<NHK-FM「ベストオブクラシック」レビュー>
~2019年10月に音楽監督を辞するズービン・メータ指揮イスラエル・フィルとブニアティシヴィリの共演~
シューマン:ピアノ協奏曲
ヘンデル(ウィルヘルム・ケンプ編曲):「組曲 変ロ長調」からメヌエット(アンコール)
R・シュトラウス:家庭交響曲
ヨハン・シュトラウス:雷鳴と稲妻(アンコール)
ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ
指揮:ズービン・メータ
管弦楽:イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
収録:2017年9月16日、ルーマニア、ブカレスト、グランド・パレス・ホール
提供:ルーマニア放送協会
放送:2018年10月18日(木) 午後7:30~午後9:10
今夜のNHK‐FM「ベストオブクラシック」は、ピアノ:カティア・ブニアティシヴィリ、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、シューマン:ピアノ協奏曲とR・シュトラウス家庭交響曲のルーマニアで行われた演奏会である。ズービン・メータは、一時体調を崩して暫く指揮活動を中止していたが、この演奏会では元気な姿を現して、ファンを安心させたようである。メータは、2019年10月をもってイスラエル・フィルの音楽監督の座を退くことになっているので、このコンビの生の演奏会は、そろそろ聴き納めとなる。ピアノのカティア・ブニアティシヴィリ(1987年生れ)は、ジョージア(グルジア)出身で、現在、フランス、パリ在住。 トビリシ中央音楽学校を卒業後、2004年にトビリシ州立音楽院に入学。その後、ウィーン国立音楽大学へ転籍。 2008年、カーネギー・ホールでデビュー。受賞歴は、2010年「ボレッティ・ブイトーニ財団賞」、2012年「エコークラシック新人賞」(ピアノ部門)、2016年「エコークラシック賞ソロレコーディング」(19世紀ピアノ部門)など。初来日は2010年。
ズービン・メータ(1936年生れ)は、インド、ボンベイの出身。ウィーン国立音楽大学で指揮を学ぶ。1958年リヴァプールで行われた指揮者の国際コンクールで優勝し、一躍注目される。翌年、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、イスラエル・フィルを指揮してデビュー。その後、モントリオール交響楽団の音楽監督、ロサンジェルス・フィルハーモニックの音楽監督、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を歴任。さらに、2004年ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者、2006年ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場音楽総監督を務めた。ズービン・メータの指揮ぶりは、響きは豊潤、スケールは雄大であり、かつての巨匠指揮者を偲ばせる芸風を持つ。1969年以来、たびたび来日している。イスラエル・フィルとは、1968年より音楽顧問、1977年より音楽監督、1981年より終身音楽監督に就任。しかし、自身の公式サイトにおいて、2019年10月をもって、音楽監督を退任する意向を発表した。自身はユダヤ人ではないが、熱烈な親ユダヤ・親イスラエル主義者として知られており、イスラエル・フィルでの長年の貢献により1991年にイスラエル賞特別賞を受賞した。ウィーン・フィルによる新年恒例のニューイヤーコンサートでこれまで5度指揮台に立ったことでも、その人気のほどが偲ばれる。
最初の曲は、シューマン:ピアノ協奏曲。この曲は、1845年に完成されたシューマンが遺した唯一の完成されたピアノ協奏曲である。1841年シューマンは後にピアノ協奏曲の第1楽章となる「ピアノと管弦楽のための幻想曲」を作曲し、1845年にそれを改作し、間奏曲とフィナーレの2楽章を加えて曲を完成させた。曲は3楽章からなり、第2楽章と第3楽章の間は休みなしに演奏される。1846年1月1日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで、ロベルトの妻クララ・シューマンの独奏、献呈者のフェルディナント・ヒラー指揮で初演された。このシューマンのピアノ協奏曲は、ロマン派のピアノ協奏曲を代表する作品であるが、今夜のカティア・ブニアティシヴィリのピアノは、正にこのことを明確にリスナーに印象付ける演奏内容に終始した。その表現力は抒情的演奏の極限にまで達しており、見事というほかない。近年のピアニストの多くは、超絶技巧で力任せに鍵盤を打ち付けるが、カティア・ブニアティシヴィリの演奏内容は、それらとは全く無縁なものだ。全体が仄かな明かりが点滅するような微妙なニュアンスに彩られ、音そのものも限りなく柔らかく、そして何より美しい。しかし、早いパッセージなどは、それなりに強く自己主張しており、全体としては毅然とした演奏内容を保っている。ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの伴奏は、そんなブニアティシヴィリの演奏に添うように優美に奏でられるが、全体としては、雄大なスケール感が十分に発揮され、ブニアティシヴィリのピアノ演奏を存分に引き立てることに成功した。
次の曲は、R・シュトラウス:家庭交響曲。この曲は、1902年から1903年にかけて作曲され、1904年3月21日、カーネギー・ホールにて作曲者自身の指揮、ニューヨーク交響楽団により行われた。R・シュトラウスの交響曲と言えば、この家庭交響曲とアルプス交響曲とがある。この2曲は、交響曲と名付けられてはいるものの、一般の交響曲とはいささか異なり、どちらかと言えば、連作交響詩に近い印象を受ける。R・シュトラウスは交響詩の名作を遺しているが、交響曲を作曲するにも交響詩の手法を取り入れたということであろう。家庭交響曲は、全体が切れ目無く演奏され、大きく4部に分けることができる。 第1部では最初に家庭の主人の主題、次に妻の主題が続く。さらに、子供、そして叔母と叔父が登場する。第2部は子供が遊び、そして母親の子守歌に包まれて眠る。第3部では子供が寝る中、仕事をする夫、愛の交歓、妻の気づかいの様子が描写される。子供が起きて第4部に入るが、両親は子供の教育方針を巡って喧嘩を始める。子供が泣くほどに激しいものとなるが、やがて落ち着き、2人は歌を歌う。しかしまた高潮してクライマックスに至る。この交響曲は、スケールの大きな、ダイナミックなドイツの家庭の交響的絵巻物という印象を受ける曲。今夜のズービン・メータ指揮イスラエル・フィルは、表題音楽としての日常の家庭生活を表現する一方で、絢爛豪華なスケールの大きな音の饗宴を的確に演奏し切ったものとなった。ある意味、この2つの要素は相反するもの。このため、日常の生活の描写を重視した演奏か、あるいは雄大な交響曲的な要素を重視した演奏に2分される傾向が強い。これに対し、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの強みは、これら相反する要素を同時に演奏できるだけの力量を持っているところだと思う。今夜の演奏会は、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルのコンビの最終到達点を、存分にリスナーに印象付けた演奏内容であった。最後にアンコールとして演奏されたヨハン・シュトラウス:雷鳴と稲妻の何と楽しいことか。(蔵 志津久)