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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CDレビュー◇ローラ・ボベスコのフランク/ルクー/ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ

2022-05-10 09:42:33 | 室内楽曲(ヴァイオリン)



<CDレビュー>



~ローラ・ボベスコのフランク/ルクー/ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ~



フランク:ヴァイオリンソナタ
ルクー:ヴァイオリンソナタ
ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ

ヴァイオリン:ローラ・ボベスコ

ピアノ:ジャック・ジャンティ

CD:日本フォノグラム(PHILIPS) 17CD-88

 名ヴァイオリニストであったローラ・ボベスコの弾く、フランス近代のバイオリンソナタの名品3曲を収めたこのCDの演奏内容は、今においてもこれを超える録音はほとんどないといってもいいのではないか、とも思えるほどの完成度の高さを聴いて取れる名盤だ。1981年9月録音と今から40年以上前なので、いささかの録音の古めかしさがあるものの、鑑賞に差し支えはない。ボベスコのヴァイオリンは、あくまで典雅で、抑揚を利かせ、静かな演奏なのであるが、その存在感は他のどんなヴァイオリニストにも一歩も引けを取らないところが特徴だ。こんな静かでありながら芯の通ったヴァイオリンの演奏はめったに聴けるものではない。いささかな乱れもなく、全体が統一した構成美に貫かれているにもかかわらず、女流バイオリニストとしての特徴を遺憾なく発揮し、優美で、しなやかで、まろやかな世界を描き切る。

 ローラ・ボベスコ(1921年ー2003年)は、ベルギー出身の女流バイオリニスト。パリ音楽院に入学し、1937年「イザイ・コンクール」で入賞し、以後世界的な名声を博し、フランス音楽やバロック音楽を得意とした。イザイはベリオが創始したといわれるフランコ・ベルギー楽派を代表する一人であるが、このコンクールに入賞を果たしたボベスコも、フランコ・ベルギー派のヴァイオリニストとして高く評価されていた。フランコ・ベルギー派の特徴は、自然で合理的なボウイング、細かなニュアンス、美しい音色などを挙げることができるが、彼女の演奏は正にこの王道を行くものと言える。今、現役で活躍するヴァイオリニストの中でデュメイがフランコ・ベルギー学派の一人だと言われているが、以前に比べ同派の流れを汲むヴァイオリにストの層が薄くなっているのは寂しい限りだ。

 3曲の中の最初の曲、フランクのヴァイオリンソナタの演奏は、聴くものの感性に素直に響く。フランクは交響曲などではとても激しい曲想の音楽を展開するが、このヴァイオリンソナタでは、真に端正なたたずまいの音楽を組み立てている。このフランクの曲想とボベスコの感性とが幸福な出会いを見せ、静かな響きの中に強靭な構成力を込めた演奏に仕上がっている。

 次のルクーのバイオリンソナタは、あまり聴く機会のない作品だが、完成度の高い、優れた作品だ。ギヨーム・ルクー( 1870年―1894年)は、ベルギー生まれで、フランクの門下生となり、フランクの死後はダンディに師事した。しかし、その生涯はたった24年という短いものだった。もっともっと長生きしていたらどんな名曲を生み出していたことか、このヴァイオリンソナタを聴くとそんな思いを何時も巡らしてしまう。青春の夢が花開いたような第1楽章、憂いを含んだ第2楽章、そして力強く前進し始める第3楽章、いずれもボベスコのヴァイオリン演奏は、ルクーのの演奏で他の追随を許さない高みに達している。

 最後のドビュッシーのヴァイオリンソナタは、ひらめきとか、一瞬で移り変わる光の輝き見たいな、自然の営む吐息のような独特な世界を描いた作品であるが、ボベスコはここでもドビュッシーが表現したかったであろう、一瞬の美学とでもいったものを鋭敏に表現している。あくまでも繊細で研ぎ澄まされた感覚が例えようもなく美しい。(蔵 志津久)
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◇クラシック音楽CD◇デュメイ&コラールのフォーレ:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番他

2016-02-15 15:32:31 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

フォーレ:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番
      子守唄Op.16
      ロマンスOp.28
      アンダンテOp.75
      初見視奏曲

ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ

ピアノ:ジャン=フィリップ・コラール

CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE 16332

 フォーレのヴァイオリンソナタ第1番は、フォーレ31歳の1876年に完成した。フォーレの室内楽曲のうち最初期の作品。全部で4楽章からなり、伝統的な枠組みを基調としながら、若々しく、躍動感に富み、そして、澄み切った抒情性が特徴で、現在に至るまで、人気のヴァイオリンソナタの一つとなっている。フォーレは、1874年にサン=サーンスの後任としてマドレーヌ寺院のオルガニストに就任するが、ちょうどそのころにヴァイオリンソナタ第1番に着手している。サン=サーンスは、1871年に、若い作曲家たちの作品を演奏する目的で国民音楽協会を設立した。これが切っ掛けとなり、フォーレも室内楽作品を書くことになり、その成果の最初の作品がヴァイオリンソナタ第1番なのである。

 フォーレのヴァイオリンソナタ第2番は、第1番のソナタから実に40年後の1917年に完成した。フォーレこの時71歳というから、その創作意欲の旺盛さには驚かされる。初演は、カペーのヴァイオリン、コルトーのピアノによって行われた。当時、フォーレは、パリ音楽院の院長の要職に就いていた。第1番と同様、伝統的な枠組みを基調としているが、第1番にはなかった、成熟した味わい深い作品に仕上がっている。あくまでその響きは純粋で、がっちりとした構成力の上に抒情味溢れるメロディーが、第1番にはない落ち着きのある深さを醸し出している。現在でも、晩年のフォーレの傑作としてしばしば演奏会で取り上げられている。

 このほか、このCDには、フォーレのヴァイオリンとピアノの4つの作品が収められている。子守唄Op.16は、1880年の作品。愁いを帯びた旋律が、ゆりかごを思わせる繊細な動きの伴奏の上に奏でられる。ロマンスOp.28は、1882年の作品。舟歌風な曲で、管弦楽伴奏でも演奏される。アンダンテOp.75は、1897年の作品。フォーレ特有の繊細で気品のある旋律が印象的。初見視奏曲は、1903年のパリ音楽院での、ヴァイオリンの試験のための初見による能力を試すためにつくられた、美しい音色がポイントとなる作品。

