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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ワルター&ニューヨーク・フィルのシューマン:交響曲第3番「ライン」 他

2011-08-02 10:31:42 | 交響曲(シューマン)

シューマン:交響曲第3番「ライン」
ベートーヴェン:歌劇「エグモント」序曲
         :歌劇「レオノーレ」序曲第2番

指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:ニューヨーク・フィハーモニック(シューマン/ベートーヴェン「エグモント」序曲)
     コロンビア交響楽団(ベートーヴェン「レオノーレ」序曲第2番)

CD:SONY classical  SMK 64 488

 ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)は、ドイツの大指揮者。ウィーン宮廷歌劇場楽長、ミュンヘン宮廷歌劇場、ベルリン市立歌劇場音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長などを務め、徐々にその名声が知れ渡ることになる。しかし、ユダヤ系のワルターはナチから迫害を避けウィーンへと向かい、ウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルへと活躍の場を移した。しかし、ここでもオーストリアがナチス・ドイツに併合されてしまい、安住の地ではなかった。この間、次女が不幸に見舞われ亡くなるなど、ワルターの人生には徐々に暗雲が立ち込めることになっていく。その後、スイス、フランスなどヨーロッパを転々とした挙句、最後にはアメリカへと旅立つ。第二次世界大戦後は、ニューヨーク・フィルの音楽顧問を務めるなど、欧米で活躍し、1960年に引退する。しかし、その引退を惜しみ、CBSレコードがワルターの指揮を後世に残すため、専属のオーケストラであるコロンビア交響楽団を急遽結成し、現在にも伝えられる名録音を残すことになる。

 今回のCDは、そんな波乱万丈の指揮者人生を歩んだワルターのそれぞれの時代を代表する名録音が収録され、それらの各々の時代のワルターの指揮ぶりがCD1枚で聴き取れるという貴重なもの。それぞれの録音の日付と場所それにオーケストラ名を挙げると、シューマン:交響曲第3番「ライン」が1941年2月4日/ニューヨーク市/ニューヨーク・フィル、ベートーヴェン:歌劇「エグモント」序曲が1954年12月4日/ニューヨーク市/ニューヨーク・フィル、ベートーヴェン:歌劇「レオノーレ」序曲第2番が1960年7月1日/カリフォルニア州ハリウッド/コロンビア交響楽団。これらの録音は、それぞれの時代を反映し演奏内容となっており、ワルターという指揮者が辿ってきた各時代の音楽に対する姿勢が現れており、聴いていて興味は尽きない。そんな時代の背景はあるものの、それらの時代を超越してワルター特有の指揮の特徴ともいうものが厳然としてあることも事実である。すべての録音を通していえることは、音楽へ対する限りない愛情である。決して極度の激情に陥ることはなく、豊かな感性に裏打ちされた、温かさが身上なのだ。ウィーン/ドイツ時代は、特にこの傾向が強い。これに対し、ニューヨーク時代はがらりと変わり、激しい感情をぶつけることも多くなって行ったが、それでもその根底には音楽に対する深い愛情に包まれた、温厚な姿勢は失われていないのである。そしてその後のコロンビア交響楽団時代は、より深い洞察が加わり、ワルターが最後に到達した寂寥感にも似た境地が溢れ出て、聴くものに深い感銘を与えずにはおかない。

 シューマン:交響曲第3番「ライン」の第1楽章の出だしを聴いただけで、ニューヨーク時代のワルターの特徴である力強さが滲み出て、聴くものを圧倒する。しかし、一方では、到底他の指揮者には求められない、曲への深い愛情みたいものが常に存在し、それがシューマンの音楽の世界には欠かせないロマンの濃厚さを醸しだしており、聴き応えは充分。第2楽章は、何とも郷愁たっぷりのメロディーから始まるが、ここでワルターならではの歌心が立ち上り、リスナーは、なんともゆったりとしたシューマン独特のロマン濃厚な音楽の世界に浸される。ワルターにして初めて表現できる哀愁がたっぷりと詰まった演奏なのだ。第3楽章もロマン溢れる楽章であるが、ワルターの指揮は、第2楽章以上にリスナーを深い森の中へと誘って行くようなところがあって、落ち着いた音楽を心の底から堪能することができる。第4楽章は、構成力ががっちりとした楽章であり、ワルターはこのことを意識したメリハリのある指揮を見せる。これまでの楽章と比較しての変化の妙といったものを聴き取ることができる。そして雄大な第5楽章が始まる。ワルターの指揮は、実に緻密で細部にわたって、それは丁寧に演奏する。そんな積み重ねを経て、徐々にクライマックスに持っていく手腕はさすがに並外れた技量であることを実感できる。それにしても、何とロマンの濃厚さと雄大な構想とが巧みに組み合わさった「ライン」の演奏であることよ。これ以上の「ライン」の演奏は、これからだってそうは現れることはないであろう。そんな名演だ。

