巡礼の年」の「第2年:イタリア」よりの作品。リストは「巡礼の年」として「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」「第3年」の全部で4集からなるピアノ独奏曲を作曲した。これらの作品は、20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもの。リストは、1837年から1839年までイタリアに滞在して、ペトラルカ、タッソー、ダンテなどイタリア・ルネッサンスの巨匠たちの詩に接し、その結果として有名な「ダンテを読みて」や「ペトラルカの三つのソネット」を作曲した。同時にリストは、ラファエロの絵画やミケランジェロの彫刻作品を基に作曲した作品をまとめ、「巡礼の年 第2年:イタリア」として発表した。この中の「ダンテを読みて」は、ダンテの「神曲」の第1部「地獄篇」に描かれた世界を基に、リスト特有の詩的想像力により作曲した作品。ここでのグリモーの演奏は、ショパン:バラード第1番では、垣間見せなかった凄味の効いた演奏を披露する。これはもう“グリモー・ワールド”と評してもよさそうな独特の世界にリスナーを導く。リストの悪魔的な詩的情緒を、思う存分鍵盤にぶちつける。しかしそれは、ある一定の歯止めを持ったものなので、不快感はない。時折見せる、ロマンの香りも好ましい。グリモーは、文学作品を読むような不思議な音楽空間を巧みにつくり上げる。ここでも、若き日のグリモーは、既に熟達した域に入ったピアニストのごとき冴え技を披露する。鮮やかな腕に脱帽!

 3曲目はシューマン:ピアノソナタ 第1番。シューマンは、1833年から1838年の間に、3曲のピアノソナタを作曲したが、そのいずれもが、短調となっている。シューマンのピアノ作品というと「クライスレリアーナ」や「フモレスケ」「幻想曲」など、詩的なインスピレーションに基づいた作品を思い浮かべるが、ピアノソナタというと、あまりシューマンのもつ個性とは相いれないようにも思われる。しかし、これらのピアノソナタを聴くと、シューマンの持つ別の特質が現れ、シューマンを真に理解するのには、欠かせない作品となっている。例えば、シューマンは、レクイエムを作曲してる。一般的には、あまり知られていない曲ではあるが、よく聴くとシューマンの宗教への思いが溢れた傑作であることが理解できる。それと同じように、シューマンのピアノソナタを聴くと、シューマンが伝統的なソナタ作品と如何に真摯に立ち向かおうとしたかが聴き取れ、シューマンの作品に対する理解度がぐんと増す。ここでのグリモーの演奏は、ショパンとリストで見せた顔とはまた別な顔を覗かせ、興味深い。軽く流れるようにようにメロディーを歌わせたかと思うと、その一方では、文学的を読みふけっているような物語性をもたせ、それらを交互に表現する。このため、一般には平板になりがちなシューマンのピアノソナタが、真に生き生きと立体感を持って立ち現れる。ここでは若きのグリモーが目いっぱいに表現され、聴いていて清々しく感じられる。これを踏み台にして、その後大らかに旅立つグリモーの姿を、目のあたりにするようだ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ギーゼキングのメンデルスゾーン:無言歌集/グリーグ:抒情小曲集

2012-04-17 10:31:01 | 器楽曲(ピアノ)

メンデルスゾーン:無言歌集(17曲)
グリーグ:抒情小曲集(31曲)

ピアノ:ワルター・ギーゼキング

CD:東芝EMI TOCE‐8138‐36

 今回のCDは、名手ワルター・ギーゼキング(1895年―1956年)によるメンデルスゾーン:無言歌集およびグリーグ:抒情小曲集の2つの愛すべきピアノ小品集である。クラシック音楽というとオペラ、交響曲それに弦楽四重奏曲、ピアノソナタなど大上段に振りかぶった大曲を直ぐ思い浮かべるが、小品にも忘れがたい名作が数々残されている。あたかも道端の畦に可憐に咲く花のように。小品集というとクライスラーのピアに伴奏によるヴァイオリン曲などが有名であるが、それ以前の作曲家の作品というと、このメンデルスゾーン:無言歌集およびグリーグ:抒情小曲集のピアノ独奏曲が広く知れ渡っている。この2つのピアノ小品集は、聴けば聴くほどよく似た曲ではある。2つとも作曲者の独白のようなものであり、詩集のような佇まいも覗かせている。とは言っても違いも存在する。メンデルスゾーン:無言歌集は、ロマンチックで夢幻的な世界への没入的感覚が強いのに対し、グリーグ:抒情小曲集は、北欧独特の透明感溢れる寂寥といった感覚が強く感じられる。そんな曲集であるこそ、ピアニストの素質そのものが演奏の出来栄えにストレートに反映される。つまり凡庸なピアニストがこれら2曲を弾いても、作曲者が意図した曲想を充分いは表現できない。その点、ワルター・ギーゼキングによるこの録音は、2つの名品集を聴くのにこの上なく、現在でもこの録音を越える演奏を探し出すことは、なかなか難しい。