 このCDは、1975年~78年に、当時のフランスを代表する中堅・若手の演奏家を中心に録音された「フォーレ/室内楽全集」から取られている。同全集は、LP6枚組からなるものだが、発売当初から話題となり、1979年度の「レコード・アカデミー賞」を受賞した。フォーレのすべての室内楽を収録したことでも画期的なレコードで、演奏は、中堅・若手の演奏家の演奏家が中心となっている。中堅・若手の演奏家といっても皆実力者ぞろいで、フランス的な抒情性をたっぷりと含んだ演奏内容が高く評価された。この中から、デュメイのヴァイオリンとコラールのピアノの演奏を抜き出して1枚のアルバムにまとめたのがこのCDである。

 ヴァイオリンのオーギュスタン・デュメイは、1949年フランスに生まれる。パリ音楽院で学ぶ。グリュミオーに師事した。1975年ジョルジュ・エネスコ賞受賞。1979年にカラヤンに認められ共演し、以後、世界を代表するヴァイオリニストの一人として活躍している。ピアノのジャン=フィリップ・コラールは、1948年にフランスに生まれる。パリ音楽院で学ぶ。1969年ロン=ティボーコンクール入賞&フォーレ特別賞を受賞。1970年シフラ・コンクール優勝。以後世界的なピアニストの一人として活躍している。このCDでの2人の演奏は、2つのヴァイオリン・ソナタでは、力強い演奏が印象的だ。フォーレの作品の演奏には概して繊細さが求められるが、この録音は、逆に、フォーレの構成力の強固な佇みを前面に押し出し、力強さを強調した演奏となっている。第1番は、青春の息吹のむせかえるような情緒が見事に表現されている。一方、第2番は、成熟した奥深さを反映した演奏内容となっているが、やはり力強い構成力が印象的な演奏だ。残りの4つの小品の演奏は、ヴァイオリンソナタの時のような力強さは影をひそめ、フォーレ特有の繊細さと優美さに徹した演奏が魅力。このように縦横に弾き分けられるデュメイとコラールは正に名コンビということができよう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇デュメイ&ピリスのフランク/ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ他

2014-03-11 10:39:52 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

フランク:ヴァイオリンソナタ
ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ
ラヴェル:フォーレの名による子守歌
     ハバネラ形式の小品
     ツィガーヌ

ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ

ピアノ:マリア・ジョアン・ピリス

CD:ユニバーサルミュージック UCCG 4851

 このCDは、フランス人のヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイ(1949年生まれ)が、マリア・ジョアン・ピリスのピアノ伴奏で、フランスの室内楽の名曲の6曲を演奏した録音である。デュメイは、ピリスとコンビを組んでの室内楽の録音の前に、ジャン=フィリップ・コラールとのコンビで同様な曲の録音を一度果たしており、ピリスとのコンビの録音は2回目ということになる。ピリスとは、既にモーツァルト、ブラームス、グリーグのヴァイオリンソナタのCDをリリースしており、今回は4枚目となるもの。オーギュスタン・デュメイは、フランス・パリ生まれ。10歳でパリ音楽院に入学し、13歳で卒業したというから、若くからその才能を開花させたようだ。ナタン・ミルシテインとアルテュール・グリュミオーに師事する。一般的に一流の演奏家は、国際的な音楽コンクールで1位になり、楽壇に華々しく登場するのが常であるが、デュメイだけは、そのような国際的音楽コンクールの受賞歴はなく、現在、世界屈指のヴァイオリニストの一人に数えられている稀な演奏家である。優雅で美しい演奏に徹するフランコ・ベルギー派の正統的後継者として認められている。2003年からベルギーのワロニー王立室内管弦楽団首席指揮者、2008年9月から関西フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者、2011年から同楽団の音楽監督に就任するなど、最近では指揮者としての活動にも力を入れている。

 このCDの最初の曲目は、フランク:ヴァイオリンソナタ。フランクが64歳の時に、同郷の名ヴァイオリニストのイザイの結婚記念日のお祝いとして献呈された曲で、19世紀後半を代表する名曲として知られている。全部で4つの楽章からなり、自作の交響曲ニ短調でも用い成功させた、循環形式で作曲されている。フランスのヴァイオリンソナタというと、幽玄で情緒的な曲想を思い浮かべるが、このフランクのヴァイオリンソナタは、これといささか異なり、我々が聴き慣れているドイツ・オーストリア系のヴァイオンソナタにも似た雰囲気を持った曲で、我々日本人としては聴きやすいフランス系のヴァイオリンソナタである。ヴァイオリンが主役で、ピアノが脇役という従来からのヴァイオリンソナタとは異なり、ヴァイオリンとピアノが対等に扱われている。このため、このヴァイオリンソナタを演奏するには、優れたピアニストが欠かせないが、このCDでは、デュメイのもつ音楽性と同じ延長線上にある名ピアニストのピリスが演奏しているところが重要なポイントとなる。この曲はピアノの柔らかな伴奏で始まるが、ピリスの演奏は、実に緻密で優雅に歌うように奏でられる。そしてデュメイの如何にもフランス風な抒情身に富んだヴァイオリン演奏を聴くと、二人の音楽性の共通点が自然に浮かび上がってくる。全曲を通して、天上の音楽を聴くように夢心地の気分をリスナーに存分に味あわせてくれる。フランス人のヴァイオリニストしか表現できないところが、随所に表れ、この録音の存在意義が強く感じられる。

 次の曲のドビュッシー:ヴァイオリンソナタは、ドビュッシーの最後の作品となった曲。作曲は、1916年から1917年にかけて行われた。初演は、ガストン・プーレのヴァイオリンとドビュッシー自身のピアノにより行われたが、これがドビュッシーが公に姿を現した最後になったという。この頃、第一次世界大戦が勃発し、フランスとドイツは敵国同士となっていた。フランス人であるドビュッシーとしては、ソナタ形式などドイツ音楽から影響を受けたものの、戦争という時代背景もあり、意識的にフランス風な印象を与える曲の作曲に腐心していたようである。このドビュッシー:ヴァイオリンソナタの前には、「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」と「チェロとピアノのためのソナタ」の2曲が完成していた。そしてヴァイオリンソナタの後に、「オーボエ、ホルン、クラヴサンのためのソナタ」「ファゴット、ピアノのためのソナタ」「コントラバスを含む編成のソナタ」の3曲が続くはずであったが、残念なことにドビュッシーは癌のために作曲を続けられなくなってしまった。これら6曲全体に対し、ドビュッシーは“さまざまな楽器のための6つのソナタ、フランス人音楽家クロード・ドビュッシー作曲”とわざわざ書き添えた。「自分はフランス人作曲家なのだ」ということをことさら強調したかったのであろう。ここでのデュメイの演奏は、フランク:ヴァイオリンソナタ以上に、フランス的な幽玄たっぷりな演奏を見せる。しかし、ピリスの伴奏にも言えるが、清冽で知的な形式美に貫かれた演奏となっているため、聴き終わった感じは、逆にすっきりした印象を持つ。どちらかというと、ドビュッシーが苦手というリスナーにも勧められる演奏内容だ。