 このベートーヴェン:歌劇「エグモント」序曲では、ワルターはニューヨーク・フィルの持てる力をすべて出させることに成功している。分厚いオケの響きを聴くと、もうそこにはベートーヴェンの音楽の持つ、圧倒的な力強さが十二分に表現されつくされている。しかし、ワルターが他の指揮者と違うところは、そんな激しいベートーヴェンの世界にあっても常に歌ごころを失っていないところである。決して刺激的でなく、何か分厚いベールにでもくるんだような表現は、ワルターならのではの独特の指揮芸術なのである。どんなときでも優雅さを忘れない指揮、そんなことが聴きながら脳裏をよぎった。そして、最後の:歌劇「レオノーレ」序曲第2番である。この曲だけがコロンビア交響楽団の演奏だけに、これまでのニューヨーク・フィルとはがらりと様相が異なる。ゆったりとした出だしからして、それまでのワルターの世界とは一味も二味も違う。極端に言えば鬼気迫る表現とでも言ったらいいのであろうか。逆を言えば枯淡の境地とも取れなくはない。もうこれは歌劇の序曲を飛び越えて、一つの独立した交響曲のような演奏なのだ。音は豊穣に鳴り響くのではあるが、あたり一面を静寂さが支配している。これが最後にワルターが到達した音楽なのであったかもしれない。そこには、もう歌ごころを超越した、彼岸のような神々しくも、壮大な音楽が鳴り響いているのであった。そしてワルター最後の録音だけあって、音質がいいのも嬉しい。
(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇コンヴィチュニーのシューマン:交響曲第1番「春」/第2番

2010-07-06 09:32:10 | 交響曲(シューマン)

シューマン:交響曲第1番「春」/第2番

指揮:フランツ・コンヴィチュニー

管弦楽:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

CD:日本フォノグラフ(PHILIPS) 17CD-65

 シューマンの交響曲は全部で4曲あるが、このうち今回のCDは、フランツ・コンヴィチュニー(1901年―1962年)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による第1番「春」と第2番の組み合わせである。既に第3番「ライン」と第4番の組み合わせは、紹介済みなので、今回で同コンビによるシューマンの交響曲が完結する。コンヴィチュニーの指揮を聴くと私は途端に昔懐かしくなる。クラシック音楽を聴き出した頃、コンヴィチュニーの名前は、レコードやラジオ放送においては、お馴染みであったわけであるからして、古い人間にとっては当然といえば当然なことではあるが、それ以上に、今聴いてみると、その指揮ぶりは人間味に溢れ、現在の指揮者には到底求められない。「音楽とはこう演奏するもんだ」という絶対の確信に満ち、その上懐の大きな包容力に満ちているのだ。今聴いてみると、音づくりは古めかしいところは確かにある。このCDのライナーノートで出井啓氏はコンヴィチューについて「ドイツの“楽長”であった」と記しているが、正に言いえて妙。私にはNHKテレビ「龍馬伝」に出てくる武市半平太とコンヴュチニーとがダブって見える。少々古めかしいところはあるが、共に魅力いっぱいの男達だ。付け足すと、世界的なオペラ演出家で日本でもお馴染みのペーター・コンヴィチュニーは、フランツ・コンヴィチュニーの息子である。

 交響曲第1番は「春」というにタイトルが付けられた、シューマンによる青春の散文詩のような作品だ。1841年、シューマンのオーケストラの年に、ベトガーの“春の詩”に触発されて書かれたようで、最初、各楽章には「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」のタイトルが付けられたのを見れば分るとおり、明るい青春謳歌の交響曲といえよう。第1楽章のファンファーレのような出だしを聴けば、この曲の明るい全体像が想像つきそうと言っていいほど。第2楽章は、実に優雅で、何か青春のほろ苦さみたいものが込み上げてくる。コンヴュチニーは、そこを淡々と演奏するところが、まっことたまらない。第3楽章は、ベートーヴェンの初期の交響曲にも似て堂々としていて、何か青年の夢と自信とがない交ぜになったようにも聴こえる。そして最後の第4楽章は、「春」交響曲を締めくくるに相応しい楽章。何かベートーヴェンの第九の終楽章のように、合唱が聴こえてきてもいいような青春賛歌!