 ワルター・ギーゼキングは、ドイツ人の父親とフランス人の母親のもとフランスのリヨン生まれた。このことが、ギーゼキングのピアニストとしてのバックボーンとして深く根付いている。つまり、単なるドイツのピアニスト以上の幅の広さを持っている。ハノーファーで地元の音楽院に学んだが、抜群の暗譜力で楽譜に忠実な演奏スタイルを確立して行った。暗譜力の凄さは今でも語り草になっているほどで、新作の初演を依頼されたとき、演奏地へ出発する当日に作曲者から作曲されたばかりの手書きの楽譜をが届けられたが、ギーゼキングは汽車の中で数時間スコアを読みながら暗譜し、1回きりのリハーサルで本番において1音符の違いがなく弾いて見せたという逸話が残されているほど。このことが後年、楽譜に忠実に演奏する「新即物主義」(これを実現するには暗譜能力が一つの条件となる)のピアニストとして世界に知られることになる背景としてあった。現在、ギーゼキングの演奏を聴いてみると、特別な演奏法とは感じられないが、当時の演奏スタイルは、主観主義に基づいたロマンの色濃いものが主流を占めており、ギーゼキングの演奏スタイルは、当時大きな注目を浴びたわけである。このCDのライナーノートで三浦淳史氏は、来日時(1953年)のギーゼキングの演奏の印象を「技巧の完璧さ軽捷さはいうにおよばず、音の透明さとデリカシー、構成力における至高の明晰さ、ニュアンスと色彩感のこの上もない洗練さ」と表現している。

 メンデルスゾーン:無言歌集は、全部で49曲あり、メンデルスゾーンはそれらを順次8集にまとめ出版した。この無言歌集が多くの人に今でも愛されている一つは、分りやすい標題が付けられていることが、しばしば指摘される。もっともメンデルスゾーンが付けたのは、ヴェニスのゴンドラの歌第1~3番と二重唱の4曲だけだという。しかし、メンデルスゾーンが付けなかった標題でも、その曲をずばり表現している。第1番「甘い想い出」、第6番「ヴェネツィアの舟歌」、第16番「望み」、第18番「デュエット」、20番「浮雲(白い雲)」、第30番「春の歌」などなど、標題を見ただけで、何か曲のイメージが湧き上がって来る。メンデルスゾーンは、そんな曲を、あくまで心の内面から自然に発せられる音として鍵盤に移し変えた。このため、決して押し付けがましくなく、慎ましい小品集となっており、このことが現在に至るまで、聴くものの心を打つ名曲集と愛され続けている理由であろう。ギーゼキングの演奏は、そんな曲を暖かいピアノタッチで演奏していると同時に、それぞれが物語を持っているかのように弾いいており、思わず引き寄せられる名演となっている。

 グリーグ:抒情小曲集は、全部で10巻66曲からなるピアノ独奏集である。すべての曲に標題が付けられている。グリーグの曲は、北欧の音楽特有の透明感に彩られているが、この抒情小曲集も例外でなく、メンデルスゾーン:無言歌集とは一味違った印象をリスナーに与える。この背景には、ノルウェー民謡を曲に巧みに取り入れ、単なる小品集以上の効果を挙げていることを無視できないであろう。この辺はグリーグの民俗音楽作曲家としての存在を強くアピールしている曲集と評価される。一方では、「ワルツ」「音楽帖」「こもり歌」「メロディー」「孤独なさすらい人」などの標題を見て分るように、単なる民族色だけでない普遍性も盛り込ませたところにグリーグの非凡な才能が隠されているということも出来よう。ギーゼキングの演奏も、メンデルスゾーンの時のような幸福感に包まれた世界の表現から、シューベルトの歌曲のような寂寥とした表現も随所にちりばめた演奏を繰り広げる。また、ある時はショパンの曲を演奏するかのようでもある。ただ、ここでもギーゼキングは「新即物主義」の演奏家らしく、きりっと締まった演奏スタイルに終始し、このことが聴くものにグリーグ:抒情小曲集を、より深みのある曲集に感じさせるのはさすがである。(蔵 志津久)

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