 ラヴェル:「フォーレの名による子守歌」「ハバネラ形式の小品」「ツィガーヌ」の3曲は、ラヴェルの小品としてお馴染みの曲。「フォーレの名による子守歌」は、ラヴェルの師であるフォーレが亡くなった時、代表的な音楽雑誌「ラ・ルブュ・ミュジカル」が、フォーレを追悼する特集号を刊行した。ここでは、フォーレをたたえる作品を、代表的な作曲家に依頼し、その一つがラヴェルの「フォーレの名による子守歌」である。タイトル通り、Gabriel Faureの名前の12文字が音名に読み変えられ、そのテーマをもとにして作曲されている。ヴァイオリンは終始弱音器をつけて演奏される。「ハバネラ形式の小品」は、もともと声楽のための練習曲で、現在では、ヴァイオリンをはじめチェロ、フルートなどで演奏される。ハバネラのリズムに乗せてスペイン風の旋律が奏でられる。「ツィガーヌ」は、“ロマ”を意味するフランス語で、“ジプシー”のこと。ラヴェルの生まれたバスク地方一帯は、スペイン系ロマが生活する地域。この曲は、ハンガリーの民族舞曲チャールダッシュの形式が取り入られている。これらの3曲の小品を演奏するデュメイとピリスの息はぴたりと合い、絶妙な効果を生み出している。いずれの曲も、華美にならず、ある意味では地味な演奏内容だ。だから、技巧に重点を置いた演奏を期待すると見事に裏切られる。2人の演奏は、いずれもそれらの曲の内面をじっと見つめるような、精神性の高まりに身を置いている。小品にもかかわらず、深い内容の演奏だと言える。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇アドルフ・ブッシュのベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番 他

2011-07-01 11:06:04 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」
          ヴァイオリンソナタ第7番
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番

ヴァイオリン:アドルフ・ブッシュ

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン

CD:EMI CDH 7 63494 2

 このCDは、旧西独でデジタルリマスターされたもので、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」が1970年2月、同ヴァイオリンソナタ第7番が1973年5月の録音である。範疇から言えば歴史的名盤ということになろうが、そう聴きづらい状態でもない。現役盤とまでは言えないが、決して古色蒼然とした録音でもない。そこそこの音質は保っている。演奏内容はというと、今聴いても、それぞれの曲の代表的録音と言っても過言でないほど優れたものとなっている。アドルフ・ブッシュは、正統的なドイツ音楽にぴたりと合う、メリハリの効いたヴァイオリン演奏が身上であるが、これらの録音は、そんなブッシュの特質が最大限に発揮されており、聴いた後は「久しぶりにベートーヴェンらしい演奏が聴けた」と満足感に浸ることができる。真剣勝負で、決して意表をつくことはなく、あくまで真正面から勝負を仕掛けてくる勝負師そのものの姿がそこにはある。これを古い演奏スタイルだと一刀両断に切り捨てられない奥深さを、アドルフ・ブッシュのヴァイオリン演奏は内包しているだ。

 ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第5番「春」の優雅な趣もいいが、ヴァイオリンソナタ第7番の、迫力をそのままぶつけたような演奏に一層深みが感じられる。概して速いテンポで颯爽と弾きこなしている。そして一点の迷いもなくベートーヴェンの世界に突き進んでいく演奏は、現在ではあまりみられなくなった演奏スタイルということが言えるかもしれない。しかし、その少々古くなったようにも思える演奏スタイルの裏には、愚直ではあるが、確固とした信念みたいな鋼鉄のような精神性が聳え立っている。これは、現代の演奏家に最も欠けている点ではなかろうか。ベートーヴェンの音楽には、良くも悪くも「苦難を克服して歓喜を得る」という精神性が付いてまわる。これはベートーヴェンの生まれ育った社会環境が大いに関わっている。現代は、精神性よりも合理性がより重んぜられる。その結果生まれた現代の演奏スタイルは、非の打ち所のないほど完璧ではあるが、一方では、ベートーヴェンの追い求めた不屈の闘志がどうしても抜け落ちる。ブッシュの演奏は、無骨な面がある反面、現代の演奏家には求められない強靭な精神性に満ちている。

 このことは、ピアノ伴奏をしているルドルフ・ゼルキンにもほぼ同様なことがいえる。強靭なタッチでピアノ伴奏の役をまっとうしているが、時には伴奏という言葉が相応しくないほどヴァイオリンのブッシュと対等に渡り合っているのだ。そこで醸し出される緊張感は1+1が2ではなく、4になり、さらには8にもなる感覚すらある。特に、ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番は、そんな緊張感がぴったりの曲であり、ブッシュ&ゼルキンのコンビのこの録音は、ベートーヴェンが目指したヴァイオリンソナタの新しいあり方、つまり、それまでの典雅なヴァイオリンソナタのイメージを一新させた前例のない意欲作には打って付けなのである。そして、ブッシュ&ゼルキンのコンビがあってこそ、この名録音が生まれたと言っていいだろう。このような名コンビのヴァイオリンソナタの録音として他に挙げるとするなら、シゲティ&バルトーク、さらにティボー&コルトーのコンビの録音が思い出される。これら3つの録音とも音質は決して芳しいものではないが、演奏の質の高さと精神性では、他に及ぶものはない。クラシック音楽のジュニアかシニアに該当するリスナーなら、一度は聴いておいてほしい録音ではある。

 アドルフ・ブッシュ(1891年―1951年)は、ドイツのジーゲンのユダヤ系家系に生まれる。ケルン音楽院に学び、1912年にソリストとしてデビューしている。1919年にはブッシュ四重奏団を結成する。その後、ナチスにより追放されたピアニストのルドルフ・ゼルキンを追ってスイスに亡命。さらに、1939年には、家族とともに米国に渡った。この時代のドイツの演奏家には、ナチスの影が常に付き纏うが、ブッシュもナチスの手から逃れようとしたことが分る。このことが、ブッシュのヴァイオリン演奏に少なからぬ影響を与えたことは、容易に察しが着く。このCDには、ベートーヴェンの2つのヴァイオリンソナタに加え、バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番が収められている。この演奏もベートーヴェンの演奏に負けず劣らず素晴らしい。演奏技法だけ取り出せば、現在ではこのくらいの力量を持ったヴァイオリニストは五万といるかもしれない。しかし、ブッシュのこの録音を聴いていると、そのヴァイオリン演奏に賭ける厳しい姿勢は、多くのリスナーに感動を与えずには置かない。ヴァイオリン演奏に全神経を集中させたその姿勢は、神ががりですらある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇シゲティとバルトークのライヴ録音盤 ベートーヴェン:「クロイツェルソナタ」他