 交響曲第4番は、4つの交響曲の中でもっとも地味な存在で、なかなか話題に上ることは少ないが、私はこの第4番が大好きだし、聴き終わって他の3曲にも劣らない充実感を味わうことができる。それは、シューマンがこの曲で幾分ロマン的な情緒を減速させ、その分古典的な交響曲の要素を多く取り入れ、その配分の味わいが何とも言えずいいのだ。シューマンは精神的な病魔に冒されるが、丁度この交響曲を書いたときは、病状も回復気味で、あたかも雨間を縫って差し込む太陽の一条の光を思わせるような交響曲といっていいのかもしれない。第1楽章は、そんなシューマンを彷彿とさせるように、茫洋とした雰囲気で始まり、その流れが楽章全体を覆う。しかし、古典的なしっかりとした曲づくりが聴くものに何か安堵感をもたらす。第2楽章は、小気味よさが印象的に残るスケルツォ。第3楽章は、第3交響曲「ライン」を彷彿とさせる牧歌的な楽章。如何にも精神の病から一時的に解放されたかのようだ。第4楽章は、実に堂々とした楽章で、スケールの大きな曲想が聴かせどころ。

 シューマンの交響曲は、あまり音楽評論家の受けが良くない。オーケストレーションが稚拙だとか、交響曲的な雰囲気に欠けるとかいったことが現在でも言われる。しかし、私は一リスナーとして、シューマンの4つの交響曲はベートーヴェンやブラームスの交響曲と同じくらいに好きである。音楽学的な見地がどうのこうの言う前に、リスナーとしては聴いたときの感動や楽しさが一番大切なことなのである。そこが音楽専門家とリスナーの違いだ。リスナーは音楽専門家に迎合することなど少しもないと私は考えている。ところで、フランツ・コンヴィチュニーとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンビによるCDは、今でもHMVなどから発売されているようなのでコンヴィチュニーファンとしては一安心。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、現存するオーケストラとしては世界最古の1743年に創立されている。私はゲヴァントハウスというから何か威厳を感じていたが、衣服協会会館(ゲヴァントハウス)を会場に演奏したから付けられただけの話だそうだ。いずれにしても、新しさだけが求められる中にあって、たまには古き良き時代に身を浸すのも悪くはない、ということをこのCDは教えてくれる。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇コンヴィチュニーのシューマン:交響曲第3番「ライン」/第4番

2008-08-18 11:58:10 | 交響曲(シューマン)

シューマン:交響曲第3番「ライン」/第4番

指揮:フランツ・コンヴィチュニー

管弦楽:ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス

 シューマンの交響曲は音楽学者や音楽評論家からはあまり高い評価を受けていないが、我々リスナーにとっては、誠に身近かに聴くことができる交響曲ではある。ベートーベンの交響曲を聴くときはどうしても羽織袴を付けてから聴く雰囲気がある。それに対してシューマンの4つの交響曲は、何か私小説を読むような親しみが感じられる。第1番の「春」は青春の思いが全曲に溢れかえり、聴くたびに若かりし日々を思い起こしてしまう。このCDの第3番「ライン」は雄大な構想に満ちたシューマンの“田園交響曲”、第4番はドラマチックな人生を描いているようなシューマンの“運命交響曲”といったところだ。

 第3番と第4番には既に決定版ともいえるCDが存在する。第3番はワルター盤、第4番はフルトヴェングラー盤である。この2枚のCD(レコード)はこれら2つの曲の真髄を余すとこなく表現しきった名盤となっている。ところが今となっては音質が貧弱であることは否めなく、誰にも勧められる盤かというとちょっと躊躇せざるを得ない。それに対しこのCDに収められたフランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲバントハウスの演奏は、演奏の質が高く、しかも録音もまあまあの水準に達している。

 コンヴィチュニーの指揮ぶりは正統派の巨匠といったところで、下手な小細工などはせず、堂々とその曲の本質を掴み取り、ストレートに表現する。つまり、リスナーに対し一切迎合なんかしない。ドイツ音楽なかんずくシューマンの曲などは、このコンヴィチュニーの持つ特性を最大限に発揮できるものだ。最近のコンサートでの指揮者は皆熱演するのだが、何か曲をひねくり回し過ぎるきらいがありはしまいか。現在、その曲の持つ特性をストレートに表現できる指揮者が少なくなっている。コンヴィチュニーというと、その昔、ラジオで音楽評論家の山根銀二氏がしょっちゅう取り上げ、激賞していたのを懐かしく思い出す。カラヤンというとクラシック音楽ファンでなくても広く知られているが、コンヴィチュニーというとクラシック音楽ファンでも知らない人が増えつつある。真の実力指揮者・コンヴィチュニーを再評価して、後世に伝えたいと思っているのは私だけだろうか。(蔵 志津久)