2011-05-27 11:24:46 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」
バルトーク:ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ第1番
ドビュッシー:ヴァイオリンソナタ
バルトーク:ヴァイオリンソナタ第2番

ヴァイオリン:ヨゼフ・シゲティ

ピアノ:ベラ・バルトーク

CD:VANGUARD CLASSICS 08 8008 71

 今回のCDは、ヴァイオリン:ヨゼフ・シゲティとピアノ:ベラ・バルトークの夢の競演による歴史的録音の1枚である。少々オーバーかもしれないが、この歴史的名盤を聴くとクラシック音楽とは何かということが自ずと分ってくるような奥深い表現に釘付けになるし、同時に聴いていて自然に曲の本質に迫ることもできる分り易い表現に思わず引き付けられる。このためこの1枚のCDの全ての曲を聴き終えても、ほんの一瞬といった感じだ。これはバルトークがアメリカに移住(亡命)した年の、歓迎演奏会といった意味を合いを持つもので、1940年にワシントンの国立図書館でアセテート盤(78rpm)にライヴ録音されたものをマスターとしているため、音質は現在のレベルとは比較にならないが、それでも決して聴きづらいというほどでもない。この音質を考えるとクラシック音楽リスナーのビギナー層に勧めるには少々気が引けるが、意欲的なジュニア層には聴いてほしいし、シニア層でまだ聴いておられない方がいれば是非聴いてほしい名盤なのだ。特に「クロイツェルソナタ」は傑出した演奏で、シゲティ&バルトークのこのライヴ録音を聴かずしてベートーヴェンの「クロイツェルソナタ」を語るべからず、とすら思えてくるほど。

 ヴァイオリンのヨゼフ・シゲティ(1892年―1973年)は、ハンガリー出身の世界的な名ヴァイオリニスト。ブタペストのユダヤ系家系に生まれ、ブタペスト音楽院に学ぶ。1913年にはヨーロッパツアーを行い、その名声はヨーロッパ中に広まり、1917年には、ジュネーヴ音楽院で後進の指導にも当っている。シゲティのヴァイオリン演奏は、例えばグリュミオーなどのような華麗な奏法とは一線を画し、表面的な表現には無頓着のようにも見える、ある意味では無骨とさえ思えるような表現に終始する。私なども最初は、そんなシゲティのヴァイオリン奏法に抵抗を感じたが、よく聴いてみると、その無骨とも思える表現の奥には、その曲の持つ本質的な要素が如何なく発揮されており、聴き終えた後は充実感に酔いしれることができる。要するにシゲティのヴァイオリンの演奏は、表面的な音の美感を追求するよりも、その曲が根源的に持っている美しさや力強さを聴くものに強く印象付けるのである。だから、一度シゲティのヴァイオリン演奏の魅力に嵌るとなかなか抜け出せないし、シゲティに代わり得るヴァイオリニストも見当たらない。このことがシゲティが現在でも評価されている根源、と言っても過言ではなかろう。

  ベラ・バルトーク(1881年―1945年)は、ハンガリー出身の作曲家で特に民俗音楽の研究者としても名高い。同時にフランツ・リストの弟子から教えを受けたピアニストでもあった。このCDでは、シゲティの伴奏者として、そのピアニストとしての確かな腕を披露しているのに驚かされる。この技量を持ってすれば、ピアニストとしても充分に独立していけるし、多分ピアニストとしての道を歩んでいたなら世界的なピアニストとしての道も開けたのではなかろうか。このCDでは、そんな思いにさせられるほどの卓越したピアノ伴奏を聴かせてくれている。バルトークは、第二次大戦が勃発すると、ナチの影響で次第に政治的に硬直化していくハンガリーに失望し、1940年、米国への移住(亡命)を実行する。しかし、1943年白血病を発病し、このため1945年9月26日に64歳で帰らぬ人となる。このCDは、1940年にバルトークが米国に移住直後に行われたもので、ワシントンの国立図書館で行われた演奏会をライヴ録音した貴重なもの。そこには、シゲティとバルトークの二人の並々ならぬ才能がしっかりと記録されていたのである。

 このCDでの白眉は何といってもベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェルソナタ」である。シゲティの激しく曲の核心をつく弓の動きは、録音の古さを超えて、現在聴いても他に比肩するものがないほどの高みに達している。そして、バルトークがシゲティに一歩も譲らないほどの意気込みのピアノ伴奏を聴かせる。何か米国という新天地に移住して、新たな希望が目の前に浮かんでいたのではなかろうか。第1楽章から第3楽章まで全てが緊張感ある演奏に終始しているので、聴き応えは充分すぎるほどある。これはライヴ演奏の醍醐味ということに尽きよう。第2楽章のアンダンテも単なる安らぎというより、新しい希望に向かってのエネルギーが内包されているようで、誠にテンションが高いことが実感できる。この頃は多分、バルトークも自身の白血病の予兆はなかったのではなかろうか。このCDに収められた録音の中で、次に特筆されるのは、バルトーク:ヴァイオリンソナタ第2番だ。曲は2つの楽章からなる20分に満たない短いソナタではあるが、凝縮度はかなりのもので、バルトークの作曲のエキスがぎゅっと濃縮された感じがして、説得力に満ちたその曲想には圧倒されるものがある。そんな曲をシゲティとバルトークが、しっとりとした感覚で実に緻密に演奏しており、聴いた後の充実感は相当なものだ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇スークのヴァイオリン名曲集

2011-03-18 11:25:11 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

タイスの瞑想曲(マスネ)
ベートーヴェンの主題によるロンディーノ(クライスラー)
テンポ・ディ・メヌエット(プシャーニ)
月の光(ドビュッシー)
ハバネラ(ラヴェル)
夢のあとに(フォーレ)
シチリア舞曲(パラディス)
精霊の踊り(グルック)
スペインの歌(ニン)
スペイン民謡組曲(ファリャ)
愛の悲しみ(クライスラー)
協奏曲 ト長調~グラーヴェ(ベンダ)
古い歌(クベリーク)
エレジー・ワルツ(ヴェチュトモフ)
夕べのムード(スーク)
子守唄(スーク)
インテルメッツオ(シューマン)
優勝の歌(朝はバラ色に輝き)(ワーグナー)
即興曲 作品90の3(シューベルト)
歌劇(3つのオレンジへの恋)~行進曲(プロコフィエフ)

ヴァイオリン:ヨゼフ・スーク

ピアノ:ヨゼフ・ハーラ

CD:日本コロムビア(SUPRAPHON) COCO‐73208

 チェコ出身の名ヴァイオリニストのヨゼフ・スーク(1929年生まれ)は、チェコの大作曲家ドヴォルザークの曾孫に当るという。そんな毛並みの良いヴァイオリニストであることは、一度その演奏を聴いてみれば納得できる。何と伸び伸びとして決して力むこともなく、しかも妙に持って回ったような演出は決してない。ただ、一直線に音楽の生まれる方向へと我々リスナーを誘ってくれる。しかし、その奏でるヴァイオリンは、単調とは無縁の存在だ。その演奏の背景には物語が隠されているかのような面白味が常に存在するのだ。そんなヨゼフ・スークは私にとって、あらゆるヴァイオリニストの中で、灯台のような存在のヴァイオリニストなのだ。スークのヴァイオリンの音を聴くと何かほっとする。安心感が自然に湧き出し、それが自然に外の世界へ向い同心円を描くように広がって行く。演奏家、つまり再現芸術家は、通常どうしても自己主張を強調し過ぎるきらいがある。しかし、スークのヴァイオリンは、その世界とは無縁だ。演奏それ自体に、存在感を感じさせることができるヴァイオリニストがスークなのである。

 そんな、スークが愛すべき小品集を演奏したのが今回のCDである。このCDに収録されている3分の2程は多くのリスナーが御馴染みの曲なので、誰にでも楽しめることこの上ない。第1曲のマスネの名曲である「タイスの瞑想曲」を聴いてみよう。ゆっくりとした出だしで始まり、実に安定した弾きぶりは、リスナーが心置きなく、この名曲を聴くのにこの上ない環境をつくり出してくれる。特に高音に向かう曲の盛り上げの何とうまいこと・・・。思わず聴き惚れてしまう。次の御馴染みクライスラーの「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」を弾くスークのヴァイオリンは、肩の力を抜き、小粋な雰囲気を辺り一面に漂わす。さらに、プシャーニの「テンポ・ディ・メヌエット」は、いかにも楽しげな曲想をスークは、物語を語るようになヴァイオリン演奏を披露して、聴いていて決して飽きることがない。この辺の隠れた演出力は図抜けたものをスークは生来持っている。やはり、毛並みが違うなぁ~と思ってしまう。ドビュッシーの「月の光」は、ピアノ曲で有名だが、スークは、実に丁寧に弾き、ドビュッシーの世界を再現してくれる。

 ラヴェルの「ハバネラ」は、異国情緒漂う愛すべき小品であるあるが、ここでもスークの自然な技が光る。まったく演出を感じさせずにラヴェル特有の世界へとリスナーを誘う。フォーレの「夢のあとに」を弾くスークは、このCD中で一番の名演を披露する。ヴァイオリン特有の鮮やかな音色を最大限に聴かせると同時に、文字通り夢の中にいるような神秘の世界の表現にも、キラリとした感性を盛り込んでいる。スークのヴァイオリン演奏には、無駄がない。だからと言ってぶっきら棒でもない。中庸を得た演奏なのである。そんなスークの長所を遺憾なく発揮した演奏がフォーレの「夢のあとに」なのである。次のパラディスの「シチリア舞曲」となるとピンとこないリスナーもいるかもしれないが、一度聴くと忘れられない懐かしさが込み上げてくる名品なのだ。このCDの中での演奏中、フォーレの「夢のあとに」に次ぐ名演を聴かせてくれる。スークにこんな懐かしさに溢れた小品を弾かせたら、他に比肩するものがいないといっても決して言いすぎではない。グルックの「聖霊の踊り」は、実にシックに弾きこなしているところがまたいい。

 クライスラーの音楽は、いずれの曲もヴァイオリンの持ち味を最大限に発揮させており、聴いていて無条件に楽しいが、私は、そんなクライスラーの曲の中でも「愛の悲しみ」は飛びっきり好きである。これまで何人ものヴァイオリニストの演奏を聴いてきたので、そう簡単にいい演奏だとは、言わないのであるが、このスークの「愛の悲しみ」は、これまで聴いた中でも飛びぬけていい。表面的な演奏ではなく、心の中から自然に溢れ出す感情が素直に表現されている。それだけに一層悲しさが身に沁みる「愛の悲しみ」なのである。激しい悲しさでなく、静かな悲しみがひしひしと伝わってくる。次のベンダの「協奏曲 ト長調~グラーヴェ」は、あまり御馴染みではない曲ではあるものの、聴いてみると、その雰囲気に思わずうっとりと聞き惚れてしまうほど素晴らしい曲なのだ。このCDの中で一番の聴きものの一曲とっていいかもしれない。クベリークの「古い歌」、ヴェチュトモフの「エレジー・ワルツ」、スーク自作の「夕べのムード」と「子守唄」は、いずれもチェコの民族的な優しさと懐かしさに溢れた名品揃いで、無条件に聴き惚れてしまう。スークのヴァイオリン演奏は、実に自然にリスナーを豊かな音楽の世界へと誘ってくれる。それに較べ現在のヴァイオリニストの多くは、余りにも演出過剰だと感じるのは、私だけかもしれない。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇オイストラフ&オボーリンのベートーヴェン:Vnソナタ「クロイツェル」「春」

2011-01-06 13:24:03 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」
         ヴァイオリンソナタ第5番「春」

ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ

ピアノ:レフ・オボーリン

CD:タスクフォース T‐1929

 第16回ショパン国際ピアノ・コンクールが、2010年10月に行われ、第1位にユリアンナ・アヴデーエワ(25歳 ロシア)、第2位にルーカス・ゲニューシャス(20歳 ロシア/リトアニア)、第3位にダニール・トリフォノフ(19歳 ロシア)とロシア勢が上位を占め、話題となったことはまだ記憶に新しい。第1位のユリアンナ・アヴデーエワは、マルタ・アルゲリッチ以来、実に45年ぶりの女性優勝者となったこどでも注目された。最近は、ロシア勢はピアノでもヴァイオリンでも低迷が続いていただけに、これを機に今後ロシア勢の復活が実現するのかが、今年の興味の一つである。ところで、一時代前のロシア(旧ソ連)においては、ピアノではリヒテル、そしてヴァイオリンでは、今回のCDのダヴィッド・オイストラフ(1908年―1974年)がドンとして君臨していて、ロシア勢演奏家全体のれレベルを押し上げ、黄金時代をつくり出していた。