 

 

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◇クラシック音楽◇チェビリダッケのシューマン交響曲全集

2007-11-13 21:45:26 | 交響曲(シューマン)
シューマン:交響曲第1~4番

演奏:チェリビダッケ指揮ミラノ交響楽団/ロンドン交響楽団/ミュンヘンフィルハーモニー

CD:ARTISTS FED 009.10(ライブ録音)

 チェビリダッケはその強烈な個性から楽団員とのトラブルが多かった指揮者だと聞く。このシューマンの交響曲全集のライブ録音を聴くとその個性の一端が読み取れる。第1番と第4番はチェビリダッケの持ち味が存分に発揮された名演だ。第4番については、これまでフルトベングラーの名盤があるため目立たないが、チェビリダッケの第4番を聴くと、フルトベングラー盤を超える名盤と言っても間違いないほどの名演だ。

 第1番はシューマンの若々しい面が顔を覗かせているため、各指揮者は比較的伸びやかに、明るく演奏するケースが圧倒的に多い。ところが、チェビリダッケはこの第1番でも第上段に構え、重々しく、しかも構成美を強調する真正面から取り組んだ演奏となっている。シューマンの第1番をこのようなスケールの大きな交響曲に作り上げることはあまり聴いたことがない。他の指揮者と比べることができないほどの高みに達している演奏とえる。

 これに比べ第2番と第3番は少々平凡な印象を受ける。特にラインの愛称で親しまれている第3番はワルターの名盤があるだけに少々見劣りがしてしまう。チェビリダッケという指揮者は、牧歌的でやすらぎに満ちた演奏というのが苦手なようで、どうも第3番にはぴたりと来ない。  チェビリダッケはフルトベングラーやトスカニーニの陰に隠れ、あまり目立たない存在にあまんじてきたが、ここらで再評価が必要ではないか。その緊迫感のある演奏は意外に現在のような状況の中で共感を得るかもしれない。 (蔵 志津久)
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◇クラシック音楽◇クナッパーツブッシュのシューマン第4/ブラームス第3交響曲

2007-06-23 21:56:27 | 交響曲(シューマン)
シューマン:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第3番

演奏:クナッパーツブッシュ指揮ドレスデン・シュターツカペレ

CD:キングレコード KICC 2161

 ハンス・クナッパーツブッシュはワグナー指揮者として一世を風靡した巨匠である。その指揮ぶりは重々しく、しかも限りなくゆっくりしたテンポで進んでいく。いかにもドイツ音楽の王道をいくといった感じだ。もし、フルトベングラーに対抗できる指揮者がいるとしたらクナッパーツブッシュだけであろう。東西の横綱を分け合うといった関係と言ったらよいだろうか。フルトベングラーが“動”の巨匠なら、クナッパーツブッシュは“静”の巨匠と表現してもよいかもしれない。クナッパーツブッシュは言ってみれば“動かざるもの山の如し”だ。その意味からすると感情を叩きつけるフルトベングラーよりも一歩上を行く真の巨匠なのかもしれない。このCDは1956年11月4日のライブ録音で、その巨匠ぶりが遺憾なく発揮されている。シューマンおよびブラームスの交響曲の録音の中でも1、2を争う名演だ。(蔵 志津久)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
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◇クラシック音楽◇ワルターのシューマン・交響曲第3番“ライン”

2007-06-05 21:38:23 | 交響曲(シューマン)
シューマン:交響曲第3番/第4番

演奏:ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク管弦楽団/ロンドン交響楽団

CD:ARLA53

 ブルーノ・ワルターは、フルトベングラー、トスカニーニと並び“3大指揮者”と呼ばれるが、フルトベングラー、トスカニーニが少々危ないくらいの激情型であるのと対照的に、ワルターは温和で感情を奥に秘めたようなところが特徴だ。そんなところが特に日本人にワルターのファンが多い理由ではなかろうか。ワルターは数々の名演を録音しているが、中でも私の一押しは、シューマンの交響曲第3番“ライン”である。シューマンの曲には何か病的な陰りが含まれたものが少なくないが、この“ライン”は健康そのものといった感じで、牧歌的なスケールの大きな交響曲に仕上がっている。このような曲想がワルターの温和な指揮ぶりにぴったりと合い、名演を残した。録音期日は1941年で60年以上の歳月がたっているにもかかわらず、決して聴きずらくないのも嬉しい。(蔵 志津久)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC
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