 ダヴィッド・オイストラフは、1937年、エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝し、以後世界にその名を轟かす存在となって行った。昔、ラジオから流れてくるヴァイオリンの演奏の多くがダヴィッド・オイストラフであったことを思い出す。それ程、当時のクラシック音楽界に君臨していた存在だったのである。若いときの演奏は豪放磊落とでも言おうか、実に堂々とした弾きっぷりであり、男性的なヴァイオリニストの典型とも言えるものであった。しかし、事故の影響もあったのか、晩年に近づくに従い、繊細で優美な演奏様式に変化を遂げていった。今回のCDは、1962年に録音されたもので、ダヴィッド・オイストラフが54歳の時の録音で、その繊細で優美な演奏の様子が収録さている。ピアノ伴奏は、ロシアの名ピアニストのレフ・オボーリン(1907年―1974年)であり、その類稀なる正確無比のピアノ技法で、このCDでも名伴奏ぶりを披露している。今、NHK交響楽団の桂冠指揮者であるウラディーミル・アシュケナージの先生であったピアニストなのである。

 ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」は、1803年に完成しているので、ベートーヴェン33歳という若さ溢れる頃の作品だけに、前向きで意欲的な作風に仕上がっている。副題には「ほとんど協奏曲のように、協奏曲風なスタイルで書かれたヴァイオリン・オブリガートを持ったピアノのためのソナタ」と書かれている。現在の我々が見るとちょっと異様であるが、当時はヴァイオリンソナタの主役はピアノである場合が少なくなかったからだ。モーツァルトのヴァイオリンソナタなどを聴くとピアノソナタにヴァイオリン伴奏が付いたような曲が多いことでも分る。つまり、ベートーヴェンは、この「クロイツェル」においてヴァイオリンの役割を全面に押し出し、現在のバイオリンソナタに通じるものをここで創造したと言ってもいいだろう。通常、「クロイツェル」を演奏する場合、ヴァイオリニストは力んで、ヴァイオリンが曲の主導権を持ち、引っ張って行く演奏スタイルがほとんどであるが、ここでのダヴィッド・オイストラフの演奏は、あくまで優美さを失わずに、ピアノと歩調を合わせながらゆっくりと進んで行く。この演奏スタイルは、全楽章にわたって一貫しており、この結果、通常の「クロイツェル」を聴いた後の感じとは相当異なる印象を受ける。ダヴィッド・オイストラフがヴァイオリニストとして最後に辿り着いた、美的で静寂な世界の表現なのかもしれない。

 ヴァイオリンソナタ第5番「春」は、1801年に完成している。「春」というタイトルは、ベートーヴェン自身が付けたものではないようであるが、これほど曲の感じが、ピタリとあうタイトルは滅多にあるものではない。私は、除夜の鐘を聴き終え、新年を迎えて最初に聴く曲は昔からこのベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番「春」と決めている。新春には「春」というタイトルが一番合うし、とにかく曲の印象がのどかで牧歌的で、明るいのがいい。新春早々から重くて暗い曲は良くない。さりとてウィンナーワルツだけを聴くのも芸がない。であるからベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番「春」は、私にとって元旦には欠かすことができない曲なのである。ベートーヴェンは、「クロイツェル」でヴァイオリンの位置づけを前面に押し出したが、この「春」では、ヴァイオリンソナタとして初めて交響曲のように4楽章形式で作曲した。ベートーヴェンという人は、生涯にわたって革新的な試みをし続けた作曲家であったが、これはこのことの一つの証拠だ。ここでのダヴィッド・オイストラフの演奏の演奏は「クロイツェル」の時と全く同じことが言える。ゆっくりと優美に演奏する。レフ・オボーリンのピアノがまた「春」の雰囲気によく合い、極上の出来栄えとなっている。その牧歌的曲想から「クロイツェル」より「春」の方が、このコンビの演奏が一層引き立つようだ。新春に聴く最上の「春」に仕上がっている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ミッシャ・エルマンのヴァイオリン名曲集

2010-10-21 11:27:21 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

                                       

~ホーム・コンサート ヴァイオリン名曲集~

マスネー:タイスの瞑想曲
アレンスキー:セレナーデ
シューマン:トロイメライ(フルヴェック編)
ドリーゴ:花火のワルツ(アウワー編)
サラサーテ:チゴイネルワイゼン
シューベルト:アベ・マリア(ウイルヘルミ編)
ドヴォルザーク:ユモレスク(ウイルヘルミ編)
ゴゼック:ガボット(エルマン編)
ショパン:夜想曲変ホ長調(サラサーテ編)
ベートーヴェン:ト調のメロディ(ブルメスター編)
チャイコフスキー:メロディ
クライスラー:愛の喜び
ドヴォルザーク:スラブ舞曲第2番ホ短調(クライスラー編)
クライスラー:美しいロスマリン
クライスラー:ジプシーの女
クライスラー:ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
クライスラー:ウィーン奇想曲
ドヴォルザーク:スラブ舞曲第2番ト短調(クライスラー編)
ドヴォルザーク:スラヴ幻想曲(クライスラー編)

ヴァオリン:ミッシャ・エルマン

ピアノ:ジョセフ・セイガー

CD:フラミンゴ・レコード・サプライ EGR0006

 クラシック音楽のリスナーの醍醐味は、交響曲や協奏曲、オペラ、管弦楽曲など大規模な楽曲を聴くことだけでなく、愛らしい小品をバックグラウンドミュージックを聴くように楽しむことにもある。もともと私がクラシック音楽を聴き始めたのは、今回のCDに収録されているような曲がAMラジオ(まだFMラジオは放送開始になっていなかった!)から聴こえるのを無意識の内に聴いたのが始まりである。まだ、ベートーヴェンの交響曲など一曲も通して聴いたことがなかった頃でも、このCDににある、例えばマスネーのタイスの瞑想曲やドヴォルザークのユモレスクなどをよく聴いていた。確か、授業が終わって帰宅する時に決まってドヴォルザークのユモレスクが流されるので、今でもこの曲が流れると、当時の帰宅途中にあった田園風景(単なる畑ではあるが)が目の前に展開する。当時は、今の日本からは想像できないくらい環境は貧しかったが、大人から子供まで「今に見ておれ、いつかはアメリカに追いつき、追い越してやる」といったような全国民に共通した暗黙の目標みたいなものがあり、貧しかったが充実した日々であったように思う。

 今、考えてみると当時の日本の夢の多くが現在実現され、当時と比べると信じられないほど豊かな環境にあることに初めて気づく。こういうと「とんでもない。今だって大変だよ」と言うかもしれない。しかし、大変さのレベルが違うのである。今、職を探すのには車と携帯電話は必需品だそうであるが、昔は車も個人には普及していなかったし、電話は一家に1台が当たり前であった。そうなると、秘密の電話を掛けようにも掛けられない。家人に全て筒抜けになる。クラシック音楽の環境も激変している。先日、東京オペラハウスで行われたスロヴァキア放送交響楽団のコンサートに行ってきたが、指揮者のマリオ・コシック(私はこの指揮者の名前はこれまで知らなかった)の下、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリンは前橋汀子―実は私は前橋汀子を聴きに行ったのだが・・・)とドヴォルザークの「新世界」を演奏したが、これがまた凄い名演であった。さすが弦の国スロヴァキアのオーケストラといったところだ。昔なら日本でこんな凄い演奏をしたら大きな話題となること請け合いであるが、今の日本では連日、世界中から超一流の演奏家やオーケストラが来ているので、残念ながら話題にもならない。

 話が逸れた。今回のCDで演奏しているのは、“エルマントーン”で当時一世を風靡したウクライナ出身のヴァイオリニストのミッシャ・エルマン(1891年―1967年)である。“エルマントーン”とは一体何か?一言でいうと「甘いヴィブラートと官能的なポルタメント」が特徴とでも言ったらよいのであろうか。常に音程が揺れ流れており、曲全体が甘く、官能的に聴こえてくるのである。ここまで徹底して自己のヴァイオリンの音色を主張し続けたヴァイオリニストも珍しいのではないかと思えるほどだ。ちょっと鼻に掛かったようでもあり、ジプシーの音楽を聴いているような感覚にも陥る。多分、今こんなヴァイオリンの奏法したらたちどころに先生に矯正されるに決まっているし、リサイタルを開いたら、古い弾き方だと非難轟々となり、そのヴァイオリニストの将来はお先真っ暗になるのは目に見えている。ミッシャ・エルマンが生きていた時代はまだおおらかな空気が流れ、充分にその存在価値を主張できたのではないであろうか。でも、今また、ミッシャ・エルマンみたいなヴァイオリニストが登場してくれないかな、と私は密に思っている。

 そんな、ミッシャ・エルマンだからこそヴァイオリンの小品の演奏にはぴったりだ。やはり、ミッシャ・エルマンはベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾くより、小粋で愛らしいヴァイオリンの小品を弾いている方がしっくりと似合う。このCDに収められた小品はいずれ劣らないヴァイオリンの名作であり名演だが、やはり第1曲に収められたマスネーの「タイスの瞑想曲」がいい。胸を締め付けられるようなメロディーを聴いていると、何か天上の世界にいるような感じがして堪らない。それにドヴォルザークの「ユモレスク」も秀逸な出来栄え。ピアノのジョセフ・セイガーとのコンビも完璧で十二分に「ユモレスク」の世界に浸れる。「愛の喜び」や「美しいロスマリン」などクライスラーの一連の小品達は、これぞミッシャ・エルマンの十八番といった感じで、明るく、楽しく弾いている。何かミッシャ・エルマンが、踊りながら弾いている感じが目に浮かんでくるようだ。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ハスキル/グリュミオーのモーツァルト:ヴァイオリンソナタ集

2010-09-29 09:29:05 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

モーツァルト:ヴァイオリンソナタK.378/K.304/K.376/K.301

ピアノ:クララ・ハスキル

ヴァイオリン:アルテュール・グリュミオー

CD:日本フォノグラム(フィリップスレコード) 32CD-159

 モーツァルトは、未完成の曲を含めると、生涯で42曲のヴァイオリンソナタを作曲したという。最初、私はベートーヴェンとかブラームスのヴァイオリンソナタと同じように、モーツァルトのヴァイオリンソナタをずっと聴いていたが、どうもモーツァルトの時代のヴァイオリンソナタは、ロマン派以降のヴァイオリンソナタとは大分様相が違うらしいことが次第に分ってきた。つまり、ロマン派以降のヴァイオリンソナタの主役は、ヴァイオリンであることは明白であるのに対し、モーツァルトのヴァイオリンソナタの主役は、ピアノだというのだ。ピアノが伴奏をしているのではなく、逆にヴァイオリンがピアノの伴奏をしているのだという。成る程、そう思って聴くとピアノが随分と活躍していることに改めて気が付く。そうなると、モーツァルトのヴァイオリンソナタの演奏者は、ピアノ重視で選ばねばならないことになってくる。

 この点今回のCDは、ピアノがクララ・ハスキル(1895年―1960年)、ヴァイオリンがアルテュール・グリュミオー(1921年―1986年)という、正にどこからも文句が来ないこと請け合いの名コンビが演奏したものだ。録音時期は、1958年10月16―17日となっているから、ハスキルが63歳、グリュミオーが37歳で、ハスキルにとっては最晩年の録音である。ハスキルはルーマニア出身の名ピアニストで、特にモーツァルトを弾かせたら、未だに彼女を超えるピアニストはいないと私は思っている。実に滑らかで自然なピアニズムの中に、キラリと光る部分が常に内包され、まるで天上の音楽を聴いているかのようであり、一時、現実の世界を忘れ去ることができるのだ。私は、こんなピアニストは、未だかって聴いたことはないし、これからも果たして出てくるかどうか・・・。現在、「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開催されているので、その名はこれからも皆の記憶から失われることはあるまい。一方、グリュミオーは、ベルギー出身の名ヴァイオリニスト。その演奏スタイルは端正で、フランコ=ベルギー楽派の典型的ヴァイオリニストとして現在に至るまで、その名声は聞こえている。要するに美しい音色をヴァイオリンから最大限引き出してくれる最高の演奏家がグリュミオーなのだ。私にとっては、グリュミオーが録音したモーツァルトの新旧のヴァイオリン協奏曲全集は、その演奏内容の卓越さが強く印象付けられ、これからも絶対忘れることの出来ない録音となっている。

 このCDは、そんな二人が共演した、多分モーツァルトのヴァイオリンソナタの最後のスタジオ録音盤なのであろう。互いに対話でもしているように、限りなくアットホームな感覚が素晴らしく、他のコンビでは到底成し得ない境地に達している。K.378のソナタの第1楽章はそんなコンビの美学が結晶したような美しさに溢れている。気品と優美さが全体を覆いつくす。第2楽章は、多少メランコリックな表情が何とも言えずいい。第3楽章は、がらりと変わってスピード感あふれる表現が心地よく、モーツァルト曲であることが強く印象付けられる。K.304のホ短調のソナタは、私は最初に聴いたとき、その奥深さに圧倒されたことをつい最近のように思い出す。あの交響曲第40番を聴いたときのように、人生の陰の部分を覗いているみたいだ。2楽章からなるこのソナタの第2楽章は、第1楽章の絶望感を自ら慰めているかのようにも聴こえる。ハスキル=グリュミオーのコンビは、そんなソナタを滋味深く、ゆっくりと弾き進む。

 K.378のソナタは、モーツァルトの明るい何とも快活な部分が表面に現れ、赤いバラの花が煌く光の中で、咲き誇っているような幸福感に包まれている曲だ。それにこのソナタは、一層ピアノとヴァイオリンの絡み合い度合いが密になっているようにも感じられる。こうなると、ハスキル=グリュミオーのコンビは、他の追随を許さない密接さで、リスナーの心をがっちりと掴み離さない。3つの楽章からなるこのソナタは、ピアノとヴァイオリンの対話の完成度がより高く感じられる。最後のK.301のソナタは2つの楽章からなる可愛らしい曲だ。同じく2楽章からなるK.304のソナタと対をなしているようにも私には聴こえる。K.304で覗いた人生の陰の部分を通り越し、モーツァルトがまた前向きに歩み始めようとでもしているかのようにも私には感じられる。ベートーヴェンもそうだが、モーツァルトの曲は最後は前をしっかりと見つめ、肯定的になるところが、単なる芸術至上主義者とは一味違うし、それが魅力にもなっている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ミンツのクライスラー:ヴァイオリン小品集

2010-07-29 09:24:17 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

 フリッツ・クライスラー:
道化役者/ジプシーの女/タンゴ/ベートーヴェンの主題によるロンディーノ/ウィーン奇想曲/ラルゲット/ジプシー奇想曲/カプリース 変ホ長調/愛の悲しみ/中国の太鼓/ スラヴ舞曲 第2番 /レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース/スペインのセレナーデ/スペイン舞曲/才たけた貴婦人/シンコペーション/愛の喜び

ヴァイオリン:シュロモ・ミンツ

ピアノ:クリフォード・ベンソン

CD:ドイツ・グラモフォン UCCG-5082

 フリッツ・クライスラー(1875年ー1926年)の作曲・編曲したヴァイオリン小品集は、すべて珠玉のような作品であり、もしこれらの愛らしいヴァイオリン曲が存在していなかったら、ヴァイオリンの世界は今より随分とかたっくるしい世界になっていただろう。それはコンサートの終わりに、ヴァイオリニストがアンコールに応えて、クライスラーの小品―例えばウィーン奇想曲とでもしようか―を演奏したと思い浮かべてみよう。もうコンサート会場は一挙に盛り上がり、演奏者と聴衆との心が一体となり、互いに幸福感に包まれること請け合いだ。クライスラーは、優れたヴァイオリニストとして名演奏を今に残しており、それらを聴くと、全てロマンの香りに包まれた格調の高い演奏であり、ヴァイオリンの本来持っている柔軟な息づかいがリスナーに直接伝わってくる。そんなクライスラーの演奏の特質を曲にしたのが一連のヴァイオリン小品集といえよう。

 こんな素敵なクライスラーのヴァイオリン小品集を1枚のCDに収めてあるのが今回のCDで、シュロモ・ミンツのヴァイオリン、クリフォード・ベンソンのピアノによる、それはそれは愛らしい演奏を聴くことができる。意外なことであるが、今、クライスラーのヴァイオリン小品集を1枚に収めたCDは、残念ながらそんなに多くはない。理由はよく分らないが、演奏する方も、リスナーの方も、CD制作会社も、クライスラーのヴァイオリン小品集は大曲の陰に隠れた作品といった認識しかないのではないか、と勘ぐってしまう。もし、そうだとしたらとんでもない思い違いだ。大著の小説だけが偉大な存在で、詩や俳句がそれらの陰に隠れた存在だ、と誰かがもし言ったとしたら笑いものになるだけだ。ベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲などは無論偉大な作品ではあるが、クライスラーのヴァイオリン小品集は、それらの作品と両立しうる作品なのだ。

 このCDに収められたクライスラーのヴァイオリン小品集は、いずれも極上の味がする作品ばかりであるが、私としては、どうしても気になってしょうがない曲がいくつかある。例えば、「愛の悲しみ」「愛の喜び」はどうしても避けては通れない。「愛の悲しみ」はウィンナーワルツの前身である3拍子の舞曲のレントラーの調べによったもの。レントラーはよくシューベルトが作曲していましたっけね。「愛の悲しみ」の出だしを聴いただけで、何かもう夢の中にいる心地がして、自然に体が揺れてくる。なんと切ないメロディーなんでしょうかね。これに対する姉妹曲の「愛の喜び」は、ウィーンの明るく伸びやかな古謡を主題にしたワルツ。感じもがらりと変わって元気いっぱい人生を謳歌するような明るさがなんとも爽やかだ。思わず歌いだしたくなる雰囲気が何ともいい。次に挙げたいのが「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」である。この曲を聴くと私がクラシック音楽リスナーのビギナーだった頃のことを思い出す。とても親しみやすいメロディーなのでビギナーが聴くのにぴったりなのだ。当時私は「さすがクライスラーだけあってベートーヴェンの隠れた名曲を見つけ出した」と思っていたら・・・どうもクライスラーが茶目っ気で、自作の主題をベートーヴェンの名で発表し、皆を煙に巻いたというのが真相らしい。

 このCDで名演を聴かせているのがモスクワうまれのイスラエルのヴァイオリニストのシュロモ・ミンツ(1957年生まれ)である。ジュリアード音楽院に入学し、16歳でカーネギーホールでデビューコンサートを行う。以後、大きなコンクールの入賞経験なしに現在まで、世界の楽壇での地位を揺ぎないものにしている。大きなコンクールの入賞経験なしで一流のヴァイオリニストの地位を得ているところは、デュメイに似ていよう。このCDでのミンツのクライスラーのヴァイオリン小品集の演奏は、誠にもって艶やかな演奏で、ヴァイオリンの音そのものにあたかも色彩が付いたかのような錯覚に捉われるほどだ。高音は透き通るように滑らかに奏でられる。演奏自体の安定感はこの上ない。そして何より嬉しいのがクライスラーの演奏に欠かせない豊穣な詩情をたっぷりと含ませているところである。今、数少ないクライスラーのヴァイオリン小品集のCDで推薦したいのは?と訊かれれば、私はミンツのこのCDを挙げたい。現在のミンツはヴァイオリンの教育者としての名声も得ているようだ。確か、庄司沙矢香の先生でもあったと思う。(蔵 志津久)